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長文になると思います。また、私はタイトルの質問に答えを出してしまった人間です。

私には、今年85歳になる父と82歳になる母がおります。

父親は、75歳くらいの時から膝の具合が悪く、それでも杖をついてヨチヨチ歩きが出来ました。
私は年に3回くらい帰省していましたが、両親に東京で一緒に暮らさないかと頼みましたが、私の世話にならなくても生活出来るし、今更東京でなんか暮らしたくないと言われました。しかし、母は本心では一緒に暮らしたかったみたいです。
私には、4歳年上の姉がいました。地元に嫁ぎ家から車で30分くらいの距離でしたので、姉にすっかり頼っていました。
その姉が7年前に子宮ガンで早逝してしまい、再び東京の生活を打診しましたが、父は頑として断り続けました。

その父が一昨年まで介護3だったのに、昨春介護5になり寝たきりになってしまいました。
正月には割りと元気でしたが、昨年3月に突然母から電話があり、お父さんはもう死ぬかも知れないから、顔を見に帰って来いという事でした。
すると、骨と皮ばかりに痩せ細った寝たきりの父が、私の顔を見て誰ですか?と聞くのです。
こうなる前に、早く連絡くれればと母を責めましたが、お前はもう東京の人間だからと言われました。
母はオムツを取り替えるだけで、既に疲れきっておりましたし、床擦れによる辱創がかなり酷い状態でしたから、とりあえず入院させて特別養護老人ホーム入居の申し込みをして東京に帰りました。

父を見たときから、私はUターンする決意をしましたが、帰京したその日から、妻と子供たちとの話し合いが始まりました。子供二人は既に結婚し、次男は昨秋に結婚が決まっていました。子供たちは、お父さんが今帰らず一生後悔するならば、好きなようにしてと言われましたが、私の妻は反対しました。娘の子供(初孫3歳)と遠く離れたくない、早期退職したら職も決まっていない私の経済状態が不安、雪深い田舎の生活と僻地である事が不安、何日も話し合いましたが最後は私(妻)と両親のどちらが大事なの!と感情的になられました。
私は結婚してから、妻と子供たちの意見を尊重し家族は支え合う物と子供に教育し感謝してきました。結局私は、妻の意見を尊重し支える事が出来ませんでした。

妻の好きにしてくれと、離婚届けに判を押してUターンしてきましたが、次男の結婚式の時は一言も口を聞いてくれませんでした。私の決断は、間違いだったのでしょうか?

A 回答 (46件中21~30件)

すみません、字が違ってました。

訪問看護のマチガイです。

皆さん、質問者さんが奥さまを捨てたことになる、と仰ってますが、
私にはどうしてもそうは思えません。

質問者さんはちゃんと責任を果たし、これから大人2人の生活になったところで、
年老いて介護が必要になった親に、親孝行したい、ついて来てくれるか、と仰ったわけでしょう?
それを拒否されたのは奥さまの方で、奥さまが質問者さんを見捨てた、とは言えるかと思いますが、
質問者さんは決して奥さまを捨てたわけじゃない、と私は思いますけど…
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この回答へのお礼

再再度のアンサーありがとうございます!!!

昨晩は、深夜までかかってNO14様くらいまでお礼を送らせていただきました。

今日は、父の面会を挟んで順番にお礼コメントさせていただいておりますが、またあなた様のアンサーでびっくり致しました。

誤字というよりも、うち間違いですよね。

私は携帯画面から、お礼コメントさせていただいておりますが、うつのが遅い上に恐らく誤字当て字が多いと思いますよ。


几帳面な方なのですね。

本当にありがとうございます。

妻を捨てたと言われても、致し方ない事をしたと思っております。

人間て、同じDNAを持ち同じ環境で育って、同じ価値観を持ち、同じ境遇にならないと相手の本当の気持ちがわからない動物かも知れませんね。

そして、自分自身の気持ちさえも、わかっているつもりだけなのかも知れません。

感謝致します。

ありがとうございました!

お礼日時:2013/03/08 21:04

21で回答した者です。



実は私の親も、質問者さんのご両親と同じ年令、父85才、母82才で、
今年1月、85才で父を亡くしたばかりです。
最期はやはり、要介護5でした。

去年暮れに退院したあと、父と母の希望で、在宅で過ごしました。
ケアマネさんのお世話で、デイケアに週2回行き、入浴やリハビリ訓練を受け、
他に週2回、往診や報恩看護、作業療法士さんの指導など受けました。
話し合ってプログラムを作り、うまく機能し始めていたのですが、
ちょっとしたキッカケ(インフルに院内感染)で残念な結果になりました。

介護5になると、どれだけ楽しみを持てるか、生き甲斐を持てるか、です。
私たちにできることは、介護やお世話というより、どれだけ最期の時まで
楽しみを持たせられるか、気分転換でき笑顔になってもらえるか、です。

質問者さんは、子供さん3人を立派に育てあげ、経済的な責任も果たされたのです。
いい子供さんたちのようですね。子供ってちゃんと見てるものですね。

どうぞ悔いのないよう、親孝行して差し上げてください。
私は、、悔いだらけです。今でも涙が出ます。
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この回答へのお礼

再度のアンサーありがとうございました!
あなた様は悔いがあるとおっしゃっておられますが、きっとお父様はたくさんの楽しい思い出を宝物にして、旅立たれたことと思いますよ!

