プロが教えるわが家の防犯対策術!

12月です。12月といえば、あの曲ですね♪
ということで、

 1 ベートーヴェンの9つの交響曲で最高傑作は何か?
 2 その理由は?
 3 そのお薦めの演奏は?


私には、世に名高い「合唱付き」がベートーヴェンの交響曲のベストだとはまったく思えないもので・・・。前半の2楽章は素晴らしいと思うのですが・・・。
ベートーヴェン自身は、この曲を失敗作と考えていたんじゃないか、そんな風に思えてならないんですよ。

第九のいろいろな演奏(CDとか、FM放送など)を聴いても、この曲の凄さがさっぱり分からない。
ですから、
この演奏を聴けば、第九の素晴らしさが理解できる、という演奏がありましたら、
質問の3とは無関係に、教えてください。
そして、どこが素晴らしいのかを合わせて教えていただけるとありがたいです。


よろしくお願いします。

A 回答 (17件中1~10件)

こんばんは。



一難去ってまた一難、なんでこの質問なんですか(笑)。

ちょっと問い返します。

 1 「傑作」の定義は?
 2 1の答えによりますが?
 3 一つの作品に、その魅力を伝える唯一無二の演奏はあるでしょうか?

いつも話題になることですが、12月に第9が頻繁に演奏されるのは、日本特有の事情です。しかし、だから日本だけで名曲とされている、というのは飛躍し過ぎ。たしか私の記憶では、ウィーンでも12月に演奏されていたような気がします。12月にたくさん演奏されない曲は名曲でない、というわけでもないし。また、日本では12月以外はあまり演奏されませんが、ヨーロッパでは一年を通じて演奏されるわけですから。
「傑作」の定義もさることながら、それが定まらない状態で「最高傑作」は決められません。ただ、私の答えは単純で、第9は傑作であり、ベートーヴェンの交響曲の中の最高傑作だと思います。あまりにも世俗の評価と同じで、がっかりなさるかもしれませんが、この評価はヨーロッパでも大方同じでしょう。
ではなぜそう思うかと申しますと、まず、数百年生き延びて後世に残った作品は一応「傑作」候補です。それから、「傑作」とは、必ずしも欠点のない作品ということではありません。もちろん、この世に「完璧」などというものはないのですが、それとは違う意味で、「様式的に統一されていて、破綻がなく、全体的にまとまりがあり、完成度が高い」という作品だけが傑作ではないということです。多少おかしなところがあっても、一度聞けば記憶に残るもの、感動させられるものがあれば、「傑作」ですね。しかし、「傑作」の定義が、「様式的統一と全体の完成度」か、「心に残り感動する」かで、議論が分かれます。もちろん、このほかにも、「新しい道を切り開くきっかけになった」とか、いろいろ「傑作」とする理由はあります。第9の場合は、「心に残り感動する」、「新しい道を切り開くきっかけになった」、「ベートーヴェンが一生かけて到達した作曲技法の集大成になっている」というのが、傑作とする理由です。ここで、「様式的統一と全体の完成度」を第一に考えるのであれば、私の見解では第7番が最高傑作になります。しかし、第7と第9では、曲の規模も重さもあまりに違いすぎるので、どうしても第9になるでしょうね。
ここまでで、一応質問1と2にお答えしたことになりますが、少し補足します。第9の第4楽章が、前の三つの楽章に対して様式的に異質である、という批判は古くからあります。こういう意見は、学者的な見方であって、馬鹿げています。作曲家ならそういう見方はしません。一方、質的に言うと、私は第2楽章にやや疑問ありです。楽想がやや平凡だからです。平凡なのに、曲の身振りがやや大げさなんですね。同じような印象を持つのが、第5の終楽章です。その点、第7番は整っているし、コンパクトですが充実しています。そういう意味では第3もよいと思います。ベートーヴェンと言えば、一番有名なのは第5でしょうね。これは、第1楽章で、出だしのあの短いモティーフを全曲通して使いつづけ、有機的に展開した、高度で徹底した作曲法ゆえに有名になったと思います。

>ベートーヴェン自身は、この曲を失敗作と考えていたんじゃないか、そんな風に思えてならないんですよ。

この点ですが、これは作曲家にとって一生の問題です。どうするのが最良の解決法か、何年かかってもわからない場合があるのです。そして、まずいと思って書き直せばよりよくなるかといえば、かえってダメになる場合もあります。ですから、作曲を学ぶとき、一つの作品にあまり長くかかりすぎないように、手を入れ過ぎないように、ということは言われます。ベートーヴェンが、第4楽章を器楽のみの作品にしようと考えていたというような話もあるようですが、どうでしょうか。やはり、合唱が入っていたから、その歌詞の内容とともにこれだけ有名になったのでしょう。ベートーヴェン自身、迷いはあったかもしれませんが、第4楽章そのものが失敗作だと考えたとは思いません。この話でちょっと思いだすのが、弦楽四重奏曲第13番です。当初最終楽章に置かれていたのは、今日「大フーガ」という独立した作品として知られる曲です。あとで書きますが、この、対位法的に複雑な曲が、前の楽章に合わないと考えたのか、割と軽いフィナーレを新たに書いて置き換えました。しかし、どちらが良かったのか。ときどき、あえて「大フーガ」を終楽章に用いて演奏することもありますが、何とも言えません。「大フーガ」が最後に来た方が、壮大な感じはします。
作曲技法の集大成という意味で重要なのは、「変奏」と「対位法」の技法です。この二つは、ベートーヴェンの作品において、晩年に向うにつれ、どんどん重要になり、成熟していきます。その成熟が顕著にあらわれるのが第3,4楽章。ですから、

