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最近は多様性の尊重とか言いながら、多様な生き方を否定する圧力があると思いませんか?だとしたらそれは何故でしょうか?

人間の本質は怠惰なので、仕事はそこそこ、遊びもそこそこで後はのんびり暮らすという生き方が多くの人にとって最もストレスが少ない生き方だと思いますが、今の世の中はそういう生き方は否定されることが多く、上昇志向を持ってひたすら頑張れという生き方を強要される圧力を感じます。

一つの理由はグローバル化に起因する競争の激化だと思います。一握りのとびきり優秀な中国人を例に出して、このままでは競争に負けてしまうと脅されます。こういうのは良くないと思いますよ。「◎◎ちゃんはテストで百点取ったのに、あなたの点数は何?」と子供に言うダメ親みたいなもので、大抵の場合、子供(日本人)はやる気を無くします。

女性を働かせるのも同様で、男性の立場を弱くして男女間の対立を煽る一方で、主婦になりたいような女性にまで仕事、家事、育児すべてこなすよう圧力をかけており、のんびり生きたい、安定した生活をしたいという多くの女性の希望を打ち砕きます。

多様性が大事と言いながら、上昇志向をもって必死に働くことしか認めないこの社会はいつか破綻するのてはないかと思っています。鬱が増えているのもその兆候を示しています。なお、日本は鬱が少ない方で、日本以上の競争社会である中国とアメリカは日本の比でなく鬱が多く、韓国は日本より遥かに自殺が多いようですね。

A 回答 (10件)

ライフスタイルに多様性が無い国って、人口増加してるのですが・・。



人口増加国を見れば判りますけど、軒並み大家族です。
一方の日本は、二~三世代の同居から核家族化し、更に現在は独居の時代で、それだけでもライフスタイルは多様化しています。

まあ、そう言う時代に突入してから、それなりの時間が経過しているので、マンネリ化はしてるでしょうけど、独居以上の多様化は無いしなぁ。

テストの点数のたとえもどうかと。
悪い点を取った子供は、少なくとも学校に行って、お利口な子供と同じ試験を受けて、勝負してきたのでしょ?
一方で、海外との競争を避けるのは、土俵にも上がってないワケで。

1990年代までは、日本はアジアの富の玄関口で、世界中の企業のアジアを統括する現地法人は、日本にありましたけど、現在は大陸に移っちゃっているのです。
それでもまた日本は豊かで、過去の遺産で充分に食っていけますけどね。
それがいつまで続くのか?と言う話です。

未来永劫、日本で安穏に過ごして行けるなら、誰もプレッシャーなどかけませんけど。
近い将来、そう言う時代ではなくなります。
ソッチの方の破綻のシナリオの方が、確実ですよ。

まあ、人それぞれで、アリ型もいればキリギリス型もいます。
日本は、アリもキリギリスも否定はしてません。
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まあ、他国との比較はさておき。



そうですね。
大方そういうものだとは思いますね。
ただ「勤勉」というものは「忙殺」とは違うし、怠惰と「マイペース」というものも違います。
自らの役割(仕事)に対して、真摯であり真面目なのはいいことです。
その姿勢の上で、生活の質が高まることも、悪いことではない。
ただし、それには人それぞれのペースが存在するので、それを他者がいかに尊重できるか、ということが鍵になってきますね。

競争も「やり過ぎなければ」良いことです。
勝者敗者というものは、競争では必ずあるものですが、それはあくまでも結果であり、敗者だからといって「足で砂をかける」ようなことをすることは、人としての「資質」に欠けるところがある、ということです。
人間性の問題です。
勝負事は結果が全てであり、逆に言えば「結果以外のもので語るものはない」のが勝負です。
純粋に厳しく、雑事を含めないのが肝心です。

なので「煽る」ということは、人として恥ずべきことであり、情けない行為だと言わざるをえない、ということですよ。
無論、これは「上昇志向」というものでは「ありません」。
単なる策略であり、尻に鞭打つ行為です。
我らは人であって、牛馬ではないのだから、自らを律しながら動くことが出来るのです。
故に「煽られる」というのは、他人を責めるのではなく、あくまでも「不甲斐無い自分を責める」ことをよしとするべきでしょう。
煽られることで、簡単に浮遊し続けることを、浮草根無し草のようにしか生きられない「心根の浅さ」を責めるべきです。

そういった意味で、今の日本の現状は「通過点」だと言えますが、果たしてこれからどうなっていくかは不可視です。
今のまま、縁に縋って生きていこうとするのか、もしくは「日本人とは」と、自らを律し、国を憂いながら進んでいくのかを問われている。
そしてその猶予は、実は「殆ど無い」のが現状だと思います。

アベノミクスなどと「他人の褌」を有難がって履いているようでは情けない。
そろそろ本気で、自分達が何者なのかを問いかけていかないといけない。
それが出来ないと、この国はずっと「真のナショナリズム」を知らないままに年をとる「子供」のままとなります。

自分らしさは、自分で勝ち取る。
それがまずは前提なのだと考えます。
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多様性が少なくなったのではなく、意志の弱い人間が増えただけではないでしょうか?


