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 1. 初代の天皇とされている神武カムヤマトイハレヒコからに限って 男系の血筋を捉えるのでしょうか?

 2. けれども その父には アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズがいると書かれており その血筋をたどれば マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミにまでさかのぼれる。つまり その子のアメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギが タカマノハラからこの地上なるタカチホの峰に降り来たったというとき このホノニニギは 天孫であり その親の親は アマテラスということになる。

 3. アマテラスが みなもとであるなら 万世一系は 女系であるのではないか?

 4. それとも アマテラスの夫は 誰か? つまり オシホミミの父親は誰か?

 5. オシホミミは アマテラスとスサノヲとがウケヒなる勝負をしたときに生まれたのだから 父親は スサノヲであろうか? それとも 別の血筋の――ツクヨミとも違った――或る男が 父親であったか?

 6. スサノヲが父親であったのなら けっきょく男系の一系というのは このスサノヲ(およびその父イザナキ)の血筋であるとなる。

 ☆ よろしくご教授ください。

A 回答 (13件中11~13件)

私の個人的な見解でありますが、回答させていただきます。



記紀によれば、天照大神は女神となっていますが、本当は男神だという説があります。
記紀にはニギハヤヒという神が登場します。
この神は先代旧事本紀では天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊と記されています。
この神が本当の天照大神ではないかというのです。

初代神武天皇は東征して畿内入りしましたが、ナガスネヒコという者に阻まれたため、迂回して紀州から畿内入りをめざしました。
このナガスネヒコが神として奉じていたのがニギハヤヒです。

神武は紀州から畿内入りして再びナガスネヒコと対戦することになりましたが
ニギハヤヒはナガスネヒコの信頼を裏切って神武の側につき、
ナガスネヒコはニギハヤヒに殺されたと記紀には記されています。

ニギハヤヒとナガスネヒコの妹が結婚して生まれたのがウマシマジノミコトで
ウマシマジノミコトは物部氏の祖とされています。
ここから神武以前に物部王朝があったのではないかという説があります。

天照大神は倭姫に連れられて伊勢についたとき
「うまし国なり」と言っていますが、うまし国とはどういう国のことでしょうね。
ウマシマジノミコトに似ているのが気になります。

またニギハヤヒが天下ったとされる大阪府交野市に磐船神社がありますが
その神社の前を流れる川を「天の川」といいます。
この天の川はかつて「うましの川」と呼ばれていたそうです。
「うまし国」とは物部氏の国ということではないでしょうか。

このように考えると、天照大神とは本来は物部王朝の神だったということになります。

大物主神という神が大神神社に祀られていますが、
大物主神は『出雲国造神賀詞』では大物主櫛甕玉となっています。

ニギハヤヒ・・・天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
大物主神・・・・大物主櫛甕玉

神名に同じ櫛と玉の文字を持っていることから、ニギハヤヒと大物主神は同一神ではないかという説があります。

ところで、記紀には婿入りする話が多いですね。
神武の先祖のニニギや山幸彦も婿入りしています。

そして、神武の皇后となったのは、大物主神の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命でした。

ニギハヤヒ=大物主神は物部王朝の王であり、神武は大物主の娘を皇后としている。
これは神武は物部王朝に婿入りしたということを、記紀は言いたいのではないでしょうか。

つまり、畿内には物部王朝があり、九州から東征して畿内にやってきた勢力があった。
九州からやってきた勢力は物部王朝を滅ぼすのではなく、婿入りすることで、政権を掌握した。

これは、征服した土地の民を支配するためにもなかなかいい方法のように思えます。

征服した土地の民は天照大神を信仰していたのではないでしょうか。
九州からやってきて物部王朝に婿入りした男の子孫は、天照大神の子孫として民より崇められる必要があったのかもしれません。
この場合、本来男神であった天照大神を女神にしてしまえば、天皇家は天照大神の子孫であると堂々と名乗ることができます。

しかし神武以降は男系になっているのではないでしょうか。
女帝もいましたが、中継ぎの天皇でした。

とりとめのない文章ですが、回答とさせていただきます。
参考程度、ということでよろしくお願いします。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 ★ ニギハヤヒという神が・・・本当の天照大神ではないかというのです。
 ☆ ひとつの資料として 次を参照してみます。

