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無限に関しては、可能無限と実無限の二つの立場がありますし、数に関しても、実在するという人としないという人がいますが、次元に関してはこのような対立を聞いたことがありません。
次元に関しても、同じように、立場の対立があるのでしょうか(すなわち、0・1・2次元は思考上の道具に過ぎず、実在はしないとする立場はあるのでしょうか)。
あるのだとしたら、本を紹介していただけると嬉しいです。
なお、4次元以上についてはここでは不問とさせていただきます。
ちなみに、カテゴリーに関しては、こちらの方が回答が付きやすいと思ったので、数学カテではなく、哲学カテにさせていただきました。

A 回答 (11件中1~10件)

人間の知識にはおのずと限界がありましてですね~、


わたしに過剰の期待を寄せられても困るのですよ。

とはいえ、

信原幸弘『考える脳・考えない脳―心と知識の哲学』 (講談社現代新書、2000年 ISBN 4061495259)

あたりは、なにげに、おもしろそうな本そうですね。
───読んでいないから、こうとしか言えない───

Wikipediaの、心の哲学、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE% …


数学の哲学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AD%A6% …

あたりの記事───フィクショナリズムという項目があった。こんな考えがあるのか、はじめて知った───を読み、
そして、
その末尾にある参考書あたりを眺め、
これはよさげだという本を見てみてはいかがでしょうか。

英文を読むのが苦にならないようでしたら、
Stanford Encycropedia of Philosophyの
Fictionalim in the Philosophhy of Mathematics
http://plato.stanford.edu/entries/fictionalism-m …
を読んでみてはいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうネムネコ。
本とwebページ読んでみるね。

お礼日時:2014/04/27 20:31

三次元までは数式で物質や空間の位置や距離を示すことが出来ます。


では四次元は次元の構築要素になるのかというと別物らしいです。
時間は光も含む物質の運動量や寿命を示せても、物質の位置幅を示せないからです。

時間は存在するというけれども「限定の局部の時間」や「静止した時間量」
というような物質的側面からの客観視が出来ず「普遍の全一同時性を持つ」としかいえない。

時間は所有の対象にならず、誰もが持つのが、誰のものにもならない。
アランが「精神と情熱に関する八十一章」の中で言うには時間は
「連続秩序的な距離経験の一形式」で時間は空間に対立せず?不干渉か?

物理はよくわかりませんが、人間は無能なので、経験しないと知れない。
なのでとりあえずは今ありもしない未来を想い、予定をたてたり目標をかかげます。
経験の形式なくしては空間は暗闇のことく渡ることもままならない。

現実には闇夜の原生林でも自らが盲目でも空間を渡る能力は備わっておるはずで可能であって
数学科の生徒に自力で問題を説く公式を発見するまでやらせて
世紀の大天才が現れるのを待たなくても、
既に大天才の先輩が発見した公式を教えれば苦労知らずな凡人でも
教科書を開けば解き方が載ってて
それでも分からなければ先生に尋ねれば教えてくれる。
問題の解決が容易く時間の節約になってる。
手段は多様化し時間が収斂して密度をあげたことになりますね。

次元上昇とは共通理解の調節が整い、脅威が減り、
誠実な知識人が増えることなのではないでしょうか。
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認知工学より、脳科学の本がいいな。


脳科学の本を読んで、勉強をなさってください。

哲学ならば、
「心の哲学」に関する著作。
そして、これはかなり難しい。
数学、(記号)論理学、コンピューター科学などの広範かつ高度な知識を必要とします。

真理追求のために、頑張れ!!

