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きっと誰しも経験のあることだとおもいますが、
わたしは人見知りで、さらに、相手によっては心を開くのに時間がかかります。(開けないで終わることも...)
今に始まったことではなく、もう小学校~今現在に至るまでずっとです。
いまは社会人3年目で、ある程度社交辞令程度で冗談を言ったり、大人の対応が以前よりはできるようにはなってきていると思いますが。

ただ、職場の周囲の人は、最初はよく「私も人見知りだよ」とか、「あの人も人見知りだよ」とか話を聞く割には、そんなそぶりもなくすごくなじんで見えますし、お休みの日に職場のひととでかけたりもしているようすです。
わたしは部署が変わり今のところはまだ3か月目なので、きっとこれからなのでしょうけど、そこまでなじめる気がしません。

前の部署の人には「なじんでるみたいで良かった~」って言ってもらえるのですが、自分ではすごくいっぱいいっぱいです。(なじめてるとは自分では思えないです)


人見知りのかたで克服?改善したかたのご意見や、わたしのように人見知りで、心が開けないひとで自分はこう思ってるから周りは気にしないといった意見などあれば是非聞きたいです。

よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

例えばいろいろな「占い」を読んだ時に「当たっている」と誰しもが思う表現があります。


仮に・・何かの記述の、自分の該当欄ではないところ・・つまり「おうし座」の人が「ふたご座」の欄を読んだとしても、当てはまる事はたくさんあります。

人のメンタルの有り方、としては
さほどに大差が無いものだ、と言う事です。
例えば。
「貴方は周囲から社交的と見られているが、内心では人と打ち解けるために細心の注意を払い、他人が立ち入れない心の垣根があるため、心労がたまりやすい傾向がある。」
「貴方は人見知りで内向的であり、誰彼となく話す、打ち解け合うという関係構築には困難を感じる一方、ここぞと言う時には、自分の意見を言わずにいられない場面があり、そのギャップから、心労がたまりやすい」

しかし、よくよくみれば、どっちにしても同じです。
人間は、最初は人見知りです。それは「動物」としての防御反応として当然の反応です。
社交的に見える人にも心の垣根はあって当然です。
内向的に見える人にも言わずにいられない意見があって当然です。

よく言われるのが「親しい間柄では、人見知りでは無いんですが」これも当たり前です。

人は一人ひとり、不安・不満・疑心・思い込みを持っています。
それを
「自分だけだ」・・と思いこむと、周りは自信たっぷりに見えますが、
「誰でも同じだ」と思いこめば、自分自身に自信が湧いてきます。
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人に心を開くのは難しいですよね。

ましてや社会人3年目で部署がかわったばかりでは尚更です。でも3年で大人の対応が出来るくらいになるなんて凄いですね。少しずつ人見知りは改善されているのではないですか。自分の許容範囲を変える必要はないです。働く上で少しずつ拡がっていくと思います。そして、心から素をさらけ出せる人が出てくると思います。会社の人には最低限の挨拶が出来ていれば問題ないと思います。どうぞ素敵なあなたのままでいて下さい。応援しています。
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>相手によっては心を開くのに時間がかかります。


相手が構えてる人だとダメですよねぇ。

>「なじんでるみたいで良かった~」って言ってもらえるのですが、
本人が人見知りだと言ってる人も同じように見えるのではないでしょうか。
根っこは人見知りでも、本当にそのままではやっていけないですからね。
相手も自分も所構わず素を出すわけじゃないから何となく馴染めていない気がするのかもしれませんが、社会人はその程度の付き合いで丁度いいのかもしれません。
素を出し過ぎる人は後々大変ですからね。
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職場の人も、他の回答者さんも、みんな同じ様なコトを言ってるでしょ?


