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 ▲ (エペソ書 2:1-2) ~~~~~~~~~~~
 1: さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。

 2: この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ (あ) 《空中に勢力を持つ者》とは なんでしょう?

 (い) それが 《この世を支配する者》なのですか?

 (う) 《不従順な者たちの内に今も働く霊》というのは 単純に言えば《悪魔》だと思われますが そんなものが ほんとうにいるのですか?

 (え) このような《権能》が《霊》としてはたらき わたしたちは《死んでいた》のでしょうか?

 (お) いいえ。自分たちのそれぞれの自由意志で よからぬことを思いこれを実行してもいただけなのではないのでしょうか?

 (か) 悪魔などは 屁の河童であると言わねばならないのではないでしょうか?

A 回答 (16件中1~10件)

KJVですと


―――――――――
1 And you hath he quickened, who were dead in trespasses and sins;

2 Wherein in time past ye walked according to the course of this world, according to the prince of the power of the air, the spirit that now worketh in the children of disobedience:


http://www.kingjamesbibleonline.org/Ephesians-Ch …
―――――――――
ですね。

これはこれで、どうとでも解釈できる文章ですね~。
で、
この「the air」は、「虚勢」とか「外見的に取り繕った態度」とかの意味、あるいは「空中楼閣 air castle」の「air」とかの意味で、「虚しいもの」、「実際には無い」とかの意味なんでしょうね。


☆☆ (あ) 《空中に勢力を持つ者》とは なんでしょう?

 (い) それが 《この世を支配する者》なのですか?
◇不従順な子らに働く霊ですよ。
《悪魔》や《悪霊》と呼ばれるものなのでしょうね。



☆(え) このような《権能》が《霊》としてはたらき わたしたちは《死んでいた》のでしょうか?
◇この文章を読むかぎりは、そうなるのでしょうね。
(見た目は)生きてはいたが、(実は)死んでいた、死んでいたも同然だった、となる。



☆(お) いいえ。自分たちのそれぞれの自由意志で よからぬことを思いこれを実行してもいただけなのではないのでしょうか?
◇イエスとイエスの教えを信じることによって聖霊が後天的に与えられるものか、
そうではなく、
生得的に我々に備わっているのかによって違ってくるのでしょうね。

前者の立場に立つならば、自由意志の選択ではない、と考えるべきなのでしょうね。
《悪魔》や《悪霊》によって支配されているのですから。

後者の立場に立つならば、「自由意志で」ということになるのでしょうね。
ですが、《先天的に聖霊が備わっているよ説》だと、「人が何故悪を行なうのか」がうまく説明できなくなるじゃないですか。
まっ、
「悪いのは肉の部分だ」と、霊の部分ではなく《肉》を悪者にしちゃえば、
この件については何とか説明がつくのかもしれませんが。



☆(か) 悪魔などは 屁の河童であると言わねばならないのではないでしょうか?
◇わたしは、これでも一応《自力》派なんで、「悪魔なんて本当はいない」とは言いますが、
ここまで踏み込んだ発言はしませんよ、絶対に。
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この回答へのお礼

 そうですね。言いたいことは
 ◇ 《悪魔》や《悪霊》によって支配されているのですから。
 ☆ という状態について それは いやいや

  ○ われわれ人間が 自分の自由意志で よからぬことをたくらんでそれを実行に移した。だけではないのか?

 です。

 こんにちは。ご回答をありがとうございます。


 つまり だって アダムとエワとには初めから自由意志がそなわっていたからこそ それぞれのおのれの心に あの木から採って食べてはいけないというヤマシサ反応が起きていた。しかもそれにさからって 食べたのは 同じ自由意志による考えとおこないである。のではないでしょうか?

 悪魔だとか 空中の権能などというチカラは どこにもありません。

 人間の自由意志の自由度を表わしただけのタトエなのではないでしょうか?

 というのが 趣旨です。





 ◇ ですが、《先天的に聖霊が備わっているよ説》だと、「人が何故悪を行なうのか」がうまく説明できなくなるじゃないですか。
 ☆ いえ。ですから おのれの心――聖霊なるきよらかさ――にさからって自分の意志をおこなう自由度を われわれ人間は 持つ。すなわち 《心にさからう》ことは よからぬことであり 言うとすれば悪なのではないでしょうか。

 ヤマシサ反応を強行突破する意志自由のことであり その実行であり その結果 おのれの心に出来た欠け――自然本性のきよらかさなる心に出来た欠け―― これらを 悪と呼ぶのだと見ます。


 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~
 まっ、
 「悪いのは肉の部分だ」と、霊の部分ではなく《肉》を悪者にしちゃえば、
 この件については何とか説明がつくのかもしれませんが。
 ~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ いいえ。悪を考えつきそれを 論理によって弁護しつつ実行するのは 理性です。悪を考えるにあたっては 感性ないし感情としての知覚をきっかけにしたかも知れません。

 ただし この知覚にもとづきそのまま先へ進むのは やましいことだとおしえるのは それも 感性であると捉えます。


 つまり わるものは 理性でありおのれの知性なる心であり じつに おのれの自由意志である。となりませんか?