父が入所する時、看取りに関する指針の説明を受けましたけど、お年寄り達の希望は畳みの上で死にたいではないでしょうか?

退院されて、在宅介護されたことを、お父様はさぞお喜びだった事でしょう!

父は在宅介護の頃から、左足が曲がった状態で、リハビリを頑として拒否しておりました。
従って、紙おむつの交換も、ちょっと足を動かすと痛がり、大変だったそうですけど、母は父のそんな姿を私に絶対見せませんでした。変える時は、必ず部屋から出されましたよ。

恐らく父親の威厳に係わると思ったのでしょうか?

私は、母が衰えても、なるべく在宅介護をしたいのですが、上記のような具合ですから、私に絶対おむつ交換はされたくないと思われます。


今、私が一番恐れている問題が母の介護です。

私は介護するつもりですけど、母が拒否すると思うのです。

父の時は、ヘルパーさんが午前中と午後に一回ずつおむつ交換に来てくださいました。

一日二回では、母がかわいそうです。

母の様子を見て、ケアマネージャー様に相談するつもりでいます。

今まで考え感じた事のない経験を、たくさんさせていただきました。

帰って来なければ、恐らく一生知らなかっであろう福祉施設の現場や、過疎化高齢化が進んだ町(もはや村レベル)、母校の小学校が新しい立派な校舎になったにも係わらず、複式学級になっている事など、人間はやっかいな生き物ですよね。

それでも、あとひと月したら、桜は当たり前のように花開くのですよね。

お年寄りも大事ですが、我々の将来世代に負の財産を残さないように、個人レベルでも何か出来る事からやりたいとも考えております。

北海道で娘さんを守って亡くなった父親のように、愛する者に何が出来るか考え続けるつもりです。


再度のアンサー嬉しかったです。ありがとうございました!

お礼日時:2013/03/08 20:46

#12です。

お礼をありがとうございました。
私は北のド田舎出身です。バス路線は一応あるけどね・・・ってくらいで、
質問者さんのご実家同様、雪もたっぷり積もります。(新潟よりは少ないと
思いますけど・・・。)
結婚後は関西在住です。

私の祖父母は、実家とは車で2時間ほど離れた土地で(同じく田舎)で代々
農業をしてました。
しかし、私の父が家を新築するにあたって、その土地を引き払って同居しま
した。(ちなみに、父は長男ではありません。)
その時点で私はすでに進学のために家を出ていたので、どういう話し合いが
あったのかは分かりません。
お墓については、代行サービスのようなものに掃除や草むしりなどの管理を
お願いして、2ヶ月に1回くらい(?)のペースで、父か母が運転して連れて
いっていたようです。
田舎から田舎に移った形なので、都会に出るのとはまたちょっと違う感じ
かもしれませんし、東京-新潟間よりは近いし、しかも同居という形ですので、
気分も違うとは思います。
しかしいずれにしろ、慣れ親しんだ土地を離れて、先祖代々のお墓も置いて、
仲の良いご近所さんとも離れて、他の孫とも離れて、息子の住む知らない
土地に引っ越してきたのは確かです。
ちなみに、その時点で年齢は70代でしたが、歳相応に身体に不調はあるもの
の、元気でした。早々に地区の老人会に入って、唄だ踊りだってやっていま
した。(今は二人とも亡くなっています。)

上記を読んで、たぶんこう言われるかと思います。
「同居でしょ?まだ元気な母まで施設に入れるのとは全然違うじゃないか!」
でも、今回の騒動の前であれば、奥様ももしかしたら同居で頷いてくれた
かもしれませんけど、今ではもう無理ですよね・・・。
嫁姑が同居したら、どうしたってなんらかの軋轢は発生するものでしょう。
その時に、質問者さんは「絶対にお母さんの味方するでしょ」って、今回の
件で、もう奥様にははっきりと分かってしまいました。
それが分かってて同居をOKなんて、絶対に奥様は無理でしょう。
だから、「施設に入っていただいては?」と書いたのです。