>前半の2楽章は素晴らしいと思うのですが・・・。

これは逆ですね。確かに、後の2楽章は、それまでの交響曲の伝統的な形式から見ると、明らかな逸脱と言えるでしょう。しかし、これがロマン主義の扉を開けることになり、その後の作曲家の方向を大きく変えました。そういう、「新境地」としての評価もあるわけです。
ベートーヴェンの交響曲というのは、クラシック音楽の正当であり、疑う余地がない、と単純に信じている人も多いと思うのですが、そんなに簡単なものではありません。実を言えば、私も、ベートーヴェンの交響曲をどう聞くべきかということは、今日までずっと考え続けてきました。付き合いは長く、すでに高校時代から、オーケストラの中で弾いたり、指揮をしたりして、直接長い期間かかわったものは、1,3,5,7,8の5曲です。にもかかわらず、どこかなじみきれないものを感じていました。第9についても長いこと同様な感覚を持っていて、把握しきれない部分があったことはたしかです。そういう意味では、ねこさんの疑問は理解できないわけではありません。ただ、先ほど申し上げたように、この曲で技法的にも内容的にも充実しているのは、後の2楽章です。もし、ねこさんが後の2楽章に抵抗があるとすれば、たぶんその原因は、「変奏」と「対位法」にあると思います。そもそも、「変奏曲」とか「フーガ」などというものは、クラシック入門者にとっては退屈に聞こえるものです。ねこさんは入門者ではありませんが、やはり、この形式で書かれたものの良さをわかるためには、聞く人の耳にもそれなりの鍛錬がないとダメではないかと思います。そういう意味で、この曲の良さがわかる演奏を探すより、ベートーヴェンの作品を時系列的に聞いてみること、そして、交響曲以外の晩年の作品、ピアノ・ソナタなら第28番から32番、弦楽四重奏曲なら第12番から15番(16番はあまりできがよくないと思うので除外します)、そして、荘厳ミサ曲などに触れることをお勧めします。こういうサイトで、曲の良さがわかる演奏を、と質問すれば、皆が皆、いろいろな演奏を挙げてくるに決まっています。私は、とりあえず最近のものや個性的なものは抜きにして、フルトヴェングラー、カラヤン、バーンスタインなどの代表的な録音を聴いて(もちろん、ベームでも構わないと思います。私はあまり聞いていないので、どういう演奏かわかりません)、それでいいと感じられなければ、原因は演奏にはないと思いますよ。いずれにしても、ベートーヴェンは、偉大であるがゆえにまた、一筋縄ではいかない作曲家なのです。
 あとは、コメントの内容次第で、追加回答します。
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この回答へのお礼

こんにちは。


☆1 「傑作」の定義は?
◇ここでは、
「様式的に統一されていて、破綻がなく、全体的にまとまりがあり、完成度が高い」
ですね。
楽章の長さなどがアンバランスで、かなり下半身肥大、下ぶくれにできている。
しかも、第4楽章は、聴衆をかなり意識した、受けを狙った作りになっているのではないか。
何となく演出過剰であざとく感じられてしまう。
大音量とパワーで押し切る、聴衆を興奮へと誘うヘビメタ、デスメタルなんじゃないか♪♪
ベートーヴェンが目指していた音楽とは違うんじゃないか・・・。大きな逸脱があるんじゃないか。

このような印象を持ってしまう・・・。


☆「心に残り感動する」
◇という点では、この曲の第4楽章は圧倒的だと思います。
ですが、ちょっと(ウィーンの人への)怨念や(ロッシーニに)対する嫉妬のようなものを感じてしまう。

ベートーヴェンは、彼の憧れの人であるモールアルトのようにオペラの分野でも成功したかった。でも、フィデリオは、鳴かず飛ばず・・・。しかも、ロッシーニのオペラが・・・。

もっとも、交響曲の中では抑えていた彼のパトス、ディオニュソス的要素が一気に噴出したのかもしれない。
アポロン的要素である(古典的)形式・様式をぶっ壊す、型破りのことを自然としてしまったのかもしれない。
であるから、この曲は大傑作なのかもしれない。


☆この点ですが、これは作曲家にとって一生の問題です。どうするのが最良の解決法か、何年かかってもわからない場合があるのです。そして、まずいと思って書き直せばよりよくなるかといえば、かえってダメになる場合もあります。
◇ブルックナー♪
手を入れれば入れるほど、完成度は高くなる(?)けれど、作り物めいてきて、つまらないものになってゆく。
ブルックナーの第3番、第4番はノヴァーク版などの決定稿よりも、第一稿の方が断然おもしろい。

