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数日前に「戸塚宏氏の体罰の論理とは」と云う
事で質問させて戴きました

hikokurou様と云う方から、『正論』の四月号に
「戸塚宏氏の体罰論」についての記事があると
云う事で読ませて戴きました

その記事を整理してみますと
1 体罰は本能を強くし、鍛える為に不可欠である
2 体育会系の指導者は自らが体罰により鍛えられたので、
  それを行使した 
3 桜宮高校の犠牲者や近年の運動部での被害者は
  幼少時より、体罰の日常で育っていないので
  鍛えられていない
4 だから幼少時より、体罰、いじめにより鍛える事により
  強くなれる
と云う事です

そして、戸塚ヨットスクール式の教育を幼児期より行ないたい、
だからあの様な教育方針の保育園か幼稚園を行ないたいと云う様な
事も書いていたと思います。

私が気に成るのは、
私の同級生に暴力団組員の息子が居り、
彼は父親から「喧嘩で勝て、とにかくいわして来い」と躾られ、
2.3歳の頃より、喧嘩で負けると父親から更に体罰を加えられておりました。
だから、彼は中学時代先輩の理不尽な暴力(彼は運動神経抜群だったので、
或る運動部に居たが)に動じず、学校の大人しい同級生等に
「何かと因縁を付け」反抗しておりました
彼にすれば「家に帰ったら父親や家族からの暴力がもっと凄い」だからあれぐらいの事は平気
と云う感覚で
そして、その様な考えで育ったので、「強く怖いなら全てが通る」と思い、
怖く叶わないものなら、「鍛えて下さっている有り難い」と思い、
部の大人しい子や同級生へのいじめも「鍛えてやっている」と云い正当化しておりました

人間としては正しいとは思いませんが、戸塚宏氏の云う「本能を鍛え 強くする」と云う理には
叶っている人間と云う事に成るのでしょうか?
又、幼少時より暴力三昧で育ち凶悪な犯罪を犯した人間もおります
(昭和63年に起こった女子高生コンクリート殺人事件の主犯格等)
唯戸塚宏氏の立場に立てば、犯罪を起こさず真っ当に生き、社会人として身を立てていても
喧嘩苛め嫌い、体罰の日常を受け付けない人間は「本能が鍛えられていないから駄目」で
彼ら(暴力三昧で育ち犯罪を犯した人間)は「本能が鍛えられているから」良いと云う事なんでしょうか?

昔ヨットスクールの事を書いた手記
『スパルタの海』で
ヨットスクールでは大人しい引きこもりの生徒は訓練が終わり立ち直ると、
ヨットスクールとは関わりが無くなる者が多いが、
血の気の多い非行生徒(当初はこの様な生徒も居たらしい)は
コーチの補佐役に付け、新入りの苛め 暴力を奨励させ
そのままコーチに成った者も居るらしいです
(確かにヨットスクールに来る生徒はまともな言動の出来ない人間がおり、
家族への暴力等が酷い人間も居るのでその様な人間に対しては必要かとも
思えるのですが)

だから、戸塚氏の論理で行けば、
戸塚ヨットスクール式の保育園や幼稚園で幼少時より本能を鍛えろ
そこで命を落とす奴はそこで選別されていく、
ヨットスクールでも死ぬ奴は弱い、
非行や家庭内暴力引きこもりを起こさなくても、
戸塚式の教育で命を落とす人間は「弱い」
だから「沙汰されろ」
そして、今戸塚式の教育に付いていけない人間が
普通に暮らしている事が「本能が鍛えられていない」ので
駄目で
犯罪をおかしても「本能が鍛えられているので」良いと云う事
だと云う印象を受けました
この辺りの事をご回答戴きたいと思います
(私は運動音痴で 病弱でした 悪い事をすれば罰則はあっても良いと思いますが
戸塚式の幼稚園などに行くと多分死んでいたと思います
唯、戸塚氏はそこでその様な人間は沙汰されていくべき
本能が鍛えられていないから駄目とある番組で云っていたと思います

A 回答 (3件)

こんにちは、



質問者さまの質問に二度ほど回答させてもらって気になっていたのですが、
質問者さまは、どうして自らが望む教育論とは違う人にばかり興味を持つのですか?