 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  ☆(か) 悪魔などは 屁の河童であると言わねばならないのではないでしょうか?
  ◇ わたしは、これでも一応《自力》派なんで、「悪魔なんて本当はいない」とは言いますが、
 ここまで踏み込んだ発言はしませんよ、絶対に。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《空中の権能》に義理立てしなければならないことでもありますか?

お礼日時:2014/08/30 15:12

先日は、外国語カテゴリでの、投稿文盗用問題におつきあひくださり、ありがたうございました。

さらに調べてみると、哲学カテゴリの回答文もYahoo知恵袋にコピペされてゐました。「デジタルライフオールスターズ」といふサイトがあるのですが、そこでこの件の監視もしくは注意報発令などの役割をはたしてもらへないものかと、今思案中です。


質問文のパウロの言葉は、ぶらげろさんの解釈のとほりと存じます。下記のとほり、ルカもヨハネも、同じ趣旨の記述をしてゐます。

それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである。
(使徒言行録26章18節 新共同訳)

わたしたちは知っています。わたしたちは神に属する者ですが、この世全体が悪い者の支配下にあるのです。
(ヨハネの手紙一5章19節 新共同訳)


神の国が現実世界において実現してゐない以上、「サタンの支配」とみなすのが聖書的な発想です。以前ねこさんから、聖書の教へは、善と悪といふ極端な二項対立だといふ指摘を受けました。たしかに、これは聖書を読むときに、心にとめておかなければならないきはめて重要な要素です。

最終的な判断ができるのは、神のみです。私は、予定説でさへ誤りだと思つてゐます。小さな存在にすぎない人間がかるがると判断すべきものではありません。人間にできるのは、ぶらげろさんがおつしやるとほり、「それぞれの自由意志で よからぬことを思いこれを実行してもいただけなのではないのでしょうか?」、その程度のことにすぎません。


私は「屁の河童」などと主張するほど下品ではありませんので、(あ)から(お)までに同意いたします。

以上、悪魔plapotaの意見でした。
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この回答へのお礼

 ▲ (使徒行伝 26:18) ~~~~~~~~~ 
 〔* イエスが パウロに向かって語っていることばとして イエスがこのサウロ=のちのパウロを召したのは〕
 それは、彼ら(* イスラエル人および異邦人つまり世界の人びと)の目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、こうして彼らがわたし(* イエス・キリスト)への信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである。
  (使徒言行録26章18節 新共同訳)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ですね。けれども この《サタンの支配から神に立ち帰らせ》というときの《サタンの支配》というのは 単なるタトエであって じつは 単純に人間の自由意志の――おのれにさからう場合の――自由度とそれを駆使したときの心の状態 これを言うのではないでしょうか?


 こんにちは。ご回答をありがとうございます。


 回答No.1でのやり取りにも このいま述べました趣旨を説明しています。併せてお読みいただければ さいわいです。



 すなわち
 ▲ (ヨハネの手紙一5章19節 新共同訳) わたしたちは知っています。わたしたちは神に属する者ですが、この世全体が悪い者の支配下にあるのです。
 ☆ というときの《悪い者の支配》というのは そうではなく 人間にあってそれぞれおのれの意志自由なる選択における――よからぬほうの――自由度のことを言うのではないか? です。

 空中の権能などが 人間と別様にいるわけがありません。

 そんなことを言うから――つまりは タトエを実在のものであるかのように見たり言ったりするから―― たとえば《人間の自由意志や知性から独立した〈ムイシキ〉なる領域》を推し立てられても 文句を言わないのですし 批判をし得ないままでいる。のではないでしょうか?

