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よくBF109が遠距離移動できないからって言われてるけど
連合軍はドイツに爆撃しまくったじゃん。

A 回答 (6件)

>よくBF109が遠距離移動できないからって言われてるけど連合軍はドイツに爆撃しまくったじゃん。



 回答のひとつはご質問文に書いてありますね。Bf109は航続距離がみじかかった、と。なおバトルオブブリテンはあくまで英本土防空戦のことなので、後半の「連合軍の爆撃機は~」は関係ないです。

 さて、バトルオブブリテンで英国が勝利できた要因の一つは、レーダーと監視所などを有機的に組合わせた総合的な航空管制システムがあったことが挙げられます。これに加え、戦闘機隊の基地を各所に設け、パイロットの補充や修理を充実させた(落とされたってすぐ代替機で上がれる)ことで戦闘機隊の稼働率を高く保つことができた、という要因もあったとのこと。

 ごく乱暴に言うと、電子と人の目を合わせてがっちり監視し、バックアップ体制も整えて待ち構えていたところに、脚の短いドイツ軍機がノコノコ侵入してエジキなったということですか。
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>連合軍はドイツに爆撃しまくったじゃん。



日本のミリタリー(戦史)マニアの間で「もしレイテ湾に突入していたら」とか「ミッドウェー海戦は勝てた戦いだ」という話題が定番であるように、アメリカのミリタリーマニアの間での定番の話題が「果たしてドイツ本土爆撃の必要があったのか」なのです。
昼間のドイツ本土を爆撃するという作戦のため、アメリカ軍は膨大な損害を出しています。B17は10人乗りで、1機墜落するとほぼ10名が全員戦死してしまいます。このドイツ本土爆撃で2万人を越えるアメリカ人青年が死んでいます。そしてこのドイツ本土爆撃は、第二次大戦のありとあらゆる戦場の中で、唯一負傷者より戦死者のほうが多い戦いでもありました。最も損害を受けた時期は、約50%が未帰還になったので、あのかまぼこ型の兵舎ってのがありますでしょ。あれに満員だったのに、出撃したら一晩でその数が半分に減ったわけですから、それを想像するとちょっと恐ろしいですよね。
しかも、それだけの損害を出しながらドイツの生産能力にそれほどの損害を与えることはできませんでした。ドイツの軍需生産がピークに達したのは1944年ですからね。
だから、戦争そのものには連合軍は勝ちましたが、ドイツ本土爆撃戦という限定した視点からすれば、連合軍が敗北した戦いであったといってもいいと思います。

なお、本題のバトルオブブリテンですが、元々ナチスドイツ空軍というのは、陸軍のあの「電撃戦」を補佐するための「空飛ぶ砲兵(戦術空軍)」としてちょっと極端に特化した編成になっていました。これは限られた予算の中で何を優先するか、という考えからすれば正しい判断だったと思います。なぜなら、そのために1940年の電撃戦で大勝利を得ることができたわけですからね。
その代わり、バトルオブブリテンのような戦略的な戦いとなるとその対応能力に限界はありました。そもそも勝てる組織ではなかったのです。
それはいってみれば、ボクサーが総合格闘技の試合に出たようなものだったのです。
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敗因として、Bf109の航続距離の問題が指摘されますが、


ドイツはスペイン内戦から落下式燃料タンクを実戦投入しています。
その気になれば、航続距離を伸ばすことは可能でした。
戦後製作された映画や、書籍では航続距離の問題が指摘されていますが、
当時の作戦を詳細に分析すれば、敗因は別のところにあると思います。

最も大きな敗因は、優柔不断な作戦でしょう。
本来のねらいである海峡とその周辺の航空優勢を確保、
ドーバー周辺の英軍飛行場を爆砕し、また英軍戦闘機を地上と空中で撃滅する事を途中で変更したことが大きな敗因です。
海峡に近い飛行場を爆撃すべき爆撃機を、遠距離の都市爆撃に変更したために、
敵戦闘機の活躍を許し、遠距離の目標攻撃で燃料が不足し、敗北した。
本来の作戦とおり、海峡付近の高空戦力を無力化し,制空権を勝ち取れば勝利できたと思います。

第2の敗因としては,ゲーリングの命令で,鈍足の爆撃機にBf109,Bf110が速度を合わせたこと、
両方の戦闘機も,当時は速度を活かした一撃離脱戦法を得意とする機体ですが、速度や高度が高くなければ優位性を発揮できません。
低速で飛行中に,敵戦闘機に襲われると不利です。

連合軍のドイツ爆撃は,爆撃機の大きさも規模も桁違いです。
B17の場合12.7mmが13、10機密集すれば130の機関銃が火を噴きます。
対して、He111の武装は7.92mmが10問以下、防弾も脆弱 速度も遅い
B17に比べれば,落とされやすい。
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vsdvsdvsd さん、こんばんは。



確かバトルブリテンの頃はイギリスの戦闘機は数が少なく、レーダーがなかったら、負けていたと思います。それから、メッサーシュミットBF109の航続距離が不足がちでイギリス本土に10分くらいしかいられなかったことから爆撃機を狙われて大きな損害を出してしまったからだといわれていますね。連合軍がフランスを空襲したのは1941年、ドイツを空襲したのはこの後の1942年です。



詳細は下記のURLを参照ください。
バトルブリテン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%88% …
ハンドペレージハリファックス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3% …

アブロランカスター
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96% …
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シニア男性です。



ドイツ空軍は1940年夏、制空権奪取のため英国空軍
基地、軍需工場等を爆撃しました。
もうダメだという直前、濠を煮やしたヒットラーはロンドン
空襲に目標を変えました。
これで英国空軍は息を吹き返しました。

ドイツ空軍も損害が大きく夜間爆撃に変更したものの
英国を屈服できませんでした。ご指摘のように護衛は
短時間しかできないためです。
そしてそれすらやめてしまいます。秋のことでした。
再度、主力を東に移すためです。
こうして英国との戦いは中断したのでした。

その後英国空軍はドイツへの夜間爆撃を開始しました。
米国の参戦にともないB17による昼間爆撃が開始されます。
この頃はまだ護衛機を伴わず行われました。
機体の与圧室もなく、対空火器は窓に直接配置されていました。
このため高度は6000mまでで敵戦闘機の迎撃も容易でした。
B17の乗組員は25回出撃したら帰国が可能でしたが、この
中ほどの出撃回数で撃墜されるのが常でした。
ドイツ空軍爆撃の場合と基本的には同じです(多大な犠牲)。

この状況がなくなるのは護衛戦闘機P51が配備されるまで
続きました。
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>連合軍はドイツに爆撃しまくったじゃん。


ドイツ本土への爆撃は、欧州大戦も趨勢の見え始めた後半以降であり

その状況にまで追い込むまでは、英米空軍側も相当数の損失を受けている

結局は、損失を被っても航空機とその乗員を切れ目無く補充して攻勢を続けることが出来た英米側と
航空機や乗員の供給が追いつかなくなったドイツ側との違い

それに、イギリスとソ連の二正面作戦は無理な相談なので、海を越えるイギリス侵攻の難易度の高さと石油やその他資源の確保の為の対ソ戦の優先という判断に従って
無理な攻勢を諦めたって事でないのかな
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