幼稚園時代「何組」でしたか?

「なぜ人を殺してはいけないのか?」
この当たり前の問いに、説得力のある解がないがために、いじめ、自殺、殺人など治安の悪化につながっているような気がします。
私は、極論すれば「人は生きるために生まれてきたのだから、殺してはいけない。」というのが持論です。
これは、すべての生命にもともと備わっている本能であり、なにびとも侵すことができないと思うからですが、自我が芽ばえ知恵が付き、自己判断できるようになり自分の中に主観が確立すると、本質を見失ってくるのではないでしょうか。
教育関係者や文科省などは説得力のある回答を用意しなければ日本はこの先もっとひどいことになってくるような気がしてなりません。
皆さんは、どうお考えでしょうか?

A 回答 (24件中1~10件)

>皆さんは、どうお考えでしょうか?



 私は、単純に
「自分が、殺されたくないので、人を殺してはい」と
思っています。

 正しい答え、考え方等が、
必ずしも1つじゃないのでは ない?

>教育関係者や文科省などは説得力のある回答を用意しなければ

 そりゃ~無理だろう
価値観、考え方が人によって違うのに
 全ての人を納得できる説得力のある回答なんてありえません

この回答への補足

やっぱり、そうでしょうね・・・

補足日時:2013/02/11 00:58
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>極論すれば「人は生きるために生まれてきたのだから、殺してはいけない。

」というのが持論

私もそう思っています。
昔は「人にされて嫌なことは自分もするな」的な考えでしたが、最近は「自分は殺されてもいい、やれるもんならやってみろ」と言わんばかりの犯罪も増えているように思え、その考えでは説明できないことを感じています。

ただ

>教育関係者や文科省などは説得力のある回答を用意しなければ

ここでひとつの回答に決める、といったことは無理でしょう。
また、各「宗教」において重要な部分がこの「説得力のある回答」として機能していることを考えると、ひとつの考えに統一することの危険性をも感じます。きわめて宗教的、思想統一的になってしまいそうで…

それぞれがそれぞれの思う「理由」でなければ説得力もありませんし、それを聞く人たちの状況や思想によっても違ってきます。

考えてみると、「なぜ人を殺してはいけないのか」というよりも

「人を殺さない(命をなくさない)」=命自体が尊く、かけがえのない価値のあるものだから

という命そのものの価値観を正しく持たせる方向性で行われているのが、「道徳教育」なのかもしれませんね。

「なぜ人を殺してはいけないのか?」とは「なぜ(こんな価値のない)人(命)を殺してはいけないのか?」という意味でもありますから…

参考まで。

この回答への補足

太古の昔から受け継がれており、生命にもともと備わっている生存本能を、人間の一時的な感情で作り出された不都合によって断つことは、はたして理にかなっているのか?
「なぜ人を殺してはいけないのか」を科学的、合理的に追及してみたかったのですが、考えれば考えるほど価値論や存在論にまでいってしまいます。
生命の尊さを教えることが必要だといいますが、どのように尊いのか説明できる人はどれくらいいるでしょうか?そこにも問題があるような気がします。

補足日時:2013/03/05 23:16
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 人を殺してはならない


これは自分は『殺されたくない』だから正義や倫理というルールお互いを居縛りその身を守っている。
 というのが自分の持論です

 個人的に『人は生きるために生まれてきたのだから、殺してはいけない。』というのは『人以外の生物は生きるために生まれてきてはないのですか? 人間が牛や豚を殺していますよね?』
 と生徒に聞かれてたらどうするんです?

 

この回答への補足

「生きるために生まれてきた」というのは語弊がありました。生まれるのに理由などあるませんね。NHKスペシャルを見すぎたせいかもしれません。うっかり書いてしまいました。
しかし、意識するしないにかかわらず、生命のすべての生活、行動は生きるためのものであると思います。
例えば、呼吸、食べる、睡眠、苦しむ(生命の防御反応)等々。なので「生きるためにこの世に存在するのだから」と言いたかったのが本音のところです。

人間は、水と空気だけでは生きていけません。食物連鎖の頂点に位置するので、多くの生命の犠牲の上に成り立っています。大変罪深いと同時に、他の生命によって生かされているという感謝の念を忘れてはいけないということです。

補足日時:2013/02/11 01:48
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考え方が性善説過ぎる。

人間の歴史は人殺しの歴史ですよ。同類をこれだけ殺す動物は他にはあまり無いでしょう。いじめる人間は、一生ひどい目に合わせるなど罰を与えて見せしめにでもして行くようにしなければ、決して止めませんよ。

