電子書籍の厳選無料作品が豊富!

教育の現場での体罰が問題になっていますが
体罰に反対する人は、教育において体罰をすることそのものを問題にしてるのですか?
それとも、教師が体罰をすることを問題にしているのですか?

どちらなのでしょうか?

また、教育において体罰をすることそのものを問題にしているのであれば
あなたのご家庭で、もし言って聞かせても言うことをお子さんが聞かないときは
どうするのですか?

それと、男性か女性か教えてください。

回答よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

教育の現場では、命に責任を持たなくていいんです。


だから体罰は必要ありません。

頭の中お花畑な親は、子どもの命に無責任ですから、
体罰をしない親もいます。

命の危険にさらされたことがある人なら、
体罰の大切さは良くわかりますし、
どこで体罰を与えるかの基準も良くわかります。

体罰を受けたことのない人(特に男の子)って・・・
私は、遠慮します。
    • good
    • 3

女性です。



>教育において体罰をすることそのものを問題にしてるのですか?
それとも、教師が体罰をすることを問題にしているのですか?

どちらもです。教育現場の能力低下を暴力で解決しようとしている手段としか思えません。成長過程の子供の人権や自尊心を著しく傷つける可能性を感じます。他の手段で解決してもらいたい。まして力関係がこれほどはっきりしている対人関係で暴力行使は果たしてその子に本来の諭させる目的を達成させられるものなのか、逆に思考をさえぎらないか、本当に本人のためを思ってする行為なのか考えるべきでしょう。

例えば心理学的に暴力を受けて育った本人は次の世代に虐待を繰り返さないか心配している人が多いですね。
こういった事例を考えても、子供の記憶や自尊心に与える影響の大きさを考えるべきでしょう。


私の家庭では殴った事はありません。小さい頃から言って聞かせれば三つ子の魂で何も問題は起きないであろうと信じましたし、実際に問題は驚くほど起こりませんでした。子供の脳は大人が思うほど幼くないのです。

私の息子自身も反抗期で暴れる事すら時間のロスだと言い切りますし、脳を冷静にコントロールする習慣がついています。理数系でありながら弁も立つ。背も高く陽気です。堂々とまっすぐ歩く姿がコケイジャンの間にもアジア人としてひけをとらない。(海外在住です)そして親子の信頼関係も厚い。殴ったり暴力をふるってすべての神経が自由に伸びていくとは思いがたいですからね。
大学生の今まで、親を困らせるような事もしていません。演技ではない証拠に実際に脳で理解して行動しているから長く続くのです。

体罰をする人がどういう家庭環境で育ったのか、どういった教育を受けてきたのか、現在どういう環境に取り囲まれているのか、実際は私としてはする側の心理状態を逆に知りたいぐらいです。(おそらく研究対象にはされないでしょうけれど)
    • good
    • 0

男性です。



僕は、体罰そのものに反対です。教育現場における一切の暴力行為と抑圧に反対ですね。子供だからといって下に見て人権を侵害されたらたまったもんではありません。それいぜんに、学校教育法で体罰は明確に禁止されています。してはいけないことと法的に定められているのだから、守られて然るべきかと思います。

子供が言うことを聞かない場合でもそれは親のやり方が悪いからであって、子供に責任はありません。言い聞かせ方を変えながら最良の方法を探すと思います。昨今、インターネットもありますから「うちの子はこうやって聞かせたら言うこと聞いてくれたよ!」とか情報交換も簡単ですしね。facebookとかで子持ちの友達とかがいれば、先輩としての意見を仰ぐのもいいでしょう。昔は親戚の子育ての先輩方や近所の人達と情報を交換しながら育てていたと思います。今の親はどうも全て自分で抱え込んでしまっている気がしてなりません。もっと我が子を周囲と共有すればいいんじゃないかと思います。人と人とのつながりというやつでしょうか…
    • good
    • 0

 こんばんは。

この問題ですが、いわゆる「体罰と称される行為」が「学校で行われる状況」かそれとも「家庭内で行われるものか」によっても話は異なってきます。
 現在問題となっているのは「学校内」が話題に上っています。その学校では「学校教育法」では「全ての体罰は禁止」されています。
 それでは「生徒児童の不正行為」に対する処罰はどうか、との問題になります。法の基準からすれば「体罰は懲罰には含まれない」つまり暴力行為であるとの結論になります。
 この「体罰」と「懲罰」の違いですが、「懲罰」とは「こういう行為をしたら、このようなペナルティが科されるよ」との意味であり、そこに含まれる一般的な種類は「反省文を書かせる」「掃除当番を一人でやらせる」などの形が多く見られます。
 「体罰」は「懲罰」ではありません。懲罰は「指導」です。指導によって矯正するとの意味があります。暴力では矯正を行うことはできません。
 これを家庭の問題に置き換えて考えてみましょう。家庭での教育を別の言葉で表現するならば、「しつけ」になります。この「しつけ」も親と子の間を人間対人間ととらえるならば、そこには服従の関係などなりたたない。人間には他の動物とは異なる意思疎通の手段もあり、それは「言葉」と呼ばれます。
 「しつけ」は叱るとの意味もあることから、「なぜ自分が叱られているのか」を相手に理解させることができねば意味を持たないものになります。
 「言って聞かせても子どもが言うことを聞かない」それは「子どもに『叱っている意味』が伝わっていない」ことと同じであり、それは親の側にそれだけの能力が欠如していることを意味します。
 日本の社会では、子どもは親の所有物との意識がどこかにあって、それ自体の意味を検証してもいないことが「しつけと虐待」「懲罰と体罰」の違いを理解できない大人が増えてしまったことに最大の原因があります。
 乱暴な言い方をするならば、日本は形だけ先進国の姿を装っていても中身は先進国とはいえないとの証拠ともいえるでしょう。また日本の社会に重層低音のように流れている「自分が受けてきた経験を基準として物事の判断基準とする」などの意味不明な発想が、新たな経験主義を再生している温床となっている点にも今後は着目していく必要があり、そうした姿勢をどの様に変えていくかとの姿勢と意識が求められていると考えます。
    • good
    • 0

