いつも不思議に思うのですが、自ら、の意味は自分自身という意味です。それなのに間違って使われてる事が多いように思います。例えば「みずから、積極的に出かけました。」これは自分から、と言ったつもりでしょうが、からの意味が全く違います。自らからと表現しないといけないと思うのですが、本当の使い方教えて下さい。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (1件)

「みずから」は名詞以外に副詞の意味があります。


名詞の意味は仰るように「自分自身」ですが、副詞になるとそれ単独で「自分自身で」「自分の意志で」という意味になります。
この副詞としての「自ら」の用法は古く、源氏物語にも「みづから聞えさせぬこと」などの例があります。
この「から」は格助詞の意味ではなく、「はらから」等と同じく、「身体」の意味になります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早々のご解答有難うございました。自分の知識のなさを恥じております。これですっきりいたしました。

お礼日時:2001/06/02 18:34

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q「自分で」と「自ら」の違い

 日本語を勉強中の中国人です。「自分で」と「自ら」の違いは何でしょうか。下記の文章で、「自ら」の使い方は自然でしょうか。自然な文章に添削していただけないでしょうか。

「即時に紛失届けを出さないで経済損失または違反行為になる場合、責任は企業自ら負う。」

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

基本的に「自分で」と「自ら」は意味の違いはありません。
ただ、「自分で」と言った場合、ある一人の人が自分で何かをする、という「個人」に限られるのに対し、「自ら」は複数の人間や団体を主語にしても使用できる点が違います。

Q「を通じて」と「を通して」の使い分け

 私は中国人で、日本語を勉強中です。「を通じて」と「を通して」は形的にも意味的にも非常に似ています。皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。疑問に感じるのですが、下記の例文の中の「を通じて」と「を通して」とお互いに交換できるでしょうか。また、これらの例文は中国人の著者が作った例文なので、不自然のところがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

P.S.「を通じて」の「一年を通じて」、「一生を通じて」、「生涯を通じて」のような使い方はさておき。

「を通じて」
1.秘書を通じて社長との面会を乞う。
2.学生会を通じて、学校側に意見を出した。
3.テレビを通じて広告をする。
4.問題があると、民主的論議を通じて解決する。

「を通して」
1.書物を通して世界を知る。
2.両国の文化交流を通して、相互理解を深める。
3.仲人を通して娘の縁談を進める。
4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。

 また、質問文に不自然な箇所がありましたら、併せてご指摘いただけますと幸いです。どうか、よろしくお願い致します。

 私は中国人で、日本語を勉強中です。「を通じて」と「を通して」は形的にも意味的にも非常に似ています。皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。疑問に感じるのですが、下記の例文の中の「を通じて」と「を通して」とお互いに交換できるでしょうか。また、これらの例文は中国人の著者が作った例文なので、不自然のところがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

P.S.「を通じて」の「一年を...続きを読む

Aベストアンサー

他の方(No.4の方)にもお答えいただいて、よかったです。
私の自信のない(誤っているかもしれない)回答で、質問者の方が誤解したまま終わってしまうようなことがあったらいけないですから。

#2でも少し書きましたし、No.4のご回答でも似た指摘がありますが、
>4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。
という文は、(「通して」「通じて」の問題以前に)
意味がわかりにくく、何か読みにくいような、くどいような、自然でない印象を受けます。
(でも、「日本人はこんな文は書かない」と言えるほど不自然な文ではないです。)
なぜそう思うのかはよくわからないのですが、以下の理由があると思います。
・「臨床実践」という言葉を聞き慣れない。医学の世界ではどうか知らないが、普通の日本人が使うような言葉ではない(#4のご回答でも指摘がある。)
・「臨床実践」「治療経験」・・・四字の漢語が二つもあって、重苦しい印象を受ける。更に「積み重ねる」があることによってごてごてした印象を受ける。

私なら、もっと軽い感じに、
「実践的な臨床経験を積み重ねる。」
「臨床経験を積み重ねる。」
「臨床の経験を重ねる。」
「臨床の実践経験を積む。」
などなどでもよさそうに思います。


#4の方もおっしゃっている通り、質問の例文に関しては、#2と#4は、似ているようです。
特に、思うのは、

>4.問題があると、民主的論議を通じて解決する。
→このとおり「つうじて」
>2.両国の文化交流を通して、相互理解を深める。
→「つうじて」
>3.仲人を通して娘の縁談を進める。
→このとおり「とおして」

この三例は、#2と#4で同じですし、自分が改めて考えても、この通りでおさまりがいいと思います。
改めて、いくつか意見を述べておきます。

一つ目は、
「民主的論議」「文化交流」などの長めの漢語があると「をつうじて」で、
「仲人」というような和語だと「をとおして」の傾向があるのではないか、
ということです。
(短めの漢語は、中間。)

二つ目は、
「を通じて」というのが、何か形式的な印象を与える、ということです。
「仲人をつうじて」とはあまり言わないような気がしますが、
もし「仲人をつうじて」と言えば、何か仲人を(人ではなくて)道具のように扱っている感じがします。