 アーラヤ識などと言っても ただの想定です。
 ましてや アマラ識=九識などというのは あり得ません。


 シュウキョウだけではなく 哲学までも まだまだ《おままごと》の域を出ない。




 ★ 以前ねこさんから、聖書の教へは、善と悪といふ極端な二項対立だといふ指摘を受けました。たしかに、これは聖書を読むときに、心にとめておかなければならないきはめて重要な要素です。
 ☆ これは 次元がちがいます。空中の権能とは 別です。

 そのように対立する二項としての善と悪という概念は あくまで人間の自由意志による《ヤマシサ反応にさからわない自己同一性とその保持》とそして《ヤマシサ反応にさからっておこなう意志行為とそれによる心の欠け》とであって そのように相対的な世界における相対的な内容の概念です。




 この際 重大なことを提起します。

 ★ 最終的な判断ができるのは、神のみです。
 ☆ という命題は 人間の意志行為としての判断です。それ以外のものではありません。

 人間ぶらじゅろんぬの見るところを推し進めています。

 

お礼日時:2014/08/30 15:35

KJVと日本語訳ですと分かりにくいので、


Net Bibleから引用しますと
―――――――――
Ephesians 2

2:1 And although you were1 dead in your transgressions and sins,
2:2 in which you formerly lived according to this world’s present path, according to the ruler of the kingdom of the air, the ruler of the spirit that is now energizing the sons of disobedience,
2:3 among whom11 all of us also formerly lived out our lives in the cravings of our flesh, indulging the desires of the flesh and the mind, and were by nature children of wrath even as the rest…

https://bible.org/netbible/index.htm
―――――――――
と非常に分かりやすいようです。

この注釈を見ると、
he ruler of the kingdom of the air is also the ruler of the spirit that is now energizing the sons of disobedience. Although several translations regard the ruler to be the same as the spirit, this is unlikely since the cases in Greek are different (ruler is accusative and spirit is genitive). To get around this, some have suggested that the genitive for spirit is a genitive of apposition. However, the semantics of the genitive of apposition are against such an interpretation (cf. ExSyn 100).
とありますので。
the air,に続くspiritに該当するギリシア語は属格、所有格で、
日本語訳、KJVともに訳として問題があるようですね。
 ―――KJVはグレイか。でも、日本語訳には問題がある!! とんでもない誤訳の可能性がある―――

これを読むと、悪者は《肉・flesh》となるのですかね。

この訳が正しいならば、
この霊は悪魔や悪霊ではないということになりそうです。
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この回答へのお礼

 そうですね。やや 複雑なようです。

 つづいてのご回答をありがとうございます。


 わたしが理解したところでは
 ◇ the air,に続くspiritに該当するギリシア語は属格、所有格で、
 ☆ ということで NetBible の訳が 原文に忠実なように思います。

 すなわち:
 ▲ according to the ruler of the kingdom of the air, the ruler of the spirit
 ☆ であるようです。ということは KJV についてこれをあてはめるなら こうなります:

 ▼ according to the prince of the power of the air, 〔 the prince of 〕the spirit

 ☆ ややこしいですね。
 
 ○ 空中の権能なる王(第一人者・支配者) [・・・]霊の王(支配者)



 それから 知り得たこととして:

 ○ 2:1 や 2:2 の 《あなたがた》は ユダヤ人ではないいわゆる異邦人のこと。
   2:3 の《われわれ》は ユダヤ人のこと。

 であるようです。





 さて 空中の権能とは 何でしょう? 
 もし悪魔だとして それは 実態があるのでしょうか?

お礼日時:2014/08/30 16:46

bragelonneさんこんにちは。

以前、「言葉をなぜ、学ぶのか?」に参加させていただいた音楽家です。
キリスト教に詳しくないので直接の回答はできないのですが、引用文にわからないところがあります。

>この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者

とあるのですが、「この世を支配する者」の部分が、私が所有する聖書(フェデリコ・バルバロ日本語訳、講談社)には、「この世のならわしに従って、空中の勢力のかしら、すなわち不従順な人々の中に今も働く霊に従って歩んでいた」とあり、ルター訳のドイツ語の聖書でも「Auch ihr wart tot durch eure Übertretungen und Sünden, in denen ihr früher gelebt habt nach der Art dieser Welt, unter dem Mächtigen, der in der Luft herrscht, nämlich dem Geist, der zu dieser Zeit am Werk ist in den Kindern des Ungehorsams.」、つまり「nach der Art dieser Welt」となっております。また、講談社の方の注釈には、「空中に勢力を持つ者」は「悪魔」のこと、とありました。したがって、もしこれが正しいとすれば、
(あ)(う)「空中の勢力のかしら」「不従順な人々の中に今も働く霊」はともに「悪魔」ということではないでしょうか。
(い)は、その文が本来「この世のならわしに従って」という意味であるとすれば、質問が成り立たなくなってしまいますが、その「悪魔」に従って生活することが世のならわしになっていた、という意味では、「悪魔のならわしに従って」ということになりますね。
(え)注釈によると、「あなたがた」は「異邦人の信者」、「不従順な人々」は「ヘブライズム」、「私たち」は「ユダヤ教からの信者」とありました。
(お)よからぬことを、よきことと思わせる教えのもとに暮らしていたのであれば、自由意志というより、よからぬことをしていると思っていなかったのでは?
(か)「悪魔などは 屁の河童である」- 悪魔であることに気付いていなければ、そう叫ぶことはできませんね。

