【大喜利】【投稿~11/1】 存在しそうで存在しないモノマネ芸人の名前を教えてください

 私は江川卓の現役時代を知りません。
 年度別成績を見たところ、驚きました。なんで13勝してるのに引退したんでしょう?

A 回答 (8件)

私は、小学生当時、江川の大ファンで、江川-山倉のバッテリーが好きでした。



むかし、江川は
「今年20勝しても、来年0勝だったら、
年俸は下がるが、
今年10勝して、来年も10勝でも
年俸は上がる」みたいなことを言ってたように思います。

合理的で、聡明な人ですが
ある意味、計算高い頭脳の持ち主です。

野村監督曰く、
「江川は、格下の打者にはあからさまに手を抜いたピッチングをする」そうです。

活躍できるうちに、惜しまれて引退するほうが、
(タレントへの)転職に有利?と考えたのかもしれません。

ちなみに引退時の中国針の一件は、
デマカセだったと後になって白状したらしいです。

ある試合で、江川がマウンドで投球モーションに入った際、
バランスを崩してズッコケたことがありました。

引退後にそれをネタにしたりして、けっこう面白い人だと思います。
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neterukunです


13勝じゃないでしょ?135勝ですよね。
9年で135勝1年で15勝平均、
最初の年のみ9勝で軒並み10勝以上
私はこりゃあ村山さん以来の大卒名球会投手に
なるかと思ってましたがねぇ・・

商売を覚えたからじゃないでしょうか?
しんどい目をしなくても金が儲かるということを
彼は知ったと当時のスポーツ新聞は
こぞって書いてましたね。
記者会見で出さなかった本音はこうでしょうね。
ましてやインパクト強い選手でしたから
解説でも呼んでもらえる、タレント性もあり、
TVも引っ張りだこという感じではないでしょうか?
いい選択だったと思いますよ。
あのままいても巨人の監督にはたぶんなれないしね。

この回答への補足

すいません、書き忘れました。晩年に13勝という事です。

補足日時:2004/04/24 02:51
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私は、神宮に何度も江川を見に行きました。


当時から、またその後も常に直球とカーブのみのピッチャーでした。
若い頃は、伸びのあるストレートにカーブをときより混ぜて三振を取る投球でしたが、晩年は、肩を故障したせいもあって直球を見せ球にしてカーブで打ち取るピッチャーになっていました。
13勝したといっても、本人にはまったく不本意な投球だったはずです。まだ10勝位はできる可能性はあっても、不本意な投球内容は彼のプライドが許さなかったのではないでしょうか。
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39歳です。

(ヤクルトファン)
答えとは違いますが、
テレビ中継でですが、江川投手のストレートは私が見た中で一番キレイだと思います。
ホップしているんです。
晩年の140キロ前後の玉でも、ホップしていて、当時小松とか槇原が150キロぐらいだしていても球筋が違っていて、江川のストレートはすごいと思っていました。
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対広島戦にて小早川選手にストレートをホームランされ速球に限界を感じたみたいです。

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シーズン半ばには肩が思わしくなく引退を迷っていたが、調子の良い日に広島の小早川選手にホームランを打たれたのが引退のきっかけだったと、後に江川卓が語っていました。


三度のドラフト一位指名や空白の一日などで世間を騒がす悪役のイメージの強かった彼ですが、松坂大輔以上に「怪物」だった彼の彼らしい引き際だったのではないでしょうか。
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NO.1の方が言っていたのが会見内容でしたね。


 そこに針を入れたらだめになるとかも言っていたかと。
 でも個人的にはボロボロになってやめるよりも余力を残してやめたかった。江川選手なりの美学だと思います。
 当時のことを山田選手(前中日監督)も、どうして辞めるの、自分よりもかなり若いのにと言っていました。
 速球派で、三振を獲りにいって、獲っていた。それができなくなったのも淋しかったのかもしれませんね。
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たしか針で騙しだまし使ってきた肩が限界に来たのを、更に無理な針を使ったため、もう駄目になった、とかいう引退時の言い訳だったと思いま

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