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メディアリテラシーについて書かれた書物はぜひ読んでみたい。
ただ、それまでにざっくりとメディアリテラシーとはこういうものだということは知りたいです。
どういうものですか?何に気をつければいいので?
よろしくお願いします

A 回答 (6件)

お礼ありがとうございます。



> 私が思うのは庶民が集まることはほとんどないのにコメンテーターが勝手にしゃべってくれると国民的議論があったかのようにスルーされてしまうことですね。

確かにそこが重要です。

たとえばメディア情報では、しばしば「民意」と言う言葉を耳にしますね。
でも実際は、MCや記者とか、ゲストやコメンテーターなどの、個人的な意見に過ぎません。

沖縄の米軍基地問題に関し、反対派が議会過半数を獲得したら、「民意は基地反対だ!」なんて言うのですが、選挙結果を詳細に見てみれば、55:45くらいで、実は「伯仲」だったりします。
ヒドいメディアは、それを「反対派が圧勝!」なんて報道しますよ。

更に調べたら、前回までは賛成派のセンセイが、日和見的に今回は反対派に鞍替え・・なんてのが、少なからず存在します。
これらは、言わば「どっちでもいい」と言う様な、中間派なんですね・・。

「事実」は、猛烈な賛成派・反対派は、恐らくそれぞれ2~3割ずつくらいで、残りの4~6割は中間派ってトコかと思います。

明らかに良いコト/悪いコトなら、9:1みたいな結果になりますが、一長一短みたいなコトにおいては、大体はそんな割合であり、「民意はこうである!」なんてコトは無いんですよ。

でもメディアは、自論を正当化するために「民意」みたいな言葉を使いたがります。
それを「ホントか?」と疑うのが、受信者側のメディアリテラシーであり、正しい民意の使い方をするのが、発信者側のメディアリテラシーです。

そもそも政党支持率が1%前後の政党党首がテレビ出演し、「これば民意だ!」なんて言うのは、お笑い種ですが・・。(良く言ってますけどね。)

視聴率が数%とか、発行部数が何百万部と言う程度のメディアも似た様なモノで、実は民意を語るのが、おこがましいんですよ。

逆に言いますと、おこがましいことをやってるから、信憑性を高めたり、支持を得たくて、「民意」など、強い言葉を口にする傾向・風潮があります。

その傾向・風潮を見抜くことと、その傾向・風潮に安易に迎合しないことが、メディアリテラシーではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。この国のメス豚はあほな世間話しかしませんからね。せーじなどぜんぜん知らない衆愚政治です。

お礼日時:2013/04/28 23:00

No.2さん、No.4さんで既に述べられていますので、



>メディアリテラシーについて書かれた書物はぜひ読んでみたい。
入門書として、以下のを紹介します:

岩波新書メディア・リテラシー―世界の現場から (著者:菅谷 明子 出版社:岩波書店) 

Amazone.co.jpから引用
内容紹介
人生の大半をメディアとともに過ごすとされる現代生活.
報道の客観性や公正さ,暴力表現の影響などが議論になっている今,
メディアのあり方を具体的に解読していくことの意味と可能性とは何か.
各国で広がっている実践を丹念に取材し,教室での工夫や反応,
メディアを監視する市民団体の活動などを報告,情報社会の今後を考える.

内容(「BOOK」データベースより)
人生の大半をメディアとともに過ごすとされる現代生活。
報道の客観性や公正さ、暴力表現の影響などが議論になっている今、
メディアのあり方を具体的に解読していくことの意味とその可能性とは何か。
各国で広がっている実践を丹念に取材し、教育現場での工夫や反応、
メディアを監視する市民団体の活動などを報告、情報社会の今後を考える。
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言語的にはNo.2さんの解説で妥当かと思います。



敢えて端的に誤解しますと、

〇受信者側のメディアリテラシー
メディア情報を神聖視・絶対視しないこと。
即ち、懐疑的な視点も持って受信し、情報を取捨選択・分析し、活用すること。

〇発信者側のメディアリテラシー
受信者に、「有益な真実の情報」として採択される情報発信すること。(上記と「表裏」の関係。)
従い、「報道倫理」(≒中立性,公益性など)とほぼ同義。

みたいな解釈で良いのではないでしょうか?

