gooポイントが当たる質問投稿キャンペーン>>

キリスト教は、キリストの死後イスラエルの地からヨーロッパ全土に広がって行ったということですが、ヨーロッパの元からあったその土地の宗教との対立はあったのでしょうか?

例えば、キリスト教が広がる前は、イギリスにはイギリスのその土地の宗教、フランスにはフランスのその土地の宗教があったと思うのですが、その土地の支配者や国民はどのようにしてキリスト教を受け入れたのでしょうか?

すみませんが、お教えくださいますよう、お願いいたします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (4件)

無論、大きな対立を生みました。



キリスト教が成立した頃の1世紀ごろ、地中海世界はローマ帝国が支配していたのですが、ローマは多神教を崇拝していました。
この多神教というのが、帝国に次々と併合された地域や民族の神々が取り込まれた宗教でした。その土地を支配下に組み込んで、ローマ的な都市を造り、ローマ的な自由を与え、ローマでの秩序を教え(「郷に入っては郷に従え(When in Rome, do as the Romans do)」ってやつです)、あまつさえその土地の神をローマの神々の中に加えてしまいます。
ローマの属州統治の常套手段ですね。

そんななので、当然ローマの宗教を否定する一神教はかなり差別的な扱いを受けます。
キリスト教徒迫害で有名なのは同時代のネロ帝じゃないでしょうか。
1世紀に起きた「ローマ大火」という大火災のあとでネロはローマ市の復興計画を立てるのですが、「ローマを自分の好みの街に作り替えるために自分で火を放ったんじゃないの?」という疑惑を持たれたネロは、すべてのキリスト教徒をローマ大火の犯人に仕立て上げます。
この時の罪状は「全ローマ市民に対する大罪」。というわけで世紀の大迫害が行われました。

その当時のローマの国民はおおむねキリスト教に否定的でした。それまでの帝国の伝統や、ある種の宗教的な寛容性を否定しているからです。また、皇帝は死後に神格化されて神々に名を連ねることになるので、それを否定するキリスト教は政治的にも異端視されました。
ただ、ネロ帝はキリスト教徒の処刑をショーとしていろいろと酷いことをやったので、その時ばかりはキリスト教徒でない人たちも同情的になったようです。
かのタキトゥスも「キリスト教徒には同情するけど、身から出た錆と言ってしまえばねぇ・・・」的なことを言っています。
日本でも秀吉がこの手の迫害をしたことで有名ですね。

現在聖人とされている人物の中には、迫害で命を落としたとされる人物がかなり含まれています。
そういうのを殉教というのですが、信教を守ることはキリスト教では美徳とされました。それほどに、様々な時代、様々な地域で迫害を受けたということです。

さてさて、そんな歴代皇帝の迫害に見舞われながらもキリスト教は信者を増やし、コンスタンティヌス帝が署名したミラノ勅令でキリスト教徒の信教の自由が保証され、4世紀、テオドシウス帝の時代にローマ帝国の国教になります。この時代には古代ローマ教が廃れてしまって、ガタガタになっていたローマ帝国をまとめるためには代わって台頭してきたキリスト教を国教に据えるのが得策だったようです。

非ローマ帝国領(例えばドイツ、北欧、ウェールズ、スコットランド、アイルランド)には、もちろん土着宗教がありましたが(北欧神話とかケルト神話ですね)、キリスト教が自然伝播していき、土着宗教は消滅していきました。ローマ帝国末期から中世半ばにかけてほとんどがキリスト教に改宗しました。
どうもこの辺りから「非キリスト教徒=非人類」みたいな発想があったみたい。

かくして地中海世界の大半はキリスト教になりました。後に教会は分裂して西欧はローマ・カトリック、東ローマ帝国(ギリシアやトルコ)やロシアを初めとする東欧は東方正教になります。


中世になるとさらにカトリックが東へ伝播していきます。
「異教徒だ!ぶっ殺してやる!」みたいなのが十字軍を起こす大義名分として通用してしまう時代ですので、カトリック教国は割とそういうのを利用して異教徒の土地に攻め込みました。
そういうわけで非キリスト教国も改宗を余儀なくされました。ボヘミア(現在のチェコ)やポーランド、ハンガリー、ほかにもたくさんありますが、そういう政治上の理由で改宗します。


