電子書籍の厳選無料作品が豊富!

死刑について、私は 理不尽に他人の命を奪ったなら、自らの命で償うのが当たり前だと思います。
さて、このことについて、とあるフォーラムでディスカッションしたところ、
「この論法で行くと、末期癌患者が 将来のある尊い子供の命を2人も奪ったら、死刑になったところで
どう考えてもバランスが取れませんが、どうやって帳尻を合わせますか? その人に子供がいれば
その子供を殺しますか?」
と反論されましたが、私は馬鹿なので
「私は人数の帳尻合わせの必要を感じません。自分の命で罪を償うということを申し上げています。」
としか、答えられませんでした。
そこで質問ですが、死刑と帳尻について みなさんは この不条理性について いかがお考えでしょうか?
愚鈍な同調よりも 聡明な反論を歓迎いたします。

A 回答 (10件)

法学部出身です。

主に刑法と刑事訴訟法が得意でした。

法理論という観点から言えば、死刑と帳尻はなにも関係ありません。死刑に限らず、すべての刑罰に「帳尻」という考え方はないんです。

だって、たとば窃盗で10万円奪うにしても、給料10万円の人の10万と同じく給料100万円の人の給料では、その重みがまったく違うでしょう。
100万円の人なら「まあ、取られると困るんですけどね」で済むかもしれませんが、10万円の人だと生活苦で首を括るかもしれません。そうなると、首を括った分の責任も求めなければ「帳尻」は合いませんが、当然ながら刑事訴訟法の手続きからは「犯罪行為から影響したこと」までは責任を求められない、ことになっています。

(最近、裁判員裁判で、量刑をかなり越える1審判決がでて、2審で「犯罪行為の本体以外の部分まで加算されている」として破棄されました。裁判員裁判の量刑を2審以降で見直すのはあまり好ましいとは思いませんが、この件に関しては妥当(つまり犯罪行為だけでなく過量なので破棄)だと思いました。

法治国家において、犯罪行為の取り締まりと刑罰は、国家運営の安定と維持の観点からきまっていきます。死刑にしても「この犯罪を死刑にしないと、国家安定が維持できない」という観点から、決まっていくのです。ですから、アジアの多くの国は麻薬犯罪を死刑にしていますし、中国は共産党員の不正でも死刑があるわけです。
逆をいえば、先進国であるヨーロッパは「死刑がなくても、国家は安定している」と考えている、といえます。
ここに市民感情としての「帳尻」はあまり関係ありません。

また、死刑があるかないかによっての抑止力は「ある」という意見と「ない」という意見が拮抗してします。私はアメリカの例をとれば「死刑の抑止力」は非常に怪しいと考えています。
なぜなら「死刑を回避したいが、殺人をしたい」という意識があるなら、死刑の無い州に移動して殺人事件を起こせば確実だからです。他国のように国を移動するハードルより全然低いでしょう。
でも、実際にはそういうことは起きていません。シリアルキラーが廃止の州に限って多い、というようなことはないからです。

もうひとつ、死刑と「帳尻」が関係ない、実例があります。それは体罰の禁止です。
>死刑について、私は 理不尽に他人の命を奪ったなら、自らの命で償うのが当たり前だと思います。
この考え方を刑罰に取り入れるなら、万引き犯何度目かで手首を切り落とし、レイプ犯は性器切除、などの体罰計も許されることになります。なぜなら命は「体で償える究極の状態」だからです。
殺人事件で一命を取り留めたけど、半身不随になった、ということであれば「帳尻」を合わせるなら、犯人も半身不随にしないと合わないでしょう。

「被害者が志望したときは、死を持って償うのに、体や精神が不具合になったときも同じようにしなければ不公平だ、犯人も同じ状態にするべきだ」
という意見を押しとどめる理由がなくなってしまうからです。

