【復活求む!】惜しくも解散してしまったバンド|J-ROCK編 >>

キリスト教は、最初はユダヤ人の一部の人たちが信仰する宗教であり、異端であるとされて迫害されていたようです。
それがいつのまにかヨーロッパ中にひろがったのはどういう理由によるのでしょうか?
統治者が国教として採用したと想うのですが、どういうメリットがあったのでしょう。

またユダヤ人のイエスを神とあがめながら、ユダヤ人を迫害するといった矛盾があります。
ヨーロッパ人にとってユダヤ人とはどういった存在でしょうか?
無理やりイエスとユダヤ人とを切り離しているような気がしてなりません。

またユダヤ人にとってキリストは異端にすぎないのでしょうか?
それともある程度の尊敬をあつめる存在なのでしょうか。

また今後もキリスト教は信仰されつづけるでしょうか?

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A 回答 (4件)

キリスト教は、社会で疎外されている人々、例えば売春婦やらい病患者に手を差し伸べた宗教です。

当時、犯罪や病のため地域社会から追われれば、野垂れ死ぬか、同様の境遇にある被差別民の社会で生きるしかありませんでした。キリスト教は、神の前での平等という観念から、そのような被差別民に(元の村へ)帰りなさい、と言ってくれたのです。
また、キリスト教は、当時のユダヤ教、特に神殿に依拠する特権階級であったサドカイ派を厳しく批判し、庶民の心を少しずつ捉えていきました。

しかし、キリスト教がユダヤ教の亜流であり続けたとしたら、これほど広く教線を延ばすことはできなかったでしょう。キリスト教は、ギリシャの殖民都市であるアレクサンドリアに伝わることによりギリシャ哲学の影響を受けて変質しました。特に、ユダヤ教式の厳しい戒律が緩められた(割礼の省略など)ことが布教に弾みをつけたと考えられます。

ローマ帝国がキリスト教を公認したように、君主が教線の拡大に一役買っているのは明らかですが、キリスト教自体の魅力として、不平等が当然の社会にあって神の前での平等という破天荒な理想を掲げ、被差別民さえ救済してくれる宗教、しかもとっつき難い戒律も少ない、ということで多くの信者を獲得することができたのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
被差別者や恵まれない人たちの間でひろがっていったのですね。
マザーテレサを思いうかべました。

>ユダヤ教式の厳しい戒律が緩められた(割礼の省略など)ことが布教に弾みをつけたと考えられます。

 そういえば、ユダヤ人以外でユダヤ教に入っている人というのは聞いたことがありませんね。よほど戒律が厳しいのでしょう。あるいは異民族にはひらかれていない宗教なのかもしれません。

キリスト教がひろまった理由はわかりましたが、今度は逆に、庶民の人気をかちえるほかの宗教がなぜ台頭しなかったのかが気になります。
各国の地元宗教で魅力的なものがまったくなかったとは思えないのですが。

お礼日時:2004/04/13 19:40

横道にそれますが・・・



ユダヤ人がユダヤ教を信仰しているのではありません。ユダヤ教徒をユダヤ人と呼ぶのです(イスラエル当局の定義)。通常の意味でいう民族とは全く異なる概念です。従って、現在のユダヤ人には、肌の色、言語、生活習慣、文化などに共通性を求めることはできません。よって、ユダヤ教に改宗すれば、日本人もユダヤ人になることができるのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>ユダヤ教徒をユダヤ人と呼ぶのです

 これは以前に聞いたことがあったのですが、半信半疑でした。
 ユダヤ人=ユダヤ民族とばかりおもっていました。
 民俗学的なユダヤ人と、宗教でみたユダヤ人が区別されているのでしょうか。
 たとえばナチスにとってはどうだったのでしょうか。ナチスにとっては民族としての血が問題であったと思われますが。

お礼日時:2004/04/14 15:06

イエスはユダヤ教の協議に反する教えを広めたため、ユダヤの中でも異端であったようです。



ユダヤ教にとってキリスト教は確かに異端といえるかもしれませんが、イスラム教にとってはそうでもないようです。イエスも預言者の1人として扱われており、旧約聖書や新約聖書も聖典のひとつです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

イスラム教がイエスを認めているとは知りませんでした。
イスラムもユダヤもキリストも同じような教えなのでしょうが、伝わった民族が違うゆえに異質なものになっていったように思えます。

お礼日時:2004/04/14 15:02

最初にキリスト教を公認したのがローマ帝国のコンスタンティヌス帝で、


こんな事情があるみたいです。
http://homepage2.nifty.com/jelc-tokyo/nyumon/nyu …
http://www.geocities.jp/timeway/kougi-17.html
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
事情はよくわかりました。

さまざまな迫害にあっているわけですが、殉教すれば天国へゆけるという思想が人々を棄教させない理由になっているように思いました。

お礼日時:2004/04/14 15:00

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Qキリスト教が欧州に広がったとき他の宗教との対立は?

キリスト教は、キリストの死後イスラエルの地からヨーロッパ全土に広がって行ったということですが、ヨーロッパの元からあったその土地の宗教との対立はあったのでしょうか?

