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日本の特性として、アニミズムを信じているといわれています。
このアニミズムは、古い日本にあったのでしょうか
朝鮮から神道が、中国から仏教が伝搬してから、アニミズムを持ったと考えられませんか?

A 回答 (8件)

> 質問としては、日本の古代社会にアニミズムが意識されていたという証拠はありますか、ということです。



古代にも中世にもタイラーの説は知られていないので、日本で「アニミズム」とは思いようがないでしょう。 
言葉としての「アニミズム」ではなく、イメージや習俗・教義・呪術のような対象で、{④アニミズムとは,自然物に霊魂の存在を認めることである。この議論はタイラーのアニミズム論に準ずる。タイラーによれば、アニミズムとは霊的存在者を信ずることであり、その原イメージは人間の霊魂である}に近いことがあったのかどうかという質問であっても、「たぶん、なかった」と思います。

吉凶を占う、先を占うようなことは、たぶん古代からあって、完成したのは8世紀であっても古事記日本書紀でも神話の中に神意を探ろうとしたり、荒魂・和霊に思いをはせたり、白鳥に生まれ変わるなどの生まれ変わりを思ったりすることは散見されます。よりしろに頼る行為もあるし、たぶんそのような行為は弥生時代にもあり、禊ぎや穢れの意識もあったろうと思います。 ですが、これは(霊的存在を信じる、元・原イメージが人間の霊魂)とはかなり距離があるでしょう。
源氏物語に六条御息所の記述がありますが、嫉妬や恨み・僻み・遺恨・敵愾心を恐れるのは、タイラーのアニミズムとも関係ないでしょう。 こういうプライドがらみ・適応障害の症状が起きることは、人間が社会的生物として生きていたらどこでも理解されていたはずですが、「霊的存在・魂」が「個体とは独立分離した存在」として意識されるようなことはなかったのでしょう。
久米仙人、陰陽師、式神などの物語があっても、人から魂魄が分離して独立の存在として動き回るようなイメージが作られるのは、室町期からでしょう。中世の後半には一部で、物語として流行ったのだと思います。オカルトものは、アミューズメントです。そのような文化ができるのは、社会がそこそこに豊かになってきてからです。ギリシャローマ神話のようなのが楽しみを謳歌出来る状態になってできたということでしょう。インドの神話もそうです。ある程度社会が安定して豊かにならないと、オカルトも神話も一般人には無関係になって流行りません。
統合失調や、空想が現実に思えてしまう人は、太古からいたはずなので、それは別です。
森羅万象、岩石、草木、鳥獣、泉や瀧、洞窟や山を、器や衣服、刀剣武器、家屋や鏡や鈴・通貨的役割を果たす物品を、親や子や配偶者・近親者・仲間を客観的対象としてだけで見るのではなく、特に大事なもの・大切にするものとして価値づけるようなことは、アニミズムとは関係ないです。
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この回答へのお礼

再古のご回答ありがとうございます。
<古事記日本書紀でも神話の中>にアニミズムに類すること掲載されているのですね。記紀

お礼日時:2024/02/18 16:58

> 日本の特性として、アニミズムを信じているといわれています。



ネットで探してみたのですが、ちょっと見つけられませんでした。
「アミニズム的」という形容句を使ったのは結構あったのですが、「的」ではない「アミニズム」の意味も不明確のままで。「アミニズム的」と表現しているばかりのものでした。 「アミニズムを信じている」というのはどのような状態をいうのでしょうか。 
アミニズムをネットで探すと次のようなのがありました。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/rsjars/83/3 …
「『アニミズム』の語り方 : 受動的視点からの考察」
長谷千代子. 2009. 日本宗教学会『宗教研究』 83 巻 3 号: 741-763.

日本における近年のアニミズム論には、以下のような典型的な語りが散見される。
①アニミズムは太古の昔のものである。
本来、タイラーのアニミズム論は「宗教の最小限の定義」であり、未開人から文明人にいたるまでの宗教哲学の土台であって、単純な新旧の対比にはおさまらない。各論者はそれを知らないわけではないが、西洋近代合理主義によって抑圧されてきたアニミズム的世界観を今取り戻すという論旨の展開上、太古性を強調する傾向が強くなる。
②アニミズムは東洋的ないし日本的なものである。
すべての論者が意識的に近代西洋との対決姿勢を示すわけではないが、日本ないしアジアの事例にもとついてアミニミズム論を展開することが多いゆえに、成り行き上近代西洋と対比するスタイルとなり、結果的にアニミズムは東洋的なものという印象を残す。
③アニミズムは人間行動を根本から変えうる思想である。
現時点で主流の規範となっている近代西洋合理主義に代えてアこミズムを広めれば、人間行動が変わるという論法である。
しかし、アニミズムが本当に、人為を先導する意志や理念となるような積極的思想でありうるのか、という疑問が残る。

