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下記の事件はご存知ですか?感想を聞かせて下さいませんか?

老老介護の果てに…「一緒に死のう」 妻を殺害して自殺を図った元商社マンの葛藤
2013.7.20 12:00 (1/5ページ)[介護]
 病床の妻を自らの手であやめた元商社マンが「最期の場所」に選ぼうとしたのは、夫婦の思い出の地だった-。東京都世田谷区のマンションで7月9日、片桐早智子さん(75)の首を絞めて殺害したとして、夫の健躬(たけみ)容疑者(79)が警視庁に殺人容疑で逮捕された。犯行後、飛び込み自殺を図った隅田川が流れる日本橋はかつての勤務地の近くで、早智子さんとも何度も訪れた場所。東京消防庁に救助されて一命を取り留めた健躬容疑者は「妻とは以前から『一緒に死のう』と話していた」と打ち明けた。長年連れ添った妻を介護する中で、人知れぬ葛藤を抱えて生き抜いていた。(中村翔樹)

「介護に疲れて」 ゆっくり首を絞め、遺体には布団を…

 「自宅で妻を殺してしまい、自分も死のうと思いました…」

 9日午前5時ごろ、東京都台東区浅草の隅田川で溺れているところを救助された男は「片桐健躬」と名乗り、救急隊員に力なくこう説明した。連絡を受けた警視庁玉川署員が現場に駆けつけ、早智子さんが寝室のベッドで仰向けの状態で死亡しているのを見つけた。

健躬容疑者が説明した通り、早智子さんの首には絞められたような跡があり、玄関の鍵がかけられ、第三者が侵入した形跡もなかった。同署は健躬容疑者の犯行と断定。川に飛び込んだ衝撃で全身を強く打ち、治療を受けていた健躬容疑者の容体が回復するのを待ち、11日に殺人容疑で逮捕した。

 同署によると、健躬容疑者は容疑を認め、「妻が鬱(うつ)病を患っており、介護に疲れ、将来を悲観した。自分も死ぬつもりで川から飛び降りた」と供述しているという。

 健躬容疑者は早智子さんと2人暮らし。早智子さんは12年前にくも膜下出血を発症し、歩行が不自由な状態だった。近くに住むひとり娘の長女が週1回程度、マンションに顔を出して面倒を見てくれることもあったが、事実上、健躬容疑者が1人で介護する状態だった。

 司法解剖の結果、早智子さんの死因は窒息死で、死後半日程度経過していた。就寝中に襲われたとみられ、「首に残った跡は非常に薄かった。弱い力でゆっくりと絞めたようだ」(捜査関係者)。発見時、遺体には胸まで丁寧に布団がかけられていた。

夫婦の思い出の地、日本橋から隅田川へ



 捜査関係者によると、長女が最後にマンションを訪れたのは7月5日。夕食の準備などをして午後5時ごろには部屋を出た。長女は「両親はいつもと同じで、違和感は全く感じなかった」と話しているという。

 健躬容疑者が犯行後に身を投げたのは、救助された浅草から下流に約4キロ離れた中央区日本橋の新大橋だった。マンションから約20キロ離れたこの場所に、健躬容疑者は9日未明、自宅近くからタクシーで向かった。車内では落ち着いた様子で、男性運転手にも「昨日は雨がすごかったね」などと声をかけていた。

 実は、日本橋には健躬容疑者が定年まで勤め上げた大手商社があった。早智子さんとも食事や買い物などでたびたび日本橋を訪れていたといい、特に新大橋から望む隅田川の眺望は2人のお気に入りのスポットだった。健躬容疑者は「死に場所を考えたとき、なじみのある日本橋が頭に浮かんだ」と説明しているという。

健躬容疑者は救助されるまで約1時間にわたって川面を漂っていたとみられ、「79歳という年齢を考えれば、命が助かったのは奇跡に近い」(捜査関係者)。履いていた靴がビニール製で、水に浮きやすかったことも幸いしたとみられる。


高級マンションに2人暮らし 鬱病発症で「殺してほしい」と依頼も


 健躬容疑者と早智子さんが暮らしていたマンションは、都内有数の高級住宅地として知られる世田谷区深沢にある。近くには駒沢オリンピック公園があり、複数の路線の駅が徒歩圏内にあるなど利便性も高い。

