プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

家族はなぜ大事なのかを伺いたいです。

なお、ここでは

家族: 自分の両親・兄弟姉妹および親族
家庭: 自分の配偶者・子供

と区別して考えます。
ちなみに、私には家族も家庭もいません。

家庭が大事というのは理解できます。配偶者は自分の愛する(愛した)人ですし、子供は愛する人との間にできた人ですから。
相手が自分に愛情を持ってくれているかどうかは別として、自分が築きあげた家庭に愛情がわくのは当然です。

ただ、家族についてはどうでしょうか。
家族は自分が築きあげたものではなく、生まれたときから存在していたものなので、それ自体に愛情がわくかどうかは怪しいと思います。

両親や親族は必ずしも趣味や価値観が一致するわけではないでしょうし、必ずしも話があうわけでもないでしょう。
これって、一般的には「仲のよくない関係」だと思います。

つまり、家族は「血がつながっている」という一点のみで繋がっているのであって、それを除けば赤の他人と変わらないのでは? というのが私の疑問です。

家族が大事と考えうる理由として

・過ごしてきた時間が長いから
→小学生にもなれば学校に行くため、家族と過ごす時間は少なくなります。
思春期にもなれば部活をやったりして、家族と過ごす時間よりも友人と過ごす時間のほうが長くなるはずです。

・幼少期の家族の影響が大きいから
→人生観や価値観の形成においては、家族よりも友人や先生との関係のほうが大きく左右するのではないかと思います。
確かに「虐待家庭であったのでネガティブな子供に育った」などはあるかもしれませんが、それは特殊な例だと思います。

以上を踏まえて、なぜ家族が大事とされているのかを教えてください。

A 回答 (11件中1~10件)

30代女性。


面白い質問ですね。
私も家族がなぜ大事だとかということ自体疑問に思ったことはありません。

言葉にしたことがなかったので言葉にしてみます。

1)相互の価値の認証体であること
質問文にもあるように、親は子供に愛情を持っています。
人間は、愛情を与えられるとそれを返そうとします。
それを返すことによって、自分も満足し、相手が満足するからです。
自分のことを大切に思っている人間には幸せになってほしいです。

2)自分のオリジナリティを共有する原初の所属体であること
オリンピックで日本人を応援するように、所属グループが同じなら好意を持ちます。
また所属グループ内での独自ルールが世間ルールより正しいです。

ある家庭Aでは「洗濯物は下着は分ける」Bでは「一緒に洗濯」
Aの人がB家にいって「ありえない!」と叫んでも
B家がAのルールに変更する必要はありません。
でもこのAの人が家に帰れば、Aの家族には愚痴を聞いてもらえますよね。
ここで大切なのはどちらが正しいかを決めることではなく
「そのルールも正しい」と思う人にグチを聞いてもらえることです。
こうやって精神が安定するのです。

3)限定されたグループ内で持つ問題を共有する相手だから。
「おばあちゃん最近ボケてね」と友達と会話。。。してもそれで終わり。
友達は介護問題をなんら解決してくれないし、負担をかけたくないものです。
しかし家族なら、1人が24時間介護していたら今晩は私が交代するねとか
3人で集まって「悲しいけどやっぱり施設にお世話になろう」「お金は分担して」とか
「本当に具体的に困っている重たい問題」を「解決に向けて」相談できます。
もちろん、友達には特に「同じ年齢」で悩むことなどたくさん相談するとしてね。

4)生活を共有する相手だから
「ああ、月がきれいだね」「ほんとだ、大きいね」なんて、
友達にメールするようなことでもないほんのちょっと。
を、積み重ねたのが家族ではないでしょうか。
相手がいなければ「月がきれい」と思ったで終わりなのですが、
「会話しながら一緒に歩いた」ということ
それって人生そのものではないかな。人生の共有ではないだろうか。


大体こんな感じかな?感情って言葉では全部表せないことも多いし、
感じたことない人には伝わらないことも多いでしょうね。

結構内容がかぶっていてそれぞれ別の書き方をしただけかも。

人間が生きることって何でしょう?
人生ってどうしたら楽しくなるんだろう、と考えたとき。

誰かに自分の努力について「大変だったね」とか「がんばったね」とか
「おまえが誇らしいよ」と認められることって、すごく大事なんだよね。

恋人(配偶者)がすごく強くそれをやってくれる
または、会社の業績になったり、社会に認められたりする
人間の幸福ってすごく他者依存なんだけど、
それの基本的な最初の受け皿が、家族なんだろうね。
だから大事なんだろうなと思います。

いずれあなたの配偶者が自分の親の介護問題について相談してくると思いますので
その際は少し、困るかもしれませんね。
「あなたが老人になったときに、子供達が自分の処遇について
相談していること」だと思って
相談にのってあげれば、理解しやすいかもしれないです。