また、質問者さんはこう書いてらっしゃいます。
> そんな選択より、母は一人で新潟の実家で暮らす方を選ぶでしょう。
推測ですか?
奥様に対しては3ヶ月間も説得に費やしたご様子ですが、お母様に対しては
今回の事態になってから説得をなさったようには、私には読み取れません
でしたが、いかがでしょうか?
奥様には我慢して俺についてきてくれと言えるのに、お母様に対しては
「きっとこう思うだろう」で済ませてしまったのでしょうか・・・?
お母様にも、ある程度は我慢してもらう。
奥様には、「母さんもこういうことを我慢して東京に来るって言ってくれた
から、すまんがお前もこれこれこういうことを負担してもらえないだろうか」
とか、そういう流れならありだと思います。
けれど、最初から最後まで、「母さんには一切我慢はさせない。俺とお前が
我慢すれば丸くおさまるんだ」では、どうなんでしょうか・・・。

しつこいようですが、そもそもの質問設定自体、「親か妻か」そんなのは
おかしいですよ、やっぱり。
奥様が、「たとえ貴方一人であっても、実家に帰るなんて絶対ダメ!お金も
今までどおりの額稼いでこなきゃダメ!そもそも貴方の親なんて顔も見たく
ない!」なんて言っているのであれば、そりゃあまあ、そういう質問設定も
出てくるかもしれない。
でも、決してそうじゃなかった。
それなら、「じゃあ、すまないけど俺は数年ほど新潟で暮らすよ。月に何回
かは東京に会いにくるから。収入も減ってしまうけど、ごめんな」それだけで
良かったはず。
妻に答えを委ねるために離婚届を渡しました、なんて格好よさげなことを
書いてらっしゃいますが、奥様がそうとっていると思いますか?どう解釈
したところで、「私なんか要らないってことね」としか思えませんよ。
離婚届を置いて家を出るということは、どう言葉を飾ったところで、そういう
ことです・・・。

他の回答者様もおっしゃっていますが、奥様は怒っているんじゃなくて、
傷ついているんです。お前なんかいらないと、行動で示されたことに。
一度、東京に行って、きちんと奥様と話し合いをして欲しいな・・・と思い
ます。
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この回答へのお礼

再度のアンサーありがとうございました!

私は、人様の立場になって、物事を判断するように父親から教育されましたが、つくづく不肖の息子だと痛感しております。
お墓の話しですけど、姉が亡くなる前に両親は市立のお墓を購入しておりました。
しかし、姉が亡くなってから解約して、知り合いのお寺(母の実家の先祖代々のお墓があります)に頼んで、永代供養のお墓と契約致しました。
これの意味する所は、姉が亡くなった今セガレが東京からお墓参りしに来てくれないだろうし、姉が亡くなったら姉の連れ合いや孫たちも、いつか私たちを忘れてしまうだろうという意味です!
そう両親に考えさせる程、不肖の息子なのです。
せめて残された時間に、今まで出来なかった親孝行の真似ごとがしたかったという浅はかな男です。

あなた様のお住まいが、どこにあるかわかりませんけど、新潟県長岡市は湿気が多く、夏は盆地のせいでかなり蒸し暑いです。でも、私の家は山奥にありますので、午後にクーラーを少しつければ網戸の窓で過ごせます。冬は、私は厚着と電気炬燵で凌げますが、母はほぼ一日中ストーブをつけています。
東京は、冬場はとても乾燥します。私でも咽の調子が悪くなります。夏冬の空調はエアコンです。(私の住むマンションは、ガスストーブ石油ストーブ禁止)
空気は実家と比べられません。

82歳の母はエアコンが苦手です。体の温度調整が上手く行かないのが原因らしいです。気管支も強い方ではありません。

そんな年寄りを、全く環境の違う東京で暮らさせたら、寿命が縮むのは火を見るよりも明らかです。

Uターンした当初、私はなかなか寝付けませんでした。余りにも音がしないのです。ある程度の時間までは、蛙がケロケロケロケロ煩く、朝は明るくなり始めると鳥の囀りと、ひぐらしのカナカナカナの合唱が始まり、秋は虫の声がうるさいくらいです。
慣れて来ると、自動車の騒音や人のざわめきよりも、よほど心地好いですね。
質問には書きませんでしたけど、月に数回近況報告と謝罪と今も愛していると妻にメールしておりますが、返事が来たのは次男に子供が出来た時だけで、良かったわねあなた、の文章だけでした。

やはり怒っているのでしょう。普通の返事が来るまで出し続けるつもりですが、もしそのような返事が来たとしたら、もう一度直接話しをしてみようと思っております。

本当にありがとうございました!

