A 回答 (9件)
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No.9
- 回答日時:
テーマパークのアトラクションをあらかた見終わって、閉園時間になって門をでる。
また来ようねといって振り返ると、そこにパークの門もない。一緒にいたはずの恋人の姿もない。出ると決めたのはおそらく自分自身。これが私の「死のイメージ」。他人の死はいつも突然です。しかし自分の死は突然では困ると皆思っています。
事故で死ぬ時も本人は「死ぬ」という瞬間的自覚はあるのでしょう。
それでは日本の中世において行われた、捨身行の形態である補陀落渡海のようないつ訪れるかわからぬ死ぬを待つ行為のようなゆっくりした自殺以外、やはり「もういいかな」と思った頃に突然やってくるのかもしれません。
それでは、幼くして事故や病気で命をなくした子供も「もういいよ」と思って命の門を出ていったのでしょうか。
身内にそういう存在がいる私は、いつでも彼から「兄ちゃん、もっと人のために役立つ生き方したほうがいいよ。僕の分の命もあげたんだからさ。」
と言われている気がします。そういう意味で私の死はまだまだ遠いです。
この回答への補足
そろそろ締め切らせて頂きます。
恐らく、人間に取って最も重い出来事が「死」であると思いますが
さすがに深みのあるご回答をいくつも頂けました。
皆様ご回答ありがとうございました。
「補陀落渡海」なんていう凄まじい行があったんですね。
確かに「死」にギリギリまで近づかないと「悟り」は得られないかも知れませんね。
以前、「死んだ者が帰って来ない以上、生きている者は何を解れば良いか」という言葉を聞いた事がありますが
全くその通りだと思います。
但し、私にも人様のお役に立ちたいという気持ちはあるにはあるのですが
なにせ、本当にやりたい事は超マニアックなことばかりですので
なかなかそうは行きません。
しかし、以前、「純粋数学」を研究している学者が
「何故、役に立たない事を研究するのですか」と問われ
「人類の名誉の為だ」と答えたのを聞いて痺れた事があります。
そこで私も、自分の好きな事をとことんやり抜く一市民がいる事も
社会に取って、ひょっとして良い事ではないのかと勝手に自分を慰めてます。
ではまた(笑)
No.8
- 回答日時:
ヨハネの六章まで読みすすまれましたか!
私が十五章を思いついたのは、美しい偶然でした。
気づいておられるかもしれませんが、ヨハネ伝は、マタイ・マルコ・ルカ(それぞれ対象になる読者層が違うといわれる)伝とは様相が違って、90%の記述が、ヨハネ伝独特であるといわれています。(わかりにくい日本語で申し訳ありません。)
最後の福音書は、”彼は言葉であり、天地創造のときから神と共にいた”で始まり、イエスその人も、”私は。。。。である”と、自分のアイデンティティを積極的に語り、それと共に苦しんでいる人々のための数多くの奇跡を行います。ヨハネ伝を読むと、私は、水戸黄門の最後の十分間を思い出して、おかしくなります。”この方を、どなたと心得る?!?!”という、有名なあれですね。
そこで、イエスは、”私と共にあれば生を選ぶことになり、決別は死を意味する”と何度も繰り返します。彼の言葉を愛し、祈り、感謝を捧げていれば、まぁ、そのうちお会いできることもあるだろう。。。というささやかな希望を持って、日々生きています。確信なんていう、立派なものでは、まだまだ、ありません。その確信こそが、信仰の核心なのでしょう。
私のほうは、生活してゆく上で、醜いもの・余分なものをどんどんとそぎ落としてゆく課程ですが、Alterdさんは、そのあたり、もう、しっかり済んでおられるように思います。
アァ、うっかり、どうして再回答したか、忘れるところでした。
パウロは、ガラテア人への手紙五章22-23で、”the fruit of the Spirit is love, joy, peace, forbearance, kindness, goodness, faithfulness, 23 gentleness and self-control”であると要約しています。ここは、日曜学校に来る子供たちが、必ず暗記させられる箇所で、私も暗記しました。以下、日本語訳です。
22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。
パウロの挙げた、人間として生きるうえで、有用な性質は、自分の生活を省みる指針になっているので、それをお知らせしたくて、こうして書き込んでいます。The Fruit of the Spiritに満ちた生活は、本来的であり、後悔の少ない生き方であると思うのです。
死とは、生の対極にあるもの、なのです。
アルタードさんには、”釈迦に説法“かも知れません。
そうそう、お教えいただいた”枯葉”は、フォックス・トロットの練習に、毎日使わせていただいております。それもお知らせしたかったのでした。
こんな素晴らしいご回答を頂いて言い様の無い感銘を覚えております。
>私が十五章を思いついたのは、美しい偶然でした。
正しくそうですね。
実は私も以前お話した、バードウォッチングをした日に辞書を引いて経験した
暗合を思い出していました。
ヨハネやマタイ・マルコ・ルカ等の書いたものが
それぞれ対象になる読者層が違うといわれることも興味深いです。
私も、どこがどうとは言えませんが何となく感触が違うとは思っていました。
特に、今までで印象的だったのはヨハネ等の福音とは全く違う話ですが
以前、Ciaopolpoさんが仰っていた「ルツ記」や「ヨブ記」です。
ガラテア人への手紙もありがとうございます。
唯一意味が分からなった「forbearance=寛容」が
私に最も足らない部分であることもまた暗合であるかと思います。
他の全ての要素をひっくるめて、あらゆる宗教の美しい核心であるかと思います。
そして、それらをしっかり実践出来れば、仰る通り「後悔の少ない人生」を送れると確信します。
但し、「理不尽」や「ずるさ」「傲慢」等に対して激しい怒りを覚える私に
「寛容」であることは至難ではあります。
それはそうと、「枯葉」を使って頂いて嬉しいです。
Ciaopolpoさんが、あれに合わせてダンスの練習をなさっている所を想像すると
心が温かくなります。
私も最近テレビで村治佳織さんが「亜麻色の髪の乙女」を演奏しているのを聴いて