私も、世間からは「社交的」などと見られてますが、私自身は「人見知り」です。

ってことは、人間は本能的には、人見知りなんじゃないですかね?
人間に限らず、動物の世界でも、異種間は言うに及ばず同種間でも、ほとんど最初は「警戒」から入ってますし。

ただ、人間は知的生物ですから、警戒感などは表に出さず。
その代わりに、社交や儀礼などの「仮面」を付けて、人に接するのでしょう。

言い換えますと、私が社交的などと言われるのは、素などを全く出さず、初対面の人ともそれなりに会話を盛り上げるなどの能力を持っているワケで・・。
社交や儀礼なんてのは、表向きとかキレイ事ばかりの上っ面で、素や本音とは、最も程遠いモノとも思いますよ。

一方で質問者さんは、上述の通り、人見知りが本能であるにも関わらず、「自分だけがそうである」と考え過ぎてるのではないでしょうか?
自分をマイナスの特別扱いしても、百害あって一利ナシ!ですよ。
たとえば「コンプレックス」や「被害者意識」などと言い換えると判り易いですが、そんなモノを持ってても、良いことは何もないから。

もっと正確に言えば、コンプレックスなどは、バネにもなるのですよね?
と言うより、バネにせねばなりません。
ネガティブな感情ってのは、人間が成長するなどのために存在するものってコトです。
判り易いところでは、空腹感などで、もし生物が空腹感が不快じゃなければ、生物は死んでしまいます。

現状の質問者さんは、その空腹感を放置し、次に活かしていない様な状態でしょう。
「お腹が空いた~」と言ってるだけで、「じゃあどうしよう?」が無いのです。
それなら食事するしか無いでしょ?
食材が無ければ買いに行くか、食べに行くか?
そのカネが無ければ働くか、借りるか?
そうやって、次々に考えて、行動するしかありません。

「私は人見知りの傾向が、やや強い様で、その結果、不快感を味わうことが多い」も同じことです。
「じゃあどうするか?」でしょ?

根底はやはり、他人そのものが怖いのか、その他人により自分が傷付くことが怖いのか、いずれにせよ警戒感などが強いのでしょう。
ただ、怖いのは、それこそ「素」などを出そうとするからで・・。
だから「仮面」を付けるワケです。
心理学用語では、「ペルソナ」なんて言いますが、人間は皆、そのペルソナを付けて生きているんです。
動物でも、ボス猿はボスの仮面を付け、メンバーはメンバーのペルソナを付けてます。

たとえば、部下の仮面で上司と接するなら、部下の仮面を付けりゃ良いです。
「部下が上司に叱られる」のは当たり前の話しで、自分と言う人格まで否定されたワケではありませんし。
仮面を付けずに素で接したら、叱る上司に「アンタ、ウザい!」って言っちゃうことになりますよ。(^^;)

誰もが局面ごとに、無意識に仮面を付け替えています。
職場,一般社会,プライベート,友達・・など、それぞれ同じ様になど、接しないでしょ?

朝、会社に行って、オフィスに入れば、まず社会人の仮面を付け。
上司の前では部下,先輩の前では後輩,部下の前では上司,後輩の前では先輩・・・など、その場その場で最適な仮面を付けて、まずは社交をこなし。

そんな中から、「この人とは、友人の仮面でも接したい」と言う人に対し、多少は心を開いた、素に近い仮面で接するんですよ。

ちょっと寂しい言い方をすれば、素で接することが出来るのは、「自分」だけです。
たとえ親子でも、親の前では「子供の仮面」で接するのですから。
後は自分次第で、ほとんどスッピンの仮面で接する人も居れば、親子でさえ分厚い仮面で接する人もいます。
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基本的に私は内向的だと思います


だけど職場で新人が来れば、いじります
自分では無理をしています

コミュニケーションは孤独にならない為のアイテム出もあると、私は思います
自分で孤独に耐えられるなら無理しなくても
良いと思いますよ
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人ってほとんどの人が「素」で付き合っちゃいない。



自分の趣味や好きなことを話していくうちになじむもんだし
好き嫌いはだれにでもあるもの
大切なのは、誠意とか付き合い方なんじゃないかな?

相手にマナーある態度で接していたらいいと思うよ。
特に職場なんて気軽に話せる仲になっていても本音は言えないし
お友達なんてできなくて当たり前

仲良く話してても、心のうちまで信用していないし
職場よりプライベートの人間関係を大切にする人が多いと思うよ。
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