この回答への補足

一種の脅しによる抑止力ではなく、自己都合による殺人は自然界の理にかなっているのかどうか、科学的、合理的にかんがえてみたかったのです。

補足日時:2013/03/05 23:28
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>私は、極論すれば「人は生きるために生まれてきたのだから、殺してはいけない。

」というのが持論です。

意味不明。響きの美しい言葉を使って自己陶酔しているだけですね。
その前提となる「人を生きるために生まれさせた」のは誰(何?)ですか。
だとしても、生まれた者がそれを受け入れなければならない理由はどのようなものですか?
私は「生きなければならない」という事も、枷の一つだと思います。


>これは、すべての生命にもともと備わっている本能であり、なにびとも侵すことができないと思うからですが、自我が芽ばえ知恵が付き、自己判断できるようになり自分の中に主観が確立すると、本質を見失ってくるのではないでしょうか。

過去にこのテーマを必死になって考えて、人権とか自然権とか生存権とかの概念を創造した先人が読んだら絶望するレベルの安易さですね。

主観とか自我とか本質とか、ご立派な言葉を使っているようですが、とどのつまり説明できないことを【本能】とか、存在も定かでない超越的な存在に丸投げして、言葉を飾って誤魔化しているだけですね。


回答:今の社会で殺人が自由になると不都合がでるので「禁止されている」だけで、いけないという普遍的な理由はありません。

個人は殺人を含む全ての行為をする自由があります。
しかし、同時に他者(社会)もその個人の行為に対して報復をする自由があります。
法律もそれらの行為者に対して、強制力を行使する事ができます。
社会で殺人事件が多発しないのは、それが抑止力になっているに過ぎません。

そもそも、法律はすべての殺人を犯罪(いけないこと)とは定義していません。
「罪刑法定主義」によれば、法律が犯罪と定義しない行為は犯罪ではありません。

法とは、正義を規定し国民に要求するものではありません。
法は、トラブルに際して、個人の権利や自由を守る為に定められているものです。
その為には、警察や軍隊のようないわゆる暴力装置が必要になります。
法を犯した代償を支払うことを、暴力を持って拒否するものに権力を行使する場合、暴力を以って強制するしかありません。その過程において殺人が必要になる場合もありえます。
法は、そのような場合の殺人は犯罪としていません。
(以上から暴力装置という言葉から、ネガティブなイメージを受けますが、これは学問上の専門用語であって、該当する組織を侮辱する言葉ではありません)

一般に言われている殺人が犯罪とされるのは、憲法で保証されている、「個人の生きる権利」を侵しているからです。
実は、法律は殺人をする自由は認めています。

法律には、~したものは・・・の刑に処すとはありますが、~してはいけないとは書いていません。
これは、前述のように、法が正義というものを定義していないからです。

この場合、所謂自殺幇助の問題がありますが、現実に裁判が起こっています。
判例では、情状酌量で減刑されてはいるようですが、殺人罪という扱いは変わらないようです。
これには、以下の理由があります。
1:自殺者当人が証言できない為に、本当に死を望んでいたか立証できないこと。
2:安易に認めた場合、社会的な影響が大きいと思われる為。(公共の福祉・利益が損なわれる)
(2も正義や道徳ではなく、社会全体の治安を保つ必要性からのものです。)


道徳・常識の観点
平時の社会は、その地域固有の歴史と文化に基づく常識という不文律に支配されており、全ての関係はそれに基づいて動きます。
また常識の背景となる文化自体が、論理や理性に拠っては居ない為に、それら同士が矛盾する場合があり、

そのために、常識=法とはならない場合があります。

たとえば、「礼儀」は社会生活で重要ですが、それを無視しても犯罪者にはなりません。
ところが、常識自体が時と供に変化する上に、人毎にばらつきがある感覚の、最大公約数的なものなので、社会の常識=特定の個人の感性とはならない場合が多々あります。(その場合はDQNとか呼ばれるらしいです)

ということで、どのような報いを受けても、殺人をしたいという者にとっては、全く無意味なものです。


宗教的な観点
宗教ごとに、殺人を悪とする理由が違う上に、無宗教の者には意味がありません。
都合で正義になったりする場合もありますし。(異教徒や異民族を殺しまくった某宗教の例もあります)

ということで、
人を殺していけないという理由はありません。
(それによる罰を受ける必要がないと言っているのではありません)


