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よく人と繋がりたいと思うのは本能だと聞きますが、そんな事私はないと思っています。

人間は生まれた時から親や誰かに育てられるわけですが、そのときに私は愛や人と繋がりたいという欲が形成されると思っています。そのため人には誰かから育てられないで大人になれば人とつながりたい欲なんてないと思うのです。なので本能だと思っていません。

幼い頃の人とのつながりは少なくとも自分の様々な感情を満たしてくれる利益をもたらしていたと思います。そうして人を愛するという欲が形成されるとおもいます。

幼い頃に好きになった事(ピアノ 好きな食べ物 ETC)はもうその人の変えられない人格になるわけですよね。
それと同じように幼い頃に人と一緒に繋がるということを毎日やり好きになったから人とつながりあいたい欲は消せないぐらい強いものなんだと思います。
だからうまれつき人は人とつながりたいという本能があるように思わさせられるような気がします。
人が人と繋がりたいと思う欲は本能なのだろうか?

↓読まなくても構いません↓
人間の感情には怒り悲しみ恐怖喜び恥という感情の種類があるといわれていますが果たして本当に怒りと恐怖などとは別の種類の独立した感情なのだろうか?

私は恥という感情は怒りや悲しみとは別の感情ではないと思っています。
怒りや悲しみ恐怖喜びといった先天的(赤ちゃんの時は快と不快しかないのでうまれつきとは言えないかも知れないですが)な感情により形成されると思っています。

人とのつながりと関連性のある恥という感情がありますがその感情も本能的でも先天的な感情でもなく恐怖と怒りの混ざった複雑な感情なんだと私は思います。

何故恥という感情が生まれるかというとまたですが幼い頃に形成された愛されたいという人と繋がりたい欲があまりにも強いためそこから様々な感情が生まれるからなんだと思います。

顔に目がついているので鏡を見なければ自分を見る事ができない。他者しか見えない。だから自分の周りの物や人だけを見る。といったカエルやアリなどそこらへんの虫の自分と他人という世界観や意識ではなく、人は愛されたいから集団の中に自分がいるという意識、世界観をもつため、自分と他人は同じ人間という意識や客観的な意識があると思います。

そのため変わっている自分は人から嫌われるかもしれないという危害があるので変わっている自分に対して怒りを抱きさらに他人から嫌われたくないという恐怖が重なり恥という感情が生まれると思います。

果たして人の感情の恥とは怒りや悲しみと別の感情なのでしょうか

人は怒りすぎると顔が赤くなりますが恥も怒りによって形成されているので恥をかくと顔を赤くするのはそれなんだと思います

A 回答 (6件)

戦前か戦中の研究で、生まれたばかりの赤ん坊に対して看護婦が一切感情表現をせず事務的に世話をしたところ、死ぬか精神的に異常をきたしたという結果を示したレポートが有った筈です。



このことからも、人は生まれながらにして他人と感情的に繋がっていなければ生きられない生物である事を窺い知ることが出来ます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

できれば赤ちゃんを最初から一度も笑顔を見せなかったなど詳しい情報がほしかったです

欲張ってすいません

お礼日時:2013/10/08 20:13

『人とつながりたい』というより『集団の中にいて、安心安全な場所を確保したい』という方が【本能】だと思います。



『人とつながりたい“欲”』は『(自分とって都合のよい)人とつながりたい』か『(自分に親切にしてくれる)人とつながりたい』という“欲”なのだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2013/10/08 20:14

たしかに人に育てられないで、人と言うものを知らなければ、


欲をもちようがないな。

たとえば、オオカミに育てられた少年って話があったよね。

でも、その場合、オオカミであるお母さんには甘えてるじゃん。

つながりを求める本能はあるんじゃないの?

だって、そうじゃないと死ぬよ。

そもそも、人の育てられないっていう状況はほぼないよ。

ってことは、実質的には本能と同じなんじゃないかな?

厳密には違うかもしんないけど、
現代では99,99999%適用されるね。

本能に定義づけないことに、そこまでこだわる意味ある?
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2013/10/08 20:15

いきものの本能は「生存欲」というものが基礎になっているのでしょう。

人間も例外ではなく、本能が備わっているようです。
ひととつながりたいという人間のほぼ共通した気分はその本能が関係していることは疑えないと思います。
生まれた子供とその周囲との関係は、まず母親が子に感じる母性本能、父親が子供に感じる父性本能、他人が見知らぬ幼児に感じる「可愛いー」という感情、それぞれ自分では生きられない子供への人類的な擁護本能のあらわれでしょうね。そう言った本能が人類のグループとしての生存と繁栄を確立してきたのでしょう。

怒り、恐怖などの感情は食欲などとともに付随した生存のために備わったいきものの原始的な心の動きなのだと思います。
大人になってからの独立した人間も、そのけだものとしてのひ弱さを相互扶助で補い合い、生き延びるための社会性がほぼ二次的な本能として人間に備わったと考えられます。男女の愛情はこれとはまた異なった系統の人間どうしのつながりあいですが、独立した性本能として社会人としての人間どうしの結びつきを複雑にしています。
>恥とは怒りや悲しみと別の感情なのでしょうか

そうですね。人間が社会人としてこみいった状況でうまく生きる、他人同士の折り合いをつけるための学習の間に身についたちょっと高度な感情ではないでしょうか。世界には多くの国と文化が存在しますが、そういった国民の間での恥の現われかたはそれぞれの文化で非常に異なっています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2013/10/08 20:14

NO。

4 です。

重要なことを書き漏らしていました。

>人間は生まれた時から親や誰かに育てられるわけですが、そのときに私は愛や人と繋がりたいという欲が形成されると思っています。そのため人には誰かから育てられないで大人になれば人とつながりたい欲なんてないと思うのです。なので本能だと思っていません。


結局、本能の定義にかかわってくるのでしょう。たしかに、人間は獣が持っている本能のほとんどを失ってしまったといわれています。しかし、なお保持している本能もあるようです。私が前回書いた幼児の間に現われる母性愛と対の「あとおい、つきまとい」などの幼児現象ですね。乳房を求める食欲などもこの頃から現れるわけで、そういった親からの愛情を「普通に、ノーマルに」受けた幼児はまともな人間として本能を残し、成熟していくわけです。
この時期にそういった愛情を(不幸にして)得られなかった人間は「本能」をゆがませてしまい、成人しても対人的にうまくいかないということになるようです。
そのあたりが質問者様の認識と異なっている面ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

丁寧でとても嬉しいです

大変分かりやすかったです

お礼日時:2013/10/09 19:35

これは知なのです。

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この回答へのお礼

恥は感情でないのですね

お礼日時:2013/10/14 15:42

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