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日本人はどうして死刑が好きなのでしょうか?

関連質問です。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7879553.html

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7865523.html

A 回答 (14件中1~10件)

恐らくですけど、


「欧米社会と比べて」でいいですよね?(中東は日本以上に死刑が多いですし)

大きく2つあって、欧米のケースでは
1つはキリスト教思想に基づく性悪論があるからです。
つまり「人間の業をイエスが一身に背負って天に召された」わけで人間は生れ落ちたその瞬間から罪人なのです。
一方で善を積むことで、その罪は赦される。
こういう思考は強烈にあります。
ロックフェラーも、ビルゲイツも稼いだお金をたくさん寄付しましたよね?
「お金稼いだから、権力があるからOK」と言うのは非常に東洋的思想なんですね。
日本の場合は性悪説はそんなに無いので、質素倹約して懸命に学べ、働けってのはあるんですけど、「成功後どうするか?」ってのは無いんです。
成功しちゃうと「上がり」なんですね。
欧米の場合は、成功しようとも罪人ですから、罪の赦しを求め努力を続けないといけないのです。
仮に1兆円あっても、社会に貢献しないと地獄に落ちちゃう、と言うかそれ以前に周囲が彼を認めないと言うわけです。

もう1つは魔女狩り裁判など中世の法律や制度への不信感ですね。
当時は政治犯や宗教犯が明らかな冤罪により、凄まじい数の人が亡くなりました。
当時は「それが正しい事」だったわけですが、単に恨みや主義主張の違いを「死刑」と言う合法制度を使って他者を排除しただけだったのです。
そういう「暗黒の中世」が長く続いたので、欧米の人は「人間の能力や正義」に絶対の自信を持ってないんです。
日本の法律も「疑わしきは罰せず」など欧米の法律を真似てはいますが、まず初めに自身を罪人だと思ってませんし、今までの法体系への不信感もないので割合に自分を信じて、他者(罪人)を平気で罰するんですね。
人が人を裁くことにあまり不信感がないのはある意味でラッキーです。
ただ昨今のように冤罪事件が多発すればこういう感覚も揺らいでくると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

例えば「死刑はなくすべきではないでしょうか」というような質問を出すと、
「無残に殺されていった人たちの無念はどうする」みたいな反論が多数付くことが予想されるんですが、今回の質問は冷静で見識の高い回答ばかりで いささか驚いております。

>1つはキリスト教思想に基づく性悪論があるからです。
仏教の考えに基づいても “人を赦す”のは「徳」という考えはありますけどね。
私は 殺された人の遺族が加害者を憎み続けても救われないし、加害者を赦さない限り、
死後に人間界と修羅の世界の間をさんざん彷徨って 結局修羅の世界に落ち、しっぺ返しに遭うのではないかと思います。 よくて人間界でやり直しても さんざん煩悩を背負って生きて行かなくてはいけないでしょう。
まあ、日本人は信仰心が弱いくせ、仏壇だけは豪華なものを揃える人が多いですが...

お礼日時:2013/01/08 21:52

好き嫌いという解釈は些か強引に思えます。


正しいか間違っているかで判断し、現在の日本には死刑制度存置は正しいと判断している人が多いという事なのだと思います。
「アムネスティ・インターナショナル日本」の死刑制度廃止のホームページに数十人の著名人のコメントが載っていますが、好き嫌いで死刑制度を述べている人はいません。
例えば消費税増税にしたって、最近の世論が増税を認める方向にあるのは何も増税が好きだからではないと思います。社会を維持するのに仕方なく認めるわけで、増税を好きか嫌いかで言われたら嫌いという人も多いでしょう。
死刑制度も好きか嫌いかで言われたら死刑賛成派の人でも嫌いという人はいると思います。
また、「日本人は判官贔屓」という言葉が昔からあるように、日本人の心理には弱い者には理屈や冷静さを抜きにして同情を寄せる傾向があり、犯罪被害者に対する同情心から死刑に賛成する人も多くいると思います。それも好き、嫌いとは別でしょう。
まあ、こういうのは個人個人の解釈の問題もありますから、質問者さんが「日本人が死刑は好き」と決め付けても仕方の無い問題ではありますが。


ところで「目には目を」(ハンムラビ法典他)を引き合いに出して同害報復の野蛮性を訴えたところで、日本の死刑制度への反対としては的を外していると思います。日本の死刑制度は同害報復で行われているわけではありません。ましてや、全ての殺人に対し死刑制度が適用されているわけでもありません。

例えば、交通事故。悪質な事件では危険運転致死傷罪が適用されますが人を死亡させても1年以上の懲役で死刑はありません。
交通事故で複数の人を悪質な運転で殺しても死刑にはなりません。
例えば2003年に千葉県で飲酒運転で5人もひき殺した事件の判決が出てますが、懲役15年です。

少年犯罪などもそうです。2000年に起きた西鉄バス・ハイジャック事件では17歳の少年がバスをハイジャックし女性1人を殺害し逮捕されましたが、既にその少年は少年院を出ています。ちなみに加害者は遺族に謝罪に来てないそうです。
ついでに言うと少年犯罪で殺人等を犯し、遺族が賠償金を要求し、加害者やその家族が賠償金を払う事に同意しても結局は自己破産して逃れるケースが多く、賠償金も取れずに遺族は泣き寝入りするケースが多いとか。

また精神障害者に殺害されるケースもそうです。2005年に精神障害者に通り魔的事件で殺害された方がいましたが、刑法第39条で心神喪失者の行為は罰しないと決まっているので、加害者は死刑にも懲役にもなりませんでした。この被害者の家族は裁判でせめて賠償金を得ようとしましたが、多くの弁護士に弁護を断られたそうです。何故なら、精神障害者に家族を殺害された遺族が賠償金を求める裁判を起こしても、加害者側が法に守られ賠償金を勝ちえた事例は無いからだそうです。