ですから、刑法や刑罰に、そもそも「帳尻」という考え方はないのです。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ごもっともなご意見だと思います。しかしながら、日本人の多くが頑なに死刑存続を維持するのは
やはり「理不尽に他人の命を奪ったなら、自らの命で償うのが当たり前」という考えが根底にあるからだと思います。

phjさんには釈迦に説法だと思いますが、裁判員裁判は 建前上は裁判に市民感覚を取り入れるためですが、結局それって、法律を知らない素人の感情論に委ねすぎると 司法の公平性が損なわれてしまいますよね。極端な話、違う人間が同じような犯罪を犯しても 人相によって判決が変わってしまいますからね。

>この考え方を刑罰に取り入れるなら、万引き犯何度目かで手首を切り落とし、レイプ犯は性器切除、などの体罰計も許されることになります。
これは「帳尻」よりも 再犯防止の要素が強いのではないかと思います。まあ、人権的には大きな問題を孕んでいますが…

お礼日時:2015/05/12 13:38

自分の命で償うという考え方は、それ程相手の命は大切だということを教える道徳的な志向の中にあると思います。


それを表に出して相手に死を求めるという考えは、それを利用してご自身の報復感情を社会的に正当化するためのものだと思います。死刑制度に展開するには多少無理があるのではと思います。

理不尽な死を与えたなら紗布羅和さんは下記のケースで自ら死を選びますか?
1)今回の集団的自衛権でアメリカと中国の戦争に自衛官として参戦したとします。その時敵兵の後ろにいた民間人を誤射しました。相手から見たら理不尽な死があります。
(これは仮想事例ですが今のアフガニスタンとかで展開している無人機による攻撃では道に爆弾を仕掛けているとして射撃したら道路端の畑を耕している女性と子供だったというこは枚挙にいとまがありません)

2)奥さんの出産の連絡を聞いて大急ぎで車を飛ばして病院に向かう道のカーブでスピードオーバーで侵入しセンターラインを越えてしまい対向車が崖から落ちて運転手が死亡した。相手からすると親の死に目ではなく安産でなぜ急ぐかという理不尽な死である。

また死のみに同等の対処を求めることに違和感があります。私の子供暴行されて極度のPTSDで社会生活ができない状態になったら相手を殺したいと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>今回の集団的自衛権でアメリカと中国の戦争に自衛官として参戦したとします。
ちょっと仮定に無理がありますが、自分が死ぬ可能性の方がはるかに高いでしょうね。でも、万が一、そうなった場合、しかるべき処分を受けるべきでしょう。そして、運悪く 敵の捕虜として捕まって銃撃されたらそれまでだし、この場合 私は 命乞いをするつもりはありません。

>奥さんの出産の連絡を聞いて大急ぎで車を飛ばして病院に向かう道のカーブでスピードオーバーで侵入しセンターラインを越えてしまい対向車が崖から落ちて運転手が死亡した。
私は山道で自分が崖から落ちそうになったことがあるので、それ以降、山道はなるべく避けて、それでも どうしても山道を走らなければならない時は 慎重に運転するようにしています。
また、安産だろうと親の死に目だろうと 違反点数や 事故の過失割合に左右するとは思いません。
この場合も、いくら私に過失があろうと 事故はあくまで事故ですし、殺人ではありません。
でも、私が飲酒運転していたら 殺人にも等しいので死んで詫びるかもしれません。

>私の子供暴行されて極度のPTSDで社会生活ができない状態になったら相手を殺したいと思います。
nh-mixさんだけに限らず、そういう感情は珍しくありませんが、危険を含んでいますね。

お礼日時:2015/05/13 13:18

#8です。

お礼ありがとうございます。少々補足します。

>やはり「理不尽に他人の命を奪ったなら、自らの命で償うのが当たり前」という考えが根底にあるからだと思います。
 
 実を言うと、死刑を廃止した国でも、このような意見は多く見られます。死刑存知派が多いにも係らず、死刑を廃止(停止)している国はたくさんあります。その理由を書くと長くなるのですが、先に書いた「国家の安定と刑罰の関係」と国民主権に関係があります。