 マンション内では警備員が目を光らせている。近所の住民は「芸能人や官僚が住んでいると聞いたことがある。お金持ちじゃないと住めない物件」と話す。

 捜査関係者よると、健躬容疑者は金銭的に不自由しておらず、早智子さんの介護のためにホームヘルパーを利用していた。ただ、病状は年々悪化し、最近では鬱病を発症。改善しない体調にふさぎ込んだ早智子さんが時折、健躬容疑者に辛く当たることもあった。

健躬容疑者は「妻からは何度か『殺してほしい』と頼まれていた」と供述しており、同署は詳しい動機や殺害の経緯を調べる。また、いったんは失いかけた自らの命について、こう話しているという。

 「犯した罪の責任を取らないといけない。もう二度と、自殺を図ることはしません」

A 回答 (9件)

此れは二重遭難のパターンですね。



自分の安全や健康を確認できなかったら 救助者の資格は無いから専門家に任せなければなりません。

自宅介護が無理なのですから、本人が泣いて嫌がっても 施設に入れてしまうべきだったのです。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

>本人が泣いて嫌がっても 

奥さんを愛していればいるほど、これは絶対に出来ないですよ。

>施設に入れてしまうべきだったのです。
施設を信用しておられるようですが、施設の職員が全部いい職員だと思いますか?虐待だって多いのが施設ですよ。

少なくとも愛情ある夫や娘さんほどに丁寧に介護してくれないでしょう。

私は経験者だから、上記のようなことを書くのですが、結局、答えが見つからないので質問したのですが、皆さんは随分軽く考えておられるのだなあと思いました。

補足日時:2013/12/10 19:27
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お金があるのなら、施設に入れてあげれば良かったのに、、、という



感想ですね。

施設に入りたくても、お金がなくて入れない人も多いのに、、、。

でも、奥さんは、幸せかもしれませんね。

やっと病気の辛さから逃れられたのですから。

残された夫も、妻が亡くなってホッとしてるのかもしれません。



ただ、霊的な面からみると、死んだからといって、

病気の痛み、苦しみから逃れられたとは、思えません。

どんなに苦しくても、寿命を生き切らないと肉体の苦しみは、あの世でも

その痛みは解消されずに苦しみつづけます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

奥さんを愛する度合いが強ければ強いほど、施設のような他人に預けたくないという気持ちが強いと思います。

愛情がなければ簡単に預けると思います。

>奥さんは、幸せかもしれませんね。やっと病気の辛さから逃れられたのですから。

そうですね、喜びも苦しみもない、平和な世界ですから、奥さんは今、幸福だと思います。

>残された夫も、妻が亡くなってホッとしてるのかもしれません。
 コレはないと思います。夫はこれから死ぬまで、奥さんのことを思って苦しみ続けると思います。私が経験者ですから。

お礼日時:2013/12/10 19:34

〉感想を聞かせて下さいませんか?



 他の人に聞く前に、自分が思うところを述べるのが順序じゃないですか?

この回答への補足

貴方は質問した経験はないのでしょうか?

大体そういうことをしなければならない規約はないし、そうすると、回答よりも、質問者の感想の方に批判をして来る人が結構多いのです。批判が多く非常に不愉快になります。

最近は、それを避けるため、成るべくシンプルに質問だけにしようと心がけています。

補足日時:2013/12/10 19:42
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先ほどの回答者は「人に感想を聞く前に自分の感想を書くべきだ」との回答もありましたが、それが順序というものです。

お金に不自由していなかったのなら医療機関が付属している施設もある事ですしそういう所に入れて上げるべきだった。他の回答者の意見ですが私も賛成です。
大手商社を勤め上げた優秀な容疑者である事は分かりましたが、いくら世の中に名声高き人物であったとしても、やはりそこに心の隙間を埋める事は出来ず「生」とは「死」とは何かを学ぶことなく、今、現実を諦めると言う「妻を殺し自らも自殺を図った」、という最悪の道を選ばれた訳です。死んだら別の世界があるようなそんな考え方がこの年齢の人達には強い気がします。

この回答への補足

高みからモノを言う方ですね。

貴方は質問した経験はないのでしょうか?

