アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

マルコポーロはどうやって盗伐がいるシルクロードを通って北京に辿り着いたのでしょうか?
馬とか駅伝制とか情報ネットワークが関係あるのでしょうか?

A 回答 (2件)

ヴェネツィアからバルカン半島北を抜け、クリミアを経由してアゼルバイジャン⇒トルクメニスタン⇒ウズベキスタンと抜けます。


ここで幸運にも、パレスチナ人(レバント)に出会い、なんとクビライへの面会が許され、当時の中国はへ元ですので、面会は北平(北京)で行われました、
こうして安全に北京まで行けたのです。当時は、この辺一体はクビライの支配下でした。
そうしてタタール人の奴隷も貰いました。
マルコは数ヶ国語を話せたので、クビライに気に入られて仕官します。
ローマへの使節官として、学者の派遣とオリーブオイルの提供などの要求を伝えに派遣されるので、安全に帰れました。
その他に、中国各地やベトナムに徴税の仕事などをしに回っています。
その時にジッポン(日本)のことを伝え聞き、ジパングととヴェベツィア語に解釈してメモります。

後に、戦争に参加し、捕虜になって収監されている時に、著述師に話したことが、書き記されて東方見聞録となります。

以上が安全に行き来できた理由ですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

細かく説明していただきありがとうございます。とてもわかりやすかったです!

お礼日時:2014/10/03 12:40

基本、旅商人のグループですが、護衛役もつけて、ある程度大人数。


案内人の指示で回避できた危険も多かったはず。
それでも確実に到着する保障はなく、途中で脱落したり隊商ごと全滅したグループも多かったでしょう。
たどり着けたのは「運」ですね。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!