この回答への補足

タイトルを教えてよネムネコ。
漠然と脳科学の本って言われても困るよネムネコ。
俺が今知りたいと思ってるのは、ハートリー・フィールドのフィクショナリズム。
ネムネコ知ってる?
なんか俺の考えに近そうで、すごく面白そうなんだよね。
でも日本語の書籍はないみたいなんだよね。

補足日時:2014/04/27 15:39
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だから~、


《恣意的なもの》だよと言っているじゃない。

で、哲学的に言えば、
この問題は、人間の認識論の問題になるんですよ。
われわれは、空間をどのように認識しているかの問題になる。

素朴実在論的な観点からすると、
空間は存在し、われわれは、その空間や空間内にある何かから投げ入れられたものを受け取り、認識は存在するとなる。
対して、唯心論的な考え方からすると、
空間をはじめ、空間内に存在するものすらない。これらはすべて心が作ったものとなる。
そして、
ある人は、空間にたいする認識形式は、先天的に人間に備わっている、といったりもしている。

でですね、
もし、先天的に空間に対する人間の認識の形式が先天的に与えられている───脳という計算機にそのようにプログラムされている。そして、それが3次元的なものである───としたら、
外にある空間が何次元であろうが、
われわれは空間を3次元として認識するのよ。
そういうふに作られているのだから。
ひょっとしたら、慣れの問題なのかもしれないけれど、
人間(の脳)は、1~3次元まではイメージできるけれど、
4次元はできない。
それをしようとすると、パニックを起こす、混乱する!!

そして、
この問題は、心理学や認知工学、大脳生理学へとつながっていくのであった。

ということで、
認知工学の本を読んでみてはいかがですか。

この回答への補足

>だから~、
《恣意的なもの》だよと言っているじゃない。

それは数学の話。
哲学じゃない。
何度も言わせるなネムネコ。

で、ようやく、質問に答える形にはなってきたけどまだダメ。
俺の質問は二つ。
立場の対立は存在するのか。
存在するなら本を紹介してほしい。

補足日時:2014/04/27 15:36
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こんばんは



>数理哲学ですか
よく分からないので 他の人に訊ねてくださいねっと

実無限は(n+1)次元

可能無限は 人間の認識は(現在は4次元~11次元)の中と定義して なお且つ 人間の身体は動的平衡状態であるとして
(n+1)次元は分割した次元の集合であるとすると

(n+1)次元=(1/2)+(1/2)の場合もあれば
(n+1)次元=(1/3)+(1/3)+(1/3)の場合もあるし 
(n+1)次元=(1/2)+(1/3)+(1/6)の場合もある
(n+1)次元=(1/2)+(1/3)+(1/4)+省略・・・無数にある

もちろん 分割した次元は(現在は4次元~11次元)に納まる

☆可能無限における(n+1)次元の世界は 異次元の集合によってなることもある
と考えてみました 面白いですね

>すなわち、0・1・2次元は思考上の道具に過ぎず、実在はしないとする立場はあるのでしょうか
1,2次元は在りそうだけど 0次元は虚数があれば在るのかもしれませんね(トンネル効果)
よく分からないから これも詳しい人に訊ねてくださいねっと
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ちんぷんかんぷんです。

お礼日時:2014/04/27 15:31

いまは哲学カテにいるけれど、わたしは、もともとは、数学カテの住人なんだわ。


つまり、
「次元(の定義)なんて、まったく、《恣意的》なものさ。だから、何だっての。オレたちはオレたちで好きなようにやるから、放っといてくれ!!」
と開き直る派なんだわ。
そして、
「数学は自由だ!!」という、カントールの有名な言葉を声高に叫ぶ!!


~~~~~~
das Wesen der Mathematik liegt gerade in ihrer Freiheit.

数学の本質はまさにその自由さにある。

http://star.ap.teacup.com/hoshimaru/91.html
~~~~~~

何度読んでもいい言葉だ(笑い)。

この回答への補足

ネムネコはどうして哲学カテに質問したか全然理解してないね。

補足日時:2014/04/26 20:38
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#2の者です。


つまり、1次元(光速)=絶対無を、「超光速=過去=時間軸」と
「光速下=未来=空間軸」に相補分化させ、その仮想的延長として、
つまり0.5次元の直交基底において、絶対無の無限不確定性を
相補的不確定化=不確定性原理に基づく有限性を可能にしている。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ちんぷんかんぷんです。