あなたの人生が幸福になるようにお祈りします。長文失礼しました。
    • good
    • 15

えっ思い出があるからでしょ。


家族や家庭、親友、悪友が大事なのって自分の中に彼らとのたくさんの思い出があるからです。楽しいこと、たまには喧嘩したりとか、色々ね。それがあるから大事に思える。
    • good
    • 7

育ち方の問題で、そう感じるのではないでしょうか。



私もそうですが、幼少期あまり両親に愛されて育ったと思っていませんでした。
また性格の厄介な祖父や叔母がいて、この人たちは苦手でした。

自分が年を取り、中年になってきて、今まで見えなかったあらゆるものが見えてきました。
両親は決して愛情がなかったわけではなく、その表現方法が不器用で下手なので、幼少期の自分には
伝わらなかったこと。
厄介な祖父や叔母と同居していたので、母が散々苦労していたこと。

色々分かってくると、自然に両親に対して見方が変わり、愛情を感じることができ、
そうなると、大事な人たちと思えてくるようになります。
叔母はそう思えないので、絶縁してます。祖父は亡くなりましたが苦手意識しか残っていません。
皆さん仰っておられるように、血の繋がりというより、愛情を感じてきたか、だと思います。

「家族が大事とされている」という世間の概念より、「自分がどう感じるか」を優先していいと思いますよ。
それに一番大事なのは、やはり私は家庭ですしね。(特に娘は一番かけがえのないものです)
    • good
    • 1

家庭は、家族でできている小さな人間社会だ。


家族が大事に思えないなら、その家庭は壊れる。
    • good
    • 3

結論からいうと私は家族は大事だと思っていません。


私は家族を自ら捨てた身です。
私にとって家族は柵に過ぎず、母親を軸とした連合組織に属することをよしとしませんでした。
そんな私が結婚した人は成人した娘が二人いる男性でした。
まだ自立していなかった下の義娘から私は「家族じゃない人」と呼ばれてました。
あまりに「家族」を連発するので、彼女の気持ちを考えてみたのです。
庇護される立場の人にとって、家族はいわば基地。
そこへ部外者が入り込むと、自分は危機にさらされることになります。
既に成人しているといっても、彼女はニートでした。
毎月父からもらうお小遣いも減らされてしまうだろうし、なにより将来手にするはずだった父親の財産が2分の1から4分の1に減ってしまう。
父親の世話をするという名目で今まで働かなかった彼女にとって、これは死活問題だったのです。
このように「家族」という言葉の裏には、損得勘定が根強くあるということです。
私が実家を捨てた理由もそこにありました。
殊更「家族」に重きを置く人は、そこにしがみ付くしか生きる術がないと思い込んでいると私は判断しています。
    • good
    • 5

私は6歳で戦災孤児になりました。

父の顔も知りません.いつも親がいたら:兄弟がいたらとと家族の事かんがえていました。
家族の大切さは身にしみています。
    • good
    • 3

そういう理論で行くと「仲のよくない、血が繋がっているだけの、赤の他人と変わらない」家族に育ったと言える私です。



いろいろあって両親は熟年離婚してますし、家族への愛着は薄いと認識しています。
でも、どう言ったら良いのか、そんな私でも幼い頃の家族の思い出は大切に思います。

幼い頃に両親がケンカし、夜に母が家を出て行ったことがありました。
と言ってもしばらく時間を潰して帰ってきたんですが。
その時の、まさか母が自分達を捨ててどこかへ行くはずがない、という気持ちと
本当にこのまま母が帰ってこなかったらどうなるんだろう、という不安のせめぎ合い。
説明はできない感情です。その時に体験した感情を今も覚えているのです。
幼いながらに自分が存在し生きて行くうえでどれだけ家族を必要としているかという事を知る出来事でした。

子供にとって家族や家は言ってみれば基地のような存在です。
最初は家のなかだけで過ごし、幼稚園小学校と外に出る機会が増えて行き様々な体験をする。
つらいことや困ったことがあって動揺しても、とりあえず家に帰ろうと思う。
家に帰れば安心する。家には平和な生活がある。
母の手料理を食べて温かい布団で寝てまた明日を迎えるという当たり前の日常がある。
これがどんなに大切でありがたいことか、もちろん子供に自覚はないのだけど、家族は絶対的な存在です。
血の繋がらない親子であってもそれは同じだと思いますが、自分を産んでくれた人が目の前にいるとう生活はさらなる大きな安心を保障してくれます。
幼い子供にとって安心できる安定した家庭環境がどれほど大事か。
それを築くのにはやはり実の親子が一番適していて理想的です。

