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2011年3月11日14時46分。
東日本大震災から2年が経ちました。

大切な家族を失った人
大切な思い出が奪われた人
体にも心にも大きな傷を背負ってしまった人
遠くから見守ることしかできなかった人

多くの人々がいろんな想いのなかで2年間を過ごしてきました。
皆さんはこの2年をどのように過ごしてきたのでしょうか?
私たちは当時何を思ったのでしょう。
そして、その想いを忘れてはいないでしょうか。
2年前の願い・決意はありましたか?
そのために実行していますか?
叶いましたか?

今まで、そしてこれから、復旧・復興に加速度的に進めていくことでしょう。
そのスピードに追われてしまうと、大切な想い・願い・決意が置き去りにされてしまうことがあります。
菅政権・野田政権・安倍政権と政治は変わっていき、福島第一原発事故では大きな傷跡が残り今でも癒せずにいます。
目まぐるしい変化・スピードのなかで、すでに置き去りにしてきたものがあるのではないでしょうか?
だからこそ、3月11日から数日は歩みを止めてもいいはずです。
胸に手を当ててください。
そして、もう一度目を閉じてください。

この2年間何を想い・何を願い・何を決意したのか、
そして何をしてきて、何をせずにいたのか、何をしていくべきなのか。
皆さんの2011.3.11から今日までの意見を聞かせてください。

http://wakuseinokaitenn.blog.fc2.com/blog-entry- …

A 回答 (4件)

元消防団員です


東日本大震災は、悲しい現実で、忘れてはいけない事です
私も被災地に行って現実を見てきたいのですが、なかなかそうもいかない現実です
私も消防団員の時に今回とは比べ物に成らないですが地震を経験し、被災家屋を壊した事もあります
又担当の市町村では有りませんでしたが、一つのほとんどが山崩れで、埋もれた事もあります≪田舎でしたのでお亡くなりになった方は少なかったですが≫
消防団員を辞めてから津波も、見ました、50cmでこんなにすごいのかと言う感じでした
とても10m以上など想像できません
今回の津波で、ここまでは来ないだろう、明治と昭和の津波の時はここまで来なかった、
その様に思って亡くなられた方も多いと思います
又消防団員でも水門閉鎖や避難誘導中に亡くなられた、消防団員もいたでしょう
人間は何時かは死にます、でも、犬死にはしてほしくは無い、
津波警報が出た段階で1m以上の津波の可能性が有ると言う事を、皆様に判ってほしい
たかが50cmの津波がどれだけ恐怖を与えるか判ってほしい
その為にもここの場を借りて色々質問に答えています、
もし時間が有るようでしたら、大規模災害のカテゴリーの方も除いてみてください
私なりに質問に答えています
私にはこれしかできませんが、少しでも、今回の様な、災害が発生した時に、お亡くなりに成る人を減らせればと思って答えています
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はじめまして♪



震災当時も今も地域の「消防団」に関わっています。
東北ですが運良く津波被害(ダケ)は無かった田舎者です。

震災時、揺れ方が尋常じゃないと感じ、すぐ母に「ガラスから離れて!!」と叫んだのを思い出します。

運良く家族で怪我も無かったのですが、その後の電気、ガスが止まり、水道も出ない、津波や家屋倒壊に見舞われた人から見ればどう思われるかは痛い程感じて這いますが、寒い時期に暖房も無く調理も出来ない期間は非常に苦しい期間でした。

おっしゃる通り、まずは命まで失われた方々の仏教なら三回忌、合掌と黙祷です。

そして、大切なご家族を失い今も困難な生活をされている方々に対して、せめて生活が回復出来る復興が出来るだけ早く訪れますようにお祈り致します。

日本が再生するには、原発問題の解決と、経済の発展により今後の保障や高齢者の安心な生活の基盤でしょう。

経済に関しても、たまたまここ最近はニュース等で好景気になりそうな報道の在るようですが、田舎の商店や農家には全く別世界の感覚です。

大きな事を行なう時は、必ず反対の人が居ますが、私の地域でも道路や橋、町役場の新庁舎などでいつまでたっても結論が出ません。

少数意見を無視しろと這いませんが、どこかで判断しないと動きませんし、数人の反対者の為に多くの人が思っていた事と違う結果に成るのも、違うのでは無いかと違和感が在ります。

