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このサイト内で
ニーチェ(の思想)は「怠けものの言い訳」と言うような意見を拝読しました。

それでどんな人、考えなんだとうと思って検索した限りではそういう解釈にならなかったのです。
例えば
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=80484
この説明から私が受けた印象は、「宗教とかに走って現実逃避して本質から逃げた」考えを批判しているように読み取ってしまいました。
つまり、安易なスピリチュアル風潮などはよくないて的な。

私の解釈では「怠けものの言い訳」的な類の人は、すぐにスピリチュアルに走るような人なのですが、ここがおかしいのでしょうか?

ニーチェとは、どんな考え方の人なのでしょうか?
wikiは読みましたが、この疑問が解消されるような説明はなかったように思いましたので投稿させて頂きました。
宜しくお願い致します。

A 回答 (5件)

こんにちは。


 私はニーチェという人は「そもそもは当時の形骸化していた既存の常識に対して素直な意見を言ったつもりが、権威の側に反発されて売り言葉に買い言葉みたいになってしまい、思いもしなかった流れに飲み込まれてしまった人」のような印象を受けました。そのために向けられたいろいろな批判の矛先の一つが「怠け者の言い訳」ということかもしれません。そもそもは「既存の枠組みの形骸化を打破する超人が歴史の要所要所で自然発生的に登場して過去の最先端を越えることが永遠に繰り返される」ということを素直に言いたかっただけなのではないでしょうか。
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はじめまして。

自他共にみとめる怠け者、plapotaと申します。
このサイトおよびネット検索で「怠けものの言い訳」といふニーチェの評価をさがしてみました。でも見あたりませんでした。私はXPサポート終了にともなふパソコンの買ひかへの際に、ネット接続をしたばかりで、ネット社会の情報にくはしくありません。仕方がないので、怠け者の意見を書くことにします。

怠け者は、ニーチェの思想からあまり影響を受けません。アンティテーゼとして対峙するわけでもありません。ただ、その表現方法に魅力を感じます。したがつて、このQ&Aサイトでも、ニーチェの自己表現を賞賛しますが、思想について述べたことはありません。ニーチェは評価が極端にわかれる人です。しかし、世間では人気があります。カントやヘーゲルの本はほとんど売れませんが、ニーチェの著作や解説書、名言集は一般書店でも山積みです。その理由のひとつは、やはりこの自己表現だとおもひます。

怠け者は、ニーチェのことが気になつたら、ネットで調べたり、ひとにたづねたりするのは、めんどくさい、と感じます。めんどくさいものは、めんどくさい、どうしようもありません、怠け者の習性です。だから、すぐに本屋に直行します。そして、読みたいと思つたニーチェの本を好きなだけ買ひあさります。そして読みたいときに読みます。読めなかつた本は、来客があつたときに見せびらかして自慢します。無駄にはなりません。読んだあとで、もつと知りたいこと、疑問に感じることがあります。そのときになつてはじめて、人とおしやべりしたいと思ふやうになります。

怠け者が、ニーチェの本を最初に読むとすれば、『この人を見よ』だと思ひます。これを読めば、ニーチェの思想や表現方法がわかるだけでなく、他の著作への興味もわいてきます。

怠け者は、ニーチェよりも、思想の根底にある『聖書』のほうに関心があります。怠け者は遠回りが嫌ひです。近道をして楽をします。だからはじめにキリスト教の本を読んだりしません。まづ、徹底的に『聖書』を読みます。

怠け者は、『聖書』を読むときも、横着です。最初から最後まで順に読み通すことはしません。エステル記やルツ記のやうなヒロインが登場する話から読んで、まづ自分自身が『聖書』になじむことから始めます。


なほ、「怠けものの言い訳」といふ表現には矛盾があるとおもひます。勤勉な人が怠けてゐると、言ひ訳をしなければなりませんが、怠け者は、本質的に怠けてゐるのであつて、恥ぢるものがない。言ひ訳の必要がありません。正直に叫んでゐればいいのです。私は、怠け者だ!
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 こんにちは。




 簡潔にのべますが:

 たとえばヘーゲルの見る《神》は 次のように表現されるときの《無限》です。

 ▲ (ヘーゲル:有限と無限) ~~~~~~~~~~~
 無限なものと 有限なものとの一体性・・・この矛盾・・・は どんな自然的なものも自分のなかにこれを持ってはいない ないしはこれを 我慢できないであろうが この矛盾を持ちこたえることができるのが 人格(* もしくは《おのれの時空間》)の高さである。
 (『法の哲学』§35 追加 講義録)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 すなわち このような《二で割っても三で割っても 商はやはり無限である》ような説明内容で想定されるところの神はそれが 《死ぬとか死なない》とかと人間が言って規定したところで 神は痛くも痒くもありません。