「このままでは演奏不可能」といわれ、突き返されたのだから、仕方ないのだけれど♪♪



☆もし、ねこさんが後の2楽章に抵抗があるとすれば、たぶんその原因は、「変奏」と「対位法」にあると思います。そもそも、「変奏曲」とか「フーガ」などというものは、クラシック入門者にとっては退屈に聞こえるものです。
◇バッハの『ゴールドベルク変奏曲』や『音楽の捧げ物』などは好きなんで、「変奏」や「対位法」音楽が嫌いというわけではないでしょう。
『マタイ』も好きだし。

でも、フーガ・フーガした曲は退屈しちゃうのは事実ですね。
オーマンディー編曲の『トッカータとフーガ』、『小フーガ』でもないと、すぐに退屈してしまう(ポリポリ)。



☆交響曲以外の晩年の作品、ピアノ・ソナタなら第28番から32番、弦楽四重奏曲なら第12番から15番(16番はあまりできがよくないと思うので除外します)、そして、荘厳ミサ曲などに触れることをお勧めします。
◇弦楽四重奏曲は好きなのでよく聞くのですが、ピアノ・ソナタは、どうも、体がつけつけない(ポリポリ)。
ピアノだけの演奏は、どういうわけか、昔から苦手なんですよ。
たぶん、ピアノの音が嫌いなんですね。
ハープシコードやチェンバロは好きなんですが。



☆いずれにしても、ベートーヴェンは、偉大であるがゆえにまた、一筋縄ではいかない作曲家なのです。
◇なるほど、なるほど。


plapotaさんが、第8番の解説を求めておりますので、解説のほどをよろしくお願いします。



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/09 13:51

回答番号14で最終のつもりでしたが、回答番号16の末尾のことで少し。



http://okwave.jp/oodakedo/1124.html

上記342に、「専門家」参加についてOKWave社長の見解があります。
「専門家を全面にだした回答者が回答をされることで、他の回答者が躊躇される例があるとの判断で、現在は、わけております。」

利用者の投稿を読んでゐても、この指摘はあたつてゐると思ひます。専門家に回答されると、自分が恥をかく、なんて意見も読みました。Tastenkastenさんのやうに、素人に優しい方ばかりではありませんし。このあたりの啓蒙活動は必要だと社長も述べてゐます。

考へ方を変へるとすれば、利用者側です。少なくとも、Tastenkastenさんが遠慮なさる必要はないと思ひます。


素人の疑問を、丁寧に分析してくださり、ありがたうございました。どこまで聴きとれるかわかりませんが、教へていただいた点に注目して聴いてみます。
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この回答へのお礼

こんにちは。


☆「専門家を全面にだした回答者が回答をされることで、他の回答者が躊躇される例があるとの判断で、現在は、わけております。」
◇小学校~高校の先生も専門家になるのだろうか???
現在の職業とは直接しないけれど、○○学の修士や博士などを持っている人は、専門家、それとも素人?

医師や弁護士ならば専門職なので専門家と呼ばれるのは理解できますけれども、
学問の分野では、
研究者(専門家)であっても、自分の研究している分野以外のこと、専門分野と直接関係しないことについては、ほとんど知らない、
なんてことは、よくあるんですけれどもね~。
特に、自然科学なんて分野ごとに高度に細分化されているんで、知らないのが当たり前なんですけれどもね~。

仏教の専門家は坊主?

哲学カテでは、ネムネコは仏教関係の質問に答える専門家(?)のような役割を、いつしか、周囲から押し付けられ、その役割を期待されているようだけれど、
おらぁ~、坊主でもなければ、仏教学などの専門家ですらない。
オレは理系の人間だ~!!

OKwaveとかは、私のような、損な役回りを、半強制的に押し付けられている人間こそをもっと大切にするべきではないのか?
 ───宗教関係の質問に回答を寄せる人は、周囲からすこし(結構?)危ない人の烙印を押される───
珍種、変人、変態をもっと大切にすべきではないのか!!
せめて、年末・年始の付け届け、そして、お中元の品を送るべきではないのか(笑い)。

何でオレがペットの葬儀、お位牌の相談にまで乗らねばならないんだ!!



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/14 12:59

そろそろ終わりにしたほうがよさそうです。

まだ残っている、ねこさん、plapotaさんの疑問にだけお答えしておきます。

>カルロスは、運弓法・ボウイング(Bowing)が他の指揮者と違うんじゃないですか、>結構、せわしく弓を動かしていますよね。
>特に第二バイオリンですが・・・。
>弾くというよりも、時々、叩くというような印象すら受けてしまう・・・。

どの部分のことをおっしゃっているのかわかりませんので、何とも言えませんが、冒頭でしたら、第一ヴァイオリンはレガートで弾くフレーズ、第二ヴァイオリンは十六分音符の刻みですので、第二ヴァイオリンがせわしく弓を動かすのは、楽譜通りです。叩く、というのがどの部分かわかりませんが、テンポが速いので弓を動かすスピードも速くなり、そのように見えているのでしょう。具体的に、動画の開始から何分何秒の個所とお書きいただければお答えできます。基本的には、ほかの指揮者と違うボウイングの工夫の余地がたくさんある楽章ではないので、スピードのせいだとは思いますが。

