この人頭いいなと思ったエピソード

こんばんわ。
アラサー女性です。
はじめて投稿します。

私は昔から男女・年齢問わず友達が多く、
コミュニケーション能力が高いと思いますし、そう言われます。
幹事やコーディネートも得意でよく任されますし、うまくやっていると思います。

感覚が鋭く、敏感なほうで、洞察力(特に人に対して)が長けていて、
それをうまく使いこなしてきたつもりでした。

・・・が、最近になって、人の行動原理を読む(推測する)スピードや量が増して
なんだかキャパオーバー気味でしんどいです。

友人の恋愛相談をよく受けますが、
愚痴や悩みを聞いていると相手カップルの行動原理や問題点が割と
すぐに見えてきてその点を指摘・アドバイスします。
「的確だ」「納得できた」と友人には喜ばれるのでその点はよいのですが。

自分の人間関係などについてもそうです。
相手の今までの行動の情報の蓄積と目の前の言動が瞬時にリンクして
相手の行動原理が見えてしまいます。
(もちろん見えている気になっているだけかも知れませんが)

持たなくてよい情報をたくさん持ちすぎて、
見なくていいものを見ているような気がしてならないのです。

よく漫画やドラマで見る、
霊感の強い人が困っているような状況と似ているのかなぁと思っています。

友人の恋愛相談に関しても、
その的確な指摘が必ずしてもそのカップルを幸せな方向に向かわすとは限りません。
世の中、見えなくていいもの、知らなくていいものもあると思うのです。

情報を積み上げることも、その情報とリンクさせることももはや無意識となっていて
それを意識して止める方法を今はもっていません。

ある意味自分の行動原理が一番見えてないといえばそうなりますね・・・
行動原理がわかるなんてただのおごりなのかも知れませんし。

最近特にしんどさを感じるので
年齢を重ねれば解決するのか、何か自分で努力して変えていかないといけないか。

同じ苦悩を抱えてる方や、抱えていた方
専門の方、
このしんどさから解放する方法をアドバイス頂けないでしょうか。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (10件)

おごりだとかそういうのは関係ないんですよ



気付いてない人は意識しないことを意識してしまうのがしんどい
ってことなんだから

相談文もほとんど自己解決してますし。

人は基本的に自分の経験の範囲内でしか語れないのでアレですが
努力して解決するたぐいでも時間が解決してくれるものでもないです

できることは
他人の話はアレですが自分が関係する話のときには求めすぎないように
って程度ですね
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 人の行動原理が分かれば分かるほど高度になって楽しくなるハズです。

それをしんどいと感じるのは行き詰まっている、ということになります。

ではどうして行き詰まりしんどくなるのか、です。それは、体験及び経験の次元でしかものを見ていないので限界を感じるのです。目に見えないもの、感覚されないものも「ある」のだということまで知的に学習していき、それと体験・経験をあわせるともっともっとすばらしい洞察力が養われ、それは他者から信頼を得るでしょう。
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人の行動パターンって割と似通ってるんですよね。


あまり見たくない知りたくないものを持ってる人と接する機会が多くなると疲れてしまうのでしょうか?

ただ決して悪い事ばかりじゃないと思いますよ。
周囲に信頼されていようが良い人に見えようが、近寄らない方がいい人っているじゃないですか。
それがわかるのとわからないのとでは先々の展開に差が出ると思うので・・
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行動原理が読める、程ではありませんが


他人の発言の真偽や、裏で抱えている感情や他人のストレスなどに敏感で一時期鬱屈した状態になった事があります。

今でも更に敏感になりましたが苦しむことは無くなりました。
色々と本を読んだり洞察を深めたりして捉え方が変わったからだと思います。

まず、第一に行動原理そのものも行動原理が読めてしまうことも悪ではありません。
矛盾を抱えた態度を取ったり、嘘を隠している不誠実な言動、欲や汚れた本心などが見えたとしても
その見えた対象もその見える能力自体も何ら問題あるものではありません。