 また無限であるからには 観念ではありません。うつろいゆかざるを得ない人間の精神でもありません。



 そして人間は この無限なる神とおのれの存在としての有限とのあいだで その矛盾を持ちつつ持ちこたえつつ 思考をおしすすめ人びと互いの共生のより良いあり方を模索して行きます。

 《観念の神が死んだ》と言おうが《超人あるいは大河あるいは大自然》をうったえようが 神には何の関係もありません。そのかぎりで 人間にも無関係です。

 まして《永劫回帰》は 狂った頭の中からしか出て来ないしろものです。無意味の極地であり 論外の外です。

 怠け者の言い訳というよりも くるくるパーのたわごとだと考えます。

この回答への補足

なんか哲学に詳しそうな割には

神は死んだ
ってそんな意味で言ってないですよね

少なくとも
例で言ってくれた神の考え方を前提にたてばニーチェはくるくるパーかもしれませんが、前提が正解といつ決まったんですか?

なにより、簡潔でない

補足日時:2014/06/28 19:02
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「怠けものの言い訳」的な類の人は、すぐにスピリチュアルに走るような人なのですが、


ここがおかしいむのでしょうか?
その通りでは、 ニヒリズム、はスピリチュアルとは反対と言える考え方、と言うより、感じ方、なのです。
誰が、怠け者の言い訳、などと言ったか?が質問なら、答えは簡単、調べるまでもない、でしょうが。
ニ-チェの考え方、となると?彼には、考え方、がない。と思っていました。
中学時代に、論語を読んでいましたが。中学時時代以上に勉強などはしなかった、大学時代に、ニ-チェのツアラトウぅストラを読みながら、箴言的、と言われるように、言っている答えは合っている。しかし自分の考えではない。東洋の形而上学、他人や先人の言葉を集めた。「論語」に似ている。当時の西洋人が知らない知識、を元に(西洋の風土で育った者なら発狂しそうな思想を築いている。)
ニ-チェは、イタリヤだったか、東洋思想の保管所、のような所に就職し、東洋思想を独学した時期と・娼婦宿にいり浸り、梅毒をもらった、過去があったようです。東洋思想に感化された、形而上学的、形而上学批判を書きながら、晩年飲む書には、狂気、が目立つものになります。愛は憎悪である、を繰り返しながら。
釈迦や老子がそう考えている、とは言えない。脳梅にならずとも、発狂の方向にあったのかも知れません。

執着=心 を捨て、心の逆数、常でない心、=知恵、を求めるのが、哲学であり。
この知恵の反対が心である。ということを理解出来ない。心しかないのが、西洋思想であり、
ユダヤ思想なのです。その知恵のなさ故に、数学という記号言語が開発され、分野ごとに、学術語、が発達した。発声言語では、知恵を表現することは出来ない。西洋思想は、2500年前の東洋哲学のレベルには現代なお達していないのです。古代ギリシャ哲学が、古代インド哲学の流入によるものである事は、その内容と、西洋哲学での突出度をみれば明らかなのです。

10年近く前になるのか。インド人らしき、国連の学術員が「地球は人間の活動によって温暖化している。手遅れになりかねない状況にある。知恵が、とりわけ東洋の知恵、が求められる。(西洋思想では対応出来ない)西洋思想や科学思想の未来予想は当たったためしがない故に、地球はまだ無事なのかどうか。
それでも1日に200種類ぐらいの種が絶滅を続けている。人類による種の絶滅期が進行中であると報じていました。
ニ-チェの考え方、については、検索や、又聞き、などの解釈を聞くより、まずは、ツアラトゥストラはこのように語った。を読んで見ることです。翻訳西洋思想の書では、内容が東洋的故か、極めて判りやすいはずです。ツァラトウストラ、はペルシャのゾロアスタ-教の教祖の名のようですが、その名を隠れ蓑に、誰かの思想を自分の言葉で伝えようとしたようです。
40近くなって、1人泊まった。ホテルでに、キリスト教の聖書と、仏教経典、というのがおいてありましたが。仏教経典を読み始めたとき、なにっ、釈迦という男は、私と同じ、根源認識、をもっていたのです。読み明かした。後、思った事のひとつは、
なんだ、ニ-チェは、釈迦の猿、だったのか。でした。
そしてまた、若い頃読んだ、哲学入門、(ヤスパ-スだったと思いますが。)に、哲学書の紹介があり。
その最後に、東洋には質、量、ともに、注目するような書はない。と書いてあり。若い頃、その言葉

を真に受けていたのです。話しが逆なではないか。と思いました。環境や核処理にはもう少し知恵を見せなければ。日本人が後世の批判の対象に成りかねないのでは。
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ニイチェは哲学の専門用語は使わないし、文学的だから、哲学の初心者、あるいは若者がすぐ飛びつくけど、ニイチェを本当の理解するのは至難です。