聖書などほとんど読んだことがない者の回答です。本気になさらないでください。
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この回答へのお礼

 たすてんかすてんさん こんにちは。ああ そうでしたか。《日本文化》の質問で 質問者にていねいにおしえてあげていましたね。そのときは 作曲家さんだとは知りませんでした

 ご回答をありがとうございます。

 
 ★ (か)「悪魔などは 屁の河童である」- 悪魔であることに気付いていなければ、そう叫ぶことはできませんね。
 ☆ なかなかきついツッコミだと思いました。

 それから バルバロ訳は 参照できました。ルーテル訳は 持っていませんので 参考にさせてもらいます。



 ▽ unter dem Mächtigen, der in der Luft herrscht, nämlich dem Geist
 ☆ これは 

  ▲ according to the prince of the power of the air, 〔 the prince of 〕the spirit

 とあるその《 the prince of the power 》が 《 dem Mächtigen 》なる一語に訳されているので  わかりにくくなっていますが 《 nämlich dem Geist 》の《霊》は 《空中の権能( the prince of the power )》のことだと捉えられます。


 ☆ つまりは 意味からすれば

 ○ der in der Luft herrscht, =  nämlich dem Geist

 であるのかなと考えます。
 
 その限りで バルバロ訳は 次のように受け取るほうが 逐語訳としては よいようです。

  △ この世のならわしに従って、〔また〕空中の勢力のかしら〔に従って〕、すなわち不従順な人々の中に今も働く霊〔なる頭〕に従って歩んでいた

 でしょうか。




 さて
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
 講談社の方の注釈には、「空中に勢力を持つ者」は「悪魔」のこと、とありました。したがって、もしこれが正しいとすれば、
 (あ)(う)「空中の勢力のかしら」「不従順な人々の中に今も働く霊」はともに「悪魔」ということではないでしょうか。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これは おそらく一般の見方だとわたしも思います。(い)についても おっしゃるとおりに思います。

 むしろ問題は 質問者にとって 《悪魔》が どういう実態(実体?)であるのか? にあります。




 ★ (え)注釈によると、「あなたがた」は「異邦人の信者」、「不従順な人々」は「ヘブライズム」、「私たち」は「ユダヤ教からの信者」とありました。
 ☆ 《不従順な人びと》とは 旧約の世界になお閉じ籠るヘブライイズムでもあるのでしょうし 一般に《神――ヤハヱーやキリストの神を超えた一般・普遍の神――》との関係を受け取りも拒みもしないところの・信仰としてのっぺらぼうの生き方ではないかと考えますが どうでしょう。



 ★ (お)よからぬことを、よきことと思わせる教えのもとに暮らしていたのであれば、自由意志というより、よからぬことをしていると思っていなかったのでは?
 ☆ ここも ツッコミの響いたところですが ものごとが入り組んでいると思います。

 旧約の時代であるなら 《よきこと・よからぬこと》は 一般にモーセの律法に明らかにして記されています。

 モーセの以前には アブラハムがいたのですから そしてかれは律法の規範によるというよりは 信仰によってあゆむ人間でしたから また話がややこしくなると思うのですが 要するに――モーセの律法による規範がものを言う時代にあっても けっきょくは―― ヤマシサ反応は 誰にもはたらくと考えます。

 だれの心にも やましさを知覚することが 生まれつきの自然本性としてそなわっています。(ブッダター(仏性)がやどると言っても 同じことでしょう)。よって その意味で 自由意志はすでにあった。その意志による判断をおこなう際に ヤマシサ反応があらわれます。よからぬことを考えると 考えるだけで胸が動悸をおぼえたりします。


 したがって 《よからぬことを、よきことと思わせる教えのもとに暮らしていた》としても それは―― 一時期の一部の人びとないし地域で自由意志の自覚がとぼしくなっていたとしても―― やはりすでに感性が よきこと・よからぬことの判定をヤマシサ反応としておしえているのではないかと考えます。


 したがって
 ★ よからぬことをしていると思っていなかったのでは?
 ☆ については いわゆる社会において集団としての洗脳があって そのハタラキが影響したとしても 一時期・一地域・一部分ではないかと考えるのですが どうでしょう。

 戦時中というけっこう長いあいだ・多くの人びとが マインド・コントロールにかかったような歴史もありましたが。また 韓国は 長い長いあいだ集団としての集団の全体が おかしくなっていると見られますが。





 さて 悪魔論は いかがあい成りましょうか。

お礼日時:2014/08/30 17:32

「お礼」ありがたうございました。



>>《サタンの支配》というのは 単なるタトエであって
>>じつは 単純に人間の自由意志の――おのれにさからう場合の――
>>自由度とそれを駆使したときの心の状態 これを言うのではないでしょうか?

