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観光のレポートで、お伊勢参りについて調べています。
新宮参拝者数のグラフを見てみると、昭和39年頃から内宮と外宮で、それまでほぼ同数だった参拝者数に大きく差が出てきています。
ここまで大きく差が出始めたきっかけがな何だったのか知りたいです。

A 回答 (3件)

言い忘れたんですけど、統計を出した伊勢市観光課もそのくらいの分析はしているでしょうから、直接電話して聞いてみるのが一番確実だと思います。



http://www.city.ise.mie.jp/secure/12124/24kankot …

観光企画課 http://www.city.ise.mie.jp/2085.htm
観光協会  http://www.ise-kanko.jp
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車じゃないでしょうかね。


神宮参拝者数の推移をみるとたしかにS39あたりで差がついていますが、それ以前をみると外宮のほうが参拝者が多い。外宮は、すぐ近くに近鉄の駅も国鉄の駅もあったのに対して、内宮は最寄りの駅(近鉄)から結構離れています。昔は鉄道でくる参拝者が多かったからこういう結果になったのだろうと思いますが、そうするとこの傾向が変わって内宮の参拝者が増えたのも交通の便の変化とみるのが自然です。昔はわかりませんが、今は内宮の近くのほうが駐車場のキャパシティが外宮よりもはるかにおおきいので、S39当時も似たような状況だったのかもしれません。私も子供のころ、伊勢市駅まで一本で行ける駅の近くに住んでいましたが、車で行った記憶しかありません。昭和40年代半ばの話です。
あとは、テレビの普及で赤福のCMを見る機会が増えた結果、内宮参拝がてら赤福本店へという流れができてしまったというのも考えられます。
車と赤福の普及が最大の理由かどうかはわかりませんが、どちらも昭和40年前後の話で、内宮参拝者が外宮参拝者を上回る原因の一端にはなっているでしょう。
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 抜粋



高度経済成長の時代を過ぎた1970年代後半には伊勢神宮の参拝客が500万人であるのに対し[8]、おはらい町を訪れた観光客は20万人にまで落ち込んでいた[9]。観光客は伊勢おはらい町通りに平行する国道23号を利用してバスや自動車で宇治橋前まで乗り付け[8]、参拝を終えるとおはらい町へ立ち寄らずに次なる目的地の鳥羽・奥志摩方面へ行く者が増加した[10] 。近代化の波を受けて「伊勢らしい建物」をなくしたおはらい町は、観光客の魅力を失っていた


 https://www.google.co.jp/search?client=opera&q=おはらい町&sourceid=opera&ie=UTF-8&oe=UTF-8


 
 そのごおかげ横丁ができた
 http://ja.wikipedia.org/wiki/おかげ横丁


 この2つのせいですは
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