「異教徒だ!ぶっ殺してやる!」で有名なのは東方植民のドイツ騎士団。「剣による改宗」というやつ。
ドイツ以東のキリスト教徒でない人々を改宗させるためにドイツ騎士団がドイツの東へ赴きました。実際にやったことは事実上の虐殺で、その土地によそからキリスト教徒が移り住むことによるその土地の「改宗」でした。
十字軍遠征やレコンキスタの最中にも似たようなことは多く起こりました。


そんな「異教徒だ!ぶっ殺してやる!」が常識のカトリック世界にも宗教に寛容な国もなくはないわけで。
前述のポーランド王国、後のポーランド・リトアニア共和国はカトリック教国でありながら宗教に寛容でした。
カトリック教徒がいれば正教もおり、キリスト教徒ですらない人たちも普通におり、さらにはヨーロッパ中から追い出されたキリスト教徒に忌み嫌われるユダヤ人を受け入れたり、イスラム教徒がいたり、宗教革命が起きるとプロテスタントを受け入れたり・・・
そんなのが共存する自由な国が例外的に存在したのですが、長い歴史の中で彼らの多くもカトリックへ改宗しました。

中世や近世の博識な人の中には「異教徒だ!ぶっ殺してやる!」に疑問を抱く人もいまして。
現在のドイツにあった神聖ローマ帝国にフリードリヒ2世という皇帝がいまして、ローマ・カトリックの教皇と対立して、破門されて、挙句にイスラム教徒からエルサレムを奪還しなさい、と言われて渋々遠征に向かいます。第六回十字軍、いわゆる「破門十字軍」というやつ。
フリードリヒは、ところがイスラム教徒の総大将と文通を始めます。文通を続けるうちにお互いに「別に戦う必要はないんじゃない?」という結論に達し、エルサレムは一時的に宿敵同士だったキリスト教徒とイスラム教徒が一緒に巡礼することが許される中立都市になりました。当時としては前代未聞のありえない解決法でした。
このためフリードリヒは「世界の驚異」だとか「玉座の上の最初の近代人」とか言われます。
中にはこういう、盲信にとらわれない聡明な人物もいました。全員が全員「異教徒だ!ぶっ殺してやる!」という野蛮人ではなかったということ。


キリスト教の伝播によってなくなってしまった宗教の神様でも、今でも人気のあるものってかなりありますよね。別に宗教として崇拝されているわけではないけれども。
ブリギットやゲルマニアのような女神、よく漫画やゲームのモチーフになってるギリシア神話や北欧神話。
存外、地域ごとにキリスト教以前の名残のようなものが民間伝承レベルで残っています。戦争が起きると自国を擬人化した女神のイラストが売れる、なんてことも100年前ならよくありました。
多かれ少なかれ、キリスト教の伝播は土着宗教や文化との対立を起こしましたが、その地域の文化的・民族的アイデンティティを完全に失わせたわけではなく、キリスト教文化と土着の文化が融合することによって、その地域の文化が形成されています。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

ローマはその土地の神をローマの神々の中に加えていったのですね。
それがローマの統治の常套手段なのですね。

ネロのローマの大火は聞いたことがありますが、キリスト教徒がその大火の犯人に仕立て上げられたのですね。

非ローマ帝国領には土着の宗教があったのですね。でも中世までには、ほとんどがキリスト教に改宗してしまったのですね。

ドイツ騎士団の「剣による改宗」って、なんか怖いです。十字軍というのは本当は残虐だったのでしょうか。
だけど、フリードリッヒ2世のように狂信的でない人もいたのですね。

キリスト教の伝播は土着の宗教や文化との対立を起こしたけれど、その地域の文化的・民族的アイデンティティを完全に失わせたわけではなくてキリスト教と土着の文化が融合して、その地域の文化が形成されていったのですね。

いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2014/07/09 11:43

なぜキリスト教が受け入れられたのか、という点で絶対に見逃せないのが、


「パンとワイン」です。

キリスト教においてパンはキリストの肉体であり、ワインはキリストの血でありました。
これは単に教義の問題でなく、
キリスト教が最も重視したことは、「食糧と飲料を貧しい人に分け与える」と言うことだからです。

キリスト教の宣教師は神の教えを伝える存在というだけでなく、
パンの作り方と、ワインの作り方を教える教師だったのです。
ご存知かもしれませんが、ヨーロッパの水は基本的にそのままでは飲めません。
ですので、ワインが「安全な飲み物」でした。

人間は思想だけでは生きていけません。
その土地の宗教がどんなに素晴らしいものであったとしても、
今日の食糧、明日の飲み水に不足しては生きていけないのです。

キリスト教はこのパンとワインの伝導によって勢力を増やしました。
いくら政治家や王がキリスト教を嫌っても、食べ物の作り方を教えてくれる人の方が民衆には大切なのです。

キリスト教の伝導地域を見ると、古代文明が栄えた土地にはあまり浸透していないことがわかります。
これはつまり、古代文明が発生した地域は水と食糧が豊富だからです。
宣教師がパンとワインの作り方を携えてきても、必要とされなかったわけですね。
ですからこのような豊かな土地では、キリスト教を一部分では受け入れても絶大な支持は得られていないわけです。
日本もそうですね。

もともとキリスト教の前身のユダヤ教は、砂漠を放浪する民から生まれました。
ゆえに、食料と水の大切さを身をもって知っていたわけですね。
そして彼ら同様に、飢えと渇きの問題を抱える地域の住民に暖かく迎え入れられました。

ちなみにイスラム教はより砂漠に特化した宗教ですので、中東以外にはあまり広まっていません。
イスラム教の教義である「酒は飲むな」「豚は食べるな」は、
「砂漠で酒を飲むと脱水症状が起こるからだめ」「砂漠では薪が貴重だからちゃんと焼かないと食べられない豚肉はダメ」ということです。

映画なんかで「村の神父さん」が敬われているのは、パンの作り方や農業全般についての知識を教えてくれた人だからなのです。
衣食足りて礼節を知る、と言いますが、まさにキリスト教は食を重視した宗教であったわけです。

人間は食事なしに生きていけません。
 ・昔から信じられているけど、水も食料も与えてくれない神様
 ・新しく入ってきたけど、飲み水と食べ物を与えてくれる神様
この条件ならば、キリスト教に改宗したいと思う人が増えるのは当然なのですね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

キリスト教では、パンはキリストの肉体、ワインはキリストの血なのですね。

宣教師はキリストの教えを伝えるだけでなく、パンとワインの作り方を教える教師だったのですね。

古代文明の栄た地、エジプトとかメソポタミアとかはイスラム教であってキリスト教では、確かにないです。
イスラム教は砂漠の思想なのでしょうか。酒を飲むな、豚肉を食べるなというのは、脱水症状がおこるからだめ、薪が貴重だからだめという理由があったのですね。

新しく入ってきたけど飲み水と食べ物を与えてくれる神様であるキリスト教に、人々が改宗して行ったのですね。

いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2014/07/09 14:26

煉獄と言う言葉をご存知でしょうか?



これはゲルマン民族やケルト人をキリスト教に改宗させるために作られた言葉です。

宣教師が、苦労して現地人の信頼を得てキリスト教に回数させることができた場合でも、
彼らの次のような質問に苦労しました。

「私たちは洗礼を受ければ天国へ行けて幸福になれる。しかし我々の先祖は天国へ行けるのだろうか?」

「洗礼を受けなければ、天国へ行けません!地獄で苦しんでいるでしょう」と答えると、
「先祖が自国で苦しんでいるのに、自分だけが天国へ行くことはできない。私は天国であろうと地獄であろうと先祖代々のところへ行く」と言って宣教師は追放されました。

このような報告が多数、ローマに寄せられ、
今までの布教方法で活動を続ければ、親は地獄で苦しんでも自分だけ助かりたい親不幸な奴しか洗礼を受けなくなると危惧したローマ方法は、