例えば、キリスト教が広がる前は、イギリスにはイギリスのその土地の宗教、フランスにはフランスのその土地の宗教があったと思うのですが、その土地の支配者や国民はどのようにしてキリスト教を受け入れたのでしょうか?

すみませんが、お教えくださいますよう、お願いいたします。

Aベストアンサー

無論、大きな対立を生みました。

キリスト教が成立した頃の1世紀ごろ、地中海世界はローマ帝国が支配していたのですが、ローマは多神教を崇拝していました。
この多神教というのが、帝国に次々と併合された地域や民族の神々が取り込まれた宗教でした。その土地を支配下に組み込んで、ローマ的な都市を造り、ローマ的な自由を与え、ローマでの秩序を教え(「郷に入っては郷に従え(When in Rome, do as the Romans do)」ってやつです)、あまつさえその土地の神をローマの神々の中に加えてしまいます。
ローマの属州統治の常套手段ですね。

そんななので、当然ローマの宗教を否定する一神教はかなり差別的な扱いを受けます。
キリスト教徒迫害で有名なのは同時代のネロ帝じゃないでしょうか。
1世紀に起きた「ローマ大火」という大火災のあとでネロはローマ市の復興計画を立てるのですが、「ローマを自分の好みの街に作り替えるために自分で火を放ったんじゃないの?」という疑惑を持たれたネロは、すべてのキリスト教徒をローマ大火の犯人に仕立て上げます。
この時の罪状は「全ローマ市民に対する大罪」。というわけで世紀の大迫害が行われました。

その当時のローマの国民はおおむねキリスト教に否定的でした。それまでの帝国の伝統や、ある種の宗教的な寛容性を否定しているからです。また、皇帝は死後に神格化されて神々に名を連ねることになるので、それを否定するキリスト教は政治的にも異端視されました。
ただ、ネロ帝はキリスト教徒の処刑をショーとしていろいろと酷いことをやったので、その時ばかりはキリスト教徒でない人たちも同情的になったようです。
かのタキトゥスも「キリスト教徒には同情するけど、身から出た錆と言ってしまえばねぇ・・・」的なことを言っています。
日本でも秀吉がこの手の迫害をしたことで有名ですね。

現在聖人とされている人物の中には、迫害で命を落としたとされる人物がかなり含まれています。
そういうのを殉教というのですが、信教を守ることはキリスト教では美徳とされました。それほどに、様々な時代、様々な地域で迫害を受けたということです。

さてさて、そんな歴代皇帝の迫害に見舞われながらもキリスト教は信者を増やし、コンスタンティヌス帝が署名したミラノ勅令でキリスト教徒の信教の自由が保証され、4世紀、テオドシウス帝の時代にローマ帝国の国教になります。この時代には古代ローマ教が廃れてしまって、ガタガタになっていたローマ帝国をまとめるためには代わって台頭してきたキリスト教を国教に据えるのが得策だったようです。

非ローマ帝国領(例えばドイツ、北欧、ウェールズ、スコットランド、アイルランド)には、もちろん土着宗教がありましたが(北欧神話とかケルト神話ですね)、キリスト教が自然伝播していき、土着宗教は消滅していきました。ローマ帝国末期から中世半ばにかけてほとんどがキリスト教に改宗しました。
どうもこの辺りから「非キリスト教徒=非人類」みたいな発想があったみたい。

かくして地中海世界の大半はキリスト教になりました。後に教会は分裂して西欧はローマ・カトリック、東ローマ帝国(ギリシアやトルコ)やロシアを初めとする東欧は東方正教になります。


中世になるとさらにカトリックが東へ伝播していきます。
「異教徒だ!ぶっ殺してやる!」みたいなのが十字軍を起こす大義名分として通用してしまう時代ですので、カトリック教国は割とそういうのを利用して異教徒の土地に攻め込みました。
そういうわけで非キリスト教国も改宗を余儀なくされました。ボヘミア(現在のチェコ)やポーランド、ハンガリー、ほかにもたくさんありますが、そういう政治上の理由で改宗します。


「異教徒だ!ぶっ殺してやる!」で有名なのは東方植民のドイツ騎士団。「剣による改宗」というやつ。
ドイツ以東のキリスト教徒でない人々を改宗させるためにドイツ騎士団がドイツの東へ赴きました。実際にやったことは事実上の虐殺で、その土地によそからキリスト教徒が移り住むことによるその土地の「改宗」でした。
十字軍遠征やレコンキスタの最中にも似たようなことは多く起こりました。


そんな「異教徒だ!ぶっ殺してやる!」が常識のカトリック世界にも宗教に寛容な国もなくはないわけで。
前述のポーランド王国、後のポーランド・リトアニア共和国はカトリック教国でありながら宗教に寛容でした。
カトリック教徒がいれば正教もおり、キリスト教徒ですらない人たちも普通におり、さらにはヨーロッパ中から追い出されたキリスト教徒に忌み嫌われるユダヤ人を受け入れたり、イスラム教徒がいたり、宗教革命が起きるとプロテスタントを受け入れたり・・・
そんなのが共存する自由な国が例外的に存在したのですが、長い歴史の中で彼らの多くもカトリックへ改宗しました。

