プロが教えるわが家の防犯対策術!

不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています。

ふと思ったので質問します。あまり詳しく調べたりしてないので、間違っているところ等あったら指摘してください。

世の中には沢山宗教があってその中でも様々な宗派にわかれてますよね。イスラム教も過激派とそうでない人たちがいて、キリスト教も基本的なところは同じでも宗派が別れています。
このように最初は皆同じところ(キリスト教でいうとイエスキリスト)から始まったはずなのに最終的にはバラバラになりました。これは人によって物の捉え方が違ったり言葉の解釈の仕方の違ったり、あるいは自分の中の理想の中の神(自分の正義感)が人によって違うからだと思うんです。
そうなると、人間はみなそれぞれの人生の中で培った考え方感じ方等があるわけですから、神を信じる人数分だけ神が存在すると考えてもおかしくはないのではないでしょうか?人は同じ神を信仰しているように見せかけて自分のなかの理想の神を信仰しているようにしか私にはみえません。

頭に浮かんだものをそのまま言葉にしただけで下手な文になりましたがいろんな人の考えがききたいです。

A 回答 (19件中1~10件)

何で、人間は神様を作ったのかわかりますか?大人になればわかります。

この回答への補足

誰かに頼ってすがりたいからですか?

補足日時:2014/02/26 21:07
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多くの人をある意味騙す神を作り出した人と、


その作り出された神を信じる人がいます。
作り出しても、多くの人々を魅了するに足らない神もいます。

誰かが作ったこのような神を信じるだけの人は、
自分の考え方や感じ方がどうであれ、新しい神を作ったりはしませんよね。

神を作った人は、神が存在しない事を知っている人。
誰かが作った神を信じる人は、その神の存在を信じている人。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
多くの人を魅了する神をつくった人間は多くの人のの正義感や道徳心に共鳴させることのできる人物だったのでしょうか。
そもそも神という概念は誰が考えたものなのでしょうか。さらに興味が湧きました。ありがとうございました。

お礼日時:2014/02/28 05:05

あなたの考えは決して間違っているとは思いませんが、


かなり日本人的というか、宗教が生活に根付いていない文化圏で成長なさった方のご意見だな、とも思います。

人にはそれぞれの正義がありますが、
じゃああなたのその正義は本当に揺るぎない絶対的正義なのか、
果たして何をもって正義とするか、という問題が残ります。

個人でこの問題に答えるのはなかなか大変なことです。
そしてこの問題に答えてくれているのが宗教です。

正義感が先で、そこから生まれた神が後なのか、
神が作った正義の概念が先で、それに沿った行動こそ正義なのか、
どっちなんでしょうね、ということですね。

日本はどちらかというと前者の方が強いと感じます。
でも、日本以外では、後者の方が多いと思うんです。

神と正義と、どちら先であってもおかしくないです。
しかし多数派は先に神の作った正義ありき、だと私は感じています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
これを機に興味が湧いたのでもう少し勉強してみたいとおもいます!

お礼日時:2014/02/26 21:49

一人ではありません。

 八百万います。

白人は、百獣の王ライオンみたいに、スーパーな物に憧れがあるようです。

生物学が進んで、弱肉強食ではなく、棲み分け、が正しいとなりました。
事実、多様な種族が、食べ物や地域を棲み分けています。

神もそうです、それぞれの得意分野があるべきでしょう。
畏怖する者やありがたい者を、それぞれ神すべきです。
北部九州には、鮭神社があるんですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
得意分野ですか。私も神はスーパーなものだと思っていました。

お礼日時:2014/02/28 05:10

目が見えない人ばかりのがありました。



ある人がそのに象を連れてきました。

目が見えないの人は、象を手で触って
確かめようとしました。

ある人はしっぽを触り、これは蛇のようなものだと
言いました。

ある人は耳を触り、これはヒラメみたいなものだと
言いました。

ある人は胴体を触り、これは壁みたいなものだと
言いました。

人間は総て不完全な存在です。
だから、人によって神も違って見えるだけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
本当は一人のはずなのに人間の盲目のせいで複数に分かれてみえるだけ、ということですね。

お礼日時:2014/02/28 05:12

結局はそうゆうことだと思います。

1人につき1神様だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
1人につき1神様なのに世の中がこうも不平等では笑えますね。神様ちゃんと働いてください。

お礼日時:2014/02/28 05:14

うん


一人

偶像神は多数である
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/02/28 05:17

No.7さんと同じ考えです。



例えばあなたは一人の母親と父親から生まれました。これは全世界共通…普通はね。

ここで例えば三つ子がいたとしましょう。
この三つ子の両親は勿論同じ母親と父親。

でも幼い時にこの三つ子がある事情でそれぞれ別の人に育てられて、自分が三つ子の一人であること、それぞれ別々の人に育てられていることを知らなかったら、自分の本当の親がこの人だと思って生きてきた人にとって、親はこの「別人」でしょう。

三つ子のAの親は甲さん夫婦、Bの親は乙さん夫婦、Cの親は丙さん夫婦。

でも実際は甲さんも乙さんも丙さんも実の親ではない。
甲さん乙さん丙さんが事実を隠していたり、他の誰かが真実を暴露しない限り、バラバラに育った三つ子にとっては、自分の親は甲であり乙であり丙なんです。