 私は死刑廃止派ですから「自分の身内が殺されたらどうする?」ということをよく考えています。その場合やはり犯人を殺したいと思いますよね。それはとても自然なことだと思います。でもそれと死刑は同じではありません。

 先ほど、犯罪と量刑は帳尻が合っていない、と書きましたが、その理由は「感情的になると社会安定が危険になるから」です。実際のところ、国民感情があろうがなかろうが、死刑の量刑にはまったく関係ないのです(ただし、存廃議論になると別ですが)

たとえ話をします。「他人の命を奪ったなら、自分の命で償う」ということを、本当に当たり前とする社会だった場合、たとえば「自分の身内を殺した犯人を、捌かれる前に殺した」らどうなるでしょうか。
 犯罪者とはいえ、他人の命を奪ったのですから自分の命で償うのは当然でしょう。ですから、その遺族=殺人犯は、警察に捕まり「死刑にしてほしい」と言ったとします。

でも世間の反応はどうなるでしょう「当然だ、死刑にすべし」という声はむしろすくなくなるんじゃないでしょうか。大体が「確かに人の命を奪ったのは悪い事だが、彼の身内も殺されている。その犯人に復讐しただけだから、死刑にする必要はない」という反応になるのではないか、と思います。

これって、非常に不平等ですよね。法の下の平等、行為による刑罰の平等に反しています。特に危険なのは「理由があれば、人を殺しても罪にならない(または罪を減じる)」ということを、市民たちが声高に主張してしまうだろうことが一番危険であるといえます。強盗などの殺人はいけないが、復讐による殺人は、同じ殺人だけど「気持ちが分かるから」違うんだ、ということになってしまうわけです。

帳尻が合う、とか、市民感情がどう、とかは実はとても危険な考え方であるといえます。


>phjさんには釈迦に説法だと思いますが、裁判員裁判は 建前上は裁判に市民感覚を取り入れるためですが、結局それって、法律を知らない素人の感情論に委ねすぎると 司法の公平性が損なわれてしまいますよね。極端な話、違う人間が同じような犯罪を犯しても 人相によって判決が変わってしまいますからね。

質問者様も、一般的な市民の感情論が時に危険で司法の公平性を損なう、ということはご存知であるわけです。しかし、裁判に参加することは「感情的」でだめだけど、刑罰の厳罰化を叫び達成することは許容されるのでしょうか。
 たとえば、この10年ぐらいの間に、飲酒運転による事故が相次ぎ「もっと厳罰化しろ」という声を受けて「自動車運転致死罪」などの重い刑罰が設けられたようなことです。
 これも、法律を知らない素人の感情論が刑罰を増やしたわけですが、こちらはよくて裁判員裁判はダメなんでしょうか。

裁判員裁判は「市民感覚」を取り入れるために始まった制度ではありません。司法というこの国の主権三権について、国民が直接的に責任をもつことを主眼において始まった制度です。

そもそも、素人の声が高くなれば法律だって替えられるのが国民主権であるわけですから、刑罰の質や量刑に主権者としての国民が直接関わって責任を負ってもいいわけです。
裁判員裁判のやり方がよいかどうか、アメリカの陪審員のように有罪/無罪だけ決めて、量刑はプロの裁判官に任せるのがいいか、などの方法の違いはありますが、いずれにしても国民が直接主権者として裁判に関わるのは非常に重要なことだと思います。



>この考え方を刑罰に取り入れるなら、万引き犯何度目かで手首を切り落とし、レイプ犯は性器切除、などの体罰計も許されることになります。
これは「帳尻」よりも 再犯防止の要素が強いのではないかと思います。まあ、人権的には大きな問題を孕んでいますが…

いやいやダメですよ。目をそらしたら・・・
死刑は「帳尻」で万引きなんかの体罰は再販防止だ、なんていう詭弁は通用しません。

法律はすべてにおいて公平・公正になるように設計されるからです。ですから死刑に帳尻なんて考え方はありません。帳尻で体罰が許容されるなら、死刑以外の体罰も許容する必要がでてくるのです。
ということで、死刑というか刑法の刑罰に「帳尻」という考え方はありません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再回答ありがとうございます。

