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 今度、外国の人たちと各国の教育・文化に関してディスカッションする機会を持つことが決まり、今それに向けて日本で子供たちに行われている教育や生涯教育などいろいろな問題点について考えていえるところですが正直な話、あまり浮かんできません。私が身近に考え付くものとしては、集中力のない子供、塾通いが頻繁になり、外で遊ぶ子供が減った、それと同時にテレビゲーム世代が増えて、いろいろな健康問題、体に目に見える形として現れる弊害が問題視されるようになってきたなどの問題点があると思うのですが、これ以外にも、重複してもかまいませんので何か考え付く問題点などあればこの場で共有したいと考えております。 
 私自身は医学を専攻としており、このような教育方面でのエキスパートを目指しているわけではないのであまり詳しい話などは恐縮ですが分かりません。あくまで一般的なお話にとどめる形でのご投稿をお待ちしております。   

A 回答 (7件)

自然が減って、川や池に生息してたもの(めだか、ふな、どじょう、ざりがになど)とのふれあいはどうでしょう。


川や池に限らず野原での草花や昆虫とのふれあいはどうでしょう。
とにかく子供はのびのびと育った方が良いと思います。
これって、今のいじめ問題につながる部分ありませんか。
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この回答へのお礼

 早速のご回答ありがとうございます。 
 ご指摘のように、今の子供たち、特に都会の子供たちは自然で触れ合うという経験がまったくといっていいほどないようですね。小さいときから塾通いの子供たちに自然で遊びなさいということはある意味では酷なことなのかもしれません。何でも、自然に行ってもどうやって遊んだらいいか分からない、という子供がいるらしいですから。私自身は小学生時代は友人たちと自転車で60kmはなれたところまで週末はよく遊びに出かけた経験があり、そのときに経験したことって言うのは一生忘れない思い出になると思います。そういう意味では小学生とかそういった小さいときにたくさん遊んでいてよかった、と思いますよ。 
 本当に子供はのびのび育ったほうがいいですね。 
 そうすれば確かに大自然の中で生き物の命を考えることもできますからね。。 
 どうして今のような世の中になったのでしょうね。殺伐とした社会というのは本当に息が詰まりますね。人間と人間の生のふれあいが昨今本当に減ってきていますしね。  
 いろいろ考えることができました。ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/09 00:13

こんばんは。


私は教育課程の問題と、親子関係の問題が気になります。ゆとり教育とは本当に意味のあるものなのか。
それから、私がもっとも気になっているのが、親子関係についてです。両親共働きによる子どもへの影響や、それによって子どもに甘くなり何でも買い与えてしまう親や子どもの行動に目が行き届かず、万引きをする子ども(しかも、悪いことをしたという意識がない)。
面白そうな、ディスカッションですね、その場でどんなことが話題に上るのかが気になります。

がんばってください。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。 
 親子関係の問題としては、子供と親の関係が崩れてきている、ということでしょうか。簡単に子供に物を買い与える親、子供をしかれない親、など。。 
 確かに、ゆとり教育が行われることに私はいい印象を持っていません。教える内容をあんなに削ってなんか意味があるのか。デメリットしかないように感じます。 
 そんなところに注目して話を進めるのもよいですね。 
 ありがとうございました。 

お礼日時:2004/03/09 00:33

 少し厳しい言い方かもしれませんが、あなたもまた「専門家」と「専門外」をいいわけに使っているのではありませんか? 枝葉末節まで要求はしませんが、中等教育を受けた人には、自分の国や社会の問題点は一通り議論できるように教育は行われるべきだと思います。

そうでない場合、それはなんの教育が行われているということになるんでしょうか。

 教育や文化ということを「文部科学省(+文化庁??)が行う行政」程度にあたりさわりのないものと考えるのは間違いです。「教育や文化」という言葉の順序にもそれが見えるようにおもいますが、実際は政治(立法、司法、官庁の関わる仕事、外交など)も文化・教育に含まれます。それとは別の「教育・文化」の話があるとしたら、それはなにか「小国民の健全なる訓育」だかのようで、どうも大戦後の日本も戦前と大差ないと思うしかありませんよ。