煉獄と言う世界観を作ったのです。

子孫が改宗したら、煉獄にいる先祖も天国へ行けるという
地獄が刑務所なら、煉獄は執行猶予判決のような考え方です。

その他 ハロウィーンは、古代ケルト人(ドルイド教)のサウィン祭という宗教行事が起源とされ、本来はキリスト教とは全く関係の無い行事でした。日本のお盆と同じように、先祖の霊が戻ってきたり、妖怪や霊が悪戯をする大晦日の日でした。
この日だけは、悪霊を人形等に乗り移らせて追い出すことができるため、仮装行列をしたりしていました。

異教のお祭りを、キリスト教会が取り入れ、ハロウィーンの日、その翌日・11月1日 の万聖節(キリスト教の全聖人の記念日)、更にその翌日・11月2日の万霊節(亡くなった全てのキリスト教徒の記念日で死者の日とも云います)の3日間 は、天国の聖者や煉獄の霊や死者を悼む日とされて、様々な行事が行われるようになりました。

本来、多神教で輪廻転生、祖先崇拝を尊ぶ日本人に近い文化を持つケルト人も、キリスト教のもつ柔軟なマーケティング戦略に載せられ、気がついた頃には改宗させられていたと考えられます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

煉獄という言葉、知りませんでした。

ネットで調べたら、「キリスト教、カトリック教会の教義で、天国には行けないが、地獄に墜ちるほどでもなかった死者が清めを受ける場所のことである」と書いてありました。
地獄が刑務所なら、執行猶予判決のようなものなのですね。そして、子孫が改宗したら先祖は天国いけるという教えなのですね。
ハロウィンは、もともとはケルト人のキリスト教とは全く関係ない行事だったことを、初めて知りました。
ハロウィンは日本のお盆と同じように先祖の霊が戻ってくる日だったのですね。
ケルト人は多神教で輪廻転生、祖先崇拝を尊ぶ日本人に近い文化を持っていたのですね。なんかとてもケルト人のことを知りたくなってきました。
いろいろ知らないことを、お教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2014/07/07 20:49

 キリスト教最大の壁はローマ帝国です。

キリスト教はイエスによりローマ支配下のユダヤから生まれたわけですが、まず故国でのユダヤ教との対立があり、それを乗り越えてローマ帝国内で布教を続けました。

 ローマ帝国には古代ギリシアの影響を強く受けた多神教の国教があったわけですが、当然、それとの対立が生まれます。何度も禁教、迫害を受けつつも勢いは衰えず、対立抗争時代のコンスタンティヌス帝が十字架と「汝、勝て」という言葉を幻視し、従来のローマ国教の勝利の女神を奉じる敵軍を破るということがあり、ついにキリスト教が国教となるに至りました。

 こうなると、ローマ帝国の版図内にキリスト教は急速かつ強固に広まります。イギリスにも古くからの宗教はあり、ケルト人がドルイド教を奉じていたことは確かですが、キリスト教で政教一致したローマに征服されると、改宗するような強制が起こりましたし、さらにドルイド教の神木を切り倒すなどしたため、次第にキリスト教に改宗が進みました。

 当時のローマは文化的、文明的に周囲を圧して先進的であったため、周囲の後進地域は征服されてしまうとローマ風に変わるのは自然な流れでした。軍事的な征服といったことがなくても、異なる文化圏、文明圏が接触すると、進んでいるほうに同化されることは、よくあります。

 キリスト教が急速にヨーロッパ全域に(さらには一時的ながら北アフリカにも)広まったのは、そこにローマ帝国の広大な版図があったから、ローマの文化・文明が進んでいたから、さらにその国教とされたからということがあったのです。

 西ローマ帝国の滅亡後も、侵入してきた異民族は、西ローマの故地にある先進文化・文明に同化されていきます。その頃になると、政教一致の恩恵を受けていたキリスト教会は高度な政治的手腕を持っており(そういう面で高度な教育を受け、経験を積んだ人が多数いた)、新たな王も文化、文明、政治に優れたキリスト教に服さざるを得なかった、あるいは、服したほうが何かと都合がよかったのです。

P.S.