世の中この件に限らず何でもそうですが、問題というものは現実にはありません。
問題だとする解釈があるだけです。つまり考え方で変えられます。

◯◯はいけない、こうでなくてはいけない、という規範がGuriguraguさんの中にあり、
それに反しているのが許せなくて葛藤を起こしているんじゃないかと思います。

私の場合だと人に対して感情を顕わにしてはいけない、不適切な考えを持ってはいけないと長年思い込んできたため、
他人の感情やストレスに対して「規範に反することをするなんてとんでもない」と無意識で思っていたことから来る
ストレスに悩まされていました。

蓋を開けてみれば感情を垂れ流す相手の問題ではなくて、感情を垂れ流すのはいけないことだと捉え、
その考え方に囚われていた私自身の問題だった、という経験でした。
状況そのもを変えようとするのではなく状況に囚われている自分を発見できれば解決すると思います。

Guriguraguさんのケースだとどういった信念があるのかどうかまでは私にはわかりませんが、
ひとまず「それを問題だとジャッジしている自分」から自分を切り離して冷静に眺めることはできると思います。
本来ダメなことは何もない、という観点です。

そして必要なら何が許せないのか、と自問自答して静かに黙想するといいと思います。
(これにはある程度コツがいります。頭で答を出そうとせずハートに問いかけ静かに待つイメージです)

私の場合はマイナスの感情そのものを許すことにポイントがありました。(マイナスの感情など本来存在しない)
Guriguraguさんの場合だと
>持たなくてよい情報をたくさん持ちすぎて、
見なくていいものを見ているような気がしてならないのです。

と仰っているので見てはいけないものを見ているという状況を許すということにポイントがあるかもしれません。
見てはいけないものは本来ありません。(もしかしたら、ですが)自分が許されない行為をしている、とか
見ても仕方ないのに見えてしまうのでいやだ、とか
どのようなものかは分かりませんが、何らかのその状況に対するコメントがあるはずです。
それに対してそれって本当?と問いかけてみるのも有効です。

これはバイロンケーティの4つの質問というもので、強烈なジャッジからくるストレスを緩和するのにおすすめです。
向き不向きはありますが。おそらく質問者さんには向いていると思います。
http://www.thework.com/nihongo/thework.asp

最後に、その能力について。
はっきり言って素晴らしい才能です。喉から手が出るほど欲しがる人が大勢いるほどの才能です。
しかし超能力ではありません。どんな人であっても後天的に身につけられるものだと思います。
実際自分や目の前の出来事と真摯に向き合っていけば洞察力の延長上に相手の気持ちが分かるという能力は
自然に身についていきます。
ただしその域まで達している人は稀でしょう。生まれながらなのか環境のせいか紛れも無い才能であることは事実だと思います。

繰り返しになりますが、その状況そのものが問題なのではなくて、真の問題はそれを問題とする解釈です。
背が高い人が居て、それに悩むのもそれを活かすのもその人次第です。
活かせる人というのはその現象に囚われていません。

囚われること無くただ眺められるようになれば、その状況との付き合い方は自然に変わっていくと思います。
もしかしたらさらに伸ばす方向へ行くかもしれません。気づいたらなくなっているかもしれませんし、
あるけどただあるだけで何にも気にならなくなっているかもしれません。
どうなるかは分かりませんが、ひとまず問題視している思考と向き合ってみてはいかがでしょうか。
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>その的確な指摘が必ずしてもそのカップルを幸せな方向に向かわすとは限りません。



質問者さんは「意見を述べるだけ」で、それを採用するかどうかは当事者が決めることです。
だから、結果に責任を負う必要はなく、幸せになろうが不幸せになろうが、当事者の責任です。
「私だったらこうする」「私だったらこう思う」と言ったことに、いちいち責任を取れませんよね。

>ある意味自分の行動原理が一番見えてないといえばそうなりますね・・・
行動原理がわかるなんてただのおごりなのかも知れませんし。

解らなくてもいいのではありませんか?
岡目八目で他人のことはよくわかっても、自分のことはわからないのがふつうだと思います。
私も、人のことはよく見えるのに、自分のことは見えていないことが多いです。
そう思って行動すればいいような気がします。