お礼日時:2013/03/08 20:01

医療福祉に関わる仕事をしています。


その立場から(冷酷に)言わせていただくと、あなたの判断は間違いです。
ケアマネージャもしていた経験から言いますと、いくら親の事とは言え家族が仕事や居所を変えてまで介護ををやるべきものとは思いません。家族がそうならないようにケアマネージャを含め支えていくのが大事なことです。家族といえどもそれぞれに生活基盤があるのでそれを変更や放棄させてまでやるもんじゃないですよ、本当に。

質問者さんがやるべきだったのは、月に数回帰省して様子を見て、母親の代わりにケアマネージャに物申す事ぐらいでよかったはずです。

結果どうなったか見てみましょう。
あなたは実家のご両親が心配で仕事も辞めて、離婚して帰ったわけです。
思い通りにご両親の面倒を見ることはできたわけですが、あなた自身の生活基盤は?
仕事はどうするのですか?収入は?今はご両親の年金があるとしても、父親が亡くなれば?母親が亡くなれば?中高年においそれと仕事が見つかるご時勢ですか?
実際あなたの母親がいなくなれば、あとはあなたはどうしますか?そのまま田舎で一人で朽ち果てますか?それも良いでしょう。
それとも今度は自分の子供たちを自分の面倒を見させるために、犠牲にしますか。仕事辞めさせますか?こちらへ引っ越させますか?それとも東京の子供たちの家庭へ割り込んで行きたいですか。子供さんたちは否やはないでしょうけど、あなたはそれを望みますか?

私から見れば親の面倒を見るという道徳に酔って、一家の主の役目を放棄したばかもんです。

親御さんの年齢からすれば、質問者は私とそう変わらない年齢のはずですが、あなたにとって私の意見は冷酷すぎるでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

いや、私も自分の事を馬鹿なんだろうなぁって、自己満足に過ぎないのではないかなぁって、考えないでもありません。

Uターンしないで、両親が施設で亡くなったとしたら、死ぬまで後悔するでしょう。という事は、自分が後悔したくないからという事であり、自己満足ですよね?


私は、在宅介護支援センターや特別養護老人ホームに面会に行く度に、「ごめんください、ありがとうございます」と挨拶され、帰宅時に「ありがとうございました」と言われました。
「父がお世話になり、ありがとうございます!」と、私は返しますけど、そんなに面会に来る事が施設の方々にとってありがたい事なのか?とっても不思議でした。利用料金を支払っておりますので、お客様と言えばお客様だから、毎度ご利用ありがとうございます、なのかなぁなどと馬鹿な事を考えておりました。

特養に入所するおり、担当課長様ケアマネージャー様介護師様と説明会がありました。

疑問を冗談半分でお聞きしたところ、預け放しで面会に来ない方が随分多いらしいです。

我が故郷長岡市も、私のような人間が増えたのかなぁと、少しショックでしたが、3日と空けず通っていると、どうやら町場の人間が面会に来ないらしい事、田舎の人間はわりと来ているらしい事、面会はお年寄りがお年寄りを見舞うケースが多いらしい事がわかってきました。

頭がしっかりしている入居者は、私を見つけると〇〇さんちのあんにゃらろ~?と、会話をしたがりますので、自然と内部情報から〇〇さんちの嫁がどうした、〇〇さんちのおじがどうしただの、色々な情報も入ります。

そして、施設の職員さん達は、安い給料でとてもとても大変な思いと努力をされておりますが、入居者のお年寄り達は、いつも話し相手が欲しくかまって欲しく、そして淋しい思いをされています。私の父も昨年は、面会に行く度にメソメソとしておりました。

それでも、東京の暮らしを捨てた私は馬鹿者なんでしょう。

バス代を倹約する為に中古自転車に乗って、山奥から猛暑の中二ヶ月職安に通って、かなり給料安いですけど70歳まで出来るパート警備員の仕事につけました。

恐らくこちらで、一人で死ぬ事になります。アスベストの現場でも働きましたし、30代後半から40代半ばにかけて、かなり体を酷使しましたので、それ程長生き出来ないので、私の生命保険で妻の老後はなんとかなるでしょう。ありがとうございました!