大体そういうことをしなければならない規約はないし、そうすると、回答よりも、質問者の感想の方に批判をして来る人が結構多いのです。批判が多く非常に不愉快になります。

最近は、それを避けるため、成るべくシンプルに質問だけにしようと心がけています。

施設と簡単に言いますが、そう簡単には放り込めないのが肉親の愛情なんですけどねえ。

施設を信用しておられるようですが、施設の職員が全部いい職員だと思いますか?虐待だって多いのが施設ですよ。

少なくとも愛情ある夫や娘さんほどに丁寧に介護してくれないでしょう。

私は経験者だから、上記のようなことを書くのですが、結局、答えが見つからないので質問したのですが、皆さんは随分軽く考えておられるのだなあと思いました。

娘さんを含めて、随分愛情深い家族のように感じます。
愛情深いからこそ、施設に放り込むようなことは出来ない。
そういうことも含めて人間の心理も組み込んで考えて戴けたらと思います。

森鴎外が「高瀬舟」で提起した「安楽死」の問題。
解決法を求めた質問ではありませんので、どんな感想でも聞きたいのですが、妻を殺す決心をした夫の苦渋の選択とか、両親を同時に失いたくない娘さんの悲しみとか、そういうところに焦点を当てた感想なども聞きたいですね。

補足日時:2013/12/10 20:01
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この事件のことは、知りませんでした。


だから、0123gokudoさんのご質問の全文と他の方々への
お礼を拝見しての、あくまで感想です。
不愉快な点がありましたら、どうかお許しください。

片桐さんご夫妻の選択を、私には否定出来ません。
ご夫婦でその時出来る精いっぱいのことをして、
奥さんの意思を尊重して手にかけ、
ご主人は本当にあとを追おうと思われたのでしょう。

でも。小さな違和感があります。

マンションを出る時、ご長女に連絡して、
「ちょっと出かけるから、母さんを見てて」みたいに、
時間をあけずに発見してもらえるように、
奥さんの遺体がなるべく傷まないように、
なんで、ひと声かけていかなかったんでしょう?
事件が7月9日なら、やがて夏。
今年の東京は、もう暑かったでしょうに。

片桐さんの旦那さん、介護で疲れ果てていて、
もしかしたら、ご自身も認知症の傾向が出て来ていて、
奥さんを手にかけた日、それを強く思い知らされるような
出来事があったのではないでしょうか。

リアルに介護をしている者としては、そう考えると
マンションを出たあとの片桐さんの旦那さんの
少々ちぐはぐな感じが、私なりに腑に落ちるのですが…。

月並みな言葉かもしれませんが、片桐さんの旦那さんには、
どうか、奥さんの分も生きて欲しいと思います。
「老老介護」とひと口に言いますが、相方のお葬式を出し、
弔うまでは介護は終わっていないと、私は思っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>なんで、ひと声かけていかなかったんでしょう?
そうする心の余裕がなかったんでしょうね。

>どうか、奥さんの分も生きて欲しいと思います。
私もそう思うのですが、生きることが苦しいでしょうね。

お礼日時:2013/12/18 17:21

 現代の老老介護の悲劇ですね。

 実は私の妻も98歳の母を介護しており、決して他人事には思えません。片桐さんの場合、奥さんが倒れられてから、既に12年がたつのですね。夫のたけみ容疑者ですが、
元商社マンで現役中はおそらく一心不乱に仕事にうちこんでおられたことと思います。
それが急転し、奥さんの病気介護にあたらなければならなくなるとは思いもよらなかったでしょう。
おそらく当初は気持ちも動転し将来に不安がよぎったこととお察しいたします。それでも夫はあえて、お金の余裕はあるのに施設への入居をせず、在宅での介護の道を選ばれたのには頭が下がります。
奥さんは近年、うつ病も発症しており、将来を悲観するのは当然で痛いほど分かります。
以前には奥さんと{一緒に死のう}とまで話しておられたということを聞くにつけ、その奥さん思いの暖かい心情に胸がしめつけられます。また、奥さんからは何度も[殺してほしい}と頼まれてもおり、その殺害方法もどこか愛情を感じる{ちょっと変ですが・・}やり方が伺いしれます。
最後に自分もやはり犯した罪の重さを感じ自殺を図ったのでしょうが、奇跡的に助かったのは神のおぼしめしがあったからこそというしかありません。
どうか警察当局は現代社会の闇ともいうべき現実に目を向け、容疑者には寛大な刑に処してもらうように
祈っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