中世や近世の博識な人の中には「異教徒だ!ぶっ殺してやる!」に疑問を抱く人もいまして。
現在のドイツにあった神聖ローマ帝国にフリードリヒ2世という皇帝がいまして、ローマ・カトリックの教皇と対立して、破門されて、挙句にイスラム教徒からエルサレムを奪還しなさい、と言われて渋々遠征に向かいます。第六回十字軍、いわゆる「破門十字軍」というやつ。
フリードリヒは、ところがイスラム教徒の総大将と文通を始めます。文通を続けるうちにお互いに「別に戦う必要はないんじゃない?」という結論に達し、エルサレムは一時的に宿敵同士だったキリスト教徒とイスラム教徒が一緒に巡礼することが許される中立都市になりました。当時としては前代未聞のありえない解決法でした。
このためフリードリヒは「世界の驚異」だとか「玉座の上の最初の近代人」とか言われます。
中にはこういう、盲信にとらわれない聡明な人物もいました。全員が全員「異教徒だ!ぶっ殺してやる!」という野蛮人ではなかったということ。


キリスト教の伝播によってなくなってしまった宗教の神様でも、今でも人気のあるものってかなりありますよね。別に宗教として崇拝されているわけではないけれども。
ブリギットやゲルマニアのような女神、よく漫画やゲームのモチーフになってるギリシア神話や北欧神話。
存外、地域ごとにキリスト教以前の名残のようなものが民間伝承レベルで残っています。戦争が起きると自国を擬人化した女神のイラストが売れる、なんてことも100年前ならよくありました。
多かれ少なかれ、キリスト教の伝播は土着宗教や文化との対立を起こしましたが、その地域の文化的・民族的アイデンティティを完全に失わせたわけではなく、キリスト教文化と土着の文化が融合することによって、その地域の文化が形成されています。

無論、大きな対立を生みました。

キリスト教が成立した頃の1世紀ごろ、地中海世界はローマ帝国が支配していたのですが、ローマは多神教を崇拝していました。
この多神教というのが、帝国に次々と併合された地域や民族の神々が取り込まれた宗教でした。その土地を支配下に組み込んで、ローマ的な都市を造り、ローマ的な自由を与え、ローマでの秩序を教え(「郷に入っては郷に従え(When in Rome, do as the Romans do)」ってやつです)、あまつさえその土地の神をローマの神々の中に加えてしまいます。
ローマの...続きを読む

Qヨーロッパ各国の宗教について

明日までに必要なのですが、
ヨーロッパ各国の人々がどの宗教を信じるかの割合を知りたいです。
フランスやイギリス、ドイツ等で結構です。

検索しても見つからなかったので、手元に
資料のある方、よろしくお願いします。

また、もう一つありますが、
ヨーロッパの多くの国は一神教のキリスト教を信じると思いますが、
同じキリスト教を信じるアメリカと
どちらが一神教的概念が強いでしょうか?

ヨーロッパには多くの難民が流れてきたり、
EUにトルコが加入しそうであったりと、
キリスト教以外の宗教に、ヨーロッパは
アメリカより寛大だと勝手にとっていますが、どうでしょう。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

各国別にいうと
フランス:カトリック83-88%、プロテスタント2%、イスラム教5-10%、ユダヤ教1%、無宗教4%
ドイツ:プロテスタント、カトリック各34%、イスラム教3.7%、その他・無宗教28.3%
イギリスは、手元の資料ではなぜか概数になっているのでそのまま記しますと
イギリス国教会ないしカトリック4千万人、長老派80万人、メソジスト派76万人、イスラム教150万人、シーク教、ヒンズー教各50万人、ユダヤ教35万人
となっているようです。

どちらが一神教的概念が強いか?とのご質問の趣旨がうまく理解できなかったのですが、キリスト教である限り「神は一人」の立場で、カトリックのように聖人などの存在は認めても、彼らはやはり「神」ではありません。従って、厳密な意味ではその濃淡を比較することはできません。
ただ、アメリカは元々ピューリタンの国であり、現在でも指導的な立場の人は、一種のキリスト教原理主義であるピューリタン層が多いでしょう。その意味では、多様な文化的価値が交流するヨーロッパと比べ、一神教的な(と言うよりは、善悪二元論的な、という方が正確でしょう)雰囲気が強いと思います。

各国別にいうと
フランス:カトリック83-88%、プロテスタント2%、イスラム教5-10%、ユダヤ教1%、無宗教4%
ドイツ:プロテスタント、カトリック各34%、イスラム教3.7%、その他・無宗教28.3%
イギリスは、手元の資料ではなぜか概数になっているのでそのまま記しますと
イギリス国教会ないしカトリック4千万人、長老派80万人、メソジスト派76万人、イスラム教150万人、シーク教、ヒンズー教各50万人、ユダヤ教35万人
となっているようです。

どちらが一神教的概念が強いか?とのご質問の趣旨がう...続きを読む

Qなぜヨーロッパで広まって日本でキリスト教は広まらないのですか?