今時体罰なんて、良かれと思ってもやるものではない。



馬鹿な子供を叩いて損をするのは体罰を加えた本人。

それに、体罰は加えるほうもあまり気持ちのいいものではない。

悪い事をしたのでもなく根性を叩き込むなどで、暴力を加える運動部監督や教師なんか馬鹿の骨頂。

少々頭の狂った手合い。

親もすぐに悪い時は叩いてくださいというが実際にやれば大変な事になる。

自分の子供は親御さんが叩いてください、さもなくば、警察に相談してください言ったほうがまし。
    • good
    • 3

>教育において体罰をすること、教師が体罰をすること


両方問題です。私の家庭では、ちゃんと言って聞かせれぱ子供が言う事を聞かない事はありません。女性です。

体罰はこのような大きな問題に発展する場合もあります。止めるべきです。


■北九州市立青葉小学校事件
http://wiki.livedoor.jp/kyouiku_hiroba/d/%CB%CC% …

2006年3月16日北九州市若松区の同校で、5年生A君が別の女子児童にぶつかるトラブルがあった。A君は謝りその場は収まった。

しかし担任の女性教諭(50)は同日午後3時頃、事実確認もせずA君の服の襟をつかんで揺さぶり、床に押し倒すなどの暴力を執拗に加えた。

その直後A君は教室から飛び出した。一度教室に戻った際、担任教諭は「何で戻って来たんね」と暴言を吐きA君は荷物をまとめ教室から再び飛び出した。

担任は放置して家庭に連絡せず、同日午後4時過ぎA君は自宅で首をつり自殺した。遺書はなかった。

このA君は生前「担任教諭が嫌い。学校に行きたくない」などと度々もらし、学校から泣きながら帰宅したこともあった。様子を心配した家族は学校側に相談していた。

北九州市教委は「体罰はなかった。注意と自殺との因果関係は不明」と主張し、他の児童に「暴行について喋るな」などの隠蔽工作を行った。また事件直後の調査の開示も拒否し破棄した。


遺族は2007年3月訴訟を起こしたが、教委は担任の暴行すら認めず争った。A君の両親は目撃証言を集め証拠として提出したが、教委は証言の信用性を否定した。

担任は割合まともで、事件直後に依願退職し、裁判でも「体罰だった」、自分の指導が「自殺の原因の一つになったと思う」と正直に証言した。


福岡地裁は2009年10月1日、担任の体罰・自殺との因果関係を認め、北九州市に約880万円の損害賠償を命じた。一方でA君が「衝動的」として賠償額は減額した。

しかし教委は判決を不服として福岡高裁に控訴し、裁判所は和解を勧告した。教委は体罰を認めず、和解条項には「体罰」の文字はなかった。

遺族側は和解内容には100%納得しなかったが、訴訟による負担を考え和解に応じた。
    • good
    • 0

教育において体罰をすることそのものを問題にしています。



自分の子は殴りますよ。

今、問題になってるのは体罰という名の暴力ですよ
    • good
    • 3

今、問題になっているのは体罰の是非ではありません。

体罰と称して体育会系の暴力教師が暴力を正当化しているといったことなのです。何のための暴力か。子供の躾なんかではありません。指導力不足の暴力教師が暴力で生徒を支配して、現場の実態を表面化させない為のものなのです。論点をすり替えないでいただきたい。論点すりかえに加担するような回答は当方はできません。
    • good
    • 0

女性です。



教育の現場で体罰をすることを問題にしていると思います。

私には子どもがいませんが、甥っ子や姪っ子が産まれ
たまに遊びにきますが、たたいたりしたくないですね。

言って聞かせても言うことをきかないときは、声を強めにして
目を見て真剣にしかりたいです。

小学校1年生の時、ヒステリーな女教師が担任でしたが、
みんなの前で生徒を罵倒したり、ぶったりしてました。
今でもバカな先生だったなと思います。悪い思いでしか
浮かびません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>教育の現場で体罰をすることを問題にしていると思います

あなた自身はどうなんですか?


>声を強めにして目を見て真剣にしかりたいです

それは言って聞かせるということですよ。
それでも言うことを聞かない場合です。


>小学校1年生の時、ヒステリーな女教師が担任でしたが

それでも反抗的な生徒がいて、授業運営に支障があったりしましたか?

お礼日時:2013/02/24 21:01

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!