三つ目は、
「を通じて」は、二つのものの間に「何かが挟まっている」が、その間に挟まっているものそのもの(秘書、書物、・・・)を重要視せず、二つのものの関係を重要視している。
「をとおして」は、「間に挟まっているもの」を重要視している、ということです。

四つ目は、
「を通じて」という表現は、公式であり外向きであるが、
「をとおして」という表現が、ややくだけた表現だということです。

これらは、「まあそんな気がするかな」程度の意見なので、きちんと詳しく検討する必要があるだろうと思います。

改めて考えても、#2#3も、#4のご回答も、みんな正しいような気がするのです。

#4では
>「通して」という場合,文字通り「それを通り道にして」という意味があるように思います.(q304さんの#3のご意見と矛盾してしまうのですが...あくまで私の個人的印象です.)
とのご指摘がありますが、必ずしも矛盾とまでは言えず、別のご指摘かもしれません。
#3では
>「秘書を通じて」というのは、秘書を、単にそういう地位とか役割のようにとらえていて、
>(秘書を単なる「とおりみち」のようにとらえている。)
>具体的な人を思い浮かべていないんじゃないかな、
>ということです。

「秘書を単なる「とおりみち」のようにとらえている」
というのは、"単なる" に意味の重点があって、
「秘書に重きをおかない」という意味です。


ところで、質問では、
「皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。」
とありますが、
この著者自身、本当に使い分けすべきと考えているのでしょうか。

他の方(No.4の方)にもお答えいただいて、よかったです。
私の自信のない(誤っているかもしれない)回答で、質問者の方が誤解したまま終わってしまうようなことがあったらいけないですから。

#2でも少し書きましたし、No.4のご回答でも似た指摘がありますが、
>4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。
という文は、(「通して」「通じて」の問題以前に)
意味がわかりにくく、何か読みにくいような、くどいような、自然でない印象を受けます。
(でも、「日本人はこんな文は書かない」と言えるほど...続きを読む

Q「理屈」の意味について。よく「お前は理屈っぽい」「お前の理屈は正しい」

「理屈」の意味について。よく「お前は理屈っぽい」「お前の理屈は正しい」「その理屈でいくと、こういうことになるよな」「理屈で物を語るな」・・・とか聞くんですけど、上記の使用例だけで結構ですので、理屈ってわかりやすく説明するとどういう意味なんですか?

辞書で調べると、「物事の筋道」とかなっていましたが、物事の筋道って何??って感じです。

Aベストアンサー

>「その理屈でいくと、こういうことになるよな」
:その理屈:(たとえば「(谷垣代表の)”考え方”」  でいくと民主党の考えは全部悪いということになりますよね。

>「お前の理屈は正しい」

これも上記と同様です。「お前の考え方は正しい」ということですね。

>「お前は理屈っぽい」
理屈っぽい:具体的な事例から離れて、とかく言葉だけで物事を抽象的に考えたり、頭の中だけで思いを展開させたりする傾向が強いことを指します。一般的には批判的ないいかたで、どちらかといえばよくないとされる傾向です。

「おまえは物事を頭の中だけで操作、処理してこねくり回しすぎる。もうすこし現実に沿って簡単に考えられないのか!」というような意味でしょう。この言葉自体は中間的な可もなく不可もないもの(発言者が悪いのか言われたものが悪いのか、これだけでは判断できない)です。

>「理屈で物を語るな」

これも上記と同様でしょう。理屈というのは言葉の世界ですから、物とは相容れないところがあるのは当然です。しかし、物はあくまで物に過ぎません。これをうまく転がし処理するのに言葉は不可欠のツールです。これがわかっていない、頭の固い、言葉を扱うのが不得意なひとが連発する苛立ち、悲鳴のような言葉である場合もよくある事例です。

>「その理屈でいくと、こういうことになるよな」
:その理屈:(たとえば「(谷垣代表の)”考え方”」  でいくと民主党の考えは全部悪いということになりますよね。

>「お前の理屈は正しい」

これも上記と同様です。「お前の考え方は正しい」ということですね。

>「お前は理屈っぽい」
理屈っぽい:具体的な事例から離れて、とかく言葉だけで物事を抽象的に考えたり、頭の中だけで思いを展開させたりする傾向が強いことを指します。一般的には批判的ないいかたで、どちらかといえばよくないとされる傾向です。...続きを読む

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q拘らず・関わらず??