ヨーロッパなどでは、キリスト教は広まって今も信仰されているのに、なぜ日本でキリスト教は広まらないのですか?
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

何故でしょうねえ、環境が余りにも違うからでは有りませんか。

キリスト教は四方を敵に囲まれた砂漠民に必要だった宗教。それゆえ生活環境の価値観がかなり違いますね。例えば亜流ですがエホバの証人が持ってくる小冊子を見ると実に良く違いが分かります。
彼らにとっては小川が流れ、緑が生い茂り、果物がたわわに実り、猛獣が人間と一緒に暮らす世界。これこそ現世では到底不可能な主の国の姿。その世界に生まれる為にあらゆる努力を惜しまない。

でもちょっと待ってください、小川、木々、果物これらは日本全国いたるところにあり、別に珍しくも何とも有りません。猛獣にしてもどうしても見たければサファリパークに行けば良いことで簡単に実現できそうです。旭川動物園が特に人気が有りそうですよ。

又彼らが歴史上行ってきたあらゆる残虐行為。もしキリシタン弾圧が無ければ日本はキリスト教国になり白人に完全に支配され、その結果現在の世界はヨーロッパ、アメリカの植民地のままだと思いますよ。日本を始め有色人種の国は家畜、奴隷状態かもしれません。
周囲の国々の歴史をちょっと見れば容易に想像できます。

結局日本人はキリスト教の欺瞞、残虐性、背後に構える軍事力、これらを見抜き必死で排除してきた訳でその結果今日の日本が有り世界が有ると云う事では有りませんか。キリスト教が普及するほど日本人は不幸でもなければバカでもない、と云う事かも。私はそう思いますよ。
まして無知な民をまとめる為に編み出した奇跡の数々。今の日本人で信じる人は極少数、やはりムリでしょう。

何故でしょうねえ、環境が余りにも違うからでは有りませんか。

キリスト教は四方を敵に囲まれた砂漠民に必要だった宗教。それゆえ生活環境の価値観がかなり違いますね。例えば亜流ですがエホバの証人が持ってくる小冊子を見ると実に良く違いが分かります。
彼らにとっては小川が流れ、緑が生い茂り、果物がたわわに実り、猛獣が人間と一緒に暮らす世界。これこそ現世では到底不可能な主の国の姿。その世界に生まれる為にあらゆる努力を惜しまない。

でもちょっと待ってください、小川、木々、果物これらは...続きを読む

Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Qローマ帝国とキリスト教の関係

キリスト教とローマ帝国との関係ですが、ローマというのはイタリアにありますが、これとは違うんでしょうか?
また簡単でよいのですが、ローマ帝国はキリスト教にどう関係するのでしょうか?
すみません、教えてください。

Aベストアンサー

今月3日夜6:30~TBSで放映された「新春超歴史ミステリー 古代ローマ1000年史!! 空前の巨大帝国全解明スペシャル」
http://www.tbs.co.jp/program/rekishi_20080103.html
という番組の中で説明されていたことの転載(?)になってしまいますが…。

>ローマというのはイタリアにありますが、これとは違うんでしょうか?

既に回答されてらっしゃる方のおっしゃる通り、ローマ帝国と都市としてのローマ(市)とはイコールではありませんから、国家としてイタリア半島の中だけにあったわけではありません。ですからその意味では違います。しかしながら、バティカン市国がローマ市内にあり、そこに堂々とローマン・カソリックの総本山たるサン・ピエトロ大聖堂があるという「宗教的な」意味においては非常に密接なつながりがあります。どういう関係にあったかは後にご説明します。

>ローマ帝国はキリスト教にどう関係するのでしょうか?

ローマ帝国における宗教はもともと多神教でした。ちょうど日本の神道が「八百万の神々」を崇拝していたのと同様に。ローマにはもともと、ユピテル(英語名:ジュピター)、ユノー(英語名:ジュノー)とあともう1人(名前は忘れました)の神様がいましたが、ローマが版図を拡大し、植民地(属州)を増やしていく過程で、実に巧みに植民地経営を行っていきました。

古代ローマの伝統的な価値観に「寛容」(ラテン語:Clementia)の精神というのがあります。簡単に言ってしまえば、被征服者たる異民族の異質性を認めた上で、自らの価値観=宗教を押し付けることなく、異民族の宗教・信仰の自由を認めるということをやってのけたのです。また、ユリウス・カエサルの征服したガリアにおいては、ガリアの土着の神とローマの神を結び付けるということもしました。こうした“Clementia”の精神こそまさに古代ローマ帝国が1,000年もの長きに渡って繁栄し存続し得た要因だったわけです。

ところでキリスト教は一神教で、ローマ帝国内でも信者の数が増していきます。ローマ市民は当初、一神教であるキリスト教徒に対しては白眼視していました。

そこに目をつけたのが、あの悪名高き暴君ネロです。ある日、ローマで大火災が発生しました。ネロは自ら先頭に立って消火活動に務めます。都市計画にも非常に積極的だったネロはまた、芸術好きでもありました。最初のうちは積極的な消火活動や焼け跡の復興を好意的に受け止めていたローマ市民でしたが、ネロが黄金宮殿の建設を計画していることを知ると、あれはネロの放火の仕業でないかと噂するようになります。

そこでネロはキリスト教徒をスケープ・ゴートにすることを思い立ちます。彼は無実のキリスト教徒を磔にし火で焼き殺してしまったのです。しかしその後キリスト教徒が無実であることが分かると、今度はネロを糾弾する動きが起こり、ネロは海外への亡命を余儀なくされましたが、自害してしまいます。