>実を言うと、死刑を廃止した国でも、このような意見は多く見られます。
phjさんも ご存じだと思いますが、クロムバッハ事件(http://www.afpbb.com/articles/-/2655195)においては フランスでもドイツでも死刑が廃止になっていますが、クロムバッハ氏は あくまで 加害者に司法的制裁にかけることに固執されています。まあ、これは 西洋人でも特異な例だとは思いますが。

>私は死刑廃止派ですから「自分の身内が殺されたらどうする?」ということをよく考えています。
こういう前提で考えるのは公正さに欠けると思います。他のサイトですが、次の質問を参考ください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

> たとえば、この10年ぐらいの間に、飲酒運転による事故が相次ぎ「もっと厳罰化しろ」という声を受けて「自動車運転致死罪」などの重い刑罰が設けられたようなことです。
でも、厳罰を叫んだ人間が 今度は会社の宴会で二日言酔いで酒気帯びで検挙されたら皮肉ですね。

>裁判員裁判は「市民感覚」を取り入れるために始まった制度ではありません。
まあ、これが「真の理由」というのは知っています。でも、日本人は 他人に厳しく自分に甘い面がありますよね。

>死刑は「帳尻」で万引きなんかの体罰は再販防止だ、なんていう詭弁は通用しません。
万引きに関して言えば、万引きしたものを返すか、弁償すれば、償ったことになるはずです。
でも、殺人に関しては「お金で償えないものは 命で償う」という考えが日本人に強いのは否定でしないでしょう。

少し話が逸れますが、「償い」に関して興味深いアンケがあります。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6511326.html

お礼日時:2015/05/12 15:21

帳尻、バランスという考えがわかりません。


殺したら殺される、それが当然だと思います。ただ冤罪のこともあるから実際には難しいと思うけど、理屈ではそれが当然ですよ。

バランスを必ずイコールにすることはできませんしする必要もないのではないでしょうか。
加害者にできる最大限の償いを求めるべきだと思います。
被害者は命を失うという最大の損失をしていますから、加害者も自分にできる最大限の損失をするべきです。末期がんでも、若者でも、最大限のところは変わらないでしょう。

スレッド全体の話が高次元すぎて私にはお話がちゃんとわかっていないと思います。求める回答ともずれている可能性が高いですね。それは申し訳ないです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>ただ冤罪のこともあるから実際には難しいと思うけど、理屈ではそれが当然ですよ。
冤罪の場合は、関係者が命で償うべきでしょうね。

>被害者は命を失うという最大の損失をしていますから、加害者も自分にできる最大限の損失をするべきです。末期がんでも、若者でも、最大限のところは変わらないでしょう。
これ、物に置き換えると、例えば 自分が ベンツとキャディラックを持っていて、これを壊されたら、
壊した犯人の ポンコツ車をスクラップにしたところで 少しでも弁償したことになるのか、私にもよく分からないんですよ。

お礼日時:2015/05/11 21:36

#4です。


「この回答へのお礼」を読みました。
刑法の理論や法哲学を勉強したわけではないので、難しい事は分かりませんが。。。

被害者の遺族の方々は、被害者が生きていてくれたら、得られたであろう物を補償しろ!という気持ちは理解できますし、加害者には、被害者や遺族への補償の義務もあるでしょう。

ですから、この場合の「責任」は、
1。「死刑」という処罰を受ける事。
2。遺族の損失を補償する事。
だと思います。

しかし、2。でも、金銭換算が出来る物事は、加害者が経済的能力を持っていれば、補償出来ますが、精神的な物、つまり、遺族の方々が被害者から得られたであろう「情の交流」や「心の支え」等々は、代替不可能ですから、この面でも、加害者は遺族への補償は完全には出来ないでしょう。