まぁ、生きる・死ぬの問題じゃなければ、なんでもいいんですよ。
失敗も糧になりますしね。世の中、理屈通りにはいきません。だから面白いのでは?
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私も透視能力が高く、電車の向かい側に座っている人の性格や身内のことまで視えてしまいます。


一番 厄介なのはテレビに出てる人の内面と口先が違うことに腹が立ち、それを言葉につい出してしまうので、隣に座っているパートナーから「また始まった」とうんざりされることです。

そして私も色々な方から、恋愛や人生相談をされます。
相談される前に、相談者の強欲キャラを見抜いてしまった時には私は使命感ではっきり言います。
相手が怒ってもなんでも、クサビを打つ位の使命感でものを言います。
何故なら、そういう輩がいては世の中が益々悪くなるし 何よりもその人自身が不幸だからです。

見えすぎて疲れるのは分かりますが、普通の人よりも特殊能力が与えられたのは使命があるからだと思いますよ。ある意味 人助けの「使命感」と覚悟すれば、だいぶ楽になると思います。
また あなたの優しさから たとえ視てもはっきりストレートにものを言えないことがあり それでストレスが溜まっているので、それなら初めから相談者を選んだ方がいいかもしれませんね。
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そりゃしんどいでしょう。


傷つかないようにいつも他人の欲望の「一般論的な解」ばかり
考えて人間を判った振りをし先回りし、浮くのが嫌で皆の中心に
いつもいる私、を確かめずにいられない。

疲れると思いますよ。

結局誰もあなたには本当の本音や素顔は見せないし、あなたも
そんな深い心理がこいつらあるわけないやと高をくくってるし。
だから友達を嫌いじゃないだけで、そんなに好きでもないんじゃ
ないかな?

あなたにとって友達の定義さえあやふやで多いほうがいい、
皆私に一目置いてる、付き合ってあげてる私、という催眠術を
自分自身にかけなきゃやってけない部分があるんだろうね。

それでも他人に対してある種の猜疑心が拭えずに、
本当は自分に大した関心など無い、実は相談という形を
とりながら、別な友達には自分のことをまったく別な見方で
自分が居ない場所で批判めいたことを言ってたりしたら・・・
なんてことを知って傷つくのが嫌だから、「私はいつも
人生を謳歌して輝いてる。誰もが素敵な人だと私を慕い、
見つめている・・・・」

まあ、そこまで大げさではないにせよ、そんな風に他人を
判ってしまってると「思う」呪縛に縛られていたら、
そりゃ疲れて当然だ、と思いませんか? この文章をあなたが読んでも。

どうすれば解決するかって?

そりゃ、あなたが他人の目を気にして他人から評価
されてこそ価値ある人間、という強迫観念があなたを
突き動かしていることを自覚するより他にないのでは?

いい?

決して貶すつもりじゃないから、聞いて?

友達なんか、一生に十人なんか必要ないんだよ。

あなたも心の中では判ってるはず。

友達は友であって、合コンやパーティで仲間である
ことを演じたりする「知らない奴ら」ではないよ?

高校や中学時代の、色んな楽しい話をしたり喧嘩したりした
友達は、そりゃ友達には違いない。

でも、それは付き合ってるその時代だけの友達。
どこからかやってきては、いずことも知らぬそれぞれの
人生に乗って、あなたの目の前から流れ去っていく、他人。

それは別に、相談してあげたり飲み会を仕切ったりして
人気者である必要は基本的にないもんです。
あっちから見れば、色々やってくれて頼りになるなぁ、
面倒なこと率先してやってくれてサンキュー、あとよろしくね。

そんな風にしか見られてない可能性も高いよ。

本当に、という言い方も青臭いけど、ちゃんと互いに
理解しあえる友人なんて、そんな簡単に得られる
ものでもないし、数を増やしたら偉いなんてこともない。

あなたは自分が孤独で良いのだ、ということについて
怯えて逃げる癖がついてしまっている気がするのです。

別に、一人で生きて行っても何も問題ないんだよ?

自分が追いかけたい人生のテーマがあるなら、それで
生きていけるし、自分は一生、自分でしかない、誰も
自分にはなれないし、自分も他人の誰にもなれやしない。

たったそれだけの、当たり前のことから逃げてしまうのは
一体全体、何の不安からくるのかしらね?

