【お題】甲子園での思い出の残し方

平家物語「敦盛の最期」の文中に
『ものその者で候ねども』という節がありますが、 まれに『ものその数で候ねども』と紹介されていることがあります。

『ものその者で候ねども』
『ものその数で候ねども』
とちらが原文として正しいんでしょうか??

A 回答 (2件)

前の質問での、他の方の回答にも書かれていますが、『平家物語』には多くの系統の諸本があり、本文が少しずつ異なっています。

これは『平家物語』が語り物として受け継がれてきたという性質ゆえでもあるのですが、他の古典文学作品でも、諸本で本文が異なることは普通にあります。
昔はコピー機などなく、人が手で書き写す方法しかありませんでしたから、そうやって書き写されていく間に、いろんな理由によって異なる本文が発生していくのです。

「ものその者で候はねども」の本文は、「覚一本」という、現在もっとも一般的に読まれている系統のものです。この系統の中でも、「高野本」と呼ばれる本は日本古典文学大系(岩波書店)の底本になっており、高校の教科書もこの底本によるものがほとんどだと思います。
・覚一本(高野本)
「物そのもので候はねども、武蔵国住人、熊谷次郎直実」
http://www.j-texts.com/sheet/htkall.html

「ものその数で候ねども」の本文はちょっとわかりませんが、「ものその数にては候はねども」という本文ならば、「流布本」と呼ばれる系統にあります。
・流布本
ものそのかずにてはさふらはねども、むさしのくにのぢうにん、くまがへのじらうなほざね
http://www.j-texts.com/sheet/heikeall.html

この他、「その者にては候はねども、武蔵の国の住人、熊谷の次郎直実と申す者にて候」という本文を持つ系統(百二十句本)もあります。
・百二十句本(国会本)…新潮日本古典集成『平家物語』の底本
http://www.j-texts.com/sheet/120kall.html
・百二十句本(京都本)
http://www.j-texts.com/sheet/120all.html

同じ系統の諸本でも、その中でまた少しずつ本文が違うこともあります。

どれが「正しい」本文か、というのは、なかなか難しい問題です。
考え方としては、原作者が書いた自筆本の本文が正しい、ということになるのでしょうが、古典文学作品は原作者の自筆本が残っていることはほとんどなく、その場合は後の時代に作成された写本の系統を比べて、元の本文に最も近いものを推測するしかありません。
また、覚一本がいま一番普通に読まれているからと言って、他の諸本が「間違っている」というわけでもありません。特に語り物として様々な形で伝えられてきた『平家物語』の場合は、それぞれが性格の異なるバリエーションなのだと考えた方が良いでしょう。

学校の教科書的な考え方で言えば、教科書に採用されているのはたいてい、覚一本系統の高野本ですから、その本文が規範になります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうござります。
とても助かりました。

お礼日時:2015/01/03 20:50
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