プロが教えるわが家の防犯対策術!

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例えば、自分でない人が痛い思いをしているのを見ると、とても辛く耐え難い気持ちになる人もいるけれど、特に何も感じない人、さらにはそれを見るとスッキリする人までいますよね(この一群だけでも単なるホラー映画好きから本物のサイコパスまで幅広いですが)。

この差を決定する要因は何なのでしょうか。遺伝子でしょうか。脳の感覚を司る部分の神経回路の具合の個体差?

また、好きな人が苦しむのを見るのは嫌だが嫌いな奴だとスッとする、というのもあると思います。これも原因がよく分かりません。

もしかしたら心理学だけでなく脳科学や医学が入るのかもしれませんが、カテゴリがないので一番関係ありそうな心理学に質問させてもらいました。

A 回答 (5件)

全くの「私見」ですけど。



★『個体差』だと思います。

同じ年齢、同じ日の生まれの人達を世界中で比較してみたとします。
先ず『男女の違い』は元より、『人種の違い』で様々な外見の人が存在するでしょう。

日本人に限ったとしても、「大柄な人」、「小柄な人」、「太った人」、「痩せた人」。
更には、「毛深い人」、「頭の禿げた人」、「白髪の人」。
色の黒い人、白い人、肌の綺麗な人、肌の荒れた人。
顔立ちの美しい人、不細工な人・・・。
最終的には、「同じ顔(外見)」の人間は「いない」という結論に至ります。

「外見」にして「そう」なのですから、「脳の中身」が一人一人違うのも、また「当然」だと推論出来ます。
外見のように「見て直ぐに解る」モノでは有りませんが。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

そうですね、一部は遺伝的に決まるものがあると思います。しかし、それだけではすべては説明できないようにも思います。

お礼日時:2013/04/13 11:48

ある状況を「個体差」と受け留めることは自然なことですが、その状況が起きる理由や事情を考える場合には「個体差」と言ったのではどうにもならないと思います。


現在国立科学博物館でグレートジャーニ展をやっています。
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special …
ここでアラスカでの動画のところで「残虐なシーンがあります」との説明があり、トナカイやセイウチを屠るシーンが上映されます。たぶん、この地域の人は残虐とは感じないでしょう。放牧民、狩猟民、捕鯨やイルカ猟をして生活する人も同様でしょう。
交通事故対処、関節交換、脳手術をする外科医やオペ室ナースも、とても辛く耐え難い気持ちになってはいないでしょう。
ということは、経験が深く関わっていることを想像させます。
心的外傷後ストレス障害PTSDの場合、過去の経験をしている人が、たいしたことを見たわけではないのに異常な不安、恐怖を感じ、ショック状態に陥り、パニックを起こすようです。
もっとも、PTSDでは、眼窩前頭皮質が萎縮していることが多いようですので、何らかの事情で眼窩前頭皮質が萎縮したことが症状を増悪させたこともあるかもしれません。ですが、これも心的外傷経験がなければ起きなかったのではないかと想像されます。
なお、サディズム、加虐嗜好、加虐性欲というのもあります。どうしてこうした嗜好が生まれるのかは不明なようですが、非常にポピュラーなことです。原因は不明でも、こうした嗜好や行動の基本的な部分は先天的・遺伝的に持っているものであり、その基本に後天的に変更可能な学習が含まれているとされているようです。
好きな人が苦しむのを見るのは嫌だが嫌いな奴だとスッとするのは、(原因はわかりませんが)人間が社会集団を構成して生きるものであることから持っている同調性、自己保存・自己集団との同調一体化、異質の分離と関係しているのでしょう。自分の家族や仲間が痛めつけられていると怒りが湧き、攻撃している集団の構成員に敵愾心や復讐心を燃やしたりするのと似ているのでしょう。生得の脳内の生理的なメカニズムがなければそんなことにはならないでしょうが、苦しんでいるのが好きな人/憎らしい奴、家族、隣村、敵国、金持ち、貧乏人、横柄な奴/やさしい人で、自分に起きる感情が変わるのは、経験でえたものが大きいことを示しているのだと思います。
でも、経験がどのようなメカニズムを作るのか、生得的なものがどのようなメカニズムを作るのかは、サッパリわかりません。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

