プロが教えるわが家の防犯対策術!

私は趣味人間で、いろいろあるのですが、自分で何か作り上げるという風な趣味がメインです。
そして、その作り上げたものにどうしても存在価値が欲しいと思ってしまいます。ですから、それらを認めて欲しい一心で、人の見える場所にお披露目します。そういう趣味の集まりがあり、同じような人がたくさん集まっています。
今までは、作るのが楽しく、同じ趣味の人たちと交流できるのが楽しく、そういった集まりに、積極的に参加していました。制作費がかかってもなんとか捻出し、趣味の集まりの場所にはちょっと遠くても、時間がかかっても参加していました。

しかし最近は、制作も億劫になり、集まりに参加してもあまり楽しくありません。むしろつらいと思うときすらあります。楽しくないなら制作・参加しなければいい、と思うでしょう。少し前に、制作・参加を控えてみたのですが、「この間にも回りに差をつけられてしまう!」と、ものすごい焦燥感が沸きました。他人から見たら、趣味に対してはおかしいくらい焦っていたでしょう。ただ、負けたくない・認められたいという気持ちがすごく強いんです。自分でも、こんな気持ちでは楽しめないと思うのですが、払拭しきれません。

<制作・参加する>作っていても、参加しても楽しくない・ツライ。
<制作・参加しない>絶対負けたくないので、制作・参加しなくてはいけない!休んでいてはいけない!

ずっとこの狭間を漂っていて、気が休まりません。
それなりに認められれば、満足するような気がするのですが、そのときが訪れるまではずっとこの苦しみなんでしょうけど…。今は、参加するたびにすごい劣等感に苛まれます。
たかが趣味と思うかもしれませんが、今はこれが生きがいなのです。

同じ苦しみ、思い等された方いらっしゃいますか?改善策等ありますでしょうか。

A 回答 (7件)

趣味って気楽に楽しむものだというイメージがあるのですが、仮にその定義でいくと、質問者さんにとっての趣味は、趣味でなくなっている感じがします。



私も何かにのめりこみ過ぎて辛くなった経験ならあります。
「たかが」なんですけどね。

質問者さんにとっては、単なる趣味よりも重きを置いた生きがいなんですね。
でもいくら生きがいでも、辛くなってしまっては、辛いですね・・・・。

今の場所から3歩ぐらい後ろに下がって(前を向いたままバックする)、視界を広げるようなイメージを持ってみるのはどうでしょうか?
生きがいをもう少し客観的に見られそうな気もしますが・・・たとえば箱が置いてあって、それを下がって長めたら、その箱の全容とか、箱の上下左右も見えるようになりますよね。

それと、何か自分に対して不満があるのでは・・・・。
「もっと、もっと、より良く、素晴らしく」というのは向上心で、良いことで、必要でもありますが、反面、キリがないことでもあります。
特に、人の評価を求めると。

他人はいろいろなことを言いますから。人の数だけ。

人に認められるのでなく、自分で認められるようになるといいんじゃないでしょうか。
自分なりの作品の質を極めたいと願うこと、それはたぶん一流の芸術家でもキリがないことですが、でも競うのはたぶん、昨日の自分。
他人はちょと置いておいて、でしょう。
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なぜ他の人に負けたくないのでしょうか?


もしかしたら他の人はあなたに勝ちたいとは思っていないかもしれませんよ。
ただあなたは自分の作り出したライバルと勝手に戦っているのかもしれません。
もしそうならばいつまでたってもあなたの作り出したライバルには勝てないでしょう。
想像上の敵なのですからいくらでも強くなるはずです。

『自分に克』という言葉があります。
これは自分の中の想像上の敵とは戦わないということだと私は理解しました。
ですからあなたも自分に克ちましょう。
そして自分の趣味を楽しんでください。
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No.4です。