 それでも、一部の習俗は残ります。例えばクリスマスはキリスト教の祭典の日(イエス降誕の日)だとされていますが、実は当時のヨーロッパに古くからあった冬至の日の祝い、つまり他宗の祝日であったものをキリスト教のものとして意味づけたものです。他宗とはいえ、なじんでいる習慣を無暗に排することはなかったわけですね。そうしたバランス感覚もなかなか興味深いものがあります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

キリスト教の最大の大きな壁はローマ帝国だったのですね。

ローマ帝国には国教があって、その国教は古代ギリシャの影響を受けた多神教だったのですね。
それでキリスト教は何度も禁教や迫害を受けたのですが、ローマ帝国の国教がキリスト教になったのですね。

キリスト教で政教一致したローマ帝国に征服されると次第にキリスト教への改宗が進んでいったのですね。
軍事的な征服ということがなくても、異なる文化圏・文明圏が接触すると、進んでいる方に同化されることはよくあることなのですね。その当時のローマが周囲よりもはるかに文化的・文明的に先進的だったのですね。

キリスト教会が政治的な手腕を持っていたのですね。

クリスマスが当時のヨーロッパに古くからあった冬至の日の祝いということを初めて知りました。
イエスの降誕の日と思っていました。

いろいろお教えいただきまして助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2014/07/07 20:34

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qヨーロッパでキリスト教がひろがった理由は?

キリスト教は、最初はユダヤ人の一部の人たちが信仰する宗教であり、異端であるとされて迫害されていたようです。
それがいつのまにかヨーロッパ中にひろがったのはどういう理由によるのでしょうか?
統治者が国教として採用したと想うのですが、どういうメリットがあったのでしょう。

またユダヤ人のイエスを神とあがめながら、ユダヤ人を迫害するといった矛盾があります。
ヨーロッパ人にとってユダヤ人とはどういった存在でしょうか?
無理やりイエスとユダヤ人とを切り離しているような気がしてなりません。

またユダヤ人にとってキリストは異端にすぎないのでしょうか?
それともある程度の尊敬をあつめる存在なのでしょうか。

また今後もキリスト教は信仰されつづけるでしょうか?

Aベストアンサー

キリスト教は、社会で疎外されている人々、例えば売春婦やらい病患者に手を差し伸べた宗教です。当時、犯罪や病のため地域社会から追われれば、野垂れ死ぬか、同様の境遇にある被差別民の社会で生きるしかありませんでした。キリスト教は、神の前での平等という観念から、そのような被差別民に(元の村へ)帰りなさい、と言ってくれたのです。
また、キリスト教は、当時のユダヤ教、特に神殿に依拠する特権階級であったサドカイ派を厳しく批判し、庶民の心を少しずつ捉えていきました。

しかし、キリスト教がユダヤ教の亜流であり続けたとしたら、これほど広く教線を延ばすことはできなかったでしょう。キリスト教は、ギリシャの殖民都市であるアレクサンドリアに伝わることによりギリシャ哲学の影響を受けて変質しました。特に、ユダヤ教式の厳しい戒律が緩められた(割礼の省略など)ことが布教に弾みをつけたと考えられます。

ローマ帝国がキリスト教を公認したように、君主が教線の拡大に一役買っているのは明らかですが、キリスト教自体の魅力として、不平等が当然の社会にあって神の前での平等という破天荒な理想を掲げ、被差別民さえ救済してくれる宗教、しかもとっつき難い戒律も少ない、ということで多くの信者を獲得することができたのでしょう。

キリスト教は、社会で疎外されている人々、例えば売春婦やらい病患者に手を差し伸べた宗教です。当時、犯罪や病のため地域社会から追われれば、野垂れ死ぬか、同様の境遇にある被差別民の社会で生きるしかありませんでした。キリスト教は、神の前での平等という観念から、そのような被差別民に(元の村へ)帰りなさい、と言ってくれたのです。
また、キリスト教は、当時のユダヤ教、特に神殿に依拠する特権階級であったサドカイ派を厳しく批判し、庶民の心を少しずつ捉えていきました。

しかし、キリスト教が...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Qローマ帝国が崩壊した理由。

ローマ帝国が崩壊した政治・経済・宗教上の理由ってなんですか??