その後ローマ帝国内のキリスト教徒の数は増えていきます。それでもパックス・ロマーナと呼ばれた最盛期になり五賢帝の時代を迎えても、キリスト教徒への迫害は続きました。

キリスト教が公認されるのは313年の皇帝コンスタンティヌス1世がミラノ勅令を発してからで、さらに国教となるのは後のテオドシウス帝の時(380年)でした。

コンスタンティヌス1世は、それまで皇帝はローマ市民から統治権限を委託されるという、非常に民主的というか、後の立憲君主制のような政治体制を改め、皇帝は神すなわちキリストから君主たる地位を授けられたとする、後の絶対王政期における王権神授説のごとき主張を行い、自らの地位を絶対的なものとするために宗教を利用しました。

それまでのローマ皇帝は、いわばローマ市民から統治を委任された存在で、たとえ皇帝であってもローマ市民から皇帝不適格の烙印を押されると退位しなければなりませんでした。ネロの時代もそうでした。しかし、市民ではなく神から統治権限を与えられたとすれば、たとえどのような悪政を行おうともローマ市民から皇帝の地位を剥奪されるようなことはなくなります。

こうしてローマ帝国で公認の宗教となったキリスト教は、ローマ市内の中心部に総本山たるサン・ピエトロ大聖堂を建設しました。「サン・ピエトロ」とは「聖ペテロ」の意味で、コンスタンティヌス1世がキリストの使徒の1人であるペテロの墓を参拝するために設けた殉教者祈念教会堂として建設したものでした。

今月3日夜6:30~TBSで放映された「新春超歴史ミステリー 古代ローマ1000年史!! 空前の巨大帝国全解明スペシャル」
http://www.tbs.co.jp/program/rekishi_20080103.html
という番組の中で説明されていたことの転載(?)になってしまいますが…。

>ローマというのはイタリアにありますが、これとは違うんでしょうか?

既に回答されてらっしゃる方のおっしゃる通り、ローマ帝国と都市としてのローマ(市)とはイコールではありませんから、国家としてイタリア半島の中だけにあったわけではありません。で...続きを読む

Qキリスト教が布教活動が盛んだったわけは?

キリスト教が布教活動を海外まで広めていたのは、なぜですか?
なんで、そんな過ちを犯してしまったのでしょうか?

Aベストアンサー

海外というのはヨーロッパ以外という意味でしょうか? 一応そういうつもりでお答えします。

過ちだったかどうかはさておき・・・
ヨーロッパの外への布教に熱心だったのはキリスト教の中でもカトリックだけです。
プロテスタントは布教活動自体には消極的な宗派が多いです。

というのも、16世紀~17世紀にかけて、ヨーロッパでは宗教戦争が巻き起こっていました。
この間、たくさん戦争がありました。結果としてカトリックからプロテスタントが分離します。
これで困るのはローマ教皇庁です。
戦争とプロテスタントの独立でカトリックの信者は激減して、教会の収入も激減、そしてカトリックの体制も空中分解してしまいそうなかなり危うい状態にありました。

そこで信者を増やすために、積極的にヨーロッパの外へ出て行きました。
時は折りしも大航海時代が終わりを迎えて、世界中に交易路が確保される時代です。
宣教師たちはどんどん世界中に散らばっていきました。
日本にはザビエルが来ましたね。

また、非キリスト教徒の土地を占領するということは、同時にそこの住民を教化してしまうか、無理なら殺してしまうか、ということとセットになっていたようです。
統治する上ではそれが合理的だったのでしょう。
海の向こうの土地を占領したスペインやポルトガル、ドイツの東の異民族の土地を占領したドイツ騎士団もこういったことをやっていたようです。


最後に蛇足ですが参考までに。

ヨーロッパにキリスト教が広がったのはローマ帝国の時代です。
もともとキリスト教はローマ帝国の宗教にそぐわなかったので最初のうちは弾圧されました。
ですが信者が増えていって、最終的にはローマ帝国の国教になってヨーロッパ中で信仰されるようになります。
どうやら、弱者救済というのが女子供、老人に人気があったようです。
こういう経緯を考えると、一神教というのは多神教にはないしたたかさがあるかもしれないと、私は思います。

海外というのはヨーロッパ以外という意味でしょうか? 一応そういうつもりでお答えします。

過ちだったかどうかはさておき・・・
ヨーロッパの外への布教に熱心だったのはキリスト教の中でもカトリックだけです。
プロテスタントは布教活動自体には消極的な宗派が多いです。

というのも、16世紀~17世紀にかけて、ヨーロッパでは宗教戦争が巻き起こっていました。
この間、たくさん戦争がありました。結果としてカトリックからプロテスタントが分離します。
これで困るのはローマ教皇庁です。
戦争とプロテスタ...続きを読む

Qキリスト教・カトリック・プロテスタント 3つの違いは?