お礼日時:2013/03/08 19:09

あなたの決断は間違っていなかったと思います。


東京に居続けたとしても奥様への思いは以前と同じではなかったでしょう。

我が家も84才の義母が特養でお世話になっています。
幸い自宅、勤務先にも近いので夫は毎日行っては様子を見
話をし、時には車椅子を押して散歩に連れ出しています。
その夫を見ていると夫にはそれ以外の選択肢がないのだとわかります。

さて私が奥様だったらどうするか・・・
3人の子どもを育てて貰ったこと、期間限定
子ども達の所を渡り歩くような事はしたくないので
一緒について行ったと思います。
もしかしたら介護は出来ないかもしれませんが
少なくとも夫を支える事は出来ます。

これは私が田舎育ちで有る事が大きいのかもしれません。
そして何よりもついて行かない事を選んだ自分と
向き合いつつ暮らすのが嫌なのです。
勿論、また東京に戻ると思いますが期間限定なら耐えられ我慢出来ます。
1人暮らしの高齢義父との同居話が出ているのでレスさせて頂きました。
期間限定それが全てかもしれません。

お子様達の様子から親として精一杯頑張られたのがわかります。
奥様との縁は切れるかもしれませんが少なくともお子様達との絆は続くでしょう
お身体に気をつけて前向きに日々をおくられる様に願っています。
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この回答へのお礼

ご解答ありがとうございました!


期間限定が可能なら、私もこんなに悩むこともなかったかも知れませんね。


初めは、父の障害が進んだことを、責める気持ちがありました。(両親とも)


前の解答者様にも、指摘されましたが、自分の事を棚に上げて、私にはそんな資格がない事に気付きました。

妻と話し合い、何回も何回も自問自答しました。

期間限定という事は、両親が早く亡くなるという要件も含まれます。

自問自答しているうちに、私の心の奥の奥に、早く死んでくれれば、早く厄介払い出来るのにという意識がある事に気付いた時、その恐ろしい考えに愕然としました!


依然から、録に両親の面倒を見ない自分が、この後に及んでまだ自分の事しか考えていないのか、こんな事子供たちには言えない、妻にも言えない、俺はなんという人間なのだろうと、自分が情けなくて涙が出ました。


振り子の振りが大きいと、その反動も大きいようです。


私は両親への親不孝の贖罪をすべく、妻に対して極端な行動をとってしまいました。

皆様のご意見を伺いたいという気持ちと共に、私は妻と両親に懺悔したかったのかも知れません。


皆様の解答が、私の思いを構築して下さっております。

ありがとうございました!

心より感謝致します。

お礼日時:2013/03/08 18:18

私は皆さんと少し考えが違います。



奥さまの帰りたくない理由が、先ず、

>娘の子供(初孫3才)と遠く離れたくない

というのは、とても納得いくものではありません。
まだ50才くらいで孫が生き甲斐なんて、、他にすべきことがあるはずです。

3人のこどもは既に結婚して、これから夫婦2人の人生ですよね。
しかも、子供さん3人は血の繋がらない、奥さまの連れ子なのでしょう。
私が奥さまの立場なら、今までの感謝の気持ちと愛情があるなら、ついて行きますね。

>早期退職したら職も決まっていない私の経済状態が不安

もう子供3人は自立してるのだから、夫婦2人くらいどうにでもなるじゃないですか。
経済状態が不安なんて、そんな欲の突っ張ったことを。
幾らか退職金もらって、失業保険もらって、あとは健康なら、夫婦2人働けば、
なんとかなるじゃないですか。

ただ私も、雪深い寒いところは苦手なので、田舎(僻地?)に永住は絶対したくないです(^^ゞ

だから、お父さんを看取るまで、そしたらお母さんは東京に連れてくればいいじゃないですか。

私だったら、夫を愛してれば、孫なんかより夫の気持ちを優先します。
子供や孫なんてこれからの人ですし、祖父母なんていなくても生きていけるんですから。

酷いことを言うようですが、
kaeruzoさんが愛してらっしゃるほど、奥さまはkaeruzoを愛してらっしゃるのかしら、と思います。

>俺を愛しているだろう?俺はお前と子供たちのために尽くして来ただろう?ついて来て当然だよなぁ?>妻を愛してるつもりなのに、上記のように考えている自分に気付きました。

そう考えるのが当然で、ご自分を責める必要はないですよ。

年老いた親の元にいくのが当然、という話ではなく、愛する夫がそれを望むのなら、
そう長い期間ではないのだから、一緒に夫の両親に尽くそうと思うのが愛だと思います。
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この回答へのお礼

ご解答ありがとうございました!

私は、愛の形って10組夫婦がいれば10通りの形があるのではないかなぁって、考えております。


同様に、生きがいの形もそうだと思っております。

従って、恥ずかしながら孫の成長や、この先子供たちがどんな家庭を築いて行くかも生きがいですよ。

自己満足の域を出ませんけど、小説を書く事も生きがいです!(決して誰にも見せませんけど)


近所の子供たちやお年寄りの笑顔を見るのも生きがいですかね。


私は、若いときの失敗のせいで、自分を俯瞰する傾向があり、一時期は自分はジーザスコンプレックスなのではないか?と疑ったときもありました。


妻が、こちらに来たくないのは、僻地が最大のネックだと思います。


この冬は、仕事で夜勤がない限り毎朝6時前に起きて雪掘り(雪かきより雪が多いです)しなければ車が通らず、うちに車がないのに係わらず、家の前の雪は除雪するのがエチケットになっております。