バラエティーの「やらせ」は許容されますが、報道のバラエティー化(ワイドショーなど)により、情報の演出が当たり前になってきています。
即ち、どこかまでは事実ですが、MCやコメンテーターなどの意見・感想により演出されたり、事実の部分も「編集」などによって、「加工」されます。

その結果、受信者の意見・感想が、発信者によって誘引されてしまう可能性も高まってきています。
同様のことが、純然たる報道においても、行われている可能性を危惧せねばならない時代です。

受信者は、その可能性を危惧し、演出や加工は察知・排除して、真実を見抜かねばなりません。
一方の発信者は、受信者の危惧を排除する努力をせねばなりません。
この両面が、メディアリテラシーかと思います。
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この回答へのお礼

皆様ありがとうございます。私が思うのは庶民が集まることはほとんどないのにコメンテーターが勝手にしゃべってくれると国民的議論があったかのようにスルーされてしまうことですね。国民的議論とは何か?あと誰が指導するのかということになります^^;永遠にしなければ新聞を読む意味はない。選挙の一票のために読むなら。

お礼日時:2013/04/25 18:02

ネットが発達して、いい加減な情報が溢れる


ようになりました。

又、ネットにより既存のメデアの情報が
いかにでたらめかも、判るようになりました。

それで、情報に接する我々にも、情報の
真偽、価値を判断できる能力が求められる
ようになりました。

それがメデアリテラシーと言われるものです。
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Literacy とは「識字率」、それも単に「読んだり書いたり」するだけではなく「情報の確度を推し量る能力」或いは「分析力」という意味合いを持つ言葉です。



言葉は使う人各々によって意味する範囲が微妙に異なっており、人々が集まった社会、国家単位でも意味する範囲が異なりますので、Literacy という英語も直訳で 1:1 の日本語に対応するものではありません。

識字率と分析力の双方にかかる意味合いであり「読む方の能力」だけに限定すれば「読解力」とも言うことができる言葉です。

Media は御存知の通り「情報や Service の『媒体』」という意味ですので、Media Literacy とは『読解力』側から説明すれば「情報を鵜呑みに信じることなく、その裏にどのような目的や事情があるかを理解した上で情報を読み解く能力」ということになります。

つまり、情報に対しては常に「この情報の目的は何か?」を考えながら情報を読み解く能力のことですね。

こうした『行間を読む』国語力は様々な方面に長けた教養を要するのですが、そうした教養があれば文章を書く能力にもたけているものですので、「読む」「書く」「理解 (分析) する」能力をひっくるめて Media Literacy と呼んでいます。


「新聞や TV などの『公共』情報提供機関は公平で中立で公正である筈だ」などと信じて疑わない姿勢は既に Media Literacy など皆無といえるでしょう。

情報を発信する側には何故情報を発信するのかという「意図」があり、「意図」はその者の「利益」に結び付くものです。

その「利益」とは「資金を提供してくれる者 (Sponsor)」から得られるものであり、Sponsor の利益に与する情報でなければ発信する価値はないとも言えます。

情報の価値を決定している Sponsor は企業であったり政治団体であったり読者 (購買者) であったり様々な方向性があるのですが、そうした方向各々にどのように価値を配分して情報が整理されているかを推し量るにはそうした方向各々に対する知識が必要であり、それ故に Media Literacy を「教養」と訳す場合もあるのです。

>メディアリテラシーについて書かれた書物はぜひ読んでみたい。

つまりは「『教養』について書かれた書物はぜひ読んでみたい」というわけですね。
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番組政策には倫理観が必要だ、ということです。

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