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犯罪が起きる原因は犯罪者が存在するからであり、その犯罪者が存在する原因は、その犯罪者を産んだ親が原因であり、さらに遡ると犯罪者の親の親が原因であり‥‥(省略)‥‥さらにその犯罪者の祖先達へと進化した類人猿が原因であり、その類人猿の存在する原因は、生物誕生の起源になった大昔の海のバクテリアが原因であり、

もっと言えばバクテリアが誕生することとなった地球の環境が原因であり、さらに言えば地球が存在していることが原因であり、さらに言えば宇宙が存在していることが原因であり‥‥

というように大きな視野で考えたとき、犯罪者も望んで生まれてきたわけでは無いですし、結局は大元の宇宙が勝ってに存在していることが原因ですし‥。例えば、強盗殺人など全くもって身勝手な理由で人を何人も殺して罪の意識もないような犯罪者がいたとしても、それでも本当に犯罪者に100%責任は有るのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

人間には誰でも個性と個人に於いての『自由と責任』があります。

自分の選んだ道の責任は自分が採る以外は無いと思います。

自由と責任という関係性がその理由です。殺人を犯さないという自由もあったわけだからです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

個人的な考えなのですが、人間の体、脳は結局のところ素粒子や原子、分子などで構成された物質です、脳の細胞、神経を構成する原子は結局は物理法則に従っているわけです、そう考えた場合に果たして自由意思が人間に存在しているのだろうかという疑問もあります。

犯罪者の自由意思は、その犯罪者の脳を構成する原子の物理法則が原因だとも言えるのではないかとも思います、結局は物理法則が原因だと思えてしまいます。

お礼日時:2013/06/12 08:00

責任の定義の捉え方ですね


貴方の持つ哲学では、その考え方も正論だと思います。

別の哲学、いわゆる我々が生きる人間社会では法の管理下に人間は置かれてしまい、法的な責任と言う定義に縛られ「法」に反すると(犯罪者)責任を負う
これも正論です。

貴方が持つ哲学が用いられる世界がもしあるとしたら、私はその世界に生まれたく無いですね。
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考えすぎです。

ライオンなら殺人罪とはならないからねえ お利口な人間様だから法律、道徳を作って守らんとヤバい。
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人間の行動は次の三つから成ります。



・遺伝や素質
・環境
・己の自由意思

つまり、人間は、遺伝や環境に支配されながらも
自由な意思に基づいて行動するのです。

そんで、犯罪ですが、その原因は多様です。
例えば、景気が悪いときは、窃盗や強盗などの財産犯罪が
増えます。
豊かになると、親戚知人家族の間の殺人が増加します。

しかし、どんな原因であれ、そこには己の自由意思
というものが存在する訳です。
少なくとも、現在の法体系はそうなっております。

その自由意思に、責任を求める根拠がある訳です。


”それでも本当に犯罪者に100%責任は有るのでしょうか?”
    ↑
原因と責任を混同してはいけません。
原因は多様でも、自由意思があり、それに基づいて
犯罪を犯した以上、責任はあるのです。

100%の責任は無くても、ゼロで無い以上
そこには責任を問える理由があります。

同じ素質を持ち、同じ環境で育っても、犯罪に走る
人間もいるし、走らない人間もいるのです。

「無知の涙」で有名になった「永山則夫」は、裁判時
環境が劣悪だったから、こんな犯罪者になって
しまったのだ。
俺には責任は無い、という抗弁を出しました。

しかし、裁判官はこれを撥ね付け、死刑にしました。
確かに、被告の育った環境は劣悪であった。
しかし、同じ境遇で育った他の兄弟は真面目に育っている
ではないか、と理由書で述べています。
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おっしゃられる内容が適用されて、責任能力のない未成年は、罪に問われないのです。


(ただし日本の受刑は報復ではなく矯正なので、未成年にも収容施設があります)

一方、大人は責任能力がある=「これをしちゃいけない」と言えば聞き分けられる、という前提で社会はできており、よほど他に選択肢のない因果関係がない限り、当人の責任が問われます(実際に「因」の方の責任が問われる事もあります)。
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 法があるためです。

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あるよ、100%ね。


それは責任の問題。
原因はいろんなところにあるけど。
責任追及だけでなく原因解明と改善が必要というのが持論。
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犯罪に至る行為の元は大脳の生理であり、自然現象であると言う考察は理を得ていると思います。



しかしながら、それを言うのであれば、犯罪者を排除しようとする人達の行為も同じく自然現象として同列に考えなければなりません。

大多数の犯罪者を排除しようと考える一般市民と、少数の自己の満足しか考えない犯罪者が互いに相手をその所属するコミュニティーから排除しようとした時、どちらが排除されるかもまた大脳の生理の結果であり、自然な事です。

犯罪者の責任は、ひとえにそう言った行為をすれば排除される法の有るコミュニティーに所属したまま排除される様な行為を行った事に有り、これを逃れるには排除される様な行為を行わないか、そのコミュニティーを出るしか有りません。

すれば排除されるコミュニティーに参加したまま排除される様な行為を行った場合、排除される責任がひとえにその犯罪者に科せられるのもまた大脳の生理であり、自然現象です。

そのコミュニティーに好きで生まれた訳では無いと言う理由は通じません。その親がその子を生むまでそのコミュニティーを離れなかった事もまた大脳の生理であり自然現象ですから、そのコミュニティーの中に生まれた事と犯罪者の責任は因果関係が有りません。

嫌ならそのコミュニティーを出なさいと言う事になりますが、ご存知の通り地球上にはそう言った行為を容認する無法地帯はほとんど無くなりつつあります。そのうち、嫌なら地球を出て行けと言う事にもなりかねませんが実際にはそれは不可能です。

犯罪者が自分以外の者を排除出来ない状況の中で、尚且つ(なおかつ)排除される様な行為をする事の責任は犯罪者にしか有りません。排除しようとする人達が排除しようと考える事も、実際に排除する事も、犯罪者が犯罪を犯そうと考えたのと同じ『自然の摂理』ですし、絶対多数の市民と犯罪者が互いを排除しようと争った時に犯罪者が排除されるのもまた『自然の摂理』です。

犯罪者は『すれば排除されるコミュニティーに参加したまま排除される様な行為を行った事』に関して100%の責任が有ります。
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1%も責められるいわれは無いと考えます。



例えば隕石が落ちてきたとして、それを責めるでしょうか?

人間が意思を持って行動することも、偶然に過ぎません。
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そうはならん。

犯罪ってのは、罪と罰がどうあれ、100%二度と犯してはならない事柄なら、二度と犯してはならないという100%の責任がある。
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