私はそこまでは断言できません。存在として認めてもよいのではないか、とも思ひます。ただし、一人の人間として聖書を読み、みづからへの戒めとしての価値を見出すならば、bragelonneさんのお考へに賛成です。私はさういふ立場です。
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この回答へのお礼

 ★ 〔* 悪魔 あるいは サタンの支配について〕 存在として認めてもよいのではないか、とも思ひます。
 ☆ ここが 重大な問題点であると思うのです。

 つづきましてのご回答をありがとうございます。


 つまり 《存在として》という概念そのものが 一大事ではないでしょうか? 悪魔のことについてですよ?

 つまり 文学として そのような表現を用いることは 何の制約もありません。表現がうまかったか・まづかったかだけで判定すればよいのだと思います。

 でも 哲学は 済まされないでしょうね。



 つまり 悪魔・サタン・空中の権能・・・これらは 文学の問題であるというのが 質問者の立ち場です。




 ちょっと軽いかたちで・つまり例によってコーヒーブレイクとして 出してみておこうと思ったのですが 大きな問題点を――わたしから見れば――成しているようですし 意外と《悪魔》論は みなさんがそれぞれ持論をお持ちのようです。

 いましばらく出来るところまできちんと進めて置こうとは思います。




 ★ 一人の人間として聖書を読み、みづからへの戒めとしての価値を見出すならば
 ☆ という観点からの判断 これもありそうなのですが どうでしょう? ありそうで まだ分かりにくいとも言わなければならないように感じます。

 それは 先ほどの《存在するかどうか》の問題です。悪魔は 想像の産物であり 文学の扱う題材ないし主題である。哲学は 表現の問題であらそわないという条件で タトエとして用いることがある。となると思います。

 すなわち
 ★ 私はそこまでは断言できません。
 ☆ というときの《断言》の問題ではないように思っています。つまりぎゃくに言うと ジャンルの違い・つまりそこでの扱い方の問題であると。

 おおきな論点だと思います。




 ところで

 ▼ Eph 2:4  But God, who is rich in mercy, for his great love wherewith he loved us,
 ▲  2:4   ὁ  δὲ  θεὸς  πλούσιος  ὢν  ἐν  ἐλέει  διὰ  τὴν  πολλὴν  ἀγάπην  αὐτοῦ  ἣν  ἠγάπησεν  ἡμᾶς
 http://www.blueletterbible.org/Bible.cfm?b=Eph&c …

 ☆ この《 ἣν 》って何ですか? 関係詞ですか? 《 wherewith 》と訳されているのですが。

お礼日時:2014/08/30 17:49

ちよつと外出してきます。

帰り次第、回答いたします。

さきほど、ホロコーストのギリシャ語の回答をしてきたばかりですので、ついでに一点のみ。

>>この《 ヘーン 》って何ですか? 関係詞ですか? 

外国語カテでも、文法の説明はめんどくさいので、ほとんどしてゐません。ここだけ特別です。関係代名詞の女性単数対格ですね。アガペーンにかかります。男性単数主格は「ホス」。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ アガペーンにかかります。
 ☆ かかっても むしろ要らないとしか思えないんですけれど?・・・
 

 ▼ Eph 2:4  But God, who is rich in mercy, for his great love wherewith he loved us,
  2:5 Even when we were dead in sins, hath quickened us together with Christ, (by grace ye are saved;)

 ▲  ~~~~~~~~~~~~~~~
 2:4   ὁ  δὲ  θεὸς  πλούσιος  ὢν  ἐν  ἐλέει  διὰ  τὴν  πολλὴν  ἀγάπην  αὐτοῦ  ἣν  ἠγάπησεν  ἡμᾶς

 2:5 καὶ  ὄντας  ἡμᾶς  νεκροὺς  τοῖς  παραπτώμασιν  συνεζωοποίησεν  τῷ  Χριστῷ  χάριτί  ἐστε  σεσῳσμένοι
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ 主語は ホ テオス= 神が。
 述語は エーガペーセン= 愛した。および シュネゾーオポイエーセン=生かした。