 ▼ (ヰキぺ:ニギハヤヒ) ~~~~~~~~~~~~
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%AE% …

 § 1 概要

 A 『古事記』では、

 (あ) 神武天皇の神武東征において大和地方の豪族であるナガスネヒコが奉じる神として登場する。

 (い) ナガスネヒコの妹のトミヤスビメ(登美夜須毘売、日本書紀では三炊屋媛という)を妻とし、トミヤスビメとの間にウマシマジノミコト(宇摩志麻遅命)をもうけた。

 (う) ウマシマジノミコトは、物部連、穂積臣、采女臣の祖としている。

 (え) イワレビコ(後の神武天皇)が東征し、それに抵抗したナガスネヒコが敗れた後、イワレビコがアマテラスの子孫であることを知り、イワレビコのもとに下った。


 B 『日本書紀』などの記述によれば、

 (お) 神武東征に先立ち、アマテラスから十種の神宝を授かり天磐船に乗って河内国(大阪府交野市)の河上の地に天降り、その後大和国(奈良県)に移ったとされている。

 (か) これらは、ニニギの天孫降臨説話とは別系統の説話と考えられる。また、有力な氏族、特に祭祀を司どる物部氏の祖神とされていること、神武天皇より先に大和に鎮座していることが神話に明記されていることなど、ニギハヤヒの存在には多くの重要な問題が含まれている。

 (き) 大和地方に神武天皇の前に出雲系の王権が存在したことを示すとする説や、大和地方に存在した何らかの勢力と物部氏に結びつきがあったとする説などもある。

 C 『先代旧事本紀』では、

 (く) 「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)といいアメノオシホミミの子でニニギの兄である天火明命(アメノホアカリ)と同一の神であるとしている。

 D 『新撰姓氏録』では

 (け) ニギハヤヒは、天神(高天原出身、皇統ではない)、天火明命(アメノホアカリ)は天孫(天照大神の系)とし両者を別とする。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 どうでしょうね。

 ★ 神武以前に物部王朝があったのではないかという説があります。
 ☆ これについては 神武イハレヒコよりすでに先にヤマトに入っていたアマツカミ系のこのニギハヤヒがいたということ〔(あ)(お)など〕は 言えるでしょうね。そして イヅモ系統(い)かあるいはモノノベ氏の関係(う・か・き)かという見立てはあり得るのでしょうね。

 ただし――ご指摘の事実や主題などの復唱をはぶいていますが――
 ★ 天照大神とは本来は物部王朝の神だったということになります。
 ☆ というのは まだ早いように思います。

 それは 神武イハレヒコが 草香(日下)で ナガスネビコと戦って敗れたとき 《吾は 日の神の御子として 日に向かひて戦ふこと良くあらず。・・・》(古事記)と神武の兄のイツセが言っていますから 《日の神=アマテラス》は 神武イハレヒコ側の神であったと考えられます。


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~
 ニギハヤヒ・・・天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
 大物主神・・・・大物主櫛甕玉

 神名に同じ櫛と玉の文字を持っていることから、ニギハヤヒと大物主神は同一神ではないかという説があります。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これも 申し訳ないですがまだ飲めません。
 
 つまりあるいは もし同一神であったとしても オホモノヌシなる神でもあるニギハヤヒが アマテラスなる神であったという見方は まだ定まらないのではないかと考えます。

 もしおっしゃるようにモノノベ氏の神が 三輪山のオホモノヌシであるならば これは 事物としては ヘビですし 思想としては ヒトコトヌシと同じく――つまり モノはコトである( e = mc^2 )というところから これらの神どうしは 同じひとつの神であると見なして―― いわば《生命の木》であると捉えられるような特徴を持つと考えるからです。

 日の神であるアマテラスが 生命の木に喩えられてもおかしくないとは思いますが たぶん筋が違っているようにも考えられます。抽象度の高い《いのち》と そしてゆくゆくは穀霊に当てられるアマテラスとは 筋が違うように感じます。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 神武の皇后となったのは、大物主神の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命でした。