確かに職業上関わるのであれば、経験により、視覚や感情のショックよりも、「これはこのようにし、あれはあのようにする」というような、処置の方に神経が行くようになるのかもしれません。

PTSDは同じ経験をしてもなる人とならない人がいると読んだことがあります。だとすると、脳の個体差が心的外傷への耐性(残虐性への耐性)を左右しているとも取れると思います。

こうした嗜好や行動の基本的な部分は先天的・遺伝的に持っている、とは、全ての個体が、何も手を加えなければ残虐性へ耐性は快楽と結びつくほど高い、という理解でよいでしょうか。
これも確かに有り得ると思います。例えば、女性は大したことないことでもキャーキャー怖がったりしますが、女性がもともと怖がりである、というよりは、その方が男性ウケがいいので、本当は平気なのを怖がりへと修正し、母親になるとそれでは子育てできないので、またもとの強さに修正しなおす、という方が俄然納得いきます。

復讐心についても、もともとは全員が実は残虐なことが好きなのだと仮定すると、仲間うちでは相打ちになる危険があるから牽制しあうが、復讐という名目を掲げることによっておおっぴらに快楽を追求できる、と説明できる気がします。

うーん、醜い。うーん、他に説明できる方法はないのでしょうか・・・

お礼日時:2013/04/13 12:28

残虐性が嫌いすぎると逆に好きになる時が結構あるかもしれないです。



人はトラウマを抱えるとそれを自分から体験しようとしたりしますし、好きになる事もあります。

例えば怖い話とかが好きな人は小さいころにトラウマのような怖い体験をしたから好きになるという事もあるんだと思います。

怖いものって実は以外と好きになりやすいものなんだと思います。吊橋効果を利用して心理的にも変化できます。

人間は常にバランスをとろうとする生き物なんだと思います
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

なるほど、怖いものが実は好き!自分はそれを、女性蔑視とつなげて考えたことがありました。

激しく女性の性的な部分をバッシングする一群の男性の主張(宗教教義含む)を聞くと、制御不能に陥るほど実は女性が大好きなのだが、制御不能に陥るのを恐怖するあまり、必死で悪いものだと自分を説得し、自分を守ろうとしているように思えるので。

お礼日時:2013/04/13 12:28

> うーん、他に説明できる方法はないのでしょうか・・・ (No.2へのお礼の末尾)


 
こうした現象を説明しきれると思うのがおかしいと思います。
経験がどのようなメカニズムを作るのか、生得的なものがどのようなメカニズムを作るのかは、サッパリわかりません。
PTSDでも、パニック障害といわれるものでも、同じような状況を経験してもなる人は小数です。しかし、似た症状を起こす人も結構いるので、そうした現象(症状)に一般名詞で病名のようなものが付いているのです。 花粉症でも、生まれつきの人は非常に少ないと思います。ある年齢までは特に症状が出ずにいて、ある年から花粉症になります。多くの人はなりません。花粉症になった人は結構長年それで悩むことになりますが、治ってしまうこともあります。アレルギーの多くはそうです。アレルゲン物質がないと起きない症状ですが、アレルゲン物質があったときでも平気だった年数は多いはずです。他の感染症でもウイルスや細菌が体内に侵入したから発症するとは限りません。そして発症しても、多数の方は治ってしまいます。 ガンも発がん物質に多く触れても問題ない人の方が事実は多いです。高血圧でも塩類摂取や生活習慣ではもっとスゴイ人でもそうはならない人が大勢います。 なお、血圧の総人口の年齢別平均を見ると年齢によって違うことがわかりますが、個人差は大きく、平均と似た年齢別状況を示さない人もたくさんいます。
 