 2:5 は いまのヘーンなる語が そこへも関係するのかなと思って出したのですが けっきょく 《そのゆたかな愛によって( ディア テーン ポレーン アガペーン)》だけで済むようにしか考えつかないのですが?・・・

 お手上げです。なお おしえてください。

お礼日時:2014/08/30 21:15

bragelonneさん こんばんは



ベストアンサーのお礼にbragelonneさんの哲学体系構築の一助として参考文献となればと思い投稿いたします。

現在の宇宙観にこびりついた現代人の私は、なんと斬新な考えだと思ってしまいますが、当時の古代ユダヤ教の考えでは空には、第1の天として空高く雲のあるところ、第2の天として星や天体が張り付いているところ、第3の天としていわゆる楽園があると考えられていたそううです。

コリント人への第二の手紙12章2節に出てくる「第3の天」という言葉を読んでいただけるとわかりますが、パウロもこのような宇宙観を持っていたと考えられます。

さて、ご質問ですが、この聖句の「この世を支配するもの(アイオーン)」は永遠の時の流れ、または、グノーシス神話(知識豊かなbragelonneさんはもうご存知と思いますが、もうパウロの時代からキリスト教の異端が生まれ使途行伝8章9節に出てくる魔術師シモンはグノーシス主義のシモン派を率いていたそうです。)の中では悪しき霊的存在を示すそうです。

「かの空中」とは天の最下層(おそらく第1の天ですか)でグノーシス神話の中では諸霊の勢力を持つ者(アルコーン)が住むとされていたそうです。

ですからサタンと捉えてもいいと思いますが、パウロにとってのこの使い回しはグノーシス主義をキリスト教の異端であるという意味合いが含まれているかもしれません。

回答(お)につきましては私も賛成です。神は人間を自由意志がないロボットとしてはいないと思います。

アダムとエバの話にしろ十戒にしろ神は「~してはならない」と断言命令してますが、これはもし神と人との間に愛と信頼の関係あるのなら、その文をすべて「~するはずがない」と置き換えも可能と思います。前提つきですが。

(か)はいかがでしょう。ヒットラーなどは悪魔に取り付かれたかもしれない。bragelonneさんは哲学体系が完成しても、まさか独裁者として君臨する野望はないと断言してください(笑)

しかし、子孫がbragelonne哲学体系を使い世界統一戦争をおっぱじめるかもしれませんよ。そうならないようにくれぐれもご注意ください。

以上参考文献でした。

この回答への補足

 《第三の天》など《天》をめぐる宇宙観について 次の質問と回答を見つけました。いくぶん神にかかわらせたオシエというその中身に近い解釈ではないかと思いますが ここに掲げておきます。

 【Q:聖書の記事について質問です。】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7724767.html


 ◆ (回答No.2:第一の天から第三の天までについて) ~~~~
 第一の天とは、物質的な天、大空または宇宙。

 第二の天は 霊的な天使たちの住む領域。そして、

 第三の天、つまり「天の天」とは、全能の神の王座のあるところ、

 ということができます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ 《天使の住む・第二の天》に どうも《悪霊ないし 堕天使でしょうか悪魔》なるチカラがはたらくと見られているのでしょうか? エペソ書6:12に《天にいる悪の諸霊》とあるようです。

 ◆ (同上:空中の権能について) ~~~~~~~
 ヤコブ(イスラエル)も天使と格闘してついには勝ちましたが、「腿の関節、つまり腰の筋」を打たれて謙遜にさせられました。(創世記27:24-32)

 それに対応して、クリスチャンは悪魔(ヤコブの時の天使に対応)と格闘しなければなりません。

  「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。 」

 とエフェソス6:10-18にあります。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

補足日時:2014/09/01 12:21
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この回答へのお礼

 まづ聖書のくだりの確認です。

 ▼ (コリント後書12:2-4) ~~~~~~~~
 2: わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。  
 3: わたしはそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。
 4: 彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 確かに 《第三の天》と《楽園》が出て来ますね。

 
 あめんほてぷ2000さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。



 ★ 「この世を支配するもの(アイオーン)」は永遠の時の流れ
 ★ 諸霊の勢力を持つ者(アルコーン)
 ☆ これらは 確かに使われていますね。

 ▲ (エペソ書 2:2) ~~~~~~~~~~~

 κατὰ  τὸν  αἰῶνα(<アイオーン)  τοῦ  κόσμου  τούτου
 = according to the course of this world,
 = この世を支配する者に従い