>クライバー(そしてアバドやカラヤンも)を聴いて、私が「スピード感」と申し上げるのは、物理的な速さといふよりも、極端にいへば「通り過ぎてゆく」といふ感覚です。
>フルトヴェングラーであれば1943年でも1950年でも、「迫りくる」といつた印象です。

これは、表現の密度の差による印象と思われます。フルトヴェングラーは、曲の途中で何度もテンポを変えています。テンポを抑えた部分では、細かい音符にアクセントをつけたり、こまやかな強弱の変化をつけたりしているので、表現力で「迫りくる」効果が出ているでしょうし、テンポをだんだん早くしていくことによっても、「迫りくる」印象を与えるのだと思います。クライバーやカラヤンは、早いテンポのまま一貫しているので、その分、こまやかな表現は犠牲になっていますし、テンポの変化による切迫感もありません。それで「通り過ぎてゆく」と感じられるのでしょう。バーンスタイン(ウィーン・フィルとの演奏)も、前半、ややテンポを抑えている間は、表情のメリハリがきいていて、後半に切迫していくので、フルトヴェングラーに近い印象をもたれると思います。あと、モノラル録音というのは、現代の高技術の録音とはまた違う意味で、迫力を感じるものです。ワンパターンの回答になりますが、フルトヴェングラーもバーンスタインも作曲家、また、今日まで価値を失わないワルター、セル、クレンペラーといった指揮者たちもみな、作曲をしていました。演奏専業の指揮者とは、楽譜の読み方、解釈の仕方が当然違ってきます。一つの曲に唯一正しいテンポというのはありません。表現の解釈によっても変わりますし、演奏会場の音響など、外的な条件によっても変わります。テンポを落としても、その分濃密な表現をしなければ、間延びするだけですし。結局、どの指揮者の演奏をいいと思うかは、聞き手の性格や音楽の理解度によってバラバラになるものですので、他人に特定の演奏を強く勧めてもあまり意味がないと思っています。
一応、バーンスタインによる第7の最終楽章(音質はよくありません)を出しておきます。



それから、フルトヴェングラーの演奏で、ほかの年度の録音より際立って遅いテンポのものがありましたので、こちらも比較のために出しておきます。

https://www.youtube.com/watch?v=3JS2Plbu1V4

今度のリニューアルで、専門家も回答に参加するようになるということですが、これまで数か月の経験で、専門家は案外煙たがられるのではないかと感じることもあります。どうなんでしょう。最近は、意図的に回答を遠慮することも多くなっていますが。
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この回答へのお礼

こんにちは。


☆、第一ヴァイオリンはレガートで弾くフレーズ、第二ヴァイオリンは十六分音符の刻みですので、第二ヴァイオリンがせわしく弓を動かすのは、楽譜通りです。
◇なるほど、楽譜どおりなのですか。
まっ、素人の考えることですから・・・(ポリポリ)。


☆日まで価値を失わないワルター、セル、クレンペラーといった指揮者たちもみな、作曲をしていました。
◇ベームも、指揮者活動に本格的に専念する前は、作曲をしていたらしいですよ。
ピアノと作曲を勉強していたらしく、歌曲なんかを何曲か残しているらしい♪



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/14 12:19

 僕の好きな曲は、毎時間変わりますし、人が傑作と言ってもあまり気にしていません。

第九は
下記「ウォアホース」だと思っています。でも十年に一回ぐらいは聞いています。
 http://eow.alc.co.jp/search?q=war-horse
 「風呂出でしへ寝る月照る糞犬」というあれですね。

 ご質問ですが
 1 ベートーヴェンの9つの交響曲で最高傑作は何か?
 2 その理由は?
 3 そのお薦めの演奏は?

 1、2、3とも、僕にはありません。

 
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この回答へのお礼

こんばんは。


☆僕の好きな曲は、毎時間変わりますし、人が傑作と言ってもあまり気にしていません。
◇私もコロコロと変わります。
近いところですと、
 コードレス☆照れ☆PHONE(ゆかたん・コンサートバージョン)
http://www.dailymotion.com/video/x23x031_%E3%81% …
を神曲(かみきょく)だと思い、集中的に聞いていたと思ったら、
翌日には、
 Chemistry Period
https://www.youtube.com/watch?v=THWdNsqLxP4
がいいよな~、
と思ったりします。

そして、今日、
 サディスティック永琳教
https://www.youtube.com/watch?v=89RQCu-ap-0
という怪しげな曲を、
「これぞ名曲(迷曲)♪」
と思う(笑い)。


☆下記「ウォアホース」だと思っています。
◇War-horseという言葉をはじめて知りました。
教えてくださいまして、ありがとうございます。

そして、回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/13 17:46

お二人から解説をいただいて、恐縮してをります。

テンポの詳細な分析にはいつものことながら、頭がさがります。

クライバー(そしてアバドやカラヤンも)を聴いて、私が「スピード感」と申し上げるのは、物理的な速さといふよりも、極端にいへば「通り過ぎてゆく」といふ感覚です。音楽理論はまつたくわかりませんので、こんな表現しかできません。フルトヴェングラーであれば1943年でも1950年でも、「迫りくる」といつた印象です。受け止める人間のほうに問題があるのかもしれませんけれど。