ちょっと念の為補足を。

>でも競うのはたぶん、昨日の自分。
>他人はちょと置いておいて、でしょう。

とはいえ、これもやりすぎると毒です。
自分に対する要求水準が高くなりすぎ、現実の自分とかけはなれた理想を描いたりすると、辛くなります。

バランス感覚は必要ですね、上を見ても、下を見てもキリがない。
自分が思っているほど悪くないし、良くもないこともある。

私自身は、面白くないときは手綱を緩めます。
そして気楽で楽しめそうな視点から見直します。
ちょっと違う路線で。
たとえば、創るのに疲れたら、全然関係ない人の展覧会を見に行くとか。
どんな趣味か分かりませんが、仮に絵であれば、いろいろな画家の言葉や伝記、画集など読んで精神に学ぶとか・・・・。
発信するだけでなく、受け取ること・感じることも大切ですよね。

深呼吸して冷静になってみること。

あまりひどかったらメンタルクリニックやカウンセリングを利用するのもいいかもしれません。
特に、カウンセリングは別に病気まで行かなくても受けて構わないものですから。

参考URL:http://www.f5.dion.ne.jp/~with/kinyoubi.htm
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私にも一生続けよう、続けたい、これをやめたら自分でなくなる、とさえ思える趣味があります。

質問文を拝読するかぎり、質問者さんのご趣味は具象的な制作作業のようですね。私の場合は、言葉(文)を作る方面です。

もう随分と昔の話ですが、とある仲間と知り合ったことがきっかけで、フトやってみたらその面白さと魅力に、今までの人生で経験したことがないくらい思いっきりはまってしまい、一時は仲間からこういう内容で書いて欲しい、と依頼を受け、依頼者の方々とよりよい作品にするために根をつめて話し合ったり、時には議論しあったりして一つの作品を作り上げるという、とても充実した日々を過ごしていました(収入とは無関係です)。

が、私自身や家族が次々と病気をしたりして、その仲間たちといつの間にか縁遠くなってしまい、今はほとんど交流がありません。でも、生活もどうにか安定した最近、一人でその趣味を再開しました。

私には、生活に追われあれほど熱中していた趣味から否応なく離れざるおえなかった時期があったわけですが、今、振り返ってみると、趣味から一切離れてしまったと思い、悲しんだり焦ったりしていた日々の最中でも、私は頭の中ではその「好きな趣味」を決して忘れておらず、本を読むにつけ、TVを見るにつけ、街中を歩く人々を見るにつけ、心の中で常に新しいアイデアを模索していた自分がいたことに、最近気付きました。

しかし、あれほど心を開き合っていた仲間たちと疎遠になってしまった今、言葉で表現できないほどの孤独感で一杯です。
私のアイデアを批評し、また共感してくれる仲間を失った喪失感から、どうしても立ち直ることができずにいます。

でも、好きなことをコツコツ続けていれば、いつかまた、新しい出会いが生まれ、切磋琢磨する仲間を再び持つことができるかもしれないと信じることに決めました。今はまだ、自ら積極的に新しい仲間を見つけに動く勇気が持てずにいますが……。

何を言いたいのかわかりにくい文章ですみません。この文章を読んだ方々から「それでよく言葉を作る趣味を持てるな!」とツッコミが入ることがちょっと恐いです(笑)。

質問者さんが今の趣味を続ける決意を持っておられるなら、また、今の趣味仲間の間で苦痛を感じる人間関係がないのであれば、大切な仲間、そして、刺激を与え合う良きライバルであるその方々と、心と心のふれあいを共有する時間を楽しまれてはどうでしょう?ほんの少し、肩の力を抜いて^_^
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苦しい・ツライなどの感情はありませんが、焦りの様な物は自分も持ってますよ。