あなたは、ある意味、自分から逃げ続けているのかも
知れません。

一人ぼっちでも、自分の目的、目標、哲学を持って
生きていく。

死ねばあなたも私も十年もすれば家族以外の誰一人
思い出してもくれなくなる、消え行く命に過ぎません。

それは、厳然たる、事実。

だから、自分の頭の中じゃ世界は自分を中心に回る。
それはだれでもそうだし、だから、自分の死とともに、
自分の「世界」も消滅する。

その、世界から見たら僅かな、そして一人の人間の
一生としては永い、自分の人生で何をかなえるのか、
何を追い求め、あるいは何を満たして生きていくのか、
それを明確に抱くことが出来れば、他人の顔色を伺い、
心を読んだ気になって転ばぬ先の杖ばかり突いて、
そして自分というものが無い毎日に疲れてしまう。

そんな阿呆なことにはならずに済むと思うのです。

あなたは、あなたの心をどのくらい深く、「判って」
いますか?

他人の心などより、あなたの心の底。

そっちの方が、余りにも手薄になっているから
あてども無くさまようことになってしまう。

批判の意思はありませんが、あなたは誰よりも
「判っていない」から盲目で人々の喧騒のさなかに
ただ、愛想笑いを浮かべたままどこにも行けない
ストレスに身を浸している。

あなたに当てはまるかどうかはわからないけど、
心から本当の友達だと思える人と、心が触れ合える
大切な「その人との歴史」を重ねたことが、今まで
無かったのかも。
その裏返しの気持ちなのかも知れません。
本当は、一度も友達だなんて心の底から思ったこと、
ないの。 とか。

と、いう見立てはいかがですか?

色々考えてみたのですが、ご参考になれば幸いです。

そろそろ寝ます。

おやすみなさい。
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自分ができることを丁寧にやってできないことをやろうとあせらないというのがまともな生き方だと思っていますが、この生き方の度が過ぎると、自分にはできないことやわからないことがないのだという妄想に駆られることもあるということがわかりました。

こういう場合には逆にできないことやわからないことに挑戦してみるというのもあるのかもしれませんが、私はむしろ自分で何かをつくりだすという方を推奨したい感じです。
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一度人に頼られることお休みしてみませんか?



疲れているのですよ精神が。だから敏感になっていてやたら人の機微に敏感なのです。

人の相談をなるべく聞かないことにして

自分の心をかまってあげてはどうでしょうか。

外野ばかりの話を聞かないで、自分の為に音楽会に行ったり読書をしたり。

情報が多すぎてキャパが超えているのですよ。

よく作家さんの雑談を読むとあなたのようなことを言っている方がいます。

人の気持ちに敏感でよくわかってしまうとか。

作家さんはそれを能力につながてしまってますが。

あなたは一旦相談されるつながりを断って、ご自分のための時間を沢山作ってはどうでしょうか。

私は人に相談され過ぎると人の行動がやたら見えてしまいつかれるので距離を置きます。
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誰かにめちゃめちゃにぶん殴られたり、理不尽で乱暴な取り扱いをされてみてはいかがでしょうか。


泣いても叫んでもやめてくれない、自我が崩壊するまで追い詰められる経験を持てば、人の心を冷静に読めるなどという思い込みが単なる思いあがりであることを知ることができると思います。
相手は、鬼畜のようなサイコパスでも、冷徹な獣(クマとか)でもOKだと思います。
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この回答へのお礼

guess_manager様、回答ありがとうございました。
おっしゃる内容は過激で少し驚きましたが、殴られないにしろ最近理不尽なことや辛いことがたてつづけに起きたのもあり、今までと違う感覚になっていたのがしんどさにつながったのかも知れません。
「人の心が読める」というのとは少しニュアンスが違い、その人の情報を積み上げてパズルが埋まってしまうことが多いという感覚なのですが、どちらにせよおごりには間違いないと思います。
インパクトのあるお言葉ではありましたが、お叱り頂けたようで少し解放されました。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2014/10/29 18:02

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