プロが教えるわが家の防犯対策術!

現在、小学生の子どもを持つ母親です。PTAの会合などで意見を言う人は、ほとんど皆無ということは、gooで調べると、全国共通のものです。私も別に一言言いたがりでもなければ、できれば目立たず過ごせれば良いと思う者です。しかし、うちの小学校では今、何十年間も?懸案であった給食を町に始めてもらうように要請するための会が1年かかってやっと立ち上がりました。給食に関しては、保護者の多くは大変関心があるにも関わらず、会議の場面でほとんど自分の意見をおっしゃる方がいません。あったとしても、「・・・な話をきいたことがある」的な言い方です。私としては給食を始めてほしいと思っていることもあり、その方向で意見を言ってきたつもりです。本日、PTA総会で、会の立ち上げの最終確認の意見交換の場がありましたが、わたしと一人の男性保護者が意見を言ったぐらいです。結果は挙手で会立ち上げとなりました。全保護者数130名、出席者数55名、委任状提出が20名でした。問題は、給食云々ではなく、こんなに関心のある問題でさえ(予備アンケートでは8割近い人の賛成を得ていました。)日本人は人前で意見を言うことができないという現実と、無関心だから、人任せという雰囲気です。狭い範囲でしか生活していない私ですが、その他の地域の方(海外に移住経験のある方も含め)、または広い視野をお持ちの方、いかが思われますか?今、世間を見ていると、こういう無関心と物言わぬ人々への不安と怖さを感じてしまうのは、考えすぎでしょうか?

A 回答 (4件)

大きな会合ですと、最終的な採決のところで賛成しておけばいいや、という雰囲気はありますよね。


無関心もあるのでしょうが、「こんなことを言って笑われないだろうか」というようなためらいも感じるのですが。

意見を言わない人ばかりという状況は残念ですが、「言いにくい」雰囲気というのはないでしょうか。人数を少なくして、ざっくばらんに話しやすい場を設ける。「ご意見はありませんか」というよりも「各家庭でお困りの具体的なことを聞きたい」というように振ってみるとか。意見が出やすいような方向に持っていくの重要かと思います。
(進行の方の力量によりますね。)

今年の子どもが進学し、懸案となるPTA の役員選出の会議がありました。司会の保護者の方がとても楽しい方で、「こういう点は大変だった」「こんな点はとても楽しかった」と例を上げて楽しく説明して下さり、会議の雰囲気が暗くなりませんでした。また、自己紹介を初めにすると「うちはできません」になりますから初めに役員を決めましょう、という手順で進められ「私やりますけど、どなたかご一緒してくださいませんか」という問いかけにあっさりと、立候補があり決まりました。私自身はなりませんでしたが(今年は仕事が忙しいので)、思わず手を上げてしまいそうでした。

話をしやすい進行というが、大切だとしみじみ感じました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のお返事ありがとうございました。正直言って、この会の委員長に推されそうな気配があるのです。委員長の役目をすること自体には抵抗ありませんが、これだけ表だって発言をする人がないと、もしくは意志を表明しないと、(アンケートだったらいろいろ意見はでてますが)、やりにくいだろうなという不安もあります。

お礼日時:2004/04/28 11:11

日本では意見とその発言者の人格が分離されずに受け取られる場合が多いと思います。


多くの人の前で発言することが「あの人がこんなことを言った。」とレッテルばりされるのが怖いのではないでしょうか?それが「・・・な話をきいたことがある」といった保身的な言い方につながっているように思えます。
これは議論の土台となる「場」の文化の問題のように思えます。それ故、自由に議論できる「場」を作り出す努力も重要になるのでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。話し合いの場の雰囲気作りも大事なようですね。

お礼日時:2004/04/28 11:20

日本人が意見を言わないというより、意見を言える人がいないのだと思います。


論理的思考のできる人の割合が少ないのです。
明確な裏付けのある意見なら堂々と言えますが、「なんだかそんな気がする」とか「それでもいいのかも」のようにしか考えられないから「間違ったらどうしよう」と思ってしまうのです。
また論理的思考のできる人は意見をぶつけ合って、自分が間違っているのがわかったときには素直に認めて訂正するので恥ずかしいとは思わないのです。
討論とはそういうものだと思います。
誰かが絶対に正しいというのであれば話し合う必要は無く、「長老に聞いてみよう」ってことになってしまいますから。
現代社会は情報が溢れかえっているので、その中から正しい情報だけを選別できない人は自分の持っている知識に自信が持てません。
最近はいろいろなニュースがその内容について詳しくない記者によって報道されますから、それぞれの情報をまとめると、とんでもないことになる場合もあります。
タイヤが外れたり、回転ドアの事故にしても各メディアでバラバラのことを言っていますね。
今の日本の教育を見ているとこういった傾向はずっと続くというか、もっとひどくなると思います。

※質問文に改行がまったくないので、ちょっと読みづらいですね。

この回答への補足

早速のお返事ありがとうございました。私は質問するときに長文になり、字数注意が入って、投稿できないときもあるので、あえて改行していません。改行していても、結構長文を投稿されている方は、どうしているのでしょうか?

補足日時:2004/04/28 10:58
    • good
    • 3

>日本人は人前で意見を言うことができないという現実と、無関心だから、人任せという雰囲気です。



おっしゃるとおりだと思います。
私も町内会館のエアコン設置工事の業者選定の際、数社から「見積もり」を取るよう進言したところ、見事多数決で否決されました。
ところが、会からの帰り道に「2ktの言うとおりだね」とおっしゃる方が数人いました。
この方たちは、採決にあたり、反対票を投じた人たちでした。
このように、結論が出た後、(影で)反対意見を言ったりする人が非常に多いと思います。
少し、質問の論旨からずれてしまいましたが、反対・賛成意見が激突し、負けると「恥」・「沈黙は金」という意識やサラリーマンの税金のように「源泉徴収された税金の使い途はお上任せ」という風潮から、関心はあるが「無関心」を装っているのではないかとも考えています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のお返事ありがとうございました。この会のネックになるのは、反対者ではなく、無関心な保護者、または、いざと言うときに姿が見えなくなる方々だと感じています。

お礼日時:2004/04/28 11:17

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!