【大喜利】【投稿~9/7】 ロボットの住む世界で流行ってる罰ゲームとは?

日本の娯楽の歴史を知りたいです。
できれば江戸時代以降。江戸、大日本帝国、日本国といったざっくりしたくくりでかまいません。
最近のはさすがにみればわかります。
この降伏国は娯楽が意図的に拡大している国ではないかという感じがする。3S政策ご存知ですか?
日本の娯楽界がどのような変遷を遂げているのか知りたいのです。
民意、娯楽に関しよく使われていた格言とかあれば教えて下さい。
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

恐らく纏まったものはないでしょう。


手間を厭わなければ下記のような書籍がありますので、図書館で御覧下さい。Amazonでも売っていますが、これだけを調べるのには無駄でしょう。
幕末百話 篠田鉱造著 岩波文庫
明治百話(上・下)篠田構造著 岩波文庫
東京風俗志(上・下)平出鏗二郎著 ちくま学芸文庫
明治事物起原 石井研堂著 ちくま学芸文庫
(上記シリーズの中に 第五編 音楽部  第十四編 游楽部 の2冊があります)
概略であれば
江戸東京年表 大濱徹也・吉原健一郎編  小学館
628年~2002年までの江戸の町の歴史書(年表形式)です。各年のトピックスに書かれています。
ざっくりであればこれが一番手頃でしょう。

明治26年(1893年)に映画が輸入されるまでは、芝居が最大の娯楽でした。映画が流行するにつれ多くの娯楽が衰退し映画全盛時代がTV出現まで続きました。
ラジオは家庭の大事な情報源であるとともに娯楽でした。
講談・講釈・落語は長く続けられていました(今でも続いています)

三味線や踊りは娯楽であるとともに江戸時代の上流階級の女性の教養の一つでした。
能は大名の教養の一つでしたが皆嫌がりました。(江戸の初め各地の武士が江戸城内でお互いの方言が通じずに謡曲の言葉を使ったそうです)
農村ではお祭りが最大の楽しみであり、たまに回ってくる旅芸人も楽しみの一つでした。
何かことあるごとに集まって民謡や踊りを楽しんでいました。
江戸や大坂のような大都会では、あるゆる芸が路上(大道芸)や粗末な小屋掛けで小銭をとって見せていました(見世物小屋)なんでもありで面白ければ何でもやって、時々お役人に叱らていました。
寺や神社が人寄せの為に年中どこかで縁日を開いていました。(その気になれば毎日縁日を見て歩くことも可能でした)
大きなお祭りは今でも各地に残っています。
明治になっても暫くこの状態が続きました。
正月や節分、七夕などの季節ごとの行事も楽しみの一つでした。(毎月なにやらやっていました)
大きなお寺の法事や御開帳も楽しみのひとつでした。成田山は何年置きかに江戸でやっていました。
温泉旅行も楽しみの一つでした。(旅は巷間いわれるほど厳しくなく、京見物などはお金があればよく出かけていました)
山形酒田の大店のおかみさんの京見物の道中録は貴重な民俗学の史料になっています。
江戸末期に日本へきた外国人が東海道の人通りが多いのにびっくりしていました。

本は今の劇画のようなものが大量に出回っていました。絵の周りに台詞や情景がびっしり書き込まれています。

ざっとこんなとこですかね。
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