
「耳障り」という言葉がありますが、15年ほど「これは誤用だ」と思い続けてきました。
小学生のころ(1998年ごろ)、学校の図書館か学級文庫の本…言葉の使い方の本に
「『目障り』と同様という考えから『耳障り』という使い方をする者が居るが、実際には『耳ざわり』は『耳触り』であり、『耳ざわりのいい音楽』などというふうに使うのが正解である」
という記述があったからです。
15年もの間、それを信じて疑いませんでした。
著名人などが「耳障り」と使っているのを見るたび、「この人も間違っているのか…知識人に見えるのに残念だ」と思ってきました。
でも、本当は「耳障り」が正解らしいということを今日、知りました。
「耳障りのほうが正しい」と言っている人こそ間違っているのだと思っていたのです。
小さい頃に刷り込まれた知識の重さを感じたというか、いま、なんともいえない気持ちです。
上記の本には、ほかに「おざなりとなおざり?」「気の置けない友人?」などの解説があったと記憶しています。(各項目1ページずつ程度です)
文庫本サイズの薄い本で、各解説にイラストなども付いていたように思いますが、肝心のタイトルは覚えていません。
小学生が読むような本なので、マナーとかビジネス系の本ではないと思うのですけど…(小学生当時の私にとっては知らない内容も多く大人向け!と感じていましたが)
どちらかというと、国語についての雑学本といったかんじでした。
ご存知の方、いらっしゃいませんでしょうか?
最近になって、本で学んだはずの知識なのに実は誤用だったというケースが私の中で多発しており、本を信じられなくなってきているのです。
もしかすると、何かの拍子に勘違いをして覚えてしまっただけのものもあるのかもしれませんが、確かめずにいられない心境です。
そうでないと、一生見えない敵を恨み続けそうな自分が居るので・・・
もう一度、一から正解を勉強しなおしていくしかないと思っていますが、気持ちの整理をつけるために、記憶を辿ってその本を確かめておきたいと思いました。
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
実際のところ、この「耳ざわり」にはどんな意味合いが横たわっているのでしょう。
1.形容動詞と名詞の識別
1)形容動詞用法
その形容として、既に妨げとなる、害を為すナド不都合が前提になっている。
「~は耳ざわりだ」「耳ざわりな~」
2)名詞用法
「耳ざわり」を名詞として中立に扱い、その述部で善し悪しが付加できる。
「耳ざわりがいい」
2.動詞「さわる」の同義性
「悪い影響を及ぼす」「害になる」意味については「障る」とも「触る」とも同義を持つ。
「その態度が私の 癪に触る」(二葉亭四迷「予が半生の懺悔」)
「すぐに気に触る性質でした。」(原民喜「雲雀病院」)
ただし、「目に障る」は「妨害する/目の害になるから不愉快」の一種なのに、「耳に障る」には二種の意味合いがあります。
「(1)聞いて不愉快に思う。耳に当たる。耳に逆らう。(2)聞いて注意が向く。耳に留まる。」(「国語大辞典」小学館)
直接の接触がなくあくまでも遠隔認識ではありながらも、能動性の高い視覚の場合には、「目に付く」「目に掛かる」「目に立つ」「目に留まる」「目に入る」「目に触れる」など「注意が向く」に関する表現が多彩なので「目に障る」は当初の意味のまま定着したからである一方、受動性の高い聴覚においては、害としての「耳障り」から「耳に留まる」「耳に触れる」意味も兼ね合わせた遠隔接触として受容主体の「耳触り」という表記も不自然ではなかったということではないでしょうか。
同じ遠隔感覚として単純に同一視するのではなく、視覚のもつ「知覚を外界に投射する」能動性と、聴覚の味わう「知覚を外界から受容する」受動性との相違にもまた留意が欠かせないものなのでしょう。
3.名詞「さわり」の両義性
1)耳障りと耳触りの交差
さわりの有る無いなら「障り」、さわりの好き嫌いでは「触り」。「さわりになる」「さわりの痛さ」はどちらとも。
「家に障りがあった」
「当たり障りがない」「差し障りがある」
「人触りが好い」「触り心地が滑らかだ」
「しかしその言葉の 耳障 ( みみざわり ) からいうと、決して猛烈なものではなかった。」(夏目漱石「こころ」)
「ヒッヒッと 擽ぐられるような笑いが余り 耳触 ( みみざわ ) りになるので」(内田魯庵「三十年前の島田沼南」)
「まだしも授与過少の不平の方が耳触わりの痛さにおいて多少の差等があるのである。」(寺田寅彦「学位について」)
2)耳と音曲「触り」の特別な関係
義太夫節で他流派に触る意味から転じて「一番の眼目となる聞かせ所」から、広くは「最も感動的な場面」「印象的な箇所」の表現になっていることもあり、「耳ざわり」の第二義「聞いて注意が向く。耳に留まる。」と重なって、これを「耳触り」とした場合には、耳に留まる感動的な箇所との連想が生じやすい条件があったとも考えられます。
3)「耳ざわりがよい」の出典
「風の音みみさわりよき幟かな」(「日本国語大辞典」小学館)
http://www.ytv.co.jp/blog/announcers/michiura/20 …
「耳ざわり好(よ)き職業選択の誤解」(新渡戸稲造「修養」明44年9月)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/756715/57
このようにして見てくると、もともと「耳に障る」そのものに、「害を受ける、その結果不愉快になる」だけでなく、「聞いて注意が向く」という中立の意味合いがあるので、結果として名詞となった「耳障り」にも「耳に触(ふ)れる」「聞く注意を引く」という「耳触り」とも表記される好悪表現が可能となる素地があったのだと思われます。