 ニギハヤヒ=大物主神は物部王朝の王であり、神武は大物主の娘を皇后としている。
 これは神武は物部王朝に婿入りしたということを、記紀は言いたいのではないでしょうか。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これは 神武イハレヒコの政権の前に イヅモか何かの系統の政権があったことを語るまでだと まづ思います。まだ そこまでだと考えます。


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
 つまり、畿内には物部王朝があり、九州から東征して畿内にやってきた勢力があった。
 九州からやってきた勢力は物部王朝を滅ぼすのではなく、婿入りすることで、政権を掌握した。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この場合の・つまり神武東征の話は――わたしの推測ですが―― 応神ホムダワケが半島か筑紫から確かにヤマトにのぼってきたそのときの婚姻政策が反映しているのではないかと思います。崇神ミマキイリヒコイニヱの三輪イリ政権が すでにあった。そこと 応神ホムダワケなる勢力は 融和政策を採って 土着化しようとした。のだと。
 (三輪イリ政権を モノノベ氏関係だと見ても それほど無理はないとは思います)。


 ★ これは、征服した土地の民を支配するためにもなかなかいい方法のように思えます。
 ☆ じっさいには 仁徳オホサザキのときにこの政略結婚は成ったと見ます。つまり仁徳オホサザキを 記事にさからって三輪イリ政権側の人間だったと仮定しています。仁徳オホサザキは 応神ホムダワケの河内ワケ政権の地すなわち河内にまでわざわざ出向いてそこで政務をおこなったのではないかと。人がよい。

 そして確かに応神ホムダワケ勢力は けっきょく全国制覇の大作戦を持っていたのだし すでに百年の計をも立てていた。百年後には 雄略ワカタケルが 暗殺をやらかすわ 奥の手を出すわ――つまり 継体ヲホドだけは越前にやってそこで育てて ヤマトに上り来たるという作戦です――というかたちで ヤマトの支配を確立しようとした。うんぬん。


 ★ 征服した土地の民は天照大神を信仰していたのではないでしょうか。
 ☆ これは 違うと思います。アマテラスないしアマテルなる神を持ち得ていたでしょうが 主神は オホモノヌシ=ヒトコトヌシだと考えられ 伊勢の外宮から行けば トヨウケ(オホ(大)-ケ(食))の神であり それが穀霊にもつながると見られます。

 征服者――親戚づきあいを騙った手による乗っ取り――の神は よく分からない。ただただ 土地の神々のひとつなりを自分たちの神としたのでしょう。あるいはもともと 日の神をいだいていたでしょうか。


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
 九州からやってきて物部王朝に婿入りした男の子孫は、天照大神の子孫として民より崇められる必要があったのかもしれません。
 この場合、本来男神であった天照大神を女神にしてしまえば、天皇家は天照大神の子孫であると堂々と名乗ることができます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ここでは とにもかくにも 土着の人びとの神のひとつであった日の神=アマテラスを 応神ホムダワケ側(いまは 神武イハレヒコの物語として語られている)が自分たちの神とし 国の神ともしたとして考えてみましょう。

 いちどこのアマテラスを祀るのを 三輪山の大神神社から断わられていますね。けっきょく 摂社の檜原神社にもまつることになりましたが それでもけっきょくは伊勢の地にそのところを得たことになります。

 ★ 本来男神であった天照大神を女神にしてしま
 ☆ う必要や 必然性は どこにあるとお考えでしょうか? 女から男に替えたあとは そのもとの姿としての男神であることは いっさいの痕跡を残さないようにしたということでしょうか? 

 それに女神にしてしまえば ウケヒにかんするかぎりオシホミミは スサノヲの子となっていますから 男系を言うならもとの男神であったほうがよいでしょう。女神に替えられたのなら 男系の一系は けっきょくスサノヲの血筋であるとなります。

 けれども タカチホの峰に降り立ったホノニニギは アマテラスの孫としての天孫であった。ことになっています。ここらへんの事態や事情について もっとくわしく説明があればと思いますが いかがでしょう。

お礼日時:2013/12/20 16:46

そうなんですよ その通りです


だから男系天皇にこだわる識者連中にその話してみ?
今までの威勢がうその様に黙るから 笑


彼らは当然
今一般的に知られている皇統譜(天孫がアマテラスで初代が神武っていう)を信じてる奴らなわけだから
まさかアマテラスは無関係です なんて口が裂けても言えないでしょう 笑