 それ自体いまのワガクニの教育の問題なのでしょうが、身近は被害者意識中心、崇高な理念は遠くのほうに掲げておけばよろしい、あとは商売がうまくいきさえすれば満足だけどそれも今は夢、というようなイカサマな文化なんじゃないですか。まずそこまで広げて考えるべきでしょう……。
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この回答へのお礼

 私の日本語の使い回しが悪かったようですね。 
 私は専門的な教育概論などの詳しい内容は必要ではありません、ということをここで言いたかったのです。あくまで現代の日本が抱えている一般的な教育問題について自由に皆様と意見を交換したいだけに過ぎないのです。
 勘違いされたらごめんなさい。  
 >実際は政治(立法、司法、官庁の関わる仕事、外交など)も文化・教育に含まれます。それとは別の「教育・文化」の話があるとしたら、それはなにか「小国民の健全なる訓育」だかのようで、どうも大戦後の日本も戦前と大差ないと思うしかありませんよ。  
 そうですね。ご指摘のように、教育や文化の問題だけを切り取って話を進めるのは厳しいでしょうね。いろんな方面から多角的に考えていく問題であるということを認識させられました。 
 ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/09 00:39

言語面


・略語の多用等による年代相互におけるコミュニケーション上の弊害
・ことわざ等、古の言語文化の衰退
・ゲーム等個人主義的遊戯によるコミュニケーション能力の低下

子供を取り巻く環境
・凶悪犯罪の増加(教育現場そのものの安全性も含めて)
・保護者による児童虐待の表面化及び増加
・不況による中退者の増加→フリーターの増加
・児童減少による学校の統廃合
・自治体による公立学校の充実度格差(少人数学級・設備面等々)
・地域性を重んじない風潮による弊害(他学年の児童との交流不足・叱る大人の減少)
・キレる子供の増加

などは如何でしょうか?
的外れな回答でしたらお許しください。
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この回答へのお礼

 ありがとうございました。 
 言語面ではいくつか私が思い描いていたものと符合する部分があり、参考にさせていただきたいと思います。 
 子供を取り巻く環境にしましても挙げていただいた事柄はこれから我々が取り組まなければならない重要な事柄ばかりですね。 
 ご回答参考になりました。どうもありがとうございました。

お礼日時:2004/03/09 10:39

文化と言ってどのような文化を想像しているのかわかりませんが、


食文化の観点から行くと、潜在的に悪影響を及ぼしそうなのが、回転寿司とファミレスのドリンクバー。

今のお子さんはカウンターで寿司を食べた事があるのでしょうか?
既に、カウンターで寿司を食べた事の無い親が居てもおかしくない時代かも知れませんが、寿司=回転寿司・・・非常に怖い
あと、この頃これがあると無いではファミレスの売上にかなり影響するようになったドリンクバー、これも非常に怖い

安さと量を考えるといいことだらけ、
しかし、それらから得られないもの、忘れているものがある。
と言ってその「もの」が想像できない人、大切にしない人が多いのでしょう。

文化の敵は効率と私は思っています。
効率の追求は文化を破壊します。
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この回答へのお礼

 文化の敵は効率ですか・・・。確かに大量生産などの安価で多量の物を生産できるようになった世の中で、それらから得られないものや忘れている事柄など数多くありそうですね。 
 効率を追求するあまり自国の文化をいつの間にか破壊しているかもしれません。 
 なかなか参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/09 10:42

せいぜい10年20年前と今を比較して、あれが変わったこれが変わったと示したところでどうしようもないかと思いますよ。

そんなことを言い出すなら100年200年前はもっと違っていた訳で。
10年前は100年前よりもっと自然はありませんし、握り寿司なんてせいぜい江戸末期にようやく生まれたものですし、「まろ」とか「ござる」なんて言葉使っている人もいませんし。
最近の若い者はなんて年寄りが眉をひそめるのはピラミッドの時代からの伝統なんでしょうが。まぁこの辺の変化はあるがままに受け入れるものかと。