 κατὰ  τὸν  ἄρχοντα(<アルコーン)  τῆς  ἐξουσίας  τοῦ  ἀέρος
 = according to the prince of the power of the air
 = かの空中に勢力を持つ者に従い

 〔 κατὰ  τὸν  ἄρχοντα(<アルコーン) 〕 τοῦ  πνεύματος
 = 〔 according to the prince of 〕 the spirit
 = 霊〔の支配者〕に従い

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




 ★ グノーシス神話((中略)・・・もうパウロの時代からキリスト教の異端が生まれ使途行伝8章9節に出てくる魔術師シモンはグノーシス主義のシモン派を率いていたそうです。)
 ☆ ということは この《悪魔≒空中の権能》とは グノーシス主義ですからけっきょく思考と想像の産物として現われたものだ。ということでしょうか?
 
 偶像の神 思念ないし観念としての神だということでしょうか。

 いや あるいは グノーシス主義は 二元論ですね。それも 関係していましょうか。



 ふむ。ただ 信仰の道をはづすという場合は グノーシス主義のごとく理念志向によるだけではないとは思われます。善神と悪神との二元論によるマチガイだけではないかも知れません。






 ☆☆ (趣旨説明欄)(お) いいえ。自分たちのそれぞれの自由意志で よからぬことを思いこれを実行してもいただけなのではないのでしょうか?
 ★ 回答(お)につきましては私も賛成です。神は人間を自由意志がないロボットとしてはいないと思います。

 そして
 ★ アダムとエバの話にしろ十戒にしろ神は「~してはならない」と断言命令してますが、これはもし神と人との間に愛と信頼の関係あるのなら、その文をすべて「~するはずがない」と置き換えも可能と思います。前提つきですが。
 ☆ これは そういった解説がついていますね。必ずしもオシエないし規範なのではないという見方です。律法ないし法律ではなく アブラハムの信仰に立って その信仰によってあゆむというかたち。信仰の道をあゆむ者には 《ころすという行為をするようになることはない》といったように。



 ☆☆ (趣旨説明欄) (か) 悪魔などは 屁の河童であると言わねばならないのではないでしょうか?
 ★ (か)はいかがでしょう。ヒットラーなどは悪魔に取り付かれたかもしれない。bragelonneさんは哲学体系が完成しても、まさか独裁者として君臨する野望はないと断言してください(笑)
 ☆ 独裁者を放っておくような人びとからもし仮りに支持を受けても うれしくない。でしょうね。

 ★ しかし、子孫がbragelonne哲学体系を使い世界統一戦争をおっぱじめるかもしれませんよ。そうならないようにくれぐれもご注意ください。
 ☆ 悪魔に取り憑かれることがないということが分かって来たなら ひょっとして人間の知恵と能力と努力とで 競争が始まるかも知れませんね。互いに自由な批判を もろに・余すところなく おこないきるようになるかも分かりません。

 経験合理性にもとづく推論が行き着くところまで 議論をつらぬきとおすようになるかも分かりません。

 議論戦争が始まるかも分かりません。
 

お礼日時:2014/08/30 22:15

回答が遅くなりました。

最近はさまざまな宗教議論への参加者がふえてきて、好ましく感じてゐます。特に佛教については、回答者がねこさんだけのときが多く、心配してゐたものですから。

>>《存在として》という概念そのものが 一大事ではないでしょうか?
>>悪魔のことについてですよ?

作曲家の先生がおつしやるとほり、書いてあるとほりです。

たしかに文学的問題ならば、すんなり認めればすむことです。現実には、否定はできません。比較すると叱られるかもしれませんが、STAP細胞よりも、可能性があるやうな気がします。

さきほどの関係代名詞の件ですが、何かあつたのでせうか。文法の説明など、bragelonneさんには不要と思ひますけれど。

for his great love wherewith he loved us (American Standard Version)
through his great love that he loved us (A Conservative Version)
through the great love with which he loved us (New Jerusalem Bible)
because of the great love he had for us (New American Bible)
because of the intense love which He bestowed on us (Weymouth)
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この回答へのお礼

 ★ 作曲家の先生がおつしやるとほり、書いてあるとほりです。
 ◆(回答No.4) (か)「悪魔などは 屁の河童である」- 悪魔であることに気付いていなければ、そう叫ぶことはできませんね。
 ☆ これですか?


 まづは ご回答をありがとうございます。

 
 でも 人が《悪魔に気づいていなければ》 やはり悪魔は 現実ではないですね。虚構の世界でしか現われない。となるのではないでしょうか?