モーツァルトの40番であれば、(これは物理的な速さですが)、ワルターのやうなスローテンポでも、フルトヴェングラーのハイスピードでも、同等の評価価値観がもてるのですが、ベートーヴェンとなると、フルトヴェングラーに軍配をあげたくなります。

>>第7番は、作曲家ウェーバーからは、「精神病院行き」と言われ、
>>シューマンの妻、クララの父親からは、「酔っぱらって書いたのだろう」
>>と言われた代物です。

おもしろいお話をありがたうございます。私は音楽にしても文学にしても、解説や評論はあまり読まないほうだと思ひます。理論も背景もほとんど知りませんので、何でも聞かせていただければ楽しめます。

>>ハメをはずすべきなのです。

NemurinekoNyaさんの文章かと思ひました。(笑)

>>最近、晩年のクレンペラーの演奏にちょっと惹かれている

1960年の古い演奏のCDは気に入つてゐます。YouTubeのものもいいですね。ありがたうございました。

質問の第9番から話題がはなれてきましたので、このあたりで私は最終にします。
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この回答へのお礼

長々と付き合ったいただけまして、ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/13 17:47

こんばんは。

お忙しいのでしょうか。

plapotaさんは、誤解なさっているようですね。回答番号10の補足、

>ふんっ、素人に分かるもんか、あんな恐ろしく難しいフィナーレが!!

というのは、ねこさんの自虐ですから。それとも、plapotaさんは、わざと誤解したふりをなさっているのでしょうか。それも十分あり得ますけれど。

plapotaさんが、先日からクライバーのベートーヴェンについて聞いておられるので、この機会をお借りして書いておきます。
まず、クライバーは、4番と7番を演奏しているわけですが、ベートーヴェン自身が書き込んでいるテンポの指定を確認したところ、4番に関しては、指定のテンポより速くは演奏しておらず、7番も、3楽章が若干指定より早く、4楽章だけが、指定のテンポよりかなり速いです。ですから、全体的にみると、必ずしも早すぎる演奏ということにはなりません。となると、問題は7番の第4楽章ということになります。そもそも、第7番は、作曲家ウェーバーからは、「精神病院行き」と言われ、シューマンの妻、クララの父親からは、「酔っぱらって書いたのだろう」と言われた代物です。もともと尋常な曲ではありません。終楽章のテンポですが、ほかの指揮者と比較したところ、カラヤンの1962年録音もほぼ同じテンポ、ブルーノ・ワルターとコロンビア交響楽団も同じくらいでした。また、plapotaさんは、「フルトヴェングラーとはまつたく別物のやうに感じます」とお書きになっているのですが、そのフルトヴェングラーの1943年の録音を聴くと、出だしは少し落ち着いたテンポですが、終盤はクライバー並みの豪速で飛ばしており、バーンスタインとウィーン・フィルも同様、出だしこそ少し落ち着いていますが、終盤に向けて加速し、最後はかなりの速さです。ベートーヴェン自身のメトロノーム記号によるテンポの指定は、しばしば疑問視されるのですが、この楽章のメトロノームによる指定は、少し遅すぎるように思います。回答番号11で、マニエリスムについて書きましたが、この、第7番の終楽章も、同じ高さの音が長く続いたり、単純で短い音型がしつこく繰り返されたりする部分がたくさんあります。それでいて、リズムは細かくても、和音の変化はあまり細かくありません。これを遅いテンポでやってしまうと、いびつで泥臭いものになってしまう危険があります。また、曲想もバッカナール(バッコスの祭)のような性格で、クライマックスに達しても、チェロとコントラバスの低音部だけが、延々と半音の反復で持続しているあたり、怒涛の狂宴になだれ込むがごときドラマトゥルギーになっています。第1,3楽章も舞踊的ですし、テンポの遅い第2楽章も、同じリズムの繰り返しから、舞踊的といえます。ワーグナーは、この曲を「舞踏の神聖化」と呼びましたが、その締めくくりの第4楽章をクライマックスとして効果的に演奏するには、早いテンポがふさわしいといえるでしょう。ハメをはずすべきなのです。もちろん、いつも申し上げるように、これが唯一正しい解釈というわけではありませんが、多くの指揮者がそういう選択をしています。
以上、追加のおしゃべりでした。plapotaさんは納得されたかな?