>この当たり前の問いに、説得力のある解がないがために、いじめ、自殺、殺人など治安の悪化につながっているような気がします。

私は、昔の方が戦争や侵略で社会や政治は不安定で、強盗や山賊や差別や汚職などの犯罪は多かったと思いますが。
質問者様は、現代を何時の古き良き時代と比較しているのでしょうか。

また、殺人がいけない理由が前述の法や道徳以外の理由から明確に回答されたことなどありません。
社会を維持する目的から罪とされ、抑止と遺族の感情や報復の為に罰が行われてきただけです。
「なぜ人を殺してはいけないのか」の回答画像5

この回答への補足

「生きるために生まれてきた」というのは語弊がありました。生まれるのに理由などありませんでした。NHKスペシャルを見すぎたせいかもしれません。ついうっかり書いてしまいました。
しかし、意識するしないにかかわらず、生命のすべての生活、行動は生きるためのものであると思います。
例えば、呼吸、食べる、睡眠、苦しむ(生命の防御反応)等々。なので「生きるためにこの世に存在するのだから殺してはいけない」と言いたかったのが本音のところです。
暴力装置に守られた安全装置である、人工の法律をかざせば、それまでですが、見つからなければ殺してもいいんだというやからが出てくるのは当然です。
「人を殺していけない」とは不文律で、環境や生活習慣などで揺らいでしまいますが、人種、宗教、時代を超え、生命に基いた普遍性を孕んだ理由付けがないからでしょう。

補足日時:2013/02/11 01:41
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"この当たり前の問いに、説得力のある解がないがために、いじめ、


自殺、殺人など治安の悪化につながっているような気がします。"
  ↑
マスコミに踊らされていますね。
犯罪は減っております。

「人は生きるために生まれてきたのだから、殺してはいけない。」
     ↑
人は、何のためにも生まれてきません。
意味も無く生まれただけです。
意味も無く生き、意味も無く死んでいくだけです。
人の生に意味がある、などというのは人間は特別な存在だ
とする思い上がりです。

”これは、すべての生命にもともと備わっている本能であり、なにびとも侵すことができない”
     ↑
だったら、なぜ他の生命を奪うのですか。
お米は食べたことは無いのですか。
肉や魚はどうですか。

「なぜ人を殺してはいけないのか?」
      ↑
それは、人間がそう決めたからです。
人間は社会を造って生きています。
社会で育たない人間は、二足歩行すら不可能になります。
その社会を維持するためには秩序が必要です。
その秩序を守るために、そういうルールにしたのです。
つまり、人間の勝手な都合です。
だから、戦争や死刑の場合には、殺すことも許されるのです。

人間がそう決めただけなのに、それを忘れ、なにやら
特別な意味があるように錯覚しているだけです。
人間は、自分が造ったルールに踊らされているだけです。

この回答への補足

「生きるために生まれてきた」というのは語弊がありました。生まれるのに理由などあるませんね。NHKスペシャルを見すぎたせいかもしれません。うっかり書いてしまいました。
しかし、意識するしないにかかわらず、生命のすべての生活、行動は生きるためのものであると思います。
例えば、呼吸、食べる、睡眠、苦しむ(生命の防御反応)等々。なので「生きるためにこの世に存在するのだから」と言いたかったのが本音のところです。
人間は、水と空気だけでは生きていけません。食物連鎖の頂点に位置するので、多くの生命の犠牲の上に成り立っています。大変罪深いと同時に、他の生命によって生かされているという感謝の念を忘れてはいけないということです。
人工?の法律を持ち出せばそれまでですが、反社会的な連中やひきこもり、「酒鬼薔薇聖斗」のような者は、ばれないようにやればいいんだと解釈してしまうかもしれません。
「人を殺してはいけない」は、ほとんどの人はそう思っているでしょうが、なぜ?と聞かれると明確な答えが返ってこない。
それは、不文律だからでしょう。その不文律が環境や生活習慣などで揺らいでしまうのだとおもいますが。

補足日時:2013/02/11 00:54
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なぜ人を殺してはいけないのか?


