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日本史で、律令制と仏教は関連していますか?

また関連があるとしたら、どのように仏教が律令制を押し進めるのに効果があったか教えて下さい。

A 回答 (3件)

おなじ時期に同じ場所で中央政権が主導して律令制と宮都造営、勢力圏拡大、仏教興隆を図ったのですから、関連はしているでしょう。

明治期に、中央政権が主導して軍制や産業興隆、学制、各種法制度の整備、神道興隆を図ったのだから、それらも関連はしているでしょう。
ただ、これらの基本政策方針そのものが、相互に深く絡み合い関連しているというのではないと思います。
律令体制でも、明治期でも、各基本制作方針は、その基本政策方針を立て実行した中央集権勢力にとっての「権威の増勢と勢力圏と勢力が支配できる内容の広範化、権力機構の安定化、対立する可能性がある勢力の弱化、不安定化する要素要因の排除」という方針にそったものであるということだと思います。関連というのも、そうした思考から選ばれ推進されたということだけだと思います。

中央集権勢力が導入した仏教は、国家の鎮護する呪術(当時のイメージでは新技術)や先進文明国の新文物や論理体系で整理しようという手法の導入の方法だったようです。(当時のイメージではテクノクラート、文系知識人、各種鎮護行事を行う実務担当者の招聘や育成、全国への展開) 霊的あるいは苦悩する精神の救済の思考法や修行法を仏教に求めたのではなかったのが、日本での平安時代中期までの状況です。

どのように仏教が律令制を押し進めるのに効果があったか
地方にいるものとっては、大和にある中央集権勢力に直接的なイメージを抱くのは難しいです。軍団が置かれ強権が発動され、徴税され苦役や軍役にとられるとのですから、恐ろしい支配者という漠然としたイメージしか抱けないかもしれません。しかし、軍や官人が派遣されてくるだけでなく、見たこともない壮麗な寺院が建立されるとそのスゴさは、威令荘厳を感じさせます。あんなスゴイ寺を建立するのはとてもスゴイこと、軍事力などの強制力だけでないものという権威の確立・実感は、中央政権が律令制を地方に受け入れさせるのにも大いに貢献したと思います。

都城、城壁、道路、港湾施設、官衙もそれなりに、スゴさを感じさせるものではありますけれども、壮麗な建物、壮麗な寺は、実用的な機能を遙かに超えているから、見た人々にスゴイ、畏敬の念を引きおこすのだと思います。
ギリシャローマの神殿でも、ヨーロッパの教会でも、日本の寺でも、宗教の教義的な内容や戒律、教義体系、あるいは神官や神父牧師、僧の説く内容などに触れることがなくても、建物構造物だけで、周囲に畏敬や尊重しなくちゃならないなあとの気持ちをもたらす効果があります。
そいう意味で、律令政府が各地に造営させた寺は、律令制を進め、権威付ける大きな効果があったろうと思います。
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ん~、そう質問されると深く考えてことはなかったですが


律令制の始まりを大化の改新か大宝律令かなどもあると思います。
古くでは、氏姓制度があり
五畿七道、冠位十二階(603年)、十七条の憲法(604年)
大化の改新(645年)
大宝律令(701年)
の流れになりますが、
5~6世紀、奈良盆地のヤマト王権は地方の有力豪族に氏、近畿で身近な豪族に
姓(役職)を与えるなど位付けをして仲間づくりを始めます。
そんな中、中国大陸で589年、隋が中国全土を約300年ぶりに統一します。
百済など朝鮮半島から多くの部族が日本へ渡来します。
朝鮮からの渡来していた蘇我氏は、彼らを味方につけて力をつけます。
そして仏教の普及を勧めます。これが仏教伝来です。
蘇我氏は、天皇血筋と娘を結婚させ、聖徳太子も蘇我氏に娘と結婚、養子にします。
元々より天皇のそばで神道の政を行っていた物部氏と争いになり物部氏を滅ぼします。
推古天皇の摂政に聖徳太子がなり多くの政治改革を行います。
十七条の憲法にも
(2) 仏教をおおいに尊重せよ。と仏教の保護と普及をはまります。
僧侶や寺院は国家の安泰を祈祷することが第一の目的となった。
この時代だけが、仏教が政治に影響した時代だと思います。
しかし、乙巳の変で中大兄皇子、中臣鎌子らが宮中で蘇我入鹿を暗殺して蘇我氏を滅ぼします。これが大化の改新です。
日本に伝来した仏教は、元々のお釈迦様が唱えた、悟りとか魂の救済ではなく
守護神としての宗教でした。聖徳太子が作った四天王寺もそれに当たります。
日本の神道も自然崇拝から守護神へ移行していて
神仏習合と云う世界でも稀な形で普及します。
660年代には百済復興戦争での敗戦、百済が滅びます。
大宝律令は、中国(唐)の方式を基準とした制度への転換です。
初めて日本と云う国号が使われ、天皇と呼び名になります。
後の古事記、日本書紀では日本の神は全て天皇の祖先と云う事になります。
呪術、守護神で国を治める時代は終焉だったと思います。
以後も天皇が出家したり、日本の神々が仏になったり乱れたので
奈良時代に鑑真が招かれ東大寺に戒壇を設け、僧侶に戒を授けたりします。
平安時代には空海及び最澄を遣唐使とともに中国に送り出し、密教を学ばせた。
新しい仏教をもって、奈良の旧仏教に対抗させようとしたのである。
最澄(天台宗)、空海(真言宗)には、それぞれ比叡山と高野山を与えて寺を開かせ、密教を広めさせた。
卑弥呼が、呪術で連合国をまとめた時代
蘇我氏が、守護神として仏教を布教した時代
に宗教が政治に影響した時代がありましたが
現在に見られるイスラムの国々やインドの様な宗教が政治に大きく影響した事は無いと思います。
古代のエジプトや西洋でのキリスト教とユダヤ教などの様なこともありません。
意外と私たち日本人は古代、弥生人に時より宗教色が薄く、合理的な思考の持ち主だと思います。
近代において、神の天皇が住む国と信じて戦争に突入した時代はありましたが。
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