お年寄りの家庭は、隣近所の元気な人が除雪するのが、暗黙の了解です。

バスは一時間に一本程度で、プロフィールにある山道を30分かけて下り、帰りは登らなければなりません。

吹雪の時は最悪です。

妻へは、どうしてもついて来てほしいと言えませんでした。


子供の頃は、もっと雪が多かったです。

その経験があるからこそ、不便を承知で帰って参りましたけど、東京暮らししか知らない妻にとっては、まるで未開の地のように感じたのでしょうね!

一回家族揃って正月に帰省しましたけど、子供たちは大喜び!妻は、次からはお墓参りの時期にしましょうと、真顔で言われましたからね。


ご解答ありがとうございました。

私の本音の部分を肯定して下さったのは、多分あなた様が初めてです!

ありがとうございました!

お礼日時:2013/03/08 17:53

全然間違っていません。


しかし・・・
妻も貴方の親を大事にすべきした。
貴方もまた、妻の説得に時間をかけるべきでした。

今は
>親と妻、どちらを選びますか?
なんて時代なんですね、僕はどっちも大事にしてやりたいと思いますよ。
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この回答へのお礼

ご解答ありがとうございました。


かなり多数の方々のご指摘を受け、反省しておりますが、やり方がまず過ぎて、覆水盆に返らずのようです。


私のようにならずに、ご両親と奥様の親御様を大事にしてください。

お礼日時:2013/03/08 16:05

なんとも世知辛い世の中になったとつくづく思いました。



妻はもとより子供も親も選ぶなんて出来るのでしょうか?
私は選べません。
だから迷います。
なので、相談します。
どちらが大事なの?
どちらも大事でしょ?
比べる事自体できないのですからその質問は愚かしい。

非常事態。たとえば
妻が瀕死、親も瀕死。選ぶではなく右往左往するでしょう?
加えて子が瀕死、孫が瀕死。
先の東日本大震災の事を思えば、子・妻・親の安否を気にかけるのに順番って確認することですか?
順番で大事がな人を判断しますか?命の重さを量りますか?

ご家族の話し合い、ご夫婦での話し合いが、うまくいかなくても
「お前の親も同じように大事にする」
「俺の親と同じ状態ならいくらでも手を貸す」
分かってくれ!頼むから分かってほしい…でしょ?

分からないと言われても、なら、離婚と言われても
「絶対にお前とは離婚しない」
「ずっと一緒にいてほしい!」「居てくれないとだめだ!!」でしょ?

妻の言い分はわからなくもないです。
私個人の見解では、ちょっと奥様側の勝手と思ってしまいますが…。
それも、あなたの突き離した、独りよがりな物言いからの発言がそうさせているかもしれません。

理解を求める
何とかしてあなたの気持ちを伝えるだけ伝える

きちんとできましたか?
合意はね…得られなくても台無しじゃないいんです。

あなたの残してくれた言葉を、時間をかけて噛みしめる…
長く妻をやっていると、残した言葉を、そのことにちゃんと向き合い考えます。

奥様がそこに向き合ってもダメならダメでしょうがないです。仕方がないです。


あなたがやったことは、長年連れ添った奥様にあなたから三行半的な態度に出たということ。
短気を起こしてしまった。
一番気長に相手の気持ちを待たなくてはいけない時に、短気でしたね。

私は介護歴結構あります。
どうにも介護されている側と、介護している側の違和感を感じ、資格まで取りました。
専門的に知りたかったので。
要介護5ですか?
特老に申し込まれお父様はそこに入居できたのですか?
入居できたのならあなたの出番はそんないないと思いますが…
入居が出来ても出来なくても、奥様の支えは助かります。
支えは多ければ多いほどいいのですよ。
それほどしんどいのが介護です。

回答です。
>私の決断は、間違いだったのでしょうか?
間違いだと思います。
あなたの決断(離婚届に判を押して)は自分勝手の愚かしい行為だと思います。
決断はあくまでも奥様に委ねるべきだったとおもいます。
あなたがすることは、あくまでも奥様の“理解”をもとめることと
奥様への愛おしい気持ち、大事にしたい思いを伝えるべきだったと思います。

お辛いときにきつく感じる回答でしたら、申し訳ありません。
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この回答へのお礼

ご解答ありがとうございました!

