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かぐや姫の話は多分 宇宙人に遭遇したおじいさんとおばあさんの話だと思うんですが
さて それはさておき…

かぐや姫のラストに月へ帰るかぐや姫がおじいさんとおばあさんに育ててくれたお礼として
不老不死の薬を富士山から取ってきてあげるというエピソードがあります。
(この不死の山=富士山となったという説もありますが)

しかし竹取物語って平安とかその辺の時代の話ですよね?
あの当時富士山ってまだせいぜい1000メートル級の山だったと思うんですが?
それでも当時から日本一の山だったかのごとく描かれ方をしています
富士山の部分だけは後世の創作なのでしょうか?

A 回答 (7件)

私の知っているのは月の死者から受け取った不老不死の薬を中将に渡したが、おじいさんおばあさんも、帝もそれを飲まず、最終的にその薬を付に最も近い高い山のてっぺんで焚かせた。


その際に大勢の士が山に登ったから士に富んだ山、→富士の山となった…ってverです。

今見えている富士山山頂は、弥生時代ごろに噴火した火口らしく、それ以降の噴火は側面ですから、平安の頃にはもう今とほぼ同じ高さだったんじゃないですか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2013/11/26 19:30

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9E%E8%A6%B3% …

この噴火は、山頂から北西に約10km離れた斜面で発生した大規模な割れ目噴火である。
※ 以上引用

おおまかな山の形は変わっていない。
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この回答へのお礼

平安時代から今の感じの山だったんですね
ありがとうございます

お礼日時:2013/11/26 19:30

いつも鋭くて楽しい質問(設問?)をされておられるのに今回は又なぜ1000mなんですか?


残りの2000mが積もったという史料をどこで御覧になられましたか?

気象庁のサイト(噴火に関する史料)を見てもそんなバカでかい噴火も隆起の記録もないようですが。
ということで後世の創作ではないでしょう。

それにしてもかぐや姫と宇宙人の組み合わせは夢がありませんね~
なぜ光り輝く女の子が空へ帰ると考えるようになったのか、
何時の時代からこのような考えが出てきたと思うか
京の人達が何時から富士山を知っていたのか
平安貴族にとって富士山はどのような意味を持っていたと思うか
伊勢神宮や大和三山と富士山との関係はなにか
古事記や日本書紀では富士山ではなくなぜ高天原なのか
というような質問(設問)の方がお似合いだと思いますがね~
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この回答へのお礼

まさか富士山が最初から3776メートルだったなんて思ってるわけではないでしょう?

お礼日時:2013/11/25 17:38

 竹取物語は御伽噺です。

西遊記やアラビアンナイトなどと同じ次元のお話です。真実だと信じる方がおかしいですよ。

 不老不死の山は富士山ではありません。富士山が初めて噴火を始めたのは10万年以前で、その頃の人類は狩猟採取時代であり、文明が無かった時代です。

 かぐや姫と月との関係を描いているのは、女性の月経を意味しているもので、成人の女性になったという意味での隠喩です。

 御伽噺を真実であるかのように宣伝するのは、荒唐無稽な教義を吹聴するエセ宗教団体と同じで、サリンを撒いて捕まったオウム真理教の二の舞になりますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2013/11/26 19:29

大和の朝廷勢力に負われた古族さんかを連想しますね。


竹取の翁の物語。
うぅん創作ネェ。まぁそかなぁ。
こんどサンカのお店で、55年前の図書館現役の同僚と飲みます。
ここお江戸の人が大川という隅田川、そして荒川放水路ができてその間の地域ではせいぜい600mの筑波も唯一高い山です。
1000であろうと10000であろうとそれは変わりがない。
まぁ創作もあろうが、このことで創作してもあまり意味はないですね。
宇宙人っていうのはみんな宇宙人でして、当然翁おうなもそういう方にあったでしょう。
いろんな惑星から来ている宇宙人のあつまりですよ。みんな。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2013/11/26 19:29

平安時代の富士山は現在のそれとさほど変わらない高さだったとの話も聴いたことがあります。


更に『万葉集』にある例の山部赤人の長歌および短歌にも富士山は「不二(または不尽)の高嶺」として採り上げられもしていて、他にはないほどの高い山あるいは他には見たことのないほどに美しい山との説明がされてもいます。
 更には『竹取物語』の最終部分ですが、確か不老不死の藥は迎えに表れた天人の一人が持っていたものであり、それを帝に託したとの記憶があります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
平安時代はもっと低かったと思ってました

お礼日時:2013/11/26 19:29

富士山については、平安時代にはほぼ現在の形になっていたようです。


http://www.fujigoko.tv/mtfuji/vol1/fjhis03.html
日本の有史(平安以降)にも、十数回噴火しているようですが、大きく形が変わったのは精進湖の誕生や青木ヶ原樹海の成立、宝永火口の出現程度のようです。

日本は古来より、山岳信仰は盛んで北アルプスなどをはじめ各地の山岳は修験者が開山して人跡を残しているようです。ですので「不老不死の薬が高い山にあるかもしれない」というのは、竹取物語が特別!ということでもないと思います。

また、麓の静岡や山梨はそれぞれ東海道などの街道筋であるので、ひと目にも着いたのでしょうね。
平城時代(奈良時代)の山部赤人の和歌にすでに「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」とと読まれているくらいですから。 
http://www.geocities.jp/sikibu_sagano/tagonouran …

単独峰としての高さの強調と、形の美しさで富士山は人々に判りやすい魅力があったため、日本一と呼ばれていたのだろうと思います。
それは、けっして標高が高かった!というのではないと…。
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この回答へのお礼

平安時代にはすでに今の感じになってたんですね
ありがとうございます

お礼日時:2013/11/26 19:29

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