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 私は小学校の作文教育では、原稿用紙の使い方のほかには「思ったことを自由に書けばいいんだよ」としか指導された記憶がありません。

 今の小学校でもそうなのでしょうか。
 そうだとしたら、「自由に書けばいい」は教師の建前に過ぎないと考えてよいでしょうか。

 というのは数ヶ月前に、ある児童が『ごんぎつね』の読書感想文に「撃たれた狐は自業自得だ」と書いて叱られたという話を読み、疑問に思ったからです。「自由に書けばいい」のに、なぜ叱られるのか。

 本当に「自由に書けばいい」のならば、表現力や構成力、内容の独創性で作文を評価すべきだと私は思います。極端に言えば、たとえばいじめの加害経験や万引きの経験を書いても、日本語として良く書けていれば褒めるべきではないでしょうか。「国語」と「道徳」は違うのだから。

 そうではなくて、教師が暗黙に期待する内容を児童が察して、その通りに書くことを学校では期待されているのでしょうか。「感動した、反省した、ためになった、平和と人権の尊さを実感した」のような。

 保護者のかたは、お子様にはどのように指導されますか。たとえば

「自由に書けばいいだなんて、先生の建前に決まっているでしょ。お前も将来、仕事では建前ばかり書くことになるんだから、そのための練習になるの。ちゃんと、先生に期待されている内容で書きなさい」

とか。

A 回答 (11件中11~11件)

自由というのはその行動の結果起きることの責任を取ることです。


だから怒られることもあると思います。
自分の自由にやった結果、怒られる、ああ、こうしたらダメだったんだな~。
こう学ぶことも教育です。
自由はなんでも好き勝手にやりつくしていいわけではありません。
逆に責任を求められる厳しいものです。
例えるなら監視され塩素で消毒された25mプールが不自由、嵐でうねるどこまでも広がる大海が自由って感じでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
でも、なぜ「怒られる」のか理由が私にはわかりません。

お礼日時:2014/01/03 23:43

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