この回答への補足

カラヤンのベートーヴェンは、年をとればとるほど、速くなる。
plapotaさんのところにリンク先を貼り付けた演奏などは、
「ベルリン・フィル、すげぇっ」
と、ただただ、その演奏技術の高さに呆れるばかりです。
これを誇示するかのような演奏♪
 ───ゲルギエフ&ウィーンフィルの「剣の舞」のような。聞き終わった時の爽快感はある───

カラヤンは、年をとっても、枯れることはなかった。
しかし、・・・。

補足日時:2014/12/13 05:53
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この回答へのお礼

お早うございます。


☆こんばんは。お忙しいのでしょうか。
◇年の瀬で、《バカの飲み薬》を飲む機会が増えておりますので・・・。
さらに、
パソコンのブラウザ(Firefoxというケダモノ・ブラウザーソフト)が「お前には動画を見せてやらない」などとゴネ始めまして・・・♪
「Flash playerのバージョンが古いんだよ。アブねえ~から、見せられない。見たけりゃ、バージョンアップしろ、ボケ!!」
と、動画再生をブロックするんですよ。
仕方がないので、更新しようとしたら、今入っているのは最新(?)なんですよ。
「ハテ、はて???」
この解決に時間がかかりまして(ポリポリ)。


それはそれとしまして、
カルロスは、運弓法・ボウイング(Bowing)が他の指揮者と違うんじゃないですか、
などと適当な事を書きました。
動画↓
https://www.youtube.com/watch?v=VLkZvsp62iU
を見ますと、結構、せわしく弓を動かしていますよね。
特に第二バイオリンですが・・・。
弾くというよりも、時々、叩くというような印象すら受けてしまう・・・。

ということで、
Tastenkastenさんに丸投げ!!

「いや、いや、こんなもんですよ♪」
と言われたらどうしよう。
「私は素人ですから」と苦笑いして誤魔化すことにしよう♪



回答、ありがとうございました。

p.s.
お父さん(エーリッヒ)の楽譜の書き込みに、そういう指示がある???

お礼日時:2014/12/13 05:27

回答番号10の補足を拝見しました。

素人の回答にあんな補足をつけるのは規約違反です。通報しようと思つたのですが、Tastenkastenさんがいくらか、お書きくださつてゐるので、このたびは見送ることにします。今後はお気をつけください。私の回答につけてよいのは「バカの呑み薬」です。今も頭の治療のためにやむなく服用してゐます。薬の紹介のおかげで、何の罪悪感もなく治療に専念できます。ありがたうございます。

ちなみにモーツァルトの交響曲で好きなのは、38番です。さらに大衆受けの点でいへば、40番の第1楽章です。でだしのヴィオラの小さな音を聴いただけで泣く準備ができてしまひます。

>>モーツアルトは、交響曲よりも協奏曲の方がいいんじゃないかな♪

ピアノとクラリネット以外では、ホルン協奏曲が好きです。

さてここからが本番です。

>>日本で人気が出たのは、クライバーのライブ録音が出てからではないでしょうか。

先日の質問のとき、この点をNemurinekoNyaさんとTastenkastenさんにおたづねしようと思つたのですが、締め切りになつてゐました。カルロス・クライバーのベートーヴェンはスピード感がありすぎて、Flareon流にいへば新人類のやうな印象を受けます。それはそれで魅力でもありますけれど。フルトヴェングラーとはまつたく別物のやうに感じます。DVDは、バイエルンではなく、コンセルトヘボウしか持つてゐません。アバドのDVDは、ウィーンフィルではなく、ベルリンフィルだけです。NemurinekoNyaさんのおすすめのものも買つてこようと思ひます。

Tastenkastenさんは、セミプロのNemurinekoNyaさんには少し辛口で、ド素人の私には優しいやうです。

この回答への補足

遅いのは、最晩年のクレンペラー。

Beethoven Symphony No.7


これはこれで内声部の美しさが際立つ魅力的な演奏♪
 ───最近、晩年のクレンペラーの演奏にちょっと惹かれている───

第9に至っては、10分以上遅い!!
https://www.youtube.com/watch?v=jz5AJwbn6uU


速いもの代表は、ミュンシュ。
https://www.youtube.com/watch?v=wMsJA0GyZD4

補足日時:2014/12/13 06:09
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この回答へのお礼

どうもです。


☆カルロス・クライバーのベートーヴェンはスピード感がありすぎて
◇カラヤンはもっと速いですよ。

http://www.dailymotion.com/video/x1xgfkg_%E3%83% …

カラヤンの方が速いんだけれど、クライバーのようなスピード感や躍動感を感じることができない。

一部の人から神さまと呼ばれる《ジョージ・セル》も、結構、速いですよ。
https://www.youtube.com/watch?v=7K8wT6kFTNQ

実は、世の中でよく言われる程、クライバーは速くない。
速く感じるのは、たぶん、弦楽器の弓の使わせ方が他の指揮者と違うんじゃないか♪
これが躍動感とスピード感を感じさせるんじゃないかな~♪

シロウトだから、適当な事、いい加減な事を言えるのであった。

動画を見ると、カルロスは、弓を小刻みに、激しく(というか速く)使わせているような気が・・・。
 ───私は素人、適当な事を言える!!───



回答、ありがとございました。

お礼日時:2014/12/13 04:41

こんばんは。



肝心なことは大体お話ししたので、plapotaさんに続くおしゃべりです。

>私の(音楽的)感性は、他人(ひと)さまと大きく異なっているようで、世間の評判があまり高くない曲が好きだったりします。

モーツァルトのフルートとハープのための協奏曲は、世間の評判が高くないのですか。名曲のはずですけれど。ファゴット協奏曲はちゃんと聞いたことはなかったのですが、流麗な旋律とはいきませんが、これはこれで面白いですね。まあ、モーツァルトにはあまりハズレはありませんから。知られていないのは、独奏楽器として一般的ではないので、上演の機会が少ないからではないでしょうか。ただ、華やかでない、というだけの理由のように思えます。