私なら戸塚の記事なんて読まないですけどね。

暴力的な家庭で育った同級生の考えを変えたいようですが、本人にその気がなければどんな人を例えに出そうが無駄です。
どんな家庭に育とうと二十歳を過ぎたら本人の責任です。
自分に受け入れられないことを理解しようなんてしないほうがいいです。

中学から今まで、あなたが彼のことを考えた時間を無駄にはしたくないでしょうが、そこに縛られていると、この先ずっと解決するあてのない時間を過ごすことになるでしょう。
質問者さまの時間を大切にすることをおすすめします。

家庭を持って、子供を育ててみてください。
人様は育てられませんが、我が子は自分の好きなように育てることができます。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます
私は戸塚氏とは違った方針で今日に参りました
至らない点は多くあろうかと思いますが
社会人として身を立てております

戸塚氏が「いじめ暴力嫌いな人間は沙汰されろ」
と云い、
「本能を鍛えるため」と云い体罰を肯定しても、
死亡事故により、犯罪者と云う結果に成り、
戸塚氏は「無罪」と云っても日本国では「障害致死」
と云う事には変わりないのですね
(唯ヨットスクール内では自分の独断ルールでしている様ですが)

お礼日時:2013/03/22 18:02

戸塚氏の論理でいけば、仰る通りなのでしょうね。



ただ、世の中の価値観は多様です。
暴力行為を肯定する集団、強さをもてはやす集団というのは、世の中全般で見ると少数派です。
質問者さまの同級生の「暴力団組員の息子」は、どうだったでしょうか?
確かに暴力が好きな子、強い子に憧れる子には、もてはやされても、そうでない子には敬遠されなかったでしょうか。

子どもの頃には「敬遠される」で済んでも、大人になれば、職に就くことにも、部屋を借りることにも苦労し、年をとって体力が衰えていくにつれ若く強いものに餌食にされることを恐れることになります。
「力が正義」というのは、そういうことですからね。

私は、どちらかといえば暴力的なので、戸塚氏のような人が目の前にいたら、殴ったり、蹴り付けたりしそうです。
彼の理論で言うならば、単純な暴力行為で戸塚氏に負けない人間は戸塚氏に暴力をふるってもいいわけですよね。本能を鍛え強くしてやっているんだから、感謝される行為なんですよね。
自分の不平不満をぶつけて感謝される、最高のネタじゃないですか。

脱線はさておき、彼の教育を受けた人の多くが社会的に大成すれば、そして彼に感謝していると仰るならば、彼の考え方も一理あると言えますが、そういう人がいないでしょう。
その事実が、彼の考えが主流にはなりえない考えだということを証明していると思います。
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この回答へのお礼

 「力が正義」の論理はやはり通用しないのですね?
 戸塚校長やヨットスクールは自分たちのルール
 (超法的なルール)で行っているだけであり、
 世間から認められるものではないのですね
 だから余計に自分達のルールに拘るのですね?

お礼日時:2013/03/22 18:05

 失礼します。

かなりの長文に

丁寧に回答をさしあげる自信が

ありませんので端折らせていた

だきますね。

 要は体罰が本能を鍛えて強い人に

なる。そうなれば自殺するような

子はなくなるだろう。ちょっと飛躍

しましたか?

 戸塚宏氏がまたまた亡霊の如くあら

われるなんて驚きでした。

 述べたいことが幾つもありどう表現

したらよいのかもどかしいです。

(1) 人は確かに慣れますから暴力への耐性が
 できることは確かです。

(2) けれど幼少時に刃向かえる力をもたないで
 一方的に暴力を受け続けた人間は何を学び身
 につけるだろうか?

 ⇒ しごきを受けた学生は先輩になって後輩に
  仕返しとしてしごきに快感を覚える。
 ⇒ 家で酷い暴力を受けたやくざの息子がもつ
  人生哲学は「強くなって脅す方が勝ち」

(3) 人はストレスを受けるとどこかで発散する
 ⇒ 人により大量のストレスをため込める人も
  いるけれどそれでも発散しなければ病になる。
  普通、人は受けた嫌な事はより弱い者へ嫌な
  事をする。

(4) ゴリラやオランウータンなど比較的人に近い
 類人猿は決してしごいたり体罰をせず、家族で
 仲良く暮らしている。

(5) 書で述べられている鍛えられたあるいは鍛え
 られていない「本能」ってそもそも何を言って
 いるのでしょう。原始的なチンパンジー並の
 暴力・闘争本能をもてというのでしょうか?
 何が「正論」なのか理解不能です。

(6) これだけははっきりしています。子どもたちは
 穏やかな環境、過度のプレッシャーをうけない
 ならひどいいじめはしないものです。大人社会に
 酷いいじめがあるのを問題視しないで学校教育
 だけとりあげても「無意味」です。

(7) 戸塚式の暴力的教育は戦前の陸海軍、現代の
 米軍や自衛隊、恐らくはもっと多くの軍隊で
 日常行われています。美化する人も多いけれど
 隠蔽された暴力や犯罪はかなり多い。戸塚式の
 教育は決して人格を育てないし他者を思いやらない。
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この回答へのお礼

ご丁寧なご回答有難うございました
確かに鍛えられますが、思いやりや人格は無視してますね
これが死亡者や自殺者を出す要因なんですね
唯戸塚校長は「いじめにより鍛え、挫折する奴は弱い」の一言で片づけてますね

お礼日時:2013/03/22 18:09

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