No.2の回答の中でも書きましたが、あるシーンを見てそれを残酷と考える人が多いかどうかは、その人が育った環境に大きく左右されます。狩猟民や牧畜業で解体もする人々の中で育った場合、鶏を飼い自宅で締めて肉を食べる家庭で育った場合と、調理済みの料理が食卓に並んだ状態でしか見たことがない状態で育った場合とでは、全然違います。
集団間の抗争がしばしば暴力沙汰に発展することが多い社会で育てば、怪我は見慣れたものであり、そうした怪我などが発生する状況を恐れる人はいるのですが、抗争が発生しそうな状況に恐怖感を強く感じる人数は少なくなります。逆に、抗争が発生しそうな状況を感じると昂揚したりする人数が増えるものです。 そういう事情があるから、紛争地域では頻繁に紛争が起き、戦闘にも発展します。 しかし、何かの事情で、30年間もほとんど暴力的紛争がないと、暴力的紛争に恐怖を感じる人が増えます。60年間も暴力的紛争がなく、暴力や身体への打撃シーンの見聞きが減ると、体罰や映画でも残酷シーンが減り、博物館の説明でさえも「この説明には残酷なシーンがあります」という事前注意も入るようになります。
しかし、また実社会で暴力沙汰が日常的に増えるようになれば、残酷と感じるかどうかのレベルや対象が変わります。

明らかに経験が、残酷を感じるかどうかを大きく左右しています。
心理学では、馴化という現象です。(要するに なれ・慣れです)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%B4%E5%8C%96
体験、学習、馴化などが起き、素早く習得する人、学習の成果の出ない人、素早く忘れる、ゆっくり忘れる、なかなか忘れられない人が出ます。
それがなんで起きるのか、メカニズムはわかりません。
大脳の生理的変化でも、器質的変化でも、この人とあの人でどうして違う状態が起きるかはわかりません。 また変化がその後どうなるかも多様で言い切れるものではないです。 偶然とは言い切れないものがあるようですが、それがどういうものかはわかりません。
 
わからないのはいつまでも続くのです。
ただ、こういう傾向が10%くらいはある、ああいうことも8%くらいある、そういう傾向も15%くらいあるということは大体の見当がつきます。 「8、9割はこうなる」というようなことは滅多にありません。 多くても6割くらいしかならないものです。 普通は3,4割に類似傾向が見えると、「そうなることが多い」と思ってしまうと思います。
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 まず、各人が属する文化的枠組みによって残虐とされるものごとは大きく異なり、魚の活き作りのように、ある文化を持つ人たちにとっては別になんてこともない行為も、異なった文化を持つ地域では犯罪行為とされるほど残酷とされたりするように(その割にはカンガルーを大量してるのはなんなんだ)、残酷の定義そのものが文化的に規定されてしまうもので、人類総てに共通する残虐の定義はなかなか見つけにくそうに感じられますが、とりあえず一つくらいはありそうです。


 自分と多く共通点を持つ者が虐げられたときに、ヒトは残酷さを感じるわけです。
 ヒトのこの特性を利用して、エンタテイメントでは客に親和性を感じさせる人物がいたぶられることで残酷さを感じさせその解決のために、客に親和性を感じさせないように設定された『悪者』が叩きのめされることで、心地よさと問題の解決を感じさせるわけなのです。…やってることそのものは同じなんですけどね。もちろん、現実はそんなに単純な訳ではないんですが、そうした呪術的な思考ってのは理性よりも根深いものなので、ついつい考えるのをサボるといともあっさりと魔女狩りごっこをやってしまうものなんです。
 その源流はヒトが百五十人ほどを上限とする小集団で暮らしていた時代に遡ります。その頃、自分が属する集団と隣接する別の集団は少ない食料を奪い合う関係で、うまいことこちらの損害なしに相手の集団を全滅させることができれば、自分たちの取り分が増えるということもあって、遺伝的にはまるきり差異のない集団間であっても他の集団に対してはなんの葛藤も感じずに殺戮することさえしてきたわけです。そして、文化の時間に比して遺伝子の時間の進み方ははるかに遅いもので、人類のそうした非・身内に対してはおそろしく非寛容な特質は現在においてもひきつがれ、非・身内とされた集団にはなにをやってもいいという思考のもととなっている訳です。

 で、こうした進化的に獲得されたヒトのこうした行動を解明しようという学問が、進化心理学と呼ばれるくらいですから、ま、心理学のカテゴリーでもいいんじゃないかと思います。

 ついでに、『バグる脳 ---脳はけっこう頭が悪い』http://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%82%B0%E3%82 …、なんて本にここらヘンのことが詳しくなおかつ面白く書かれているので、ご一読なさってみてはいかかでしょうか。
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