東京の我が家のルールは「ありがとう」でした。

新聞取ったら、ありがとう。
チャンネル変えたら、ありがとう。
ご飯を食べて、お母さんありがとう。お父さんのおかげ、ありがとう。お百姓さん、ありがとう。

でした…

子供たちや孫には、愛してる大好きだよって、平気で言えるのですが、妻には恥ずかしくてプロポーズ以来言っておりません。
しかし、その変わり妻の前で子供たちに、お父さんはお母さんを愛しているんだぞ~って、何回も言いましたけど、やはり直接言わないとまずいですか?
妻も子供たちには、お父さんを愛してるいるのよと言いますけど、私には直接言わないですよ。


次男と長女が年子なので、二人が専門学校と大学に入るとき、長男は大学四年でしたので、その年から4年間余り、一日も休まず深夜新聞配達から始めて、ドカチン、交通誘導員、皿洗い、派遣の仕事なんでも必死にやってきました。

娘は、かなり心配してくれましたけど、妻は休めとは言わなかったし、私も妻の気持ちは痛いほどわかっていたつもりです。

自分の子供たちなんだから、ごく当たり前の事ですけど、私の言いたい事は、お互い愛してると言わなくとも、妻と私の愛情は通じあっていたはずなのですが、今回の事はそれとこれとは違うという事でしょうか。

聞かれれば、妻を愛していますと、誰にでも言えます。

妻に離婚届けを渡してしまった事は、後悔しておりますし反省しております。

その事だけでも、恐らく妻は許してくれないでしょう。

皆様のご意見を拝読すればする程、そのように感じられました。

ご解答ありがとうございました!

ちなみに、父は昨年11月に特養に入居させていただきました。

体の介護は、施設の職員さん達におんぶに抱っこですけど、心の介護は家族の勤めと考えております。

お礼日時:2013/03/08 14:47

肉親三人の介護経験者ですが、なんだかとっても極端ですね。


しかも離婚届まで奥さんに突き出すなんて、だったら最初から家庭など持たずに
両親の子どもとしての人生を全うされたら良かったのにと思います。

覚悟がないんですよ。それに比べてご両親のなんと潔く決意の堅いことかと思います。
尊敬し敬服します。

私が親なら妻に離婚届押しつけて父親・夫の責任を放棄した息子を嘆きます。
どこでどう間違ったのか後悔するでしょうね。もちろん気持ちは嬉しいですよ。
気にかけて心配してくれる気持ちは嬉しいです。でも質問者様のご両親はそれ以上を
望んでいらっしゃらないのでは??

他の方も書かれていますが、質問者様が年を取ったとき質問者様のお子さんが
「家族を捨てて介護するために戻ってきた」と質問者様の元へ帰ってきたらどう想いますか?

大喜びで「お前は親思いの偉い息子だ」と褒めますか?そこを良くお考えください。

介護は非常に流動的です。昨日調子が良かったのに今日は悪くなった、またその逆も
あります。親が弱る姿を見ると慌てて「なにかしなくては」とすぐに結果を出したくなる
ものですが、それでは最後まで持ちません。

田舎に引っ越せば、経済的な面でも不安だらけなのではありませんか?
質問者様が一日家にいて介護するのでは生活が成り立ちません。

まずはいろんな支援を受けましょう。
ご実家の役所に行かれて直接どんなサービスを受けられるのかお母さんに代わって
調べてください。要介護5ならかなりサポートが得られると思います。
また変な話ですが、質問者様が同居されると「介護者が家にいる」ということで施設の入所が
後回しになることもあります。現在の状況なら世に言う「老老介護」です。母親も高齢で介護に
限界があり、子どもも遠距離で介護できる状況にない。こちらの条件の方が入所の順番は早く
回ってくると思います。地域包括センターや民生委員さんなどにも声をかけておいてください。

厳しい意見が多いですが、きっと親の急激な変化に慌ててしまったんだと思います。
それでもやっぱり離婚届はあんまりでしたね。妻からすれば「捨てられた」も同然です。
しかも浮気なら文句を言う相手もいるでしょうが、高齢の夫親となると、もうそれ以上
太刀打ちできないじゃないですか。卑怯とまでは言いませんが、そこまで白黒はっきりつける
必要は無かったと思います。家族も親もどっちも取れる方法を探すのが最優先でしたね。


奥さんの気持ちを思うと何とも言えませんが、逆の立場だったら、また「自分が老親の立場
だったら」と色々考えてみてください。

お父様が亡くなられたらお母さんもお一人になってしまいます。
今、うまく家族がまとまっていればお母さんも気持ちよく東京で暮らせる未来があったかも
知れません。その時は奥さんも協力できたでしょう。

やはり急ぎすぎた、という感がぬぐえません。ここで相談して皆さんのアドバイスで心が
動いたらもう一度奥さんと話し合いをしてみればどうですか。このままで誰も幸せになれない
ような気がしますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
そして、耳が痛かったです!