教えて下さい。。。

Aベストアンサー

まず言っておきたいのは、領土(図体)が大きくなりすぎた事を念頭に入れておいて下さい。

政治的には領土が広すぎた為に軍司令官や属州総督を派遣するといったシステムが多かった様です。と言うのも東西だけで言うと最盛期にはスペインのジブラルタル海峡からロシアの黒海沿岸やイラク北部に跨っていました。今でこそ飛行機で何時間といった距離ですが当時は風任せ・人力便りのガレー船と徒歩や馬で街道を進むしか方法が無かった時代です。そんな交通事情では例えば蛮族(周辺住民)の組織的な侵略や略奪。或いは自然災害や飢餓等で一々首都ローマの皇帝に指示を貰って動いていたら今の日本のお役所仕事よりも状況は悪化します。なので担当者を派遣して急場は彼らが処理して根本的な対処(立法や公的資金の注入。軍の配置等)は事後報告を受けた皇帝が担当することになりました。
しかし皇帝が後継者を残さずに死んだりネロ等の様に住民や元老院に見放された皇帝が出てきたらついムラムラっと支配欲に燃える人も多かったりします。それが上り坂の時代ならば多少は許容されるのですが下り坂で蛮族の侵入が重なったりしたら内乱に乗じられたりする訳です。

経済的には政治的な内容と重なりますが内乱と蛮族の侵入が重なるとどうなると思いますか?
ここでは北アフリカを挙げたいと思います。内乱等で軍隊が指揮官の皇帝即位の為に他のライバルを武力討伐する為に他の地域へ移動すると周辺民族が侵入してきます。彼らは簡単に言うと銀行強盗の群れだったので街や村を略奪して回ります。そうすると住民は暴力を嫌って難民となり他所へ流れて行くことになります。基本的に経済は農作物や鉱山からの収益或いは貿易で成り立ちますし農業はそれらの基本です。そして農地は常に人が手入れしないと荒れる物です。信じられないかもしれませんが当時の北アフリカは砂漠では無く穀倉地帯だったんです。で荒れるに任せて砂漠化しました。これは他の地域では荒地になったり森林になったりして収穫は激減していったのです。
しかも強盗は略奪する物が無ければ支配して搾り取る方法にして居座り続ける事を始めたので二重の意味でダメージになりました。

宗教的には色々ありますが政治的・経済的行き詰りとキリスト教の普及が重なった事が大きいでしょう。ローマ古来の神々は我々を見捨ててしまった。そんな思いに駆られたローマ人の心のスキマにキリスト教は漬け込んだんです。曰く、今の状況は真の神を蔑ろにしたローマ人の所業のツケである。曰く、しかし真の神に帰依すれば救済されるとでも言ったのでしょう。ここで最後の審判で救われると言うのがミソです。来るかどうかも分からない最後があると言って置きながらそんなものは20世紀が終わってもありはしなかったのですからね。まぁこれは今だから言える事ですし当事者はパニックで冷静に考える余地が無かったのですけど。
それからカトリック教会とローマ法王という形で国家内にもう一つの国家を作り上げて寄生されたのも痛かったですね。飢饉で神父やシスターが難民にパンを配る・・・美しい光景ですが何の解決にもなっていません。解決するには行政サイドが動くしか無いのですがガタガタの帝国にはそんな力は残されていなかった。これでは教会に入る人が増えるし帝国に見切りをつける人が増えるのは止め様がありません。


最後に追加ですが戦争のやり方が変ったのも重要です。かつては重装歩兵が主力を担っていたのが騎兵に取って代わりました。単純に考えて甲冑と槍で済んでいたのが追加で馬が加わります。これがクセモノでして俗に牛飲馬食と言う言葉がありますがこれは飲み食い意が激しいのを牛馬に例えた言葉ですが馬を飼うには餌場を順々に回る遊牧生活か金で買って入手するしか方法がありません。しかも手綱や鞍を付けないと乗れませんし牧場や厩舎を作ったり練習の為の馬場も必要です。
これは何故かと言うと大陸の東のモンゴルとかの遊牧民が食い詰めてヨーロッパ方面に移動しました。と書くと穏やかですが戦争しながら原住民を土地から追い出して居座ると言う形で成されました。それでゲルマン人も食い詰めてローマに・・・と言うわけです。なので力関係では負けてるので弱ってるローマで略奪や居座りして新生活を始めよう・・・とそういう次第なんです。