だいいち血統は男系だろうと女系だろうと関係ないのです
そもそも人は母親から生まれてくる この時点で立派な女系なのです(戸籍云々はあとづけ)
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
 だいいち血統は男系だろうと女系だろうと関係ないのです
 そもそも人は母親から生まれてくる この時点で立派な女系なのです(戸籍云々はあとづけ)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この一点では 少し違和感をのこしました。

 つまり男系か女系かの議論にはあまり関心がなかったのですが 男系なら男系としての規定をはっきりして欲しいと思ったところ こういう問題にぶつかりました。

 つまり 言われているように Y 染色体の受け継ぎを問題にするのなら そういう血筋としての事実もあるにはあると思われるのです。そして その事実をしっかりと規定しておいて欲しい。こういう質問です。

 


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 彼ら(=男系天皇にこだわる識者連中)は当然
 今一般的に知られている皇統譜(天孫がアマテラスで初代が神武っていう)を信じてる奴らなわけだから
 まさかアマテラスは無関係です なんて口が裂けても言えないでしょう 笑
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ そういうことだと考えます。

 つまり もしタカチホの峰にやって来たホノニニギが《天孫》であるというのなら 血筋のみなもとは とうぜんアマテラスであることになります。つまりは 女系の血筋です。

 ただし もしアマテラスの夫が スサノヲであったなら 血筋の―― Y 染色体の――みなもとは このスサノヲであることになります。(その父イザナキでもよいのですが)。

 
 もう少しみなさんの回答を俟ちたいと思います。

お礼日時:2013/12/20 13:47

何時、天照大神が天皇に即位されたんですか?


天皇制と天照大神は関係ないですよ

世界的に万世一系は国の成立以来で語るのが普通
日本だと大宝律令以降

1000年万世一系と言えるのは
日本の皇室
旧バイエルン王家のヴィッテルスバッハ
旧プロイセン王家のホーエンツォレルン
旧ザクセン王家のヴェッティン
ブルボンも確か男系継続
調べれば他にも幾つかあると思う

世界の元首又は元首相当格の人で男系で1000年以上繋がっているのは日本の皇室だけですけどね
他は廃王なんで
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 持った反応のままにご返答してまいりますが:

 ★ ~~~~~~~~~~~
 何時、天照大神が天皇に即位されたんですか?
 天皇制と天照大神は関係ないですよ
 ~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ということは

 ☆☆(趣旨説明欄) 1. 初代の天皇とされている神武カムヤマトイハレヒコからに限って 男系の血筋を捉えるのでしょうか?
 ☆ この問いについては 然りというお答えなのでしょうか? つまり なおうたがってすみませんが 天皇制の中でのみ万世一系は認識されるということでしょうか?

 すなわち
 ★ 世界的に万世一系は国の成立以来で語るのが普通 / 日本だと大宝律令以降
 ☆ とはおっしゃっていますが 万世一系についてさらに細かく男系か女系かを問題にするときには とうぜん血筋の問題になると思うのです。そして血筋なら 何も天皇のくらいに就くか就かないかは 二の次なのではないでしょうか?

 いわゆる初代天皇の神武イハレヒコなる男子からの男系一系であるという規定なのでしょうか? それ以前の系譜は 何も問わないということなのでしょうか?

 重ねてお尋ねしますが
 ★ 元首又は元首相当格
 ☆ の地位に就かない場合には 血筋は関係ないということなのでしょうか?

 けれども
 ★ 廃王
 ☆ の場合も 《男系継続》に数えられていますよね? でしたら 初代の王の以前の血筋についても 明らかにしてもよいのではないでしょうか? 神話だとしても その資料はのこされているのですし。


 要するに 問うていることは
 
 ○ 神武イハレヒコの遺伝子の Y 染色体は さらにさかのぼってどういう血筋であるか? これを明らかにしてはいけないのですか?

 ○ どうもアマテラスにまでさかのぼるようである。ただし アマテラスは 女である。ならば みなもとは 女系であるという見方が出来る。か?

 ○ それとも スサノヲなる男からの万世一系なのか?

 です。よろしくお願いします。

 

お礼日時:2013/12/20 13:10

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