震災後、本当にあれこれ、いろんな事が在りますが、シッカリした将来ビジョンやコンセプトを貫き通せる情熱が無さ過ぎなのでは無いかと危惧しています。

この冬はかなり雪が多くて、とても困りました。
しかし、行政側は長期的な判断で、「しっかり除雪はしなくて良い、長期的に成るので、軽く除雪車を運航し、定時に帰ってこい」と言ったとか、、
おかげで、我家では裏側の車庫前に近所の人のびっくりな状態で、2ヶ月間で入り出来なく成りました、、、

大震災以降のお役所の方々の考え方と、私達一般住民の意見が、なんだか変な印象に成っています。

早く、政治家も町民も、商業、工業、農業、漁業など、いろんな人の大多数が納得出来る日本に成ってほしいと思います。

世の中、日本全体から見たらゴミの様な物でしょうけれど、有志で手作りろうそくを販売し、売り上げを津波等の被災された方々の義援金にするための強力は続けています。

コンセプトは「参加出来る人が造る、20年は続ける」それだけです。
性d作参加者や販売参加者、数百人ですが、昨年の実績は目標の50万どころか半分にも満たない送金額でした。でもムダでは無いと信じて続けてく事としています。

個人が出来るのって、そんなモノなのかもしれませんが、長期に続けるって言う気持ちです。

去年も今年も自分の自営業としては黒字ですが、生活費にいろんなモノを費やしました。こんな状況では数年内に自己破産する方向を考えるしか無い。そんな中でも田舎の商店は出来るだけ生き残りたいと、頑張っていますよ。

キツいよ、ほんと。。。。
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ぶしつけですが、皆さんの回答にお礼がないのはどういうことでしょうか?


この様な質問をして、誠心誠意回答した方にお礼しないのは被災者を愚弄するのと同じです。

黙祷、 心ある方はやりますよ。
意見、 みんながあります。

聞くだけ聞いてお礼をしない、要求だけのクレーマーと同じです。
それとも単なる仕切りたがり屋ですか???

震災後、みんなが考えてきました。
  なんでこんなことになったんだろ?
  なんで逃げなかったの?
  なんで予測できなかったの?

すべて後の祭りです。しかし日本人は学びました。
「想定外を想定する!」ということです。
科学的でない  ←  「ふざけるな!」ということです。
科学は想定の上で証明できることを知らないのか!!!

今後の日本は、地震・津波・原発・放射線障害などで目覚ましい進展があると期待します。
防災・減災でも、幅広く意識付けできることでしょう。

ただし、忘れていけないことがあります。被災者に寄り添うことです。
幸いにも、私の親族は全員無事でしたが、安否が確認できるまでの数日間はどうやって被災地に行こうかと考える毎日でした。
あの時の感情は今でも大切にしています。
なぜなら、復興は被災地だけでできることではない、支援は継続していかねばならないからです。
そのためには声を聞き、考え行動することです。

大事なことですが、聞くだけは罪です。
相手に無用の期待を持たせてしまいます、その反動はどうなるでしょうか?
せめて状況を伝える、だめでも結果を伝えるということが必要です。


あなたの質問に対し、本音で回答してくれた方にお礼をしましょう。
それが、「絆」の第一歩です。
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 がんばって逃げました。


 しかも線量が高い部分でした。
 また、逃げました。
 ご飯もなく、すし詰めで、情報もなく、携帯もつながらず。

 ツイッターでつぶやく暇もありません。

 何か所も避難所をめぐりました。
 一週間以上同じパンツと靴下でした。着替えもなく寒かったです。
 髪も洗えず、ふろにも入れず、お湯もなく、水もなく・・・・。トイレもつまり最後はみな野山でしていました。
 
 支援の毛布の薄さと汚さには閉口しました。
 体育館の床の冷たさは骨までしみました。

 一時帰宅で自宅に入ろうとしましたが、雑草に覆われていてかなり苦労しました。

 生きている。
 生かされている。
 
 それだけです。

 で、福島だと後ろ指刺されるのはなぜでしょうか?

 首都圏の電気を作ってきたのに、東京で脱原発のデモが起きる。

 是非にも福島に来て欲しい。

 何も思っていません。
 何も願いもしません。

 ただ、夢であってほしいと思います。

 なんちゃって全部夢・・・・。

 地震で家が壊れて
 津波で流されて
 東電事故で避難させられて

 もういうことありません。

 夢落ちにしてくれませんか?

 今日までの意見・・・・・。

 そんなもんない。

 止まっているから・・・・。

 でもね?被害者意識はないよ。私だけかもしれないけど。
 むしろ今で良かったと思う。

 まだ、目の黒いうちに何とかできるならそうして欲しいと思う。

 
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