弊害は10年前と違うということではないでしょう。大体10年前には10年前の、100年前には100年前の問題があった訳で。それらが解消されてきた結果、今の問題が新たに出てきただけのことです。
詰め込み教育は解消されましたし、校内暴力や教師の不条理な暴力は影を潜めました。少年犯罪は減少していますし。10年前にも問題を抱えていたことを自覚しておかないと、単にここが10年前と変わったのが問題だと認識してしまうのはお門違いでしょう。
例えばゆとり教育が行われることにいい印象をもっていないなら、塾通いなどを問題視するのは矛盾していませんかね。

でまぁ批判ばかりだとあれなんで。
今も昔も変わらない日本の教育の問題点というか大きな特徴は。識字率や基礎学力の異常な高さでしょう。これはこれで誇らしい点ですが、諸外国に比べても飛びぬけて高いということはそれだけ色んな無茶がなされているということです。ただこれを維持するのであれば、アメリカのようなエリート教育はするべきでないし、個性教育なんてのももってのほかだと思います。
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この回答へのお礼

>今も昔も変わらない日本の教育の問題点というか大きな特徴は。識字率や基礎学力の異常な高さでしょう。 
 確かにおっしゃるとおりですね。 
 ここで使われた無茶という言葉は、子供の塾通い、夜遅くまで親に監督されながらの勉強などを指すのでしょうか。いずれにせよ、諸外国では見られない教育が行われているのは当たっているようですね。 
 ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/12 08:55

私の考えですが、主な問題としては家庭環境と社会環境の変化です。



昔は家に帰ればお母さんやおばあちゃんがいたものですが、今はいない家が多いです。また、近所のがみがみじいさんとか駄菓子屋の親父、行商のおっちゃんなど、昔はいたけど最近いなくなっているように、街の雰囲気も変わっています。

これらの変化により、コミュニケーションの不足、社会や家庭に対する認識などが昔と違うように思います。ただ、昔と違うというだけで、今という社会を生きるには今風のコミュニケーションが必要ですし、昔と今を良し悪しで比較できない問題です。

ただ、このような社会の急激な変化が教育の迷走の一因と考えることは出来そうな気がします。江戸時代までのゆったりとしたときの流れから、明治維新で近代化が進められ、さらに戦後国際化に向けて急激に変化してきました。この変化に追随してきた日本人はエライと思いますし、その点は外国の人に誇れると思います。

ただ、各世代において受けてきた教育、必要とされてきた能力が違うので、「迷走」と称したわけです。自分と同じように自分の子供を教育できないんです。(体罰がダメとか、携帯を持たせることの是非とか)

もう一点、ふと思うのは、戦後の教育が「欧米に比べて」とか、「国際人に向けて」といった国際競争力の立場から進められてきたように思い、逆に「日本人とは」「日本文化とは」「愛国心とは」といったアイデンティティーの部分はあまり語られていないと思います。

このような考えは、戦前の国粋主義への反動からか、戦後は敬遠されてきましたが、外交問題などを見るにつけ、日本人とは何ぞや、日本人の主張とは何ぞや、と問いかけたくなるような感じです。

外国の方とのディスカッションということでしたので、このような視点で考えて見ましたがいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

 戦後GHQによる統治政策が行われてからでしょうか、日本人の生活スタイルが一変して変わったのは。。また、各国に追いつかれないように、受験戦争なるものも勃発し、一気に識字率が上昇したと聞きます。 
 戦後の教育が「欧米に比べて」とか、「国際人に向けて」といった国際競争力の立場から進められてきたように思い、逆に「日本人とは」「日本文化とは」「愛国心とは」といったアイデンティティーの部分はあまり語られていないと思います。
 確かに、そのとおりですね。読んであっと思わされました。日本人らしい何か、というのがなく、ほとんどすべてが各国から取り入れた知識、要素であることは日本人のアイデンティティーとは何か、を考えるうえではとても大事なことかもしれません。 
 ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/12 09:04

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