同感です。

お礼日時:2013/12/18 17:22

「高みからモノを言う方ですね」申し訳ありませんでした。

お礼の中に森鴎外が「高瀬舟」で提起したの「安楽死」の問題、「妻を殺す決心をした夫の苦渋の選択」「両親を同時に失いたくない娘さんの悲しみ」、私はこれは自分が信心する仏教の中の「正法」に繋がると思っています。森鴎外自身も確か医師だったと記憶していますが、「生命」とは「死」とはについて解決の道を見出せなかったと思います。「人を殺めなければならない」「夫が出した苦汁の決断」はこれらの人々の根底にある念仏思想から来る迷い、今、現在からの逃避に過ぎません。宗教は今生きている我々の為にある。念仏は所詮「馬の耳に念仏」で、だから「念仏無限地獄」と言われる由縁はそこにあるのです。
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この回答へのお礼

再回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/18 17:16

大変デリケートな問題です。

軽々しく回答できないのですが、

誤解を恐れずにいえば、亡くなった妻は本望だったと思います。
夫の方も、夫本人だけの気持ちから言えば死んだ方が安らかだったでしょう。

以下いささか極論なので、不快に思われる方もいらっしゃると思いますが、
あくまで「個人的な感想」としてご容赦ください。

妻を殺したことを「罪」と思えば「責任」という言葉も出てきますが、妻の苦しみを終わらせた、と考えれば、夫も苦しみから解放された方が楽です。

死が怖く、疎ましい理由は、死に至るまでの苦しみが怖い、というのが大半です。
妻は病状が年々悪化していたとのことなので、いわば緩慢な死を生きていたわけです。

それを介護する夫も、すでにもう「楽しい老後生活」などではありません。
日々の生活の中に小さな楽しさ、幸せを感じることはあったと思いますが、ぶっちゃけた話、それが75歳を過ぎた老夫婦にとって、どれほどの意味があるでしょう。
未来に向けてすこしでも「よくなっていく」という希望がないと生きるのはきついです。

だから殺していい、死んでいい、とは言いませんが、私はこの老夫婦を非難する気にはなれません。
2人は年をとっても仲良く、愛し合っていることができた幸せな夫婦だと思います。

施設に入れてまで生きる意味があるのか、それよりは、この苦しい生を終わらせよう、一緒に死のう、という気持ちが強くなったと思います。

もっと辛い人もいる、お金もなくそれでもがんばっている人もいる、のは解ります。
それでも生きる、生きる意味はある、という選択はもちろん正しいです。

でも、もう生きない、という選択もあり得る、と私は思います。

この夫婦の事件では、ひとり娘の悲しみ、苦しみだけが、ひっかかります。
親に勝手に死なれたら子の苦しみは一生続きます。
その点だけは私も引っかかります。

この回答への補足

お礼の文で訂正箇所があります。
「自殺が未遂に終わったことで」の文を「自殺が成功すれば」に換える。

補足日時:2013/12/11 23:55
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この回答へのお礼

森鴎外が「高瀬舟」で提起した「安楽死」の問題。
解決法を求めた質問ではありませんので、どんな感想でも聞きたいのですが、妻を殺す決心をした夫の苦渋の選択とか、両親を同時に失いたくない娘さんの悲しみとか、そういうところに焦点を当てた感想なども聞きたいですね。

私が別の回答者への補足で求めたことに対して見事に答えて下さいました。ありがとうございます。

この家族の苦悩を理解せずして、この問題を安易には語れないと思います。安楽死は日本では殺人になっていますが、安楽死を認めている国もありますね。一方で日本には死刑制度があって死刑制度廃止には大方の日本人は反対です。