感銘を受けましたので、早速、譜面をダウンロードしました。
クラシックを吹くことはほとんどありませんが
いつかフルートで上手く吹ければと思っています。
ではまた(笑)
No.7
- 回答日時:
>悪く言ってしまえば「死の恐怖」から逃れる為に別の解釈を求めるということでしょうか
その通りです。
しかし受け入れ方は人それぞれでいい筈です。
それに誰一人として未だ死んでいないのですから、生きている人間だけで会話しても意見は統一出来る訳もないでしょう。
なるほど。
「死」は当然生者の誰も経験していませんね。
そして、突き詰めて考えれば、生きている間の全ての経験も
人によって解釈は違う訳ですから決して普遍的な意見の統一には至らないとも言えるかも知れませんね。
再度のご回答ありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
人間は、誰にでも公平にやってくる、死に立ち向かうため、知恵を蓄えてゆくのでしょう。
聖書のヨハネによる福音、第15章には、有名なぶどうの蔓のたとえ話があります。
http://web1.kcn.jp/tombo/v2/JOHN15.html
1.わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
2.わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。
3.あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。
4.わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
5.わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
6.人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。
英語版で見ますと、15-2の、”手入れをしてきれいになさる”というのは、剪定するという風になっております。たくさんの実を結ぶために、いらない枝を切り払う。。。それは、神様が私たちを選んで、神様が剪定なさると理解されます。イエス・キリストに繋がっていれば、”実を結ぶ”。。。豊かな生につながり、つながっていなければ、投げ捨てられ、焚き火にされてしまう。。。これが、”死”にあたります。
肉体の生死とは別のところに、魂の生死が存在する、と、説いています。
同じヨハネの黙示録では、魂がイエス・キリスト(あるいは神)につながっている人々が、肉体の死後、”新しい地球”で再生され、永遠に豊かな生を与えられることが預言されています。
死は、神=イエス・キリストから永遠に切り離されることである、と、理解しています。
丁度、今、ヨハネの福音の第6章を読んでいるところでした。
神=イエス・キリストとつながっている人間に「死」が訪れることは無いということですね。
「来世」や「魂」の存在を確信することは出来ませんが
生きている間の「生の質」が決定的に重要なのだとは強く思います。
ご回答ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
お別れ。
確かに。
アインシュタインは
「死とはモーツァルトを聴けなくなることだ」と答えたそうですが
私は
「嫁さんと会えなくなることだ」と答えます(笑)
ご回答ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
死というものは本当にあるんだろうか、そういうことを昔からずっと考えてきました。
私たちはたいてい自分はいずれ死ぬと思っています。
私は他人の死も肉親の死もたくさん見てきたから、いずれ自分もあのように死ぬのだろうな、とは思います。
そうして私は他人の死と自分の死を同一視してきました。
他人が死ぬのだから、自分もいつかは死ぬのだ、と。
しかし、それは本当なのだろうか?
私たちは他人が死ぬのは見たりできるけど、自分が死ぬのは見たり、体験できません。
そして私は自分が生まれたシーンを自分で見たこともなく、私という意識が生まれたのは生まれてからだいぶ後、たぶん物心がついた小学校高学年の頃だったと思います。
他人の死は生物としての死だけど、私の死は何よりも意識の死です。
そして意識は基本的に私にしかなく、他人はその私の意識の「投影」でしかなく、私の分身でしかありません。
だから、私の意識が消滅すれば、他人も同時に消滅するはずです。
そして意識には原理的に言って終わりというものはなく、だとすれば私には死という終わりは意識しえないのだと思います。
私は生きている限りはどこまで行っても生きているんだし、もし私が死んだとしても私が死んだのを振り返って確かめようとしても肝心の私がもういませんから、私が死んだのをみずから確かめることはできません。
他人の死だったら、ここまでが生で、ここから先は死だという明確な境界線があるけど、私の死に関して言えば、私は自分がいつ死んだか確かめられないから、明確な境界線なんかありません。
死というのは私にとって、生の事実ではありません。
そして死が見たり、体験できないとしたら、私にとって死というのは存在しないのではないか、そう思うようになりました。
道元は「正法眼蔵」で、「生は生で一つの位なり、死は死で一つの位なり、生が死になるに非ず、薪が燃えて灰になるに非ず、薪はそれで一つの位、灰はそれで一つの位」と言っています。
つまり生が死に移行するのではないということ。
生は生で完結しており、死は死で完結している。
互いに独立だから、生が死に移りゆくのではない、ということだと思います。
作家の太宰治は、人が何か食べないと死ぬというのはただの脅しだと思っていた、と言っていますが、それと同じで、人は死ぬのだというのも、ただの脅しではないのか、と私は思っています。
人間や他の生物はみんな死にますが、一つだけ例外があり、それは私です。
なるほど。
「死を経験した人は未だ誰一人居ない」ですね。
ヴィトゲンシュタインの「独我論」にも通じる重要な視点だと思います。
また、確かに「生」と「死」ではその質が決定的に違うようにも思います。
ご回答ありがとうございました。
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