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それはカゲロウであろー。
カゲロウは朝に生まれ、その日の夕方には死んでいるとゆー。
これを美しいと言わずして何とゆーのか。
カゲロウが最も美しいのではないか。
 

A 回答 (12件中1~10件)

ガケロウが最も美しい生き物であると感じるあなたこそが最も美しい。

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この回答へのお礼

だね。
 

お礼日時:2013/11/28 15:12

貴方以外



貴方が貴方を否定している
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 文学的には美しい、でもよいかと思いますが、哲学的には潔し、と表現したいと思います。



 視覚的にも精神的にも「美しい生き物」は、私にとっては丹頂鶴ですね。
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人間の芸術活動は、美を永遠化したいという希望のあらわれだというひとも居ます。

貴方の観点からは、そのような永遠の美など醜悪の極みということでしょうね。
確かにはかないものには美しいと思えるものが多いですが、でもかげろうの幼虫の地獄のようないきざまは、どうみても美しいとは思えませんね。揚羽蝶もモルフォ蝶も確かに成虫はうつくしいですが、前身のいもむしは醜い限りです。
>この世において最も美しい生き物とは
立場上ひとのみちさんには言えないと思いますが、人間として正直に言えばやっぱり妙齢の美女ではないでしょうかw。
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美を感じる機能は、脳の総和機能(五感の相関した経験を


平均化して、類似点において抽象概念を生じる)に基づき、
つまり、最も強く美を感じるのは最も脳の発達した人類で
あり、その欲求の充足経験の総和としての美の対象となる
生命は、異性になろう。

個人的には、形をもたない美、粘菌が美しいと思います。
ある時はアメーバのような単細胞で、時々集まって網の目
状の多細胞生物となって移動し、そのあげくにキノコのように
胞子嚢をつくって胞子を飛ばす、ていう変幻自在の生き方が
美しいと思います。
定年になったら、粘菌生活をしたいと思います。
「この世において最も美しい生き物とは」の回答画像9
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すると、短命であればあるほど美しいという


ことになり、その反面
長寿であればあるほど醜い、となる訳ですが
果たしてそうですかね。

夏目雅子は美しかったけど。
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今回の質問のテーマは、


─────────
あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。《かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし》。つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。

徒然草 七段
─────────
ですかい。
「命長ければ辱(はじ)多し。だから、長くても四十歳にならないくらいで死んじまうのが、格好いいんだ!!」

一つの価値観、生の美学ではありますね~。
わたしは、こういう考え方は大嫌いですけれども。

でも、これは吉田兼好のオリジナルの思想ではないんですよね。
この淵源は、清少納言。つまり、王朝趣味の美学、平安女房的美学。
(年取ってまで女房なんて、みっともないったらありゃしない。そうなる前に金持ちと結婚、玉の輿に乗るのが格好いいのよ!!)
そして、
さらに遡って、中国の荘子!!

─────────
多男子則多懼、富則多事、壽則多辱。
(男の子供が多いと、心配事が多い。財産があると面倒ごとが多い。長生きすると辱が多い)

荘子・外篇 天地
─────────

で、
たぶん、兼好は、荘子のこの文章の意味を誤解している。
荘子の言わんとするところは、
「男と女、貧と富、長寿と短命は相待的なものであり、無限や万物齋同(ばんぶつさいどう)の観点からすると、その差別は消失する。
であるからして、
女の子が生まれたとしても、嘆くことはない。貧富や寿命の長短を気にするのは、愚か者のすることだ。」
となります。
「この差別を超越せねばならない!!」
です。

生き物の美・醜もそうです。


「途方もなく長い時間」という質問を別にしているのですから、
荘子の万物齋同の境地に至らないダメなんじゃないですかね~。
まだまだ浅い!!
まだまだです。


─────────
万物斉同

万物斉同(ばんぶつせいどう、繁体字: 萬物齊同)とは、荘子が唱えた、万物は道の観点からみれば等価であるという思想である。
荘子は物事の真実たる「道」に至ることが、徳だと考えた。人はとかく是非善悪といった分別知をはたらかせるが、その判断の正当性は結局は不明であり、また、一方が消滅すればもう一方も存立しない。つまり是非善悪は存立の根拠がひとしくて同質的であり、それを一体とする絶対なるものが道である。
このようにみれば、貴賤(きせん)などの現実の社会にある礼法秩序も、すべて人の分別知の所産による区別的なものとわかる。それどころか、生死ですら同一であり、生も死も道の姿の一面にすぎないと言うのである。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E7%89%A9% …
─────────

ここでいう《道》とは、《アルケ~》のことでございます。
老荘では、《無》とも呼びます。
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猫 or シャチ!!



癒し系ならば、ジェンツーペンギン!!
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ネコの肉球


ハムスターの尻
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この回答へのお礼

 
>ネコの肉球
ハムスターの尻

トホホ、返す言葉もありません。
 
 

お礼日時:2013/11/26 22:32

ハムスター

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