これを「誤解して生まれた誤用」と断じるか、「「耳触り」で聞いて受ける感じの意に使うのは「手触り」に類推した俗用。」(「岩波国語辞典」)とみなすか、とまれ今日の大方の辞書は一方に加担せず、両方を立項して両義をそれぞれで生かしているようです。
丁寧に解説していただいてありがとうございます。
たいへん勉強になりました。
なにより、もともと「耳に障る」の「障る」が障害の意味合いだけではなかったという点が驚きでした。
出典があるととても安心できます。用語の考察の本などですと出典が明記されているものもありますが、マナー本に近いような本もきちんと出典を付けてくれれば安心できるのにと思うばかりです。
No.3
- 回答日時:
言葉の変遷には政治的な力も働く。
近代国家となる際は、薩長土肥での発音、用法が大きなウエイトを占めた。言葉の変遷の中に真理など存在しない。世にはびこったものが、後追いで認知されるだけ。その都度、便宜的に改められていくのが言葉というものの宿命。世の中に真実などない。全ては、今日的な「仮説」であるという認識であるべき。ひとつのことを真実と決め付け妄信してしまうのは、「原理主義」と同様、大変に危険。テロに走る「原理主義者」はグローバル的に排除される。常に、より正しいものを求めて、常に、「仮説」の修正の準備をしているという態度こそが、今を正しく生きられる。「仮説」修正の態度とは、あらゆる科学者のものでもある。
回答ありがとうございます。
全ては仮説、なるほどたしかに科学の世界でも今日の正解が明日の正解ではないものですものね。
もっと心穏やかに生きようと思いました。
No.2
- 回答日時:
誤用かどうかは別にして。
no1の方がおっしゃて居るように、その本を探すのは必要も無いと思います。
探し出し、確かめたとてそれだけの事ですから。
日本語はその性質から絶えず変化して行くのですから、ら抜き言葉のようにそれこそ耳障りなものは嫌なので私自身も使いませんが、其れを正しくないと声を嗄らしても、当然と言う様に使っている人には??でしょう。
耳障、耳触、と熟語にしてしまうと同じ発音の漢字を当てはめてああだ、こうだ、正解、不正解と喧しくなります。
昔お読みになった本に耳触が耳に心地よいと云う意味で載って居たと云うのは「風の音耳ざわりよき幟かな」があるからでしょうか?
耳に障りがある、耳の触りが良いと分けて云い廻せば十分意味が通じるのですが・・と私は思います。(精選版日本国語大辞典)
目障りは有っても目障りが良いとは言いませんが、PCで変換すると目触りが良いと変換されるそうです。
なおざりとおざなりとがああだこうだと言われたのと同じかも。
ご質問の趣旨から外れましたが、一つ知識が豊富になったと思し召せば如何かと存じます。
回答ありがとうございます。
学生の頃は「嫌なものは自分が使わなければそれでいいじゃない」という考え方だったのですが、社会人になってから色々と上司や先輩から強要されるようになって、(しかもその指導内容が明らかに間違っていたりして(スーツのボタンを留めないとか))考え方がひねくれてきてしまっていました。
「風の音耳ざわりよき幟かな」、ちゃんと、もとになる文献があるようで、少しほっとしました。
家にある国語辞典ではどれも「耳障り」しか記載がなかったので、絶望と思い質問してしまったのでした。
勉強になりました。
No.1
- 回答日時:
おそらくその本を確かめることは無駄でしょう.類似した書籍は100種類以上あります.
あなたのことが、良く分かりませんが、《最近になって、本で学んだはずの知識なのに実は誤用だったというケースが私の中で多発しており、本を信じられなくなってきているのです。》という発見は、大したことではありません.
一定程度の量の書籍を読む人や編集者ならば、誰でも知っていることです.
だからそのような簡便な書籍ばかりでなく、本格的 辞書類にも、編集者、監修者の名前や発行日が明記されるのです.
すべての言葉は、人により、時期により、どんどん変化してゆきます.
たとえば、昭和30年代までは「一生懸命」と表記されていた言葉が、ある学者が語源的には「一所懸命」が正しい。と、発言したら一時期ほとんどすべての類似表現が「一所懸命」に変わりました.しかし、最近は両方とも使われるようになりました.
また、ほとんどの神社の由緒は、明治初期の廃仏毀釈令以後に作られてもので、ほとんどの学者は信じていませんが、世間的には、まだまだその神社が廃仏毀釈令に沿って言い始めたことが通用しています.廃仏毀釈令を施行させた権力グループが、日本社会の権力を担っているからです.
先日の婚外子にも平等な遺産相続の権利がある、との判例も、正しいというよりは、そういう時代になったということに過ぎません.
すべての言葉ばかりでなく、社会通念でさえ、昨日、今日、明日と、変化するものです.
回答ありがとうございます
暫く置いて冷静になってみると、それもそうですよね。
一生懸命については、かつては一所懸命だったという程度の知識でしたので、そういった歴史があったとは知りませんでした。そういったことを考えれば、もっと穏やかな心で構えるのがよいという気がしてきます。
神社の由緒のほうは、明治と、比較的新しい時代のものなのに、信頼できる証拠というか、そういったものは残っていない(消された?)ということなのでしょうか。
当方理系のため、そういう事情に疎いのが今回の怒りの原因だったのかもしれません。
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