学校とか、職場でも、相談する場が多すぎるのもまた、考えが浅くなる理由の1つな気がします。
親とか、上司とか、あくまでも意志を尊重してくれるような相談相手ならいいんですが、場所によっては聞いたら答えちゃうんですよね。
こうした方がいいですよって。
下手したら、こうしなさいって言うんです。
答え教えちゃうとか、道を捻じ曲げちゃうとか、されてもそれでも!って思う人、今は少ないと思います。
私も相談して、有益に聞こえる方に進んでしまう傾向があります。

人として、してはいけない事を教えるのはいい事だし、吐き出す場所も必要だと思います。
でも、一方で答えを答えちゃう場所が増え、意志が弱く自主性の少ない人間が増えただけじゃないかなぁと思います。
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いえ、少なくはなってないと思います。


むしろ多様性は徐々に広がっています。

ただし未だに縛られてる部分が多いとも思います。
意識的にでも、無意識にでも。
直接的でも、遠回しでも。

自由だの多様性だのいっておきながら、でもやっぱり変じゃない?などと曖昧に縛られてることも、まだまだ多いです。
「誰も禁止なんかしてないだろ!」はそうですが。
いえしかしそういうことでもないんです。遠回しにでも直接的にでも、「大きく批判否定をしてくる」「圧力かけてくる」のが問題ですね。

ちなみに私個人は多様性や自由は大切だと思ってますが、全てにおいて自由とは思ってないです。
自由にしたらどうなるのか
(良いのか悪いのかどちらでもあるしどちらでもないのか)
(誰にとって、の話なのか)

そういったことを無視しては駄目だと思います。
そういう意味では話し合いが必要だとは思ってます。
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質問者さんは、いくつの方でしょうか。

40代の私からみますと、あまりにも多様化しすぎて選択ができなくて途方にくれている人がたくさんいるように思えます。
それに、マイノリティに属する人は生きやすい時代になったなとも思います。
女装なんて、40年前にやろうものなら狂人扱いされてもおかしくなかったと思いますから。
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”多様な生き方を否定する圧力があると思いませんか?


だとしたらそれは何故でしょうか?”
     ↑
人の数だけ不幸の種類があるが、幸福の形は
大体同じだ、といわれます。

つまり、日本人は幸福になっているので、生き方の
多様性が失われているように感じるのでしょう。

本当は、自由が溢れているのですが、自分で縛って
いるのです。
考え方に制約を設けているのです。


”多様性が大事と言いながら、上昇志向をもって必死に働くことしか認めない”
     ↑
それは一部でしょう。
現代では何をやっても自由です。
ニートやフリーターという選択肢すらあります。
外国で暮らすのも自由です。
貧乏したって、餓死することもほとんどありません
から生き方も自由です。
いざとなれば、政府が助けてくれます。

昔に比べれば、多様性に溢れていると思いますよ。
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Unfortunate futuristic view~不幸な未来図しかない職業選択をして、貧困以外の未来がないのに、それを選ぶのが多様性なんでしょうか?



それには現状”裕福”である必要があると思われます。

明日の日銭がないのに夢は見れません。

ニートも、養ってくれる親があってのものです。

一方を立てればこちらが立たずの話で、どうにも社会不適合者というものはいるものです。
過去の時代なら、自然に奴隷として社会的役割がありました。

現在では、家族のお荷物か、犯罪者です。
もしくは精神病院で隔離されているかも知れません。
奴隷がないっていうのも不幸に思います。

残念なことに、日本は資本的自由社会です。

お金がないと不自由なんです。
あなたがそう思われるのは、きっとこの多様化を選んだ人たちの多くが貧困にあえいでいるからですね。
それは今までもそうだったけど、注目されていなかっただけの話です。
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多様性においてはむしろ逆に感じる。

何でもありって感じ。子供のことを考えずに始まるシングル、生きていければいいという向上を求めない非正規、生殖器があるのに使わないヒト…。なんだか、「ダメだよそのままじゃ」って昔なら声掛け合っていたのが、全て「放っといてよ」個人の自由になってきている。なのに「自己責任」という言葉は慎めという。
シングルは素晴らしいモノなのだろうか、非正規はほんとに定年近くまで続けられると雇う側は考えているのか、種を増やさない種は正常なのだろうか。幼児は母に父と同じほど働いてほしいと思うのだろうか。ジェンダーは本当に正しいのか。子の気遣いを増やす離婚をなくす機運が出てこないのはなぜなのか。
最後の上昇志向の低下は国の破綻をもたらす意見は激しく同意する。
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おじさんです。


素晴らしい内容です。
お幾つか分かりませんが、そこまで日本社会をきちんと見ているというのは素晴らしいです。
私も長く日本で生きてきましたが、ご指摘の通りだと思っています。
「最近は多様性の尊重とか言いながら、多様な生き方を否定する圧力があると思いませんか?だとしたらそれは何故でしょうか?」
→多様性の尊重を指摘するのは視野の広い人達です。
欧米の文化に目を向け、幅広い考え方を取り入れようとしているのです。
そして、一方では視野の狭い人達もたくさんいるということです。
これは学歴などの問題ではありません。最高峰の国公立大を出ても、会社に入って出世だけを目指しているような人は視野が狭く、ご質問に書かれているような働くだけを他人に強いています。
「一握りのとびきり優秀な中国人を例に出して」
→その話しもよく分かります。
30年ほど前に、イタリアが財政危機になった時に、日本の大企業の幹部たちが「見たか、イタリア人は怠け者だから財政危機になるのだ、それに比べて勤勉な日本人は一生懸命に働くので経済成長しているのだ」と社員の尻を叩いていました。
ところが、その後日本はバブル経済そしてバブル崩壊を起こしました。
その傷跡は今でも深く残っています。
働くことだけしか考えない人はこれから少なくなっていくと思います。
今の若者が日本をリードする頃には、日本はもっとよくなっているのではないでしょうか。
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多様な生き方を否定する圧力・・・?



同性の内縁関係をみとめるなんて、多様性がありすぎとおもってますけど。

圧力はその人が感じるかどうかです。

「仕事はそこそこ、遊びもそこそこで後はのんびり暮らす」と言う人は周囲に沢山いますが、
別に否定もされていませんよ。

必死で働かないことも認められているから、バイトや仕事量の多くない派遣もいるじゃないですか。
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