お礼日時:2014/04/26 10:02

こんばんは 私の考えですが



可能無限に対応する次元は 話の内容
(貴方の考えは薄っぺらいから~為になるまで)=内観

実無限に対する次元は 五感で認識できる方向から得られる空間
(空間をどれだけ深く認識できたか)=外観

どちらも次元は無限にあると思います
低次元、高次元と云うし 
これらから 定常宇宙や多元宇宙や並行宇宙も考えられると思います
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
うーん、なに言ってるか分かりません。
質問は幾何学における「次元」についてです。
数学または数理哲学の世界で意見の対立があるのか、また、あるとしたらその内容に触れた本を紹介していただけると嬉しいです。

お礼日時:2014/04/26 10:01

よわったな~。



たとえば、
数学では
「ベクトル部分空間Vの中にn個の一次独立のベクトルが存在し、n+1個以上の一次独立のベクトルが存在しないとき、n次元である」
であるといったふうに定義するんですよ。
数学的にはこれで十分。


☆すなわち、0・1・2次元は思考上の道具に過ぎず、実在はしないとする立場はあるのでしょうか。
◇数学にとっては、そんなことはどうでもいいですよ。
定義や公理でそれが与えられたら、それはあるものとして、理論を展開する。
同時に、これを認めるのが嫌なら、認めないで、新しい理論を作ればいい。
質問者さんの質問は、そもそも、数学的な質問ではないんですよ。

数学とは、そういう学問なんです。
「虚構の世界で遊んでいるのさ。
だから、オイラたちのことは放っといてくれ!!」
と開き直る(ポリポリ)。

この回答への補足

そう、これは数学的な質問じゃなくて哲学的な質問。
だから哲学カテで質問してんじゃん。
もーちゃんとしてよNemurinekoNya。
数学カテで質問しなかったのは、こういう回答がたくさん来ると思ったからだよ。

補足日時:2014/04/25 22:08
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次元どころか、全ての存在が想像上のものに過ぎない。


そうした“遠くの存在”は、感受表面での量子相互作用
パターンに対する想像の産物だ。
五感の相関した経験の蓄積において、新たな先行感覚
(光や音など情報性の高い)に対し、より即物的・生理的
な感受のニューロン回路を活性化する=そこに到った
場合の影響の予測=空間的広がりを感受するのだ。

つまり、我々が実際に感受しているのは量子相互作用
=1次元なのだ。
ゆえに、そこに発生する存在性も、原理的に量子性
(超弦)に還元される。
量子ゆらぎにおいて、正エネルギーは量子波動として、
負エネルギーは重力場として、量子ブラックホール周辺
での量子定常波を可能にする。

こうした回転は、さらに上位現象の単位として回転する
事で、ドーナツ型を成す。
巨視的には1次元の円に見えるものが、微視的には
ドーナツ=2次元として1次元を潜在させる。
超弦(量子定常波)が回転してクォークを成し、クォーク
が回転して素粒子を、さらに回転して原子を、分子を、
細胞を、個体(認識体)を、という現象的階層性のくり返し
ごとに1次元を潜在化させていると言える。
また、根源的に量子ブラックホールに基づいている以上、
我々も希薄なブラックホールであると言えるのだ。

そうした量子性は、無=不確定性無限の潜在としての
認識可能性の変移の時系列化において、その感受表面
(量子相互作用=光速=現在)からの、過去(記憶=超光速)
と未来(予測=光速下)の相補分化を起源としている。
光速下から超光速への連続的な変化を、超光速での
エネルギーの虚数化が時間軸逆行と等価である事から、
「過去と未来」に分化させ、「過去=記憶=時間の流れ」、
「未来=予測=空間の広がり」として、仮想的延長(時空)
において直交基底をなし、絶対確定により無限不確定
化するものの相補分化を可能にする。
即ち、不確定性原理にいう「位置(S)と運動量(St)、時点
(T)と質量(Ts)」の2対の一方を確定化しようとすると、
もう一方が無限不確定に発散する=いい加減に捉える
(経験的に現象表面的に捉える)事で有限な存在性が
可能になるのだ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
何言ってるか全然分からないです。

お礼日時:2014/04/25 20:53

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