ともあれ以上の三つは、いずれもアニミズムに対する外面的な評価なので、ひとまず脇に置く。より重要なのは、内容に踏み込んだ次の二つの語り方である。

④アニミズムとは、自然物に霊魂の存在を認めることである。この議論はタイラーのアニミズム論に準ずる。
タイラーによれば、アニミズムとは霊的存在者を信ずることであり、
その原イメージは人間の霊魂である。
しかし、未開民族は人と獣をはっきり区別しないため、人間の魂の属性が動物にも同じくあると考え、自然物にも霊魂の存在を認めたのである。
環境問題の文脈で語られる新たなアニミズム論の一部は、このようなタイラー流の霊魂の考え方を「権利」概念において再びなぞる。 (中略)
したがって、自然物に生存のための権利を認めようとする昨今の環境思想は、再び自然物へも権利=霊魂観念を拡張しようとしているという意味で、
まさしくタイアー流アニミズムの復権なのである。
こうした風潮には反対論もある。たとえばベルクは、権利は潜在的に義務を伴うが、自然物にそれを果たすことはできないし、権利を主張するための原告にもなれない以上、自然物に権利を付与しても、いたずらに人間の倫理を混乱させるだけだとする。
ただし、彼のアニミズム理解は、加藤と同様、タイラー流の発想を踏襲している。
こうしたアニミズム理解とは別に、次のような見解がある。
⑤アニミズムとは、人間が霊的自然との一体感をもつことである。
代表的な論者は岩田である。
彼にとってアニミズム的霊魂は、主権者としての個人の概念に収まる一個の人格のようなものではない 。霊は確かに、虎や洞窟などの具体的な形で現われるが、それは実は己との出会いにおける、「一なるカミの多様な自己表現」なのである。そうした一なる霊は、ある種のマター(質料)として、現世的な存在を支えている。
   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
このような説明もあります。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrd …
「アニミズム(英 animism)
 この語は、イギリスの人類学者E・タイラーが『原始文化』1871のなかで、「原始(未開)宗教」の特徴を表すのに用いた用語である。タイラーは宗教の原初的形態を霊的存在への信仰に」求め、それをアニミズムと名付けた。ここでの「霊的存在」(spiritual being)とは霊魂、死霊、精霊、霊鬼、神祇、神までを含んでいる。彼は、霊魂や精霊に対する信仰から多神教そして一神教にいたる宗教の進化を論じたが、同時にアニミズムを宗教発展の各段階を通じて存在するとも考えた。その意味ではタイラーの功績はアニミズムという言葉を用いながら彼の時代に支配的だったキリスト教的な宗教概念を拡張し、人類的な規模での宗教の比較研究を試みたところにある。 
 アニミズムにおいては、世界は物質的身体をもたず、目に見えない正霊や霊魂の働きによって説明される。そこでは、人間は身体と霊魂からなるととらえられる。霊魂は自由に身体を出入りすることができ、夢を見ている時や病気の時は霊魂が身体から離れた状態だとされる。それゆえ、この分離した霊魂をとりもどすために儀礼がもたれることがある。
そして死とは霊魂が永遠に身体を離れ、宿るべき身体を失ってしまった状態とされる。 
 タイラーのアミニズム論は、その後マナ(呪的な力)に注目したR・マレットのプレアニミズム(アニマティズム)論、A・ラングによる原始―神教の指摘などにより修正と批判が加えられていくが、宗教的な進化論の非実証性があらわにされていくにつれて、かつての輝きを失っていった。
 今日の文化人類学や民族誌ではこの概念を用いて議論されることは少なくなっている。アニミズムという概念が特定の宗教現象をとらえるにはあまりに包括的で曖昧だからである。にもかかわらず、この語は精霊や霊魂が宿る世界を語る際にいぜんとして使われており、批判的な再定義が必要とされている。」
   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「アニミズム」という語を使う場合に、どのような意味で使っているのかをハッキリさせないと、《このアニミズムは、古い日本にあったのでしょうか》という問いは、錯乱状態になります。