こんにちは。

先日、アメリカのmixiのようなサイトを見ていた時、わからない点がありました。

プロフィール欄で10個くらいある宗教の選択肢の中に、キリスト教・カトリック・プロテスタントという選択肢があったのです。

私はキリスト教が大まかにカトリックとプロテスタントの2つに分かれていると思っていたのですが、そのサイトの解釈だと、キリスト教はカトリックとプロテスタントとは別物のようでした。

3つの宗教の違いを教えていただけないでしょうか?
生活に関係するルールや習慣などを教えてもらえるとありがたいです。

私の知人の生活を見ると、、、

<カトリック>
・神父さんがいる教会(ほとんどのカトリック信者の知人が毎週日曜日にミサに通い、行かなかった日は良くない事をしたと思っている)
・お酒・たばこは禁止
・恋人はいても婚前交渉は禁止(避妊も禁止)
・夕食の前にお祈りをしている

<プロテスタント>
・牧師さんのいる教会(気が向いた時に行く)
・お酒・たばこOK
・婚前交渉OK(避妊もOK)
・夕食のお祈り(する人としない人がいる)

<キリスト教>
?キリスト教ってカトリックとプロテスタントのことじゃないの?
他の少数派のグループのこと?

といった印象です。よろしくお願いします。

こんにちは。

先日、アメリカのmixiのようなサイトを見ていた時、わからない点がありました。

プロフィール欄で10個くらいある宗教の選択肢の中に、キリスト教・カトリック・プロテスタントという選択肢があったのです。

私はキリスト教が大まかにカトリックとプロテスタントの2つに分かれていると思っていたのですが、そのサイトの解釈だと、キリスト教はカトリックとプロテスタントとは別物のようでした。

3つの宗教の違いを教えていただけないでしょうか?
生活に関係するルールや習慣などを教...続きを読む

Aベストアンサー

 こんにちは。カトリック信者ですので良かったら参考にして下さい。
 キリスト教という宗派の中で様々の教派があると思ってください。例えば仏教というくくりの中に、真言宗とか浄土真宗とか日蓮宗とかがありますよね?あれと同じです。キリスト教の中には大きな教派があり、カトリック、プロテスタント諸派、正教会の3つです。諸派と書いているのはプロテスタントは様々な教派が沢山あるのでプロテスタントという教派ではないためです。多分プロテスタントの方でもルター派とかカルヴァン派とか長老派とかバブテスト、メソジスト、聖公会など沢山あります。その中には狭義的な所で1教会しかないものもありますし、大きなもの、ゆるやかにカトリックと一致しているものなど様々です。
 カトリックはヴァチカンを中心とした1教派です。そこから正教会が最初に分かれ(ロシア正教とかギリシャ正教などです)、さらにカトリックの腐敗のためにルターがプロテスタントを立ち上げます。プロテスタントとは抗議するものという意味もあるそうです。大きな派としてはこの3つが主流になると思います。

 質問者様の印象では、カトリックは非常に厳しいように見受けられますが、多分知人の影響じゃないでしょうか?カトリックは代々信仰している人が多く、あまり熱心にというか声高に自分がカトリックだと主張しない人が多い傾向にあります。傾向にあるというだけで、中には非常に熱心で視野の狭い人もいますが、大体がおおらかというかあまり他宗教を排斥しない傾向にあります。神父(司祭)がいるというのはまあ当てはまりますが、ミサは毎週参加する人もいますし、しない人もいます。しないからといって咎められませんし、クリスマス&復活祭だけに来る人もいます。来るもの拒まず去る者追わずの印象です。お酒タバコや全然咎められませんよ。司祭の方でヘビースモーカーの方いらっしゃいますし、お酒大好きな人もいます。ビアガーデンにいったりとか、普段でも飲酒をたしなむ人はいます。ただ今は四旬節ですので節制した生活を送りますのであまり酩酊するほど飲まないと思いますが。婚前交渉はまあその考え方ですが、あまりガチガチの人っていないんじゃないでしょうか。夕食のお祈りは私はしません。むしろカトリック信者はロザリオの祈りを熱心にすると思いますよ。つねにポケットにいれて祈っている人は割と多いです。
 プロテスタントの方は数人しか知りませんし、先程述べましたように教派が多岐に渡っていますのでこれという印象をつけるのは難しいですが、牧師さんがいらっしゃって、妻帯可能ですので牧師さんのご家族がいらっしゃる人は大勢います。聖書をよく読んでいるという感じで、ちょっとした手紙にも聖句が書かれてあったりします。数人で集まって聖書を読む会などもよく行われていて熱心に勉強しています。お酒タバコは同じくOKですし、夕食の祈りはむしろプロテスタントの方がよくやってるんじゃないでしょうか?友人などで夕食前に祈っている人知ってますので。教会も熱心によく行ってます。カトリックはミサといいますが、プロテスタントは礼拝といいます。礼拝に参加した事は1度ぐらいしかないのですが、カトリックは儀式的なのに対して(ある程度形が決まっています)、プロテスタントは説教を非常に重んじていて自由な雰囲気があります。ゴスペルなんかもプロテスタントですよね。
 正教会はわかりません。私の住んでいる地域にはありませんので。ニコライ堂などがそうです。

 ご参考までにm(__)m。

 こんにちは。カトリック信者ですので良かったら参考にして下さい。
 キリスト教という宗派の中で様々の教派があると思ってください。例えば仏教というくくりの中に、真言宗とか浄土真宗とか日蓮宗とかがありますよね?あれと同じです。キリスト教の中には大きな教派があり、カトリック、プロテスタント諸派、正教会の3つです。諸派と書いているのはプロテスタントは様々な教派が沢山あるのでプロテスタントという教派ではないためです。多分プロテスタントの方でもルター派とかカルヴァン派とか長老派とかバ...続きを読む

Qユダヤ教キリスト教イスラム教の共通点

どなたかユダヤ教キリスト教イスラム教共通点をいくつか教えていただけませんか?