でも真実は、そうではない。

神の捉え方もそういうものだと思います。
実際には神はおひとり。

でもそれぞれの人が自分が「神」だと信じるものを「神」だと思っている。
だからそれぞれの神を「それぞれの人々が」崇拝しているのでしょう。
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この回答へのお礼

わかりやすい回答ありがとうございます。
だとしたらそれってすごく滑稽ですよね。
神を信じてきたのに実際に一人いるかもしれない存在すらあやふやな神がもし自分の信じる神とは異なる教えだったとしたら馬鹿みたいですよね。神を信じる人々にとっては、本当の神とか何が一番ただしいと何が真実だとかもうどうでもいいんですかね。
自分さえ信じていればそれでいいんですかね。

お礼日時:2014/02/28 05:36

 こんにちは。



 神は この世のナゾです。
 人間にとっては 知り得たというのは無理なナゾです。

 ナゾの全体として 神は ひとつです。

 

 ところで このように《じんるい全体にとって ただひとつの同じ神しかいない》という見方は むろん 人びとそれぞれの《考え ないし 理性》による神の捉え方とは 違っています。つまり
 ★ 最初は皆同じところ(キリスト教でいうとイエスキリスト)から始まったはずなのに最終的にはバラバラになりました。
 ☆ とおっしゃるように ふたつの側面(ないし次元)があるということではないでしょうか?
 《信じる》と《考える》とのふたつの次元です。



 ナゾとしての神は これを人は《考える》のではなく《そのまま名を受け容れるというかたちで 信じる》ことしか出来ません。ですから じつは たぶん一つであろうとか いや 二つ・三つあるいはまたそれ以上あるのだとかいった思考にはなじみません。中身も数も 分かり得ません。つまり ただひとつです。ひとつという数を出すのが おかしいとすれば ナゾはナゾのまま どこまでもとどまるという意味です。(このナゾが 二つや三つに分かれて行くということではないという意味です)。



 ところが このただひとつのナゾである神について じつは――人間の自由意志は自由にはたらくようで―― ひとはいろいろと想像し考えることをおこないます。その結果
 ★ 人間はみなそれぞれの人生の中で培った考え方感じ方等があるわけですから、神を信じる人数分だけ神が存在すると考えてもおかしくはないのではないでしょうか?
 ☆ となります。ここで ひとつ表現を厳密にするならば 《個々の人によってそれぞれバラバラになった神》については――すでに個人のそれぞれ自由な認識を経ているからには―― もう《信じる》とは言わないし 言えないということです。


 つまり それぞれの人によってバラバラの神々は 決して《信じる》ところのただひとつのナゾたる神ではなくなっている。ということです。言ってみれば それぞれが《ナゾ》について勝手に考えた内容としての神なのです。自由なのですが 
 ★ 理想の神
 ☆ でもあるのでしょうから自由なのですが しかし人間の思考としては矢張り限界があるのですから そのおのれの理想の神が 唯一の神であってほかに神はいないと言い出すなら それは 独り善がりというものです。自分の考えであるに過ぎないのですから。

 つまり この想像の・思考の・理想のわが神を《信じる》と言うのは マチガイです。想像し思考しそのように認識しているワタシの神であると言わなければなりません。《信じる》と言ったとしても それは つよく思い込んでいるというのが せいぜいのところです。


 そういう問題なのではないでしょうか。

 すでに寄せられた回答と重複するところがありますが こういった説明の仕方もあるとして あえて投稿いたします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
<信じる>というのは神という名前を受け入れるだけであって、神の言葉だとか教えだとかがはいると<考える>ということになるのですね。
宗教って空っぽのダンボール箱に人間の正義感とか理想とかガラクタばかりつめこんで勝手に拝んでるだけの物ですね。

お礼日時:2014/02/28 05:56

何をもって神とするかのか?


神は人間が創り出した、創造物でしかありませんので、
どんな神様を信じるかや、考え方によって、
一人しかいないのか、複数になるのかなのだと思います。

宗教的な神を信じる人にとっては、神は一人だと思われます。

ただ、宗教的な神は、その宗教ごとに存在するので、
宗教神を客観的に見ると、神は一人ではないという事になります。
(宗教神の数=神の数)


個人的には、神は日本でいう神様と思っています。
これは、宗教的な神とは考え方が違う神です。
例えば、稲荷神,龍神,天照大御神,月読命神,建速須佐之男命神等々、
八百万いるとされる自然神です。
なので、わたしにとって神様は一人ではなく複数です。
わたしと同じように考える方にとっても、神は複数です。

そして、古くからある宗教的な神は、大概が、死んだ人なので、
神というより、死人、仏教で言う所の、仏さんです。
例えとして、キリストは、死んだ人なので、
わたしからしたら、神ではなく、ただの死人という考え方であり、
神とは認められません。

ということで、
神は一人と考えるか、複数と考えるかは、
個人差があるという事になります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
自然神でしたら私も無意識のうちに信じてたかもしれません。神社系の神様ってことですよね?
神は死んだ。ニーチェみたいですね。

お礼日時:2014/02/28 06:02

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