dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

今まで考えたことなかったんだけど大人になるって、周りの環境がすべて冷静に見えるっていういか特に感動もせずに見えてくるような。何ていえばいいのかわからないけど人を見ると汚い面ばかりが目につくし。そんな風になっていってる自分にもはらだたしいし。前はもっと疑いの目もなく人を信用したり(実際してたのかっていうのはとくわからないが)、人のことを信じれたりしてたようなたかが2年前の20のころの話なのに。少ししかたたない間に人はすごく大きく変わってしまうものかと思うし。無邪気な小さな子供を見ると、あんなに何もかもが楽しいって遊んでる子供たちを見ると、ああいう子でもそんな風に感じるようになる日がくるのかななんて疑問になったり。何がいいたいかよくまとめられませんが。そんな風に感じたりするものなんですか??

A 回答 (5件)

あ~、なんだかすごくわかります。



私も同じぐらいの年齢のとき、世の中、社会全体に絶望していました。
学生から社会人になり、社会人に対して持っていたイメージがどんどん壊れ、「大人って汚い」と思っていました。
汚いところしか見えなかったし、それまでいろいろあっても家族や友達、恋人と助け合い仲良くやっていたのに、
所詮人間は一人なんだ、誰も信用できないんだ、と思い、自分が一番大事に思っていたことが信じられなくなり、
自分自身も変わってしまうようで、本当につらい日々でした。

でも、時間がたっていくと、「世の中はきれいなことばかりじゃないけれど、汚いことばかりでもない」と思えるようになりました。
子供のような純真な気持ちではいられませんが、心があったまることもたくさんあるものです。

きれいなことも汚いこともたくさんあると知った上で、自分がどうありたいかを選択していけばいいのです。
それが大人になるということなんだと思います。

そのように感じるということは、今までの人生がいいものだった証拠であると思います。
今はおつらいかもしれませんが、これからの人生も楽しいこともいっぱいですよ!
人生山あり谷ありですし、人生いろいろです。あまりめげずにこれからも自分なりの人生を探求してくださいね。

私もいろ~んなことがあって絶望のどん底だったこともありますが、今は子供も産まれのんびり幸せです!
    • good
    • 0

ご質問を読んで、私も早く大人にならなくてはいけないな~と思う40代です。


子供もいて、近所つきあいや、人間関係もうまくいきません。
そうか、お世辞やおべんちゃらの一つも言わなくちゃいけないんですよね。

中には、大人になりきれない大人もたくさんいます。
感受性や好奇心が鈍くなるので、更に子供っぽいワガママがひどくなるみたいです。(私)
それでいて、純心な心を忘れないで、みんなに愛されている人もいます。(長嶋茂雄)

大人、子供と言えど、千差万別。
あなたは、なりたい大人をイメージして頑張ってくださいね。
聡明なあなたは、冷静な大人になれそうですね。
    • good
    • 0

私にとって、「大人」って汚くなることだと思っていました。


がんじがらめになって、お世辞やおべんちゃら言って、
好きでもないものを好きな振りして、嬉しくもないのに
笑って、…大人になんかなりたくない。
10代後半の頃です。

今、30代に入りました。
私にとって「大人」とは「様々な固定観念から自由になって、
色んな意味で自由になっていく」ことです。

想像していたより、人生が楽しく(結婚して離婚もして!)
そして年々、毎月、「あ~過去より自由になった」と
感じる毎日です。

でも、逆に不自由になる人もいます。
どんどん固定観念にがんじがらめになっていく大人も
沢山います。
そういう人から見ると、多分「大人=不自由」だと思います。

どんな「大人」になりたいですか?
ようは、それを目指せばいいだけですよ。

私はもっともっと自由になりた~い。
    • good
    • 0

 いや、まだ成長過程だと思います(笑)。


 papapinkeyさんは、まだ、世の中の実像、人間の持つ醜い側面を見る力を身につけたに過ぎません。
 私自身がまだ完全な大人ではないので偉そうな事は言えないのですが、本当に大人になると言う事は、清濁併せ呑む事だと思います。
 人間は汚い生物です。けれども、それは当たり前なのです。例えば、自然界では、弱肉強食で、動物達は自分の命を守る事に必死です。
 これは何も動物に限った事ではありません。
 人間だって、自分の身は自分で守らなければ、死ぬとまでは言いませんが、やはり、危険な状態に追い込まれてしまいます。
 自己中心的な態度や自分本位の考え方というもの、良く良く精査してみれば、実態は自分自身の身を守るための、最低限度のものである場合も少なくないのです。
 他人の為にいい事をしなさい、他人の事も考えろ、よく言われる言葉ですが、では、それを言う人間は本当にそれを守っていると思いますか?一度、良く観察してみてください。そういう奴に限って利己主義の塊だったりしますから。
 でも、人間には醜い部分のみならず、必ず、綺麗な部分もあるものです。
 つまり、人間の醜い部分を見ても、仕方のない奴だな、と呆れつつも嫌悪せずに人の性として受け入れ、その上で、人間のいい部分も受け入れる事の出来る人が、本当の意味での大人なのだと思います。
 悪いところばかりが目に付き、厭世的になっているだけではまだまだだと思います。ただ自分の事のみを考え、全く良い面を持たない限度を超した利己主義者も同様ですが。
    • good
    • 0

大人は「分別があるひと」という意味で使う言葉ですよね。



分別、というのは、ごみじゃないけど、分けること。
そして、分けることは「分かる」ことでもあります。

見えていなかったことが見えてくる、いままで一緒だと思っていたのものが、違うものだと分かってくる・・・それが「分かる」ということなのだと思います。

そして、今まで、人は善意だけで、優しさだけで、親切だけで成り立っていた、と思っていると、そして、その陰に隠れていたものが見えてくると・・・人の醜さ、自分勝手さ、汚さ、そんなものがみえてくるようになるのではないでしょうか。

光の当て方、というのを覚えたのだと思います。

ものごとを、ひとつの方向からしか見ることができないひと・・・いわゆる大人の中にもたくさんいます。
そしてそういう人たちは、ある人が「○○だ」というと、考えを放棄してその「○○」を自分の考えだとおもってしまうものです。
光を当てるすべを知っていると、違う角度から光をあてるとどんな風に見えるか、今まで見えなかったところに光をあてると、こんな風に見えてくる・・・今までとは違うものごとが分かってくるのではないかと思います。

アダムとイブの伝説は、人間が自分で判断することができるようになった引き換えに、子どもの幸せを失う。
・・・神様が自分の子どもである人間を、守り、養い、大切にして何もかも与えていたのに、人間は、自分から知恵の実を食べて、そして、神様(親)の庇護から抜け出し、そして大人になった。
そういう物語だという捉え方もできます。

あなたは、ほんのわずかな間に、自分で光を当て、自分でものごとを見、そして、自分自身で考える、ということができるようになったのだと思います。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!