自分は教室に通い、制作活動をしていたんですが、
事情によってその教室を辞めざるをえませんでした。
最初に習った先生の指導法と言うのが、大変伸びやかで楽しかった為、
他の教室に入るのにちょっとためらいを感じた事と、以前に比べて倍以上月謝がかかるため、
現在では教室に通っていません。
ただ道具の大半は揃えてあるので、自宅で作業する事は可能なのです。
しかし制作時間にしばりが無い為か、はたまた周りの人の目を意識しないですむためか、
ここ数ヶ月な~んにもやってません(苦笑)

作品の評価(イイ悪い含めて)をしてもらいたいと言う気持ちも解りますし、
人よりも認められる物を作りたい・人より遅れたくないと言う気持ちも、すごく解かります。
でも教室に通っていた頃の事を振り返ると、
作品的に雑な物を作っていたなぁ―と言う気もします。
次・・・次・・・次・・・と、まるで何かの競争をしているかのように、
多少の妥協やデザインの甘さなど、解っているのに見て見ないフリをしてた気もしますし、
本当にコレが作りたいのか?・・・と製作中にフト感じてしまうような物を作っていた気がするからです。
(単に飽き症と言う気もありますが・・・苦笑)
確かに現在これだけ長く離れた事で、一緒にやっていた人からは遅れを取っていると思います。
腕も鈍っていることでしょう。
ところがアイデアの湧き方は、
以前よりも遥かに多いし、以前よりは面白い物が出ている気がするのです。

何故だと思いますか?
多分ですが、ココロの奥の方から「あぁ~・・・作りたいなぁ~・・・。」と感じているからだと思います。
以前の様に多くの人や先生に生で見て評価をもらう事は出来ませんが、
嫉妬や焦りや見得なんか感じなくてもイイ、作品の写真でも撮って見せたい人に見せれば、
その作品に対する反応だけが聞けるとてもイイ状況(?)になったから、
そう思えるのではないか?と思うんです。
勿論、人の評価を聞く事も大変勉強にはなりますが、
「評価して欲しい!」と言う欲求が強ければ強いほど、人の評価が自分を追い詰めてしまい、
本来の自分の最もイイペースが保てなくなってしまうのでは?
・・・と、一度離れてみて感じたのです。

沢山の作品を作る事は、技術の向上には欠かせないことでしょう。
しかし、アイデアが湯水の如く出る人ならば話しは別ですが、
多くの人はそうではなく、アイデアを練る一見無駄に見える時間を適度に取り入れて
制作活動をしているのではないでしょうか?
今まで頑張ってきた力は、そうすぐに衰える物では無いと思いますよ。
ちょっと休みたかったら休んでみる。
ちょっと自分の位置を確認したくなったら、また皆の所へ行ってみる。
きっとそうやって肩の力を抜いてみると、また違うイイ作品が出来るかもしれません。
無理せずノンビリ行きましょう~♪
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この回答へのお礼

以前はこんなではなかったような気がします。ゆったり自分のペースでできていました。
しかし、長年続けていくうちに、新しく始めた人が自分を追い抜いていくような(実際追い抜かれているのかは不明)、焦りが出始めてきました。私は、無駄に長くやってはいるのですが、学生のころはお金がぜんぜんありませんでしたから、やっていたといっても今の5分の一くらいのペースだったと思います。社会人になり、お金の自由が利く今になってから、頻繁に制作・参加しているのですが、年齢的なもの(私より若い人に劣っている?)に追いこまれていっているかんじです。

私にとって最良の結果は、認められることなんでしょう。しかし、それがどの程度の認められ方なのか、自分でもわかりません。
このまま続けても、いい結果が得られそうにないので、焦りはありますが少し、様子見で休んでみようかと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/22 14:25

私はかつて、趣味を仕事にして生きがいを感じておりました。


でも、仕事の内容よりさきに人間関係のほうに疲れてしまいまして
それが段々と、仕事そのものに対しても意味を見出せなくなってしまい
究極の我慢を繰り返したあげく、退職してうつになってしまいました…
私のこのケースは極端かもしれません。でも、どこか似た様な空気を
感じましたので…