Aベストアンサー

元々、ユダヤ教が原点です。(ユダヤ教の原点は何か?は割愛)
で、そのユダヤ教を改革しようとして出てきたのがイエスです。
しかし、結局は改革ではなく分離独立という道を選び、その宗教がキリスト教となります。
成立は紀元前後ですね。

イスラム教は7世紀にアラビア半島で生まれた宗教です。
ユダヤ・キリスト両方の影響を受けて成立しました。

よって、ユダヤ・キリスト・イスラームは3つ併せて「アブラハムの宗教」と呼称されます。
お互いがお互いに密接に関係しているので、共通点もたくさんあります。

1・「聖典」の共通

ユダヤ教は『旧約聖書』(ただしこの呼称はキリスト・イスラム教からのもので、ユダヤ教徒自信は単に「聖典」と呼びます)を唯一の聖典としています。

キリスト教は『旧約聖書』にイエスやその弟子の言葉や手紙を収めた『新約聖書』が加わります。

イスラム教は『旧約聖書』と「『新約聖書』の中の4福音書」に加え、ムハンマドの言葉をそのまんま記した『コーラン』が加わります。

2・共通の預言者

預言者とは、予言者とは違い、「神の言葉を預かり伝える人」という意味です。
3宗教とも、この預言者の存在を重視しています。
そして、預言者は一人ではなくて何人もいます。
当然、共通の預言者もいれば、一方は認めるけど一方は否定される預言者もいます。
共通のモノとしては、

アブラハム・ノア・モーセが有名どころですね。
で、そこにイエスが加わるとキリスト教。
さらに、ムハンマドが加わるとイスラム教です。

ユダヤ教は、イエスもムハンマドも認めません。
キリスト教はムハンマドを認めません。
イスラム教はすべて認めますが、最大にして最後の預言者がムハンマドであると主張します。


3・聖地イェルサレム

共通の聖地もいくつかありますが、やはり最大のモノがイェルサレムですね。
まぁ、ユダヤ教の聖地であり、そこから分派・影響を受けて成立したのがキリスト・イスラムの両宗教なので、聖地が同じってのも仕方ないですね。
ただ、イスラム教はイェルサレムよりもメッカの方が重要視されますね。(といっても、イェルサレムの重要性も無視できませんが)

とまぁ、今思いつくのはこれくらいですかね。
最後に注意してもらいたいのは、これらはおおざっぱな解釈・説明で、当然宗派によっての違いもでてきますし、その解釈の違いから互いに争ったりしています。

元々、ユダヤ教が原点です。(ユダヤ教の原点は何か?は割愛)
で、そのユダヤ教を改革しようとして出てきたのがイエスです。
しかし、結局は改革ではなく分離独立という道を選び、その宗教がキリスト教となります。
成立は紀元前後ですね。

イスラム教は7世紀にアラビア半島で生まれた宗教です。
ユダヤ・キリスト両方の影響を受けて成立しました。

よって、ユダヤ・キリスト・イスラームは3つ併せて「アブラハムの宗教」と呼称されます。
お互いがお互いに密接に関係しているので、共通点もたくさん...続きを読む

Qユダヤ人はなぜ迫害されたのですか?

先日オランダへ旅行に行った友人がアンネの日記でお馴染みの家を見学に行ったらしいのですが、ユダヤ人が何故迫害されるようになったのか疑問のまま帰国して僕に聞いてきました。僕なら知っていると思ったらしいのですが、僕はこの何故?に対して全くの無知でした。ご存知の方、ぜひ教えて下さい。

Aベストアンサー

起源をたどるとローマ帝国の皇帝がキリスト教徒になり、キリスト教を国教にしたころまで遡れるそうです。
キリストを処刑したのはローマの執政官だったのですが、それではローマ帝国が悪いということになってしまいます。
そこで教会はユダヤ教徒(=ユダヤ人)が執政官に強硬な働きかけをしたために、ローマは「しかたなく」殺してしまったということにしてしまいました。
何世代もそういう教えが伝えられた結果、「ユダヤ人はキリスト教の敵」ということが常識になってしまいました。
そのことも関係して、ユダヤ人は金貸しなど当時身分が低いとされた職業にしかつくことが許されていませんでした。
(それが原因でユダヤ人の多くが金持ちになってしまいました。これもユダヤ人に反感を持たれるようになる原因の一つです)
金を借りて返せないと逆切れして暴力をふるう人は今以上にいたのですが、その大義名分として先の理由がつかわれるようになります。
こういう騒ぎが暴動に発展して、ユダヤ人が略奪&虐殺されることはナチス以前から多くあったそうです。