そういう意味で、「自らの命で償う」と言っても、現実には償い切れないのですから、加害者の感情論だと思いますし、加害者自身の命の重さを主張して、被害者の命の重さを考えていない「甘ったれ」以外の何物でもないのではないかと思うのですが。。。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>1。「死刑」という処罰を受ける事。
これは、例えば 心神喪失などで処罰が免除されるということを どう解釈するのか、私にもよく分からないんですよ。

>そういう意味で、「自らの命で償う」と言っても、現実には償い切れないのですから、加害者の感情論だと思いますし、加害者自身の命の重さを主張して、被害者の命の重さを考えていない「甘ったれ」以外の何物でもないのではないかと思うのですが。。。
何度も言いますが、これは むしろ 被害者遺族が加害者に要求するものではないかと。それと、加害者を死刑にすることが 被害者の人権を尊重することになるのかも分かりません。特に、池田小事件の宅間守の捨て台詞を思い出すと....

お礼日時:2015/05/11 21:31

> 死刑と帳尻について みなさんは この不条理性について いかがお考えでしょうか?



そもそも死刑は、存置派にとっても反対派にとっても、不条理な刑罰と言うことですよ。

まずは、質問者さんの論拠である「理不尽に他人の命を奪ったなら、自らの命で償うのが当たり前」と言うのが、短絡的です。
逆に死刑反対派が、安直に加害者の人権を持ち出せば、「では被害者の人権は?」と言われたら、合理的な反論が出来ないのも同じですが。

そもそも「当たり前」とする根拠が存在しませんし・・。
殺人被害者の命は、回復し得ない完全な損失であって、たとえ加害者を死刑に処したところで、せいぜい一部の遺族の処罰感情が、多少は慰撫されるだけで、何ら損害補填も救済もされていません。
それどころか、死刑判決後に遺族は、「本当にこれで良かったのか?」などと言う気持ちを持つ場合もあり、被害者遺族の負担になっている場合さえあります。

そこら辺を考えず、安易に「当たり前」などと言える根拠はありますか?
少なくとも万人を納得させるだけの根拠は、持ち得ないでしょう。

むしろ「死刑になりたかった」と言う殺人動機を主張する加害者もいますけど、その望みを叶える場合もありますしね。
そう言うケースを含め、「自らの命で償う」って・・・何が償えるのでしょうか?
実際にも日本の裁判所は、「それ以外に償う術が無い」と言う、消極的な理由で死刑判決を下しますが、「自らの命で償うのが当たり前」なんて言う判決を下した例は無いですよ。

死刑と言う不条理を含む内容に対し、非論理的,感情的な部分でディスカッションすることが、更に不条理な行為であって、法学なり刑法学,犯罪学などに基づき、論理的,合理的な部分でのみ論証すべき事柄なんでしょう。

そもそも死刑は刑法の一つに過ぎず、刑法の目的は治安の維持,向上です。
従い、死刑を廃止すれば、たとえ一人でも、不幸な凶悪事件の被害者が減少すると言うのであれば、不条理な死刑など、即刻、廃止すりゃ良いのです。

しかし日本は、シンガポールなど一部の死刑存置国と共にに、世界でも屈指の治安を達成しています。
不条理を超越する、合理的な事実,現実が存在するワケです。

「たとえ凶悪犯罪が増加しても、不条理な死刑は廃止すべき!」なんてのは、これも不条理であって、死刑を廃止し得るのは、現状以上に治安が向上する刑法体系を提示する以外、死刑存置派を納得させることは出来ません。

そんな方法は、簡単には提示出来ませんが、もし確実に凶悪犯罪が減少する刑法体系の提示があっても、また死刑存置を主張するのであれば、全くの本末転倒で、それはもう単なる死刑マニアかと。

ちなみに、歴史的には死刑より有効な刑罰は存在し、犯罪加害者が「殺してくれ!」と懇願する様な、拷問や陵遅刑などはありますが、死刑より残酷であり、現代の先進国においては、まあ認められません。
ただ、質問者さんの「当たり前」の延長線上には、「理不尽に他人の命を奪ったなら、それらの刑罰でも当然」とか、「それでも足りない」と言う考え方さえ存在し得ます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/05/11 21:23