質問者様、私の経験ですと「○○しなければならない」的な考え方は
時としてご自身の逃げ場をなくし、苦しめてしまいます。
趣味ですから、一息入れるつもりでしばし趣味から離れて
まったく違うことをしてみるとか、同じ趣味でも別のコミュニティーを
探してみるとか、方法は限られていないと思うんです。

違う人間関係(グループ・団体)に参加すると、また違った空気が
あるものですし、自分の心が「イヤだ」と言っている間は
心にお休みが必要な状態ではないかと…思うのです。
「気が休まらない」というのが黄色信号です。

劣等感について、私も自信のあったはずの仕事でいつしか劣等感が
ぬぐえなくなってしまった時期があり、それが長引いたため
いまだに後遺症として引きずっているんです。(悲しいことに趣味として楽しめないのです)
劣等感は、他人と比較してはじめて起こる感情のひとつで、
それをばねにする人もいれば、落ち込む人もいます。
また、他人の作ったものに対して自分が素直に「いいな」と思える
心理状態であれば、自然と趣味も楽しいものになるでしょう。
おそらく、心が疲れておいでなのではないかと存じます。

趣味にはおそらくゴールなんてないでしょう。
休んだところで、誰もとがめることはないと思いますし
一度時間をかけて身につけた技術は、案外手が忘れないものです。
ご自分を信じ、深呼吸して、ひとまず安らぎを得ましょう。
充分に休めたらまた、制作意欲もわくでしょうし、
きっと同じ趣味の人たちともまた楽しく交流できるものと思います。
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この回答へのお礼

「○○しなければならない」という考えは、自分でも首を絞めていると思います。しかし自分は、どうしても人より上に居たいようです。自分でもこの考え方にウンザリします。この趣味をやり始めたときはこんな思いはしていなかったのいに…。
しかし、大袈裟な言い方ですが、趣味が自分の存在価値というふうになってしまっている今、どうしても勝ちたいと思ってしまいます。でも思うようにいかなくて、常にイライラしています。

劣等感は、恐怖心のようなかんじになって、いつも中に潜んでいます。集まりに参加しても、自分より優れているのではないかという人がいると、避けてしまいます。見たくもありません。なぜ素直に優れているものを認められないんだろうと、自分で自分がイヤになります。

いろいろなイライラが募り、この前ついに、一緒に参加している人に辛くあたってしまいました。自分でも、ここまでオカシクなっているのか、と思いました。

やはり休養が必要なのでしょうか…。焦燥感は沸くでしょうが、今これ以上何かしたら、悪循環なのかもしれませんね。今後のことをゆっくり考えたいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/22 10:51

存在価値。

そうですよね、わかります。そういう気持ち。私は全然たいしたものではないのですが、紐を使ってアクセサリーを作ったりします。作るのは楽しいですけど、それだけでは物足らないですよね。私は今は欲しいといってくれる友達に無料で譲ったりしています。欲しいと言ってくれるだけでも嬉しいんですが、ゆくゆくは、オークションやフリマとかに出して、存在価値を見出したいなと思います。材料費くらいは出さないとw趣味っていってもお金馬鹿にならならないですからw生きがいだと言える趣味があるって、私からしたら羨ましいですよ~☆
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この回答へのお礼

誰かに見て、評価されたりほめてもらったりしないと、存在価値が見出せないようです。存在価値がなければ、制作そのもののをする意味がなくなり、生きがいも失ってしまうかもしれません。だからと言って死んでしまうわけではないのですが、この趣味を通してたくさん楽しい思いをしてきたからこそ、まだ続けたいんですよね…。

アクセサリー制作、素敵ですね。ゆくゆくは、フリマやオークションで、「これがあの○○さんのアクセサリーなのね!」と言われるようなものを作ってください!

お礼日時:2006/06/21 12:31

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