すみません。以前から気になっていたので正しい答えを教えていただけないでしょうか。

「かかわらず」という言葉の漢字変換なのですが,
例えば

 雨が降ったにも「かかわらず」,彼は傘を差さずにやってきた。

というような文の場合,正しいのは「関わらず」「拘らず」どちらでしょうか。

国語辞典で調べてみたのですが,よく分からなくて(+_+)
すみませんがよろしくお願いします。

Aベストアンサー

「物書き」のひとりです。

まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか(わる)」がないことです。常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。音訓表に無いものの代表的なもの(よく使われるもの)として「全(すべ)て」「画(えが)く」「〇〇に依(よ)れば/拠(よ)れば」などが思いつきます。

本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められているのみです。それも「かかわる」でなく「かかる」です。「人命に係(かか)る問題」「係(かか)り結び」など。前者は、「人命にかかわる問題」のように表記されることもありますが、この場合(常用漢字の基準では)「係わる」でなく「かかわる」です。

結論としては、「それにもかかわらず」などにおける「かかわらず」は仮名書きが無難でしょう。漢字の場合は「拘わらず」が正しいといえます。ただし、パソコンでは「関わらず」と変換されることが多いようですネ。

漢字の場合、「関係」という言葉があるように、「関わる」と「係わる」の用法はほとんど区別がつきません。一般的に言えることは、「関わる」「係わる」は肯定的にも否定的(「関わらない」「係わらない」)にも使いますが、「拘わらず」は、肯定的に用いられる例が少ない、ということです。

ただし、肯定的な「拘わる」が誤りだと言っているのではありません。念のため。

「物書き」のひとりです。

まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか(わる)」がないことです。常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。音訓表に無いものの代表的なもの(よく使われるもの)として「全(すべ)て」「画(えが)く」「〇〇に依(よ)れば/拠(よ)れば」などが思いつきます。

本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められてい...続きを読む

Q『いく』、『ゆく』の使い分け

電車に乗っていて、車内の電光掲示板で

<この電車は ○○ゆきです>と出ていました。

この『ゆき』は漢字にすれば『行き』だと思います。

で、素朴な疑問なんですが・・・

『行く』の読み方なのですが、

『いく』と読む場合と、『ゆく』と読む場合の

使い分けってのはどのような例があるのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こういう問題は、やはり国の示す指針に従うのがよいでしょう。
文化庁の『国語施策情報システム』の中に、「国語審議会の記録」として次のような記述があります。
「参考資料」→「各期国語審議会の記録」→「第5期」→「発音のゆれについて報告(3)」→「10」

★ 標準的な形として口頭語的な「イク」を採るとしても,改まってものを言う場合や文章語では,やはり「ユク」を使うこともあるであろう。★

ということですから、社内の電光掲示板は「ゆく」、ホームや車掌の案内は「いく」と使い分けるようですね。

参考URL:http://www.bunka.go.jp/kokugo/

Q運用と運営の違い

ある企画を立ててそれを当日動かす際にどちらを使えばいいのかわかりません。

運用と書いている人もいれば運営と書いている人もいますが
運営だと営利的になってしまうのかなと思います。
運用は、物などに使うのかなと思います。

無償で行う企画を動かす時、適切なのはどちらなのでしょうか?

Aベストアンサー

「運営する」は「やる」ということです。
「運用する」は「用いる」ということです。

企画、行事は「やる」ものですから、「運営」です。
営利的か非営利的かは関係ありません。

なお、「企画書」があって、「企画書を用いて」という意味で、
「企画書を運用して行事を行った」という言い方はできるとは
思います。

Q料、代、費の使い分けについて

料、代、費の使い分けについて
表題どおり、料・代・費はどう使い分けますか。いつも間違えて使っていますが、何かルールでもないんでしょうか。教えてもらえると嬉しいです。

Aベストアンサー

使い分は、慣用によるところが大きく、明確なルールがあるとは言えません。
大まかには次の使い方でいいと思います。


「代だい」
   何かと交換に支払う(または、受けとる)お金を表わす。商品(経済的に価値のあるもの)に対して支払う金額であることが多い。
   電話代、バス代、ガソリン代、部屋代、電気代、ガス代、お茶代、バイト代

「料りょう」
   何かの利益(サービスなど)を受けた(または、与えた)ことに対して支払う(または、受けとる)お金を表わす。あらかじめ決まった一定の値段である場合が多い。
   使用料、レンタル料、入場料、紹介料、授業料、送料、サービス料、延滞料

「費ひ」
  (自分または相手が)何かをするために必要なお金を表わす。支払わなければならない(または、用意しておかなければならない)お金という意味合いがある。
   医療費、教育費、交通費、学費、会費、生活費、食費、交際費

「賃ちん」
  労働や借りものに対して支払うお金を表わす。
    家賃、電車賃、手間賃、運賃、船賃 借賃

会社での使い分けはこれまでの慣用に従うしかありません。
  電話代でも電話料でもどちらがあっているということはありません
  今まで電話代であればこれからも電話代でいいと思います。

使い分は、慣用によるところが大きく、明確なルールがあるとは言えません。
大まかには次の使い方でいいと思います。


「代だい」
   何かと交換に支払う(または、受けとる)お金を表わす。商品(経済的に価値のあるもの)に対して支払う金額であることが多い。
   電話代、バス代、ガソリン代、部屋代、電気代、ガス代、お茶代、バイト代

「料りょう」
   何かの利益(サービスなど)を受けた(または、与えた)ことに対して支払う(または、受けとる)お金を表わす。あらかじめ決まった一定の値段で...続きを読む


人気Q&Aランキング