そもそも、死刑というのは、殺人事件の被害者の損失に対して、加害者に、帳尻を合わせるように弁償、弁済させるという事では無いのでは。

。。
つまり、殺人と言う道徳や倫理に反する人の道に外れたことを行った事に対して、法に基づいた刑罰を行う事が死刑という事ではないのですか。

物品の損害は、新品や修理で元通りに弁償できるかも知れませんが、人間は生き返る事が出来ないのですから、どんな事をしても帳尻を合わせる事は出来ないでしょう。

殺人事件の被害者は、それまで積み重ねてきた物(財産や知識、経験等々)を以て、これからの人生を生きようとしていたのに、理不尽にも、生命を断たれて生きる事が出来なくなってしまたのですから、何を以てしても償われる事はないでしょう。
ですから、帳尻を合わせる事、つまりは、損と得のバランス(=プラス・マイナス”0”)を取る事など、到底出来ないでしょうし、死刑には、そういう概念はないのではないですか。

殺人を犯して置いて、「自分の命で償う」等と言う事は、殺人者の勝手な感情論であって、被害者の立場に立てば、「取り返しの出来ない事を犯したのだから、黙って、責任を取って処罰を受けろ!」と思うのではないかと思うのですが、如何でしょうか。。。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>plokij75さんの仰る通りだと思いますが、死刑賛成者の多くが死刑に「償い」の側面を重視している点は否定できないと思います。

>殺人を犯して置いて、「自分の命で償う」等と言う事は、殺人者の勝手な感情論であって、被害者の立場に立てば、「取り返しの出来ない事を犯したのだから、黙って、責任を取って処罰を受けろ!」と思うのではないかと思うのですが、如何でしょうか。。。
これは殺人者よりも 被害者遺族の多くが殺人者に要求することでしょう。ただ、ここで 殺人者の「責任能力」が問われることがありますが、これも 被害者遺族の多くには関係のないことだと思います。
さて、「責任」の定義とは 一体何なのでしょうか。

お礼日時:2015/05/11 14:32

考える力が無い昔は、侵略があり理不尽な殺人がありました。

考え対応を作るわけです。どうしたら殺人をしなくなるかとその結果死刑ができたので帳尻でできたのでは、無いのです。帳尻を考える必要が無いのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

結局は wakaranyo2さんも死刑には否定的と考えていいんですよね。なぜなら、死刑の抑止力も
考える力のある現代では疑問視されていますから。

お礼日時:2015/05/11 10:52

ラグって停まったパソコン



この状態と同じだと思います。

電源を強制的に切りますよね?
死刑も一緒です。
例えパソコンが古くてもそうしますよね?
人も一緒です、
末期がんだろうが未成年だろうが、それ直しても効果薄いんです、

帳尻って・・・
判事がバカが多いので、もう年人殺しても同じ事件じゃないからという理由で死刑にならないで、8年ぐらいでのほほんと野放しにしているケースも多々あります。
そういう人は、どう帳尻付けるんですかね?
結局人は、最後にはいずれ死ぬんです。
その前に殺すことに意味があると思います。
余計な被害者を増やすための更正しない更生はいらないと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>電源を強制的に切りますよね?
これはちょっと違うんじゃないでしょうかね。この場合、再起動が前提にあるでしょう。
まあ、死刑になった人間を再起動出来たら面白いでしょうけど。(笑)

お礼日時:2015/05/10 23:25

帳尻を合わすこと自体無意味。

末期がんでなくとも、同じ年令しか帳尻は合わない。「そこにこだわるのであれば、死刑にしないバランスをどうとるかのお答えはお持ちですか?」自分の論理を当てはめて、自分の元意見に答えられないことを他人に求めるのは愚の骨頂。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

toshipeeさんは死刑には反対なんですよね。

お礼日時:2015/05/10 23:20

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!