>フランツ・シュミットの交響曲なんて、また、変なものを聴き始めています。

少し前から気になっていて、録音はあるのですが、まだ取り組んでいません。少し聞いた限りでは、第4番がよいようです。『ノートルダム』の間奏曲は、カラヤンのオペラ名曲集にも収録されている有名な曲ですね。この時代の作曲家は、まだ日本では十分知られていないでしょう。フランツ・シュミットに魅かれるのであれば、フランツ・シュレーカー(Franz Schreker)、アルクサンダー・ツェムリンスキー(Aleksander Zemlinsky)、ハンス・プフィッツナー(Hans Pfitzner)、ヨーゼフ・マルクス(Joseph Marx)、エーリッヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold)、テオドーア・ベルガー(Theodor Berger シュミットの弟子)などもお気にいるかもしれません。御存じのものもあるかもしれませんが、一曲ずつご紹介します。Youtubeで検索すれば、ほかにもたくさん出ます。

フランツ・シュレーカー『間奏曲』


ツェムリンスキー『抒情交響曲』
https://www.youtube.com/watch?v=AvEKBsUFtSs

プフィツナー『パレストリーナ』~三つの前奏曲
https://www.youtube.com/watch?v=G18ub59k6x0

ヨーゼフ・マルクス『春の音楽』
https://www.youtube.com/watch?v=PCtjXjy90_8

エーリッヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト『ヴァイオリン協奏曲』(第1楽章)
https://www.youtube.com/watch?v=DkT_eRCkK08

テオドーア・ベルガー『ホメロス交響曲』
https://www.youtube.com/watch?v=U4JrfyMVbPs

ベートーヴェンの第9について、二点補足します。

ベートーヴェンを「古典」という言葉に当てはめすぎると、解釈を誤ります。ベートーヴェンの作曲法には、マニエリスム的な側面があるのです。つまり、誇張です。モーツァルトなら8小節で済ませるであろうパッセージを16小節の長きにわたって書く、などです。第9の楽章のアンバランスも、そういう美学から見ないといけないんです。マニエリスムという語は、美術では使いますが、音楽にはあまり使わないので、わかりにくいかもしれませんが、原理は同じことです。ベートーヴェンは、「古典」の美学はもう卒業してしまったんですね。

もう一つは、疑うことには意味がある、ということ。私は、最終的には世評と同じ、第9は最高傑作という意見ですが、無反省に踏襲したわけではありません。No.3でも書きましたが、第9のみならず、交響曲すべてになんとなくなじめない期間があり、さらに言うと、ベートーヴェンという作曲家自体の価値を疑った時期も若いころにありました。ですから、ねこさんも、第9の良さがわからない、と思われるのでしたら、今はそれでよいのです。ベートーヴェンの作曲様式は、バッハやモーツアルトのように完結していませんし、本当にそのよさを理解するには、時間が必要です。作曲を学ぶとき、洋の東西を問わず、モーツァルトやベートーヴェンを偶像にするな、よくと言われます。彼らはライバルであり、同僚である、神聖化してはいけない、と言うのです。モーツァルトやベートーヴェンを崇拝するファンから見たら、とんでもない思い上がりに聞こえるかもしれませんが、偶像化してしまったら、この仕事をする意味がなくなりますから。いろいろな角度から疑ってみて、そのあとに再評価ができれば、それが本当の評価になります。
偶像は幻影でもあり得ます。ねこさんなら「イドラ」を御存じでしょう。

古典的な整った美学が一番すぐれているという個人的な立場のため、それからはみ出た別の美学を評価できず、第9は失敗作だと思ってしまう(洞窟のイドラ)

第4楽章はちぐはぐだ、第9の人気は日本だけのものだ、あるいは逆に、第9の価値を疑うなど音楽がわからない証拠だ、というようなウワサ、デマ、キメツケに振り回されてしまう(市場のイドラ)

音楽史の記述や、音楽界の権威の評価を鵜呑みにして、第9が最高傑作だということを一度でも疑ってみようとしない(劇場のイドラ)

これらはみなよくないことなのです。
ねこさんに合わせて、ちょっとだけテツガク的にしてみましたが、見当違いかもしれません。

お送りしようと思ったら、plapotaさんの回答にコメントがついていました。別に、対位法を勉強したからと言って、ジュピターの第4楽章がいいと思うようになるとは限らないんですよ。それに私も、モーツァルトやベートーヴェンに関しては、交響曲よりも協奏曲の方が好きなのでした。今でこそ何でも聞けるようになりましたが、若いころはモーツァルトの交響曲は苦手でねえ・・・
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こんばんは。

