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琵琶法師についてウィキペディアで調べてみますと次のように書いてあります。

琵琶法師(びわほうし)は平安時代から見られた、琵琶を街中で弾く盲目の僧である。
琵琶を弾くことを職業とした盲目僧の芸人で、平安時代中期におこった

鎌倉時代には『平家物語』を琵琶の伴奏に合わせて語る平曲が完成した。
この時代には、主として経文を唱える盲僧琵琶と、『平家物語』を語る平家琵琶とに分かれた。
琵琶法師のなかには「浄瑠璃十二段草子」など説話・説経節を取り入れる者がおり、これがのちの浄瑠璃となった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B5%E7%90%B6% …より引用)

琵琶法師が盲目だったのはなぜでしょうか。

また「盲僧琵琶と平家琵琶にわかれた」とありますが、どちらも盲目の琵琶法師によって語られたのでしょうか。

「琵琶法師のなかには浄瑠璃十二段草子など説話・説経節を取り入れる者がおり、これがのちの浄瑠璃となった。」とありますが、浄瑠璃は盲目の僧侶によって演じられたものではないですね?

A 回答 (3件)

> 琵琶法師が盲目だったのはなぜでしょうか。



 「琵琶法師が盲目だった」 というより 「盲目の者の中に琵琶法師となる者がいた」 のではないでしょうか。

 盲目の者は大変なハンディを背負っているわけで、それでなくても生きるのが大変な世の中でした。それでも特殊技能として語りの出来る優れた才能を開花させる人がいて、芸能として貴重なものとみなされたのではないでしょうか。また、「法師」 と呼ばれるのは、仏教の説話を取り入れていたことも関係があるのではないでしょうか。

 なお、下記のところに 「(平曲は) 鎌倉時代に生仏という盲僧によって始められ」 とありました。盲目の者であり、しかも僧侶である人が元祖のようですが、後に僧でない人も出たであろうと想像されます。

 → http://homepage3.nifty.com/heikebiwa-arao/HEIKYO …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
貼っていただいたサイトは大変参考になりました。
サイトに次のようありました。
平曲は室町時代に無双の名人明石覚一が現れるなどして、全盛期を迎えますが~(略)
明治に入ると衰え、第二次大戦が終わる頃には、平曲二百曲全部語れるのは仙台の館山甲午氏だけとなりました。
その館山氏から伝統的な平曲を伝授されたのが金田一春彦氏で、金田一氏が伝統的な平曲の唯一の継承者となりました。

http://homepage3.nifty.com/heikebiwa-arao/HEIKYO …より引用)

この明石覚一をウィキペディアで調べてみますと「急に失明し琵琶法師となった」と書いてありました。

江戸時代の館山甲午もうウィキペディアで調べてみたのですが、かれは盲目ではありません。

江戸時代になって盲目でない琵琶法師が誕生したのかもしれませんね。


「鎌倉時代に生仏という盲僧によって始められ」とありますが、その文献を読んでみたいです。
生仏って僧侶の名前ではなくて、「いきぼとけ」という意味だったりして。

すごーーーく勉強になりました!

お礼日時:2013/02/11 21:20

琵琶法師は生まれつき盲目だったらしいです 

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

調べてみると、明石覚一戸いう人は、急に失明し琵琶法師となったようです。

お礼日時:2013/02/11 21:23

現在は、按摩や鍼灸で盲目の人が整形を立てているが、当時はそれでは生活できるほど稼げず、琵琶法師になる事が盲目のひとが生活する術になっていたのでは無かろうか。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
昔は医療が今よりも未発達だったと思われるので
昔は今よりもっと目の不自由な方が多かったことと思います。
生活するために琵琶法師になった人もおられたことでしょうね。

お礼日時:2013/02/11 20:54

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