
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
丹波篠山藩における数量的分析
上士は、生活に困窮する比率が低い
教育効果に関する研究なので、少々ずれるが。
参考URL:https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyoiku1932/ …
ご回答ありがとうございます。
篠山藩の資料は読み応えがあり、大変参考になりました。
「家禄削減が行われ,元高800石の家が44石,700石が43石など石高の高いものほど大幅な削減がされる一方で,4石2人口(扶持)のものは7石4斗9升,3石2人口は6石4斗9升というように下級武士の場合にはほぼ据え置かれるなど,秩禄処分以前にある程度の平準化が断行されている」
このなかの元高800石の家といえば篠山藩上士の最高給ですが、44石になったのですね。

No.5
- 回答日時:
早乙女貢著「会津士魂」を読まれて見られたら如何でしょうか?
同じく 早乙女貢著の「若き獅子たち」も読まれてみると
いいかも知れません。
今、放映されてる「八重の桜」の家老 西郷頼母は、息子と放浪の旅に出ました。
早乙女貢氏の「会津士魂」を読めば、明治維新のことが100%分かります。
長州と薩摩がいかに残虐だったか、そして、明治時代が「暗黒の時代」「弾圧の時代」
であったかが理解できます。
先に「若き獅子たち」を読まれるといいでしょうね。
ご回答ありがとうございます。
西郷頼母の例をみると、倒幕派と佐幕派で運命は一転するということですね。
会津を愛した早乙女貢の作品は、昔、かなり読みました。
No.4
- 回答日時:
例外ですが後にキオスクを経営するに至った小松家(薩摩家老)なんか有名ですね。
ご回答ありがとうございます。
「キオスク」とは昔の鉄道弘済会のことでしょう?
薩摩の小松家につながるとは全く知りませんでした。
倒幕藩の藩士にとっては維新さまさまというところでしょうか。
No.2
- 回答日時:
明治政府は、大政奉還後も華族・士族に以前の家禄に応じた俸給を支払っていましたが、政府支出の3割を占めていたので、いわば一時金にあたる秩禄公債の支給で旧体制の残滓を清算しようとしました。
(秩とは失うという意味)。しかし、これは士族層の不満を招き、各地で反乱が相次ぎました。
それにもめげず、明治9年に政府は秩禄処分を断行します。詳しくは下記。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A9%E7%A6%84% …
旧士族層は、現金で補償を受けたものの、経済観念に乏しく、多くは新しい事業に失敗して没落していきました。「武士の商法」という諺の始まりです。
家屋敷があるからという声もあるようですが、住宅地が高騰したのはもっと後の時代で、二束三文にもならないのが普通でした。東京でさえ武家屋敷はほとんどが荒廃したようです。
ご回答ありがとうございます。
「武士の商法」といわれるように、多くの士族はなれない商売に手をだして失敗して没落していった、と教科書にあります。
また、金禄公債の額は、家族が一人平均6万400円あまりであったが、士族は一人平均500円ほどだったそうです。
では、家老クラスの上級武士はどうなったのだろうという疑問で、具体例を知りたいです。
No.1
- 回答日時:
私の想像ですが、城下町に大きな屋敷を持っていましたのでその土地を貸すことで生計を立てていたと思います。
また金を持っていたと思いますので、銀行の株を買って経営者とか多いと思います。地元の銀行とかそんな人が多かったと思います。今でもお城の近くに町の景観を壊すような建物は立っていませんのでそんな家老の御子孫がその土地を持っておられることが多いと思います。下級武士は、役人、軍人、、警察、教師だと思います。商才があったものは商人として出世しています。
ご回答ありがとうございます。
確かに、土地と金をうまく運用して成功した人もあるでしょう。
孫に話をしてやるので、そんな事例を知りたいですね。
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