私は死刑制度には大反対ですが、安楽死には賛成です。
自分の命は神様から頂いたものであるというキリスト教徒ではありませんので、自分の命は自分のものだと思っています。死ぬ権利は人権の1つだと思っています。また、生きるのが苦しいから死にたいと言ってる人に、それはダメだと言ってその人の苦しみを継続させるのは虐待でしょう。

>ひとり娘の悲しみ、苦しみだけが、ひっかかります。

私も妻の介護をしていましたが昨年末亡くしました。直ぐにでも後を追って死にたいのですが、娘たちが悲しむことが引っ掛かって実行できないでいるのです。
片桐氏もあの時自殺が成功しておればどんなにか幸福だっただろうと思いますが、自殺が未遂に終わったことで、今度は娘さんに不幸をもたらします。片桐氏はこれから死にまで妻を思う悲しさと自分だけが生き残ってしまった自責の念で毎日苦しむことになると思います。その苦しさが娘さんにどこまで解るかということですが、もし、解れば父親を懸命に慰めるのでしょうが・・・

私は娘たち2人のためにムリに生きておりますが、娘たちは私の苦しみをそれほど理解はしておりません。それは私が苦しんでいる姿を娘達に見せないからというのも一因でしょうが、父親として、男としてそんな情けない姿は見せたくないのです。本心は打ち明けられません。

その結果、娘達は一年も経って私はほとんど立ち直ったくらいに思っているようです。ですから、娘たちからは慰めの言葉も行動もありません。
それで、娘たちのためにムリに行き続けるのもバカらしくなって、まあ、数年間は生きてみるけれどその後は死なせてくれよと思っています。

さあ、片桐さんはどうするんでしょうね?これから、かなり苦しい人生だと思いますが・・・

お礼日時:2013/12/11 23:45

投身から奇跡の一命を取り留めた後、もう二度と同じことはしないと誓うところが気になりました。


気持ちのおもむくまま起こした行動だが、運命はそれを叶えてくれませんでした。
そこに、とても大切な意味が込められているような気がします。

とある格闘家の実話ですが、間もなく成人を迎えようとする辺りの、いわば希望に満ち溢れた年齢の息子を不慮の事故で亡くした時の、どうしようもない憂いから立ち直るという話をドキュメント系の本で読んだことがあります。

かけがいの無い大切なものを失った人の心境が綴られていました。
無気力の渦中から這い上がるきっかけとなったのは、亡くなった息子と対話をする場所が必要だと感じ、その場所を誰の手も借りず、全て自分の手でとにかく無心になって作業し続けることでした。
そして対話の時間をもつことで、苦しみは少しずつ癒やされそして立ち直っていきました。

彼は一度どん底まで堕ちて、そんなきっかけでそこから這い上がることを選び、そして結果的に以前よりも強く確かな世界観を得たそうです。
生まれ変わったとも表現していました。

後追いを選択して死んだら、亡き人との対話もできなくなります。
その事件の男性も、死を覚悟するというどん底の選択から、しかし助かってしまったことで気付きがあったのかもしれませんね。
生きていれば償うまたは弔う事が出来る。
そうやって亡き妻と対話ができることに気が付いたのかもしれません。

「まだあなたは生きていける身体(可能性)を持っている。
 自ら絶てば全てを失う。
 どんなに苦しくても、生きてもっと大切なものを見つけて欲しい。」

そういうメッセージも届いていたのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>亡き妻と対話ができることに

貴方は最愛の人を亡くされた経験はありますか?
亡き妻との対話が無条件に喜びをもたらすとの無意識の前提で語られていますが、これが更なる悲しみしかもたらさないものであるなら、対話は酷なものでしかありません。

第三者の無意識の思い込みがいっぱいありますので、こういう問題を考える時は、自分に無意識の思い込みがないか出来る限り努力して、それを見つけてから更に考えるという作業が必要だと思いますねえ。

私は世の中の常識とされている前提から、先ずは疑って来た人間ですので、「生まれて来たからには、疑うことなく生きるべきだ」という前提自体が、おかしいなあと思っています。

折角回答を戴きながら、イチャモンを付けるようなお礼で申し訳ありません。
皆さんの感想を聞いてみたかったので・・・

お礼日時:2013/12/14 23:49

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