この問いを
なぜ人を殺さねばいけないのか?
といいかえたときに、そういう教育を行ったことがある国が歴史上いくつかあることが分かると思います。日本もそうですね。
そして、その2つの問いがなされる背景の違いを把握していれば、その回答は自ずからすでに学校で学んでいたことを思い出すかと思います。

ご質問者さん自身が、ご自身の問いの回答を持っていないことが、私には不思議です。日本の戦後教育は、その1点に集約されるくらいに、常に論争がされてきています。
他の方の質問で、回答への補足で、その方は、憲法を知らずに大人になっては、いけないのか、と書いていましたが、当たり前ですよね。その国で暮らすための最低限のモラル、シキタリが憲法です。それを教えることが義務教育のおおきな役割です。その中には、「人を殺してはいけないこと」も、含まれています。そして、学校で教えるのは、その条文だけではなく、それが成立した背景も教えています。
日本の憲法には、「なぜ人を殺さねばいけないのか」の記載が欠落している、世界でも珍しいものです。戦前のそういう教育を行ったときの憲法にもそういう記載はありませんでしたが、いまの憲法では一歩踏み込んで、なぜ人を殺してはいけないか、が書かれています。

他国の多くの憲法には、自国民を殺してはいけない、殺されてはいけないことは、書かれていますが、他国民についての言及はありません。
フランスやアメリカのように、条件を付けて、自国民を殺してもよいという規定があるものもありますし。

最後に、ご質問にご質問で返してみますが、本当に、「人は殺してはいけないこと」なのでしょうか?
基本的人権が本能に存在しているのなら、なぜ、人の歴史はいまこのときを含めて、その獲得のために、ここまで悲しみに包まれているのでしょうか?

この回答への補足

それは、人間は感情の生物だからだと思います。
感情のない生物、虫けら、植物でさえ殺そうとすれば逃げる方向へ動きます。生を選択するわけですが、これが生命全般に備わっているとすれば、人間の一時の感情によって左右されてはいけないと感じるのです。

補足日時:2013/02/25 00:11
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>>教育関係者や文科省などは説得力のある回答を用意し なければ日本はこの先もっとひどいことになってくる ような気がしてなりません。



このような問かけは大人でも、簡単に答えが出せませんので、ましてや子供となるとさらに答えなどでないでしょう。

もし、子供に問う場合はいきなり『人間は、なぜ、』などとは言わず、『なぜ、○○ちゃんのお菓子を勝手に食べてはダメなの?』とか、『どうして。○○君のおもちゃを盗ってはダメなの?』などと聞く事から始めればいいと思います。
そうすれば、子供は子供なりに必死になって答えを出そうとします。
これらの問いの延長線上に『なぜ、人を殺してはいけないのか?』という問いがある事になります。
子供の時からのこのような問いかけをして来なかった人が、大人になって『なぜ、人を殺してはいけないのか?』などと問われても答えに窮するだけです。

そもそも、本来ならば、いい大人が『なぜ、人を殺してはいけないのか?』などと考える事、発想している時点ですでに可笑しいのです。

この回答への補足

あるTV番組で、良識あるパネラー達が同じような問題に、明快な答えを示せなかったことに驚き、疑問を感じました。

補足日時:2013/02/24 23:57
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このサイトに一番不向きな質問と感じますね。



>なぜ、人を殺してはいけないのか?

中国の偉い人の言葉ではありませんが『棚上げ論』を推薦します。

地球人口60億人が総てが納得できる答え以外は無意味。
少なくとも死刑制度を容認している日本人が語っても矛盾を指摘
されるだけだと感じます。

日本人は『教室で豚を飼育して、ペットか家畜か?』の答えも出せない
優しい民族なのに死刑制度を実施しています。
法律で、制度で認められた死刑制度でも裁判官が死刑判決を出さなければ
無いのと同じ刑罰なのに・・・死刑宣言が今だに出ています。
そんな国民が論じるのは早計と思います。

精々、事案ごとに殺人を議論するのが限界です。
人は人を殺さない?食物連鎖が地球から消えてから議論しましょう。

この回答への補足

法律が抑止力になっているという人も多いです。
それも一理あると思いますが、普通なぜ「いけないこと」と感じるのか、その不文律部分を知りたいですね。

補足日時:2013/02/24 23:51
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「人は生きるために生まれてきたのだから、殺してはいけない。

」という持論をもっている人に、他の回答をしても受け入れられないでしょうが、この問答を読む人々に向けて回答します。

答えは、犯罪に関する刑罰の規定があるからです。

死刑執行人は、死刑を執行しなければならないし、正当防衛であれば、人を殺しても、罪には問われません。

死刑執行人や正当防衛で自分の生命を守った人を、道徳的に非難しても無意味です。

この回答への補足

>答えは、犯罪に関する刑罰の規定があるからです。

だから、未解決事件や時効成立、引き逃げ等があとをたたないわけですね。見つかりさえしなければ、殺人も可と考えるものが出てきて当たり前

補足日時:2013/02/24 23:39
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