このような状態が1000年以上も続いたのですから、「ユダヤ人を迫害してもあまり問題は無い」という悪しき文化がうまれたのでしょう。
ユダヤ人に対する差別や迫害はヨーロッパ(というよりキリスト教圏)全体でよくあることだったそうですが、その中で一番激しかったのがドイツのあたりだったそうです。
(これには神聖ローマ帝国などが絡んでいるらしいのですが、面倒なので省略)。

第一次世界大戦後の混乱を利用してナチスが成り上がるために利用したのがこういった差別意識(+自分たちは選ばれた人種なのだという選民意識)です。
「戦争に負けたのはユダヤ人が悪い」など、現在の某組織のように敵を作ることでドイツを自分たちの都合のいいようにまとめようとしたのです。
後はよく知られているように、資産の没収、強制収容、虐殺という流れになって行きます。


という内容の本を昔読んだことがあります。
記憶で書いているので、内容の正確さについては自信がありませんが、おおむねこんな感じだったと思いますよ

起源をたどるとローマ帝国の皇帝がキリスト教徒になり、キリスト教を国教にしたころまで遡れるそうです。
キリストを処刑したのはローマの執政官だったのですが、それではローマ帝国が悪いということになってしまいます。
そこで教会はユダヤ教徒(=ユダヤ人)が執政官に強硬な働きかけをしたために、ローマは「しかたなく」殺してしまったということにしてしまいました。
何世代もそういう教えが伝えられた結果、「ユダヤ人はキリスト教の敵」ということが常識になってしまいました。
そのことも関係して、...続きを読む

Qキリスト教と植民地支配

過去の歴史をみるとアジアやアフリカにヨーロッパのキリスト教の宣教師が最初やってきてその後に植民地支配がはじまるとありますがわからないのはどうしてキリスト教の布教をしてから植民地支配がはじまるのでしょうか?別にキリスト教を布教をしなくてもいきなり侵略できるのにしなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

質問者の方は、「ヨーロッパ諸国は、キリスト教の布教の後に軍隊を送り、植民地にした」と言われていますが、宣教師などを送り込んだのは、カトリック諸国(スペイン、ポルトガル)であって、ブロテスタント諸国は行っておりません。

これは、当時のカトリックとプロテスタントとの宗教のおかれた状況の違いです。

当時のユーロッパでは、宗教改革の真っ只中で、カトリックは、ヨーロッパにおいて、その勢力を大幅に失いました。
それに対し、カトリック側は、イエズス会を中心として、反宗教改革を行います。
その一巻が、海外への布教活動でした。

ポルトガルの場合、まず交易船が現地に行き、現地の確認をすると、イエズス会の宣教師が向かいます。
その場所が、ポルトガルにとって有益な地と判断された場合、そこに拠点を造ります。
この場合、武力によるか、平和的に行うかは、相手しだいです。
ポルトガルの場合は、人口も100万人程度と少ないため、むやみに植民地を拡大せず、あくまで拠点支配にとどまります。
イントではゴア、中国ではマカオ、アフリカのモザンビークなど。

スペインの場合、コンキスタドールなどが、自分たちで勝手に金銀を奪い取るため軍隊を送り、その地を征服してしまいます。
スペイン王室は、その内の一定割合を王室に収める事を条件に、侵略を容認します。
そのため、スペインの植民地は、鉱産資源の豊かな場所がほとんどで、鉱産資源の無い場所や、交易に利点となる場所で無い限り、積極的に殖民を行っていません。
フィリピンの場合、フィリピンは、当時スペインの植民地だったメキシコの植民地で、中国とメキシコの航路確保のために占領しました。
スペイン軍にしても、軍勢は、コンキスタドールの私兵ですから、数百人が限度で、相手がチョットした勢力であれば、占領は不可能でした。

スペインが滅ぼした大きな勢力として、アスティカとインカがありますが、アスティカの場合、スペイン軍というよりも、反アスティカ部族(トルティカ族など)をスペイン軍が結集させ、アスティカを包囲し攻略しています。

インカにしても、当時インカ帝国では、アタワルパとルスカルが、皇位をめぐって戦争中で、ピサロとアタワルパが結び、ルスカルを倒して、インカ帝国に取り入ります。
その後アタワルパを捉え、インカを乗っ取ります。
インカでは、皇帝に権力が集中していたため、皇帝の名代として命令するピサロに反抗できず、のっとられてしまいます。

スペインにしろポルトガルにしろ、まともな国家を占領するだけの力は、当時ありませんでした。
それらを行うのは、イギリス・フランス、オランダといった諸国で、これら諸国は、キリスト教の布教には熱心ではなかったため、質問者のご質問のような事き有りませんでした。
(フランスの場合、カトリックが優位にたっているため、イエズス会などの布教が有りますが、これは占領されてからの話しです。

質問者の方は、「ヨーロッパ諸国は、キリスト教の布教の後に軍隊を送り、植民地にした」と言われていますが、宣教師などを送り込んだのは、カトリック諸国(スペイン、ポルトガル)であって、ブロテスタント諸国は行っておりません。

これは、当時のカトリックとプロテスタントとの宗教のおかれた状況の違いです。

当時のユーロッパでは、宗教改革の真っ只中で、カトリックは、ヨーロッパにおいて、その勢力を大幅に失いました。
それに対し、カトリック側は、イエズス会を中心として、反宗教改革を行いま...続きを読む


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