 ★ たしかに文学的問題ならば、すんなり認めればすむことです。現実には、否定はできません。
 ☆ は 大いに分かるのですが
 ★ 比較すると叱られるかもしれませんが、STAP細胞よりも、可能性があるやうな気がします。
 ☆ は どういう思考のあり方であるのかが 分かりません。つまり 自説にかたくなになっているように見えるのでしょうが そうではなく 決してそうではなく 飲み込めないのです。

 《実体》であるとか《存在》であるとかのカテゴリには 悪魔は 入らない。という捉え方のほかに どういう定義や認識の仕方があるのか? これが 分かりません。

 文学については 分かります。






 ▽ through the great love with which he loved us (New Jerusalem Bible)
 ☆ だとしますと

  2:4  διὰ  τὴν  πολλὴν  ἀγάπην  αὐτοῦ  〔 διὰ 〕 ἣν  ἠγάπησεν  ἡμᾶς

 のように もうひとつ ディアが必要なのではないのでしょうか? よろしくお願いします。つまり そうなると ディア・・・・・・アウトゥー(そのゆたかな愛によって)なる語句は 2:5 のほうの 《シュネゾーオポイエーセン=生かした》にかかることになるという寸法です。
 
 なんだかなぁ。

お礼日時:2014/08/30 21:33

☆さて 空中の権能とは 何でしょう?


◇テキストとしての流れからすれば、
《肉(欲)》を求めるハタラキや心の有り様となるのでしょうか。

でも、分からないですね、
「the air」という言葉が(従順や善性などの)欠乏や空虚といった意味を表わしているのかもしれないので。



☆もし悪魔だとして それは 実態があるのでしょうか?
◇現われとしての心やそのハタラキとしてならばある。
しかし、それは実体的な存在ではない、と考えるべきなのでしょうね。


で、
the ruler of the spiritのspiritも霊や聖霊といったものと考えるべきではない、
と思います。
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この回答へのお礼

 あらためまして こんばんは。ご回答をありがとうございます。


 ◇ 「the air」という言葉が(従順や善性などの)欠乏や空虚といった意味を表わしているのかもしれない
 ☆ これは 《善の欠如 ないし 善の損傷》として 善のマイナス つまり悪のことですね。

 ◇ テキストとしての流れからすれば、 / 《肉(欲)》を求めるハタラキや心の有り様となるのでしょうか。
 ☆ その《ハタラキや心の有り様》は 人びとにはあらがい難い圧倒的な・または得も言われぬほど魅力的なチカラを持つものか? でさらに中身がはっきりするように思います。

 もし《霊》と言っているのなら それは つまり経験事象を超えていると考えられるからには 人間の知恵と能力と努力を超えていると思われます。


 ただしこの《霊》という規定も 必ずしも神としての霊のことではないかも知れません。

 
 あっ 書いてありましたね。
 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 で、
 the ruler of the spiritのspiritも霊や聖霊といったものと考えるべきではない、
 と思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~





 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
  ☆ もし悪魔だとして それは 実態があるのでしょうか?
  ◇ 現われとしての心やそのハタラキとしてならばある。
 しかし、それは実体的な存在ではない、と考えるべきなのでしょうね。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ここは 意見が一致しました。ただしその実態は 悪魔という表現をつかっているだけではないかとは思っています。

お礼日時:2014/08/30 22:39

回答番号6「お礼」拝見いたしました。



>>主語は ホ テオス= 神が。
>>述語は エーガペーセン= 愛した。
>>および シュネゾーオポイエーセン=生かした。

文が長いので、ややこしいのは確かです。

>>《そのゆたかな愛によって( ディア テーン ポレーン アガペーン)》
>>だけで済むようにしか考えつかないのですが?・・・

そのとほりだと思ひます。アガペーについてアガパオーするといふのは、馬から落ちて落馬するのと同種ですが、ギリシャ語やヘブライ語ではめづらしくないやうな気がしますし、だからこそ、そちらにしか、かからないのではないでせうか。
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この回答へのお礼

 ★ そのとほりだと思ひます。
 ☆ そうなんですか?


 ご回答をありがとうございます。



 ★ アガペーについてアガパオーするといふのは、馬から落ちて落馬するのと同種ですが、ギリシャ語やヘブライ語ではめづらしくないやうな気がしますし、だからこそ、そちらにしか、かからないのではないでせうか。
 ☆ ううーん。やっぱし むつかしい。

 《ヘーン》は 対格なのですよね? でも エーガペーセン(神が愛した)の対格は 《ヘーマス(われわれを)》がありますから・・・あっ 二重対格語のようなかたちなんでしょうか? 

 


 あぁ。なんだかなぁ。


 でも お教え ありがとうございます。

お礼日時:2014/08/30 22:47

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