纏まりが無く内容が重複した文章ですがそう私には見受けました。

まず言っておきたいのは、領土(図体)が大きくなりすぎた事を念頭に入れておいて下さい。

政治的には領土が広すぎた為に軍司令官や属州総督を派遣するといったシステムが多かった様です。と言うのも東西だけで言うと最盛期にはスペインのジブラルタル海峡からロシアの黒海沿岸やイラク北部に跨っていました。今でこそ飛行機で何時間といった距離ですが当時は風任せ・人力便りのガレー船と徒歩や馬で街道を進むしか方法が無かった時代です。そんな交通事情では例えば蛮族(周辺住民)の組織的な侵略や略奪。或...続きを読む

Qロシア系の血って結構入ってきてるんですか?

私の母親なんですが、若い頃めちゃくちゃ色白で、焼けても黒くならないタイプで
(新潟出身なんですが、新潟ですごい色白な扱いだったみたいなので相当白いと思います)
赤ちゃんの頃の写真を見たら、髪は黒いけどくりくり
目の色も普通に茶色ですが平均より薄めで、太陽が結構眩しいらしいです。
背は170以上あります。
顔は日本人というかあっさりめの顔です。

しかし洋もの好きなのでその影響もあるかもしれませんが、
外人ぽいってたまに言われるそうです。
母のお姉さんは顔が外人さんぽく
母のお祖母さんも外人さんぽい顔だったそうで、
お姉さんはお祖母さんからその要素を受け継いだみたいです。
私がロシアの血入ってるのかな?みたいな話をして
言われてみれば、お祖母さんはロシアのおばあちゃんぽい感じかも
と母は言ってました。
外人ぽいと言っても南方系ではないです。

北の日本海側(秋田~新潟)にはロシア系の血が少し入ってるという説を知って
母の家系にも少し入ってるかも?と思い興味を持ったのですが
(新潟の東北寄りの方の田舎です)
日本人でも外人ぽい人って結構いるし
それが全部外人さんの血が入ってるからって訳ではないだろうしなぁという感じもあります。
ぶっちゃけ、血が混ざると美人になるイメージがあるので
なんかそういうのに憧れるなぁ位の気持ちなんですが・・・^^;

はっきりとした信憑性はない説みたいですが
周りやご自身が似たような感じの方や、そういう説に関して詳しい方など
回答していただけると嬉しいです。

私の母親なんですが、若い頃めちゃくちゃ色白で、焼けても黒くならないタイプで
(新潟出身なんですが、新潟ですごい色白な扱いだったみたいなので相当白いと思います)
赤ちゃんの頃の写真を見たら、髪は黒いけどくりくり
目の色も普通に茶色ですが平均より薄めで、太陽が結構眩しいらしいです。
背は170以上あります。
顔は日本人というかあっさりめの顔です。