Tastenkastenさんでなくて、申し訳ございません。おしやべり回答です。

>>私の(音楽的)感性は、他人(ひと)さまと大きく異なっているようで、
>>世間の評判があまり高くない曲が好きだったりします。

音楽だけではないと思ひますけれど。変人といふのは、万人の認めるところではないのでせうか。

私の場合は俗受けするものばかり好きになります。少し前にモリエールの戯曲について質問してTastenkastenさんから高度な回答をいただいたのですが、最高傑作『人間嫌ひ』の良さがわかりませんでした。大衆受けする作品のほうが好きです。第7番なども、以前は一般にはあまり知られてゐない曲だつたのが、結局はメジャーになつてしまひました。小説は、ほぼ無名のリチャード・ヒューズ『ジャマイカの烈風』がいちばん好きなのですが、これもそのうち日本で映画化されて、ベストセラーになるのかもしれません。

>>モーツアルトですと、フルートとハープのための協奏曲♪
>>「この曲がモーツアルトの中で一番好き」というかなりの珍種・変人です。

この曲が好みの人はかなりゐるのではないでせうか。映画『アマデウス』でも使用されましたし。いくらか日本的な響きもあります。フルートとハープを尺八と琴になぞらへる評論を読んだ記憶があります。私もしよつちゆう聴きます。でもモーツァルトといへば、ピアノとクラリネットですね、一般的評価では。ファゴット協奏曲♪は、あまり聴きません。そのうち魅力について教へてください。

この回答への補足

41番の『ジュピター』は、とんでもない傑作なのだろうが、
素人の私には、その凄さが、さっぱり分からない。
特に4楽章♪

Tastenkastenさんに、きっと
「対位法とフーガの勉強をしてください」
とお叱りを受けるに違いない(笑い)。
「対位法は基本です!!」
と叱られるに違いない。

ふんっ、素人に分かるもんか、あんな恐ろしく難しいフィナーレが!!

補足日時:2014/12/11 23:43
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この回答へのお礼

こんばんは。


☆音楽だけではないと思ひますけれど。変人といふのは、万人の認めるところではないのでせうか。
◇心外です。ただ、私の常識が世間の常識といささか異なるだけです(笑い)。
変人は自分が変人であるとは考えない。
世間の方がおかしい、と考える(笑い)。



☆第7番なども、以前は一般にはあまり知られてゐない曲だつたのが、結局はメジャーになつてしまひました。
◇「のだめ」の影響でしょうか。
私は、「のだめ」を見ていないので、そこのところはよく知らないんのですけれど。
ですが、日本で人気が出たのは、クライバーのライブ録音が出てからではないでしょうか。
あのCDの影響は非常に大きかったと思います。

しかし、ここでもまた私の変人ぶりが出ます。
第7の録音で好きなのは、アバド&ウィーン・フィル(1966年)のデッカの奴。
http://www.hmv.co.jp/news/article/1303090014/

ウィーンフィルの音がねぇ~、いいんですよ。
この音を聞けるだけで、このCDの存在価値はある。
60~70年代のウィーン・フィルの音は、演奏の解釈、そして、曲をも越えるものがあった♪

浪花節や(日本の)民謡の場合、歌い手の声の良し悪しを問題にするように、
オケの音をその演奏の評価基準に置いていいはずだ。
その時になってこそ、西洋のクラシック音楽が日本に本当の意味で根付いた、と初めて言えるのではなかろうか、
と嘯く♪♪♪



☆映画『アマデウス』でも使用されましたし。
◇使われていましたっけ(ポリポリ)。
25番の印象が強いから、覚えていないのかな~♪



☆でもモーツァルトといへば、ピアノとクラリネットですね、
◇こちらも好きです。
クラリネット五重奏曲も大好きです。

モーツアルトは、交響曲よりも協奏曲の方がいいんじゃないかな♪
こちらの方が傑作が多いのではないでしょうか。



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/11 23:33

一つ補足です。

先ほどリンクを張ったバーンスタインの動画ですが、音が不鮮明なので手元にある録音と比較したところ、音質がかなり落ちていることがわかりました。お聞きになるのなら、CDもしくはDVDをお買いください。それから、カラヤンの演奏がよくないと書きましたが、これも、Youtubeですぐに出てきたウィーン・フィルとの録音を聴いて言いました。今、1962年にベルリン・フィルと録音したものを聴いたところ、こちらは非常に良いです。もちろん、バーンスタインとは違うアプローチで、オーソドックスと言ってよいと思いますが、これも入魂の演奏、音質もよいし、独唱者のアンサンブルは、こちらの方がよいかもしれません。できれば両方お聞きください。
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この回答へのお礼

カラヤンが60年代に録音したベートーヴェン交響曲全集は、結構、いいんですよ。
1962年に録音した第9は、私が一番好きな第9の演奏♪
 ───初めて買った第9の録音───

ベームの第9は、全部、つまらない。
ベームのベートーヴェンは、どれも「ちょっとねぇ~」なんです。



回答、ありがとうございました。

ps
バーンスタインは持っているので、じっくり聞いてみようと思います。

お礼日時:2014/12/10 00:53

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