少し父の状況を、ご報告致します。

私は、完全にUターンする前に週に一回ずつ帰省致しまして、地域のケアマネージャー様に相談致しました。

父の床ズレは、切開手術で2週間ほどで退院出来まして、その時介護認定5に判定していただきました。

そして、在宅介護支援センターにショートステイさせていただく事になりまして、一週間に一日在宅介護するだけで、ほとんど施設にお願いするようになりました。
しかし、父は喋らず動かずいくらも食べずだったみたいです。

私がUターンして施設に面会に行くようになり、次第に職員の方々の呼びかけに応えるようになり、笑顔も見せるようになりました。

11月に特別養護老人ホームに入居させていただくようになりました。
その頃には、職員の方々から一番手のかからない優しいおじいちゃんと言われるようになりました。

でも、自力歩行が出来ないため、職員さんに負担をかけたくないのか?食事以外一日中ベッドに寝たままです。

昨年までは、面会して帰り際は必ず泣いておりましたが、今年に入ってからは笑顔で手を振ってくれるようになりました。

職員さんからは、息子さんがおやつを持って面会に来てくれる事が、楽しみになっていますから、また会いに来てくださいと言われております。

母は、父の介護が堪えたのか?ホッとして気が抜けたのか?
足腰が痛いと言って、横になっている事が多く、最近は家の電話番号がわからなくなったり、曜日を飛ばしたり、銀行印鑑の置き場所がわからなくなったりと、少しボケが始まったかと思いましたので、なるべく一緒にテレビを見て会話するようにしております。

私は、両親に妻の事を内緒にしておりますので、両親とも東京へ戻れとは言いません。

妻には、本当に申し訳なく思っております。

大した財産ではありませんけど、私が残せる物は全て妻に残すつもりです。
生命保険の受け取り人も、変更するつもりもありません。

田舎で粛々と生きて行く所存でございます。

ありがとうございました!

どうやら、覆水盆に返らずみたいです。

お礼日時:2013/03/08 14:04

離婚届けまで突き付けてUターンを実行されたのですから、今更奥さんがどう思おうと貴方には関係無いのではないでしょうか。



貴方が思う親孝行を存分にされればよいではありませんか。
特老に入られたお父さんを見舞いつつ、
お母さんの世話をし、
ご両親がお亡くなりになってからはお独りの人生を楽しむ。
新しくパートナーを見つけてもよいでしょう。

これはこれで良いと思いますけど、何かご不満なんでしょうか。

ところで私は「配偶者も両親もどちらもそれなりに大事」と思う人間ですが、貴方の奥さんがUターンを嫌がる理由は分かる気がします。

本当に親が気になる人間なら、要介護の親が骨皮筋ヱ門になって死にかけるまで「知らなかった」なんて有り得ません。
お母さんが知らせなかったから、は言い訳です。
今まで貴方が親の介護に背を向けて「知ろうとしなかった」から気付かなかったのです。

最初はお姉さんに介護を丸投げして知らん顔し、お姉さんの死後はお母さんに丸投げしていた。
そういう貴方が
「これからは自分が面倒を見たい」
と言ったところで誰がどれだけ信用するでしょう。

奥さんと一緒にUターンしてたら、今度は奥さんに丸投げしてたんじゃないですか?

貴方には「親孝行の実績」が無さ過ぎたんですよ。
だから奥さんも反対したのではないのでしょうか。

本当に親が気になる人間はコンスタントに連絡を取りますし、多少なりとも介護にも参加しているものです。
出入りのヘルパーさん等と協力しつつ休暇を利用してマメに実家に顔を出せば、少なくとも痩せ衰えて死ぬ寸前まで何も知らないということはないです。

貴方がお父さんの姿を見て「放っておけない!」と思ったお気持ちは分かります。
しかしその気持ちを奥さんと共有出来るほど、貴方には「実績」がなかったのだと思います。

ともあれ離婚届けを突き付けたのが貴方である以上、貴方のほうが奥さんを捨てるのです。
近々捨てる女房が何を考えようと、もう気にする必要はありません。

存分に親孝行しつつ、お独りで強く楽しく生きていってください。
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この回答へのお礼

本当に、ご解答ありがとうございました!

お礼コメント2回目の、返す言葉もございません!でした。


私がこれ程決意を固めたのは、数々の親不孝の贖罪の気持ちだと、気付いておりました。


妻には迷惑をかけましたので、妻にも贖罪しなければなりません。


子供たちや周囲の方々に迷惑かけないように、老後の準備をしつつ粛々と生きて行く所存でございます。

ありがとうございました!

己の気持ちを、ハッキリ確認することが出来ました。
ありがとうございます。

お礼日時:2013/03/08 13:17

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