<→小学生にもなれば学校に行くため、家族と過ごす時間は少なくなります。

その通りですが、三つ子の魂、百まで、という言葉が表すのは小学校以前の幼少期の影響がどれほど強いかという事です。

<→人生観や価値観の形成においては、家族よりも友人や先生との関係のほうが大きく左右するのではないかと思います。

それはどうでしょうか。少なくとも私の経験上、最後は親の価値観に左右される人が多いと感じます。
親に従う場合も逆らう場合も、意識してのことでも無意識のことでも、です。
友人や先生という家族とは違う立場の価値観に触れて成長する。
それはベースに家族によって形成された価値観があるからこその事では。

今では家族と希薄な関係になってしまった私ですが、幼い頃には父と母と兄弟がいて笑って過ごした時間があった、その事はかけがえのない思い出であり自分の基盤になっていると感じます。
家族の存在が大きな意味を為すのはおもに思春期以前の家族や家庭環境です。
血の繋がった赤の他人…、言いようによってはそれに相違ないのですが、単純な話、顔かたちが似てる、同じクセがある、そういった事も安心材料なのは確かです。
自分と同じ血が流れてる人が傍にいる安心です。やはり説明は難しいですね。

結局は「説明できない」ところに家族の価値があるんじゃないでしょうか。
    • good
    • 3

家族が大事だと思える人はすなわち家族から大事にされた、愛情を受けた人です。

きっと。
血のつながりとかはあまり関係ない。養子だって、義理の親だって自分を大事にしてくれる人には愛情を返したくなる。逆にいくら血がつながってたって愛情を与えてくれなかった家族には冷めた感情しか持てない。
    • good
    • 1

こちらの質問者さんの問いかけは、


一般的な人にとっては当たり前の事過ぎて、なぜ疑問に思うのかすら理解しにくい事柄でしょうけど、
質問者さんは、家族も家庭もないとのことなので、
この家族のあり方と言うものに対する純粋な探求や興味や、理解したい欲求から来ているのだろうと推察します。
決して軽い気持ちではないのであろう・・・と。

見当違いでしたら御容赦くださいね。

ということで、我々家庭も家族も持つモノとしては、
その感情の所作と言うものを説明申し上げるしかないのではないかと思います。

子であり父である身として、子や家族に対してどのように思うのか。
つまり、【何があっても最終的には味方であるという鉄則のような感じ方があるという事についてです。】

もちろん例外はあるでしょう。
親殺し子殺しなどですね。
しかし普通は血縁というものは、「コイツに何かあったら、何かしたヤツを殺してでも復讐するし、そうならないように守る!」と
自然に考えてしまうものです。

そして「それらはなぜ?」という疑問すら出てこないくらい「自然な欲求」によって発露します。

人を好きになるのに理由が要らないのと同じように、
人を大切にしたいと思うのにも理由は要らないのでしょう。

もっと端的に言うと、
「感情に理由は要らない」と言うことです。

ですから血縁がない義理の親子であっても、親子という縁で結ばれたコミュニティであれば、
同様の感情を抱く事になるでしょう。


このコミュニティというものが、人が生存していく上で必要な安全保障機構と考えるならば、
自分を守ってくれない、相手を守る必要のないコミュニティであれば、そんなもの不要だ!と思うでしょう。
それは、生きていくうえで大切だとは認識できないでしょう。
つまり、そんな風に自分を絶対的に守ってくれるコミュニティとしての家族を持たない人には
家族は理解できないものなのかもしれません。
しかし、こうして育ったと言う事は、家族に代替する何らかのコミュニティがあるのではないかと推測します。
それは、家族と同等の存在と言えるのではないだろうか。
それは人なのか組織なのか概念なのかはわかりません。
ただ、受容を知らない人間だけが一人ぽつんと存在できるほどには、この社会は寛容ではないと思います。
この社会に適応できるだけの常識や価値観をはぐくんでくれた存在があるはずなので、
それを家族と同等と認識する事は可能かもしれません。

見当違いでしたら御容赦くださいね。
    • good
    • 1

 答えが出てるような気がしますが。



 夫婦とその子は「愛した人」「愛した人との間に出来た子」なので大切という事で、「親にとって」家族はかけがいのないモノなので大切という事です。

 愛情は多くの場合、基本的に親から子供への一方通行で、子供が親を大切に思うかは、育った環境次第という所でしょうか。

 で、血の繋がりというのは不思議なモノで、甥や姪も可愛いのです。
 親の兄弟からしたら、甥や姪に当たる自分も可愛がられている事が多いです。

 ----------
 …というのがベースにあるのですが、ネグレストやDV、親との確執などで、親子(特に大人になってから)は中々うまくいかないのが現状かと。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!