しかし洋もの好きなのでその影響もあるかもしれませんが、
外人ぽいってたまに言われるそうです。
母のお姉さんは顔が外人さんぽく
母のお祖母さんも...続きを読む

Aベストアンサー

日本列島で人類は誕生してませんので、どこからか移住してきたって事ですね。

人類はアフリカで誕生して以来、ダイナミックに地球上を移動したから繁栄したんだと思います。
地球上の全ての生物は拡散するDNAを持っているようですね。

ちなみに地球上の全ての生物の起源は同じだったようですね。
人間もゴキブリも同じです。

移住の手段ですが、1万年前に氷河期がありましたので、大陸と日本列島が氷でつながっていた可能性があり、北海道・本州北部は北から歩いてきた事はあると思います。

アメリカ・インディアンは、シベリアからアラスカへ歩いて渡ったと言う説があります。

王道は船ですね。
釣りに出た船が流されて日本に来て定着したと言う話はちょっと怪しいかな?
通常男性だけでしょうから、女性がいないと絶えます。

私は流された人が海路や住みやすい陸地を発見して、積極的に家族単位、コミニティ単位で移住したんだと思います。

幸い日本列島は、北から見れば寒くなく、南から見れば暑くない住みやすい緯度にあります。

Qキリスト教の唯一神の名は何ですか

ユダヤ三教はいずれも一神教です。

例えば、
1.ユダヤ教の唯一神の名は「エホバ(ヤハウエ)」、
2.イスラム教の唯一神の名は「アッラー」です。

それでは、
3.キリスト教の唯一神の名は何ですか。ご存じの方、教えて下さい。

Aベストアンサー

高校生の時カトリックの洗礼を受けた60代の男性です。
これまでの回答も間違ってはいないのですが、少し混乱されそうだと思いましたので、もういちど整理して回答してみましょう。

・あなたの言われるとおり、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の神(引いてはそれ以外の宗教も、という考えもある)は、同じ唯一神であり、呼び名は色々ある。(呼び名はどうでもよい、という側面もある。)
・キリスト教の場合は、古くからヤーウェ(エホバ)或いは、デウス(「神」のラテン語訳でギリシャ神話のゼウスも同じ語源)という呼び名もあったが、
・現代のキリスト教では、単にGod(神)と大文字で表記し、普通名詞としてのgodと区別することが多い。
唯一神なのだから、単に、固有名詞の「神」だと考えればわかりやすい。
・日本の信者間での通称は、「主」(しゅ)が一般的である。
・私が子供の頃は、「天主」という呼び方もあったと記憶している。古い教会で「浦上天主堂」などと呼ばれているのはその名残。多分「天使」と混同するから使われなくなったのだろう。

・尚、カトリックでは、「三位一体」説というのがあり、神には、「父」と「子」と「聖霊」の3つのペルソナ(人間なら「人格」と訳すが、神なので「位格」と訳す。英語のパーソンに相当)があるが、本来は同じ一体の「神」の別の表れ方という解釈がなされている。
→ http://www1.tcat.ne.jp/eden/Hst/dic/trinitas.html
仏教の阿修羅のように、一体なのに、顔が四方についているイメージを思い浮かべば、イメージしやすいかもしれない。

この内、「父」は、「天の父」であり、
「子」は、「神の子」でありながら、人類の救いのため、人間の姿になって地上に降られた「イエス・キリスト」であり(その意味で、「イエス・キリスト」は「救い主」(メシア)と呼ばれる。)
「聖霊」(「精霊」ではない)は、イエスの誕生、洗礼及び復活のとき、イエスの中に満たされるとともに、今日ペンテコステ(聖霊降臨の日)と呼ばれる日に舌の形で弟子たちのもとに下り、一瞬の内に出身国・国語の異なる弟子たちの言葉が通じ合い、喜びに満たされた、という話があり、今後も「聖霊」が人類に与えられることによって救いが完成すると言われています。
→ http://www.pauline.or.jp/spirit/sps3.php

このように、三位一体説は、非常にわかりにくい教義で、3つのペルソナの中で、すぐにイメージしやすいのは「子」であるイエス・キリストのみであり、教会内にキリスト像ないし十字架上のキリスト像があるが、あとの2つは、像もなく、目に見えにくいイメージですね。

神=イエス・キリストという回答も間違いとは言えませんが、正確には、イエス・キリストは神の3つのペルソナの一つであり、「キリスト教の唯一神は固有名詞の「神」Godという呼称で呼ばれています。」という回答の方が、現代では一般的だと思われます。

高校生の時カトリックの洗礼を受けた60代の男性です。
これまでの回答も間違ってはいないのですが、少し混乱されそうだと思いましたので、もういちど整理して回答してみましょう。

・あなたの言われるとおり、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の神(引いてはそれ以外の宗教も、という考えもある)は、同じ唯一神であり、呼び名は色々ある。(呼び名はどうでもよい、という側面もある。)
・キリスト教の場合は、古くからヤーウェ(エホバ)或いは、デウス(「神」のラテン語訳でギリシャ神話のゼウスも同じ語源...続きを読む


人気Q&Aランキング