ここで、《④アニミズムとは、自然物に霊魂の存在を認めることである。この議論はタイラーのアニミズム論に準ずる。タイラーによれば、アニミズムとは霊的存在者を信ずることであり、その原イメージは人間の霊魂である。
しかし、未開民族は人と獣をはっきり区別しないため、人間の魂の属性が動物にも同じくあると考え、自然物にも霊魂の存在を認めたのである。》という場合に、《霊的存在者を信ずる》は何をもって認定できるのかが大事です。日が昇り沈み昼夜が交替し、晴雨があり、草木や動物が育ち、動物は食らい死んでいく、川は流れ、魚や動物のいるところはそれぞれ領域がある、固定的に見える道、川、中州、瀬、沼、淵、森、草原、崖も不定期に変容するし、火山噴火、地震、台風、大雨、洪水、乾燥、大暑、大寒、雷、暴風も、葉が茂り花が咲実を結び、実が熟し、葉が枯れ落ちるなどの変化も、餌や食料や交配相手を巡る争いも、強弱による階層システムも、言葉はなくても知っていて、その中に生きているのです。 《霊魂》などのイメージを持たなくても、犬も、狐も、猿も、人も、集団社会を形成しているのが実際の生態です。 ミツバチやアリも、社会を形成し、餌や敵に関する情報交換を個体間でしますが、おそらく、安全祈願も、勝利や豊漁の祈願も、感謝もしないでしょう。 人間の赤子や幼児が喜んだりねだったり争うように、鳥の雛もします。 霊魂や神のようなものをイメージするよりも、現実に餌を運び敵を遠のけてくれる親個体を強くイメージするだけでしょう。
雷を怖がり、大雨や地震動でも、オオカミでも、単純に恐怖し、恐怖の源の現象や動物や人がなくなるのを願望するだけで、十二分です。 《自然物に霊魂の存在を認めること》など、ポピュラーな人間社会の状況にはないです。

なお、上のようなタイラー系列のアニミズムではなくて、今まで優しい普通の人に思えていた人が実はかなり怖く恐ろしいほど暴力的であるという実体験をしたときに、人の外面と内面とは違う外見は凶悪傍若無人になったり優しく親切になったりしても同じ人物なのだ・本質は同じで表現状態が変わるだけ(寝ぼけていても、悲しんでいても、敵意むき出しでも、慈しみに満ちても、誠実でも、ずる賢くても)と理解するのであれば、
{(鬼のような/慈母のような/神のような/敵のような/仲間のような)はそのときの表現形であって、個人の本質アニマは継続し同じもの}という、非常にナチュラルな理解の仕方を、アニミズムとよぶことになるでしょう。 
ペットのネコやイヌが、買主の機嫌や所用の状態で主人の態度が一変しても、同じ人物だと理解するのと同じなので、基本的にホモサピアンスとして出現したときから、アニミズムの理解法を身につけていたはずです。

(朝鮮から神道が、中国から仏教が伝搬してから)ではなく、アフリカを出る前からです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
テイラーが取り上げてからアニミズムはポピュラーになり、私もそれには異論はありません。
ただし、質問としては、日本の古代社会にアニミズムが意識されていたという証拠はありますか、ということです。

お礼日時:2024/02/17 12:52

>・・<彼ら>とは誰?


➡︎「朝鮮」の人々。
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この回答へのお礼

やっと主語がわかりました。

お礼日時:2024/02/12 11:30

アニミズムは縄文期からありました


その頃は当然のことですが、まだ仏教なんてありませんし、朝鮮や中国すらも存在していません

また、神道というのは日本固有の宗教観です
ただし、古代朝鮮は専ら中華文化圏に属していたので、神道はありませんが、儒教のような祖先崇拝はありました
儒教は百済から日本に渡ったので、その過程で日本の神道と儒教・仏教が合流して日本人の宗教観が広がったことは確かです

ですが、仏は当時は「客神(外来の神様)」と呼ばれており、結局は神道という土台に仏や儒教的祖先崇拝が乗ってきたに過ぎません
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この回答へのお礼

<アニミズムは縄文期からありました>という根拠は?

お礼日時:2024/02/12 08:22

><感じないのは>の主語は何ですか?


➡︎「主語?」。
彼らは何かに「畏れ」や「畏怖」を感じている雰囲気を全く持っていない。
あるのは、金や権力への執着心のみ。
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この回答へのお礼

<彼ら>とは誰?

お礼日時:2024/02/12 08:21

すべてのものに神々が宿るというアミニズムは、宗教の初期の段階です.日本に限らず多くの古代社会にみられるものですよ。

日本のアミニズムがそのまま生きているのが神道でしょう。

ですので朝鮮から神道がはいったという事実はありません。もっとも神道の教義が緻密になったのは明治維新以降の話です。

仏教はNo1さんがおっしゃられているとおり朝鮮半島からはいりました。もっとも仏教といっても中国仏教ですけれどもね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
1.<すべてのものに神々が宿るというアミニズム教の初期の段階>と言われますが、日本でも間違いなくこの段階があった、というエビデンスはありますか?
2.朝鮮系の神社はかなり存在していますね。

お礼日時:2024/02/12 10:02

>朝鮮から神道が、・・


➡︎その割りに、神道の気配すら感じないのはなぜだろうか?
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<感じないのは>の主語は何ですか?

お礼日時:2024/02/11 18:20

>朝鮮から神道が、中国から仏教が伝搬してから、アニミズムを持ったと考えられませんか?



初期仏教は、中国からではなく、百済からの伝来で飛鳥時代に日本に入ってきています。

平安時代などでは、霊の祟りを恐れ、神仏というよりは仏教寺院に祈祷させていました。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
初期仏教は、百済経由で中国から、ですね。

お礼日時:2024/02/11 18:19

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