ニイチェは古代ギリシャのプラトンから始まる「形而上学」と哲学・神学の歴史に終止符を打った偉大な哲学者だけど、たいていの人は「ニヒリズム」だとか「超人」だとか「永遠回帰」だとか「神は死んだ」とか、そういうセンセーショナルな言葉を発した、またキリスト教を攻撃した、ちょっと変わった哲学者としてしか私たちは考えていません。
プラトンは真の世界は最高で、もっとも普遍的な「イデア」にあり、私たちが現実と考えている世界は本当の世界ではなく、ニセモノの世界、単なる仮象だと言いました。
真の世界はこの感性的な世界ではなく、感性を越えた超・感性的な世界にあり、永遠の「イデア」の世界にある、それに比べたらこの地上の世界はニセモノの世界、幻想でしかない、ということ。
この感性的な世界はニセモノで、真の世界は超・感性的な世界にあるという考えを古来「形而上学」と言いました。
哲学は古代ギリシャに始まると言われますが、プラトンの思想は抽象的なものと現実的なものの関係をひっくり返し、概念の方が、現実よりも真実を伝えるものであり、現実はかえって抽象的なもの、仮象だと言ったことになります。
このように哲学の始まりが私たちの日常感覚とはかけ離れていたことはひじょうに不幸なことでした。
ところが西欧の中世は「イデア」を「神」に言い換え、その神が人間や自然を創造したと言い、人間は神の被造物だと言いました。
言い換えれば、真の実在は神にあり、人間は神に比べたら、真実の実在ではない、単なる神の創ったニセモノに過ぎない、だから人間は神に膝まずき、神の「恩寵」に期待しなければならない、と教えました。
西欧のこのような神学の教えはプラトンの「イデア論」の継承でした。
だから西欧の哲学の歴史は「形而上学」の歴史であり、神学の歴史です。
キリスト教は聖書の教えで、人生の意味は聖書と神の言葉にあり、それを崇拝することで、真実が得られる、また本当の人生の意味が得られると言って、人々に教え、諭しました。
言い換えるとキリスト教は人生の真実を「隠ぺい」し、それをキリスト教の教えに代えたことを意味します。
ニイチェに言わせれば、キリスト教は「ニヒリズム」の宗教です。
なぜならばキリスト教は、もともと人生に何の意味もないのに、それがあたかも意味があるかのように「隠ぺい」して来たからです。
そしてキリスト教は弱者を称揚し、強者には「ルサンチマン」と言う憎悪を抱き、世界から強者を追放しようとしました。
ニイチェに言わせればキリスト教は人間をダメにした。
キリスト教の道徳は弱者の道徳、奴隷の道徳だ。
だから、こんなキリスト教は地上から抹殺しなければならない。
新しい時代の価値は「力への意志」でなければならない。
これまでの最高価値、つまり神は打倒して「最高価値の価値転換」をしなければならない。
「神は死んだ」のだから、もはや私たちの頭の上に君臨しているものは何も無くなった。
超・感性的な世界が本当の世界なのではなく、この私たちが住んでいる地上の.感性的な世界こそ本当の世界なのだ。
このようにしてニイチエはプラトン以来の超・感性的な世界の方が本物の世界で、感性的な世界はニセモノに過ぎないと言う思想をひっくり返し、概念と現実の関係を元に戻しました。
私たちはもう、自分の人生を考えるときに神だとか仏だとか、そのような超・感性的な世界の存在者から自分の人生を考えたりはしません。.自分の人生は自分で自己選択して作り上げる、それが当たり前です。
そのような考えを作ったのがニイチェなのです。
人はしばしば人生の意味は何か? と問います。
ニイチエは人生の意味は何か? と問うと従来の哲学と宗教に絡め取られるから、そのような問いはしてはならないと言います。
と言うのも人生に何の意味もないのは自明だからです。
人生の意味は自分で作って行くしかない。
人生そのもの、あるいは世界には意味というものはない。
世界は無意味に存在している。
人生に意味なんかなくてもいいじゃないか、その無意味が「永遠に回帰」してもいいじゃないか?
「力への意志」は目標を持たない。
力の増大と強化だけを求める。
ニイチェはむしろ積極的に「ニヒリズム」を希求します。
これまでのキリスト教の「ニヒリズム」が消極的な「ニヒリズム」だとしたら、ニイチェの唱える「ニヒリズム」は「ニヒリズム」を肯定する積極的な「ニヒリズム」。

これまでの哲学と神学の考えを根本的にひっくり返した哲学者はニイチェを除いて誰もいませんでした。
その意味ではニイチェという哲学者は西欧の歴史の中で、特筆されるべき偉大な哲学者なのです。
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