この他の犯罪(殺人事件)にしても必ず死刑となるわけではありません。
例えば2005年における殺人事件の判決数は825件ですが、そのうち第一審で死刑判決が出たのはわずか11件で1.3%でしかありません。

このように殺人に対して日本の現状は、同害報復どころか、死刑は極めて稀な判決として出されており、同害報復をどうのこうの言っても多くの殺人事件に対しては全く意味を持っていません。

そもそも日本の死刑制度について、その合憲を問われた裁判での最高裁の判決では、
「死刑の威嚇力によって一般予防をなし、死刑の執行によって特殊な社会悪の根源を断ち、これをもって社会防衛せんとしたもの・・・」としています。
つまり日本の死刑制度は、一般予防、社会防衛にその理由があると最高裁で言っており、同害報復として死刑判決が出ているわけではありません。
それに「目には目を」は異国の法律であり、日本で施行されたわけでもありません。
そもそも日本では江戸時代などは俗に「10両盗めば首が飛ぶ」と言われたぐらい厳しい刑罰でした。つまり、日本では同害報復どころか非常に厳しい罰を与えてきた歴史があるわけで、それに前述したように現在では一般予防、社会防衛として死刑があるのですから、ここに同害報復を持ち出してもて的を外しているだけだと思います。

また、死刑を廃止した欧州ですが、私も全ての国の事例を知っているわけではないので、なかには同害報復が野蛮だから廃止した国もあるかもしれませんが、フランスなどは違います。
1981年に死刑を廃止したフランスの理由を要点だけ言うと、
国家は市民の命を奪う権利を持っているというのは全体主義国家であり、それは民主主義では無いという事。
国連の機関、イギリスやカナダの研究において死刑は犯罪抑止力になっていないという結果が出ている事。
冤罪・誤審の可能性の問題。
死刑を賛成する人の気持ちには、犯人がいつか再び犯罪を犯す可能性を恐れ死刑による安心、保証を得ようとする排除の気持ちがあり、その排除の司法よりも贖罪の司法をとるべきだという事。
等々の理由であり、少なくとも同害報復が野蛮だからという理由は見出せません。
アムネスティ・インターナショナルでは死刑は人権の否定であり、司法の名を借りた冷酷な殺人であるから死刑に反対しており、そこには同害報復という言葉すら出てきません。

日本で死刑反対を唱えるのなら同害報復よりも、
民主主義国家に個人の命を奪う権利があるのかどうか。
死刑による犯罪抑止力について。
日本の死刑制度の理由たる一般防衛&社会防衛は排除の司法であり、それよりも贖罪の司法をとるべきではないのかという思想。
日本で死刑制度が合憲と最高裁で出たのは、まだ世界各国が死刑制度を採用していた時代であり、判決にも「憲法は現代多数の文化国家におけると同様に刑罰として死刑の存置を想定し」とあり、既にこれは現在の情勢に相応しくないという事情。また、国連が死刑廃止を勧告してきているという事情。
こうした事を争点に死刑反対を訴えた方が理に適っていると思います。

ちなみに昨今、日本では死刑賛成派が増えているという報道がありますが、その原因は無くならない凶悪犯罪もありますが、死刑反対派の傲慢さにもその理由があると思います。
光市母子殺人事件などはいい例で、21人もの死刑反対派弁護士が被告人を救うために集まりました。しかも荒唐無稽と言われるような主張を出してきます。前述したように「日本人は判官贔屓」という心理的傾向から被害者家族により一層、同情が集まり「弁護士」「死刑」「遺族感情」について物議を醸したものでした。
それだけならまだしも、この弁護団のする事ときたら・・・
2008年3月15日にこの弁護士らが開催した「光市事件弁護団に聞く。弁護団は何を主張・立証したのか」というシンポジウムでは、大画面で証拠写真を写し、弁護士が身振り手振りで説明するのですが・・・笑いながら説明してるんです。
集まった一般参加者は約150人、弁護士は17人。
2人の命が失われているというのに壇上の説明する弁護士は笑いながら、冗談を言いながら被害者が死ぬ状況を話し他の弁護士も笑っているんです。
この事は週刊誌でも暴露されました。
さらにはこの弁護団に参加していた弁護士の言葉として・・
「遺族は復讐ばっかりだ。裁判は復讐の場じやないんだよ」
「テレビに出まくる遺族がいるからマスコミが騒ぐんだ」
という心無い言葉が週刊誌などでとり上げられます。
死刑反対派の死刑を阻止するなら何をやってもいいというスタンス。さらに被害者を愚弄するがごとき言動。
これでは、こういう人達に反発し死刑に賛成する人が増えたとしても仕方ないでしょう。
しかもこうした弁護士達は死刑反対についてマスコミから取材を受け付けないときています。

フランスで死刑廃止法案の是非を問う投票が行われる前にフランスの法務大臣は、その死刑廃止の理由を説明しました。
ただし「犠牲者の親族や近親者が罪人の死を望む事は傷ついた人間の自然な反応であり、私はそれを理解いたしますし、それは人間の自然な反応です」とも言い、被害者に配慮を示しています。
ところが、日本の死刑反対派はこうした配慮をする事なく、ただ攻撃すればいいと思っている。
しかも何故、死刑反対なのか市民にわかりやすく説明しようともしない。
「アムネスティ・インターナショナル日本」にしてもそのホームページでは死刑廃止の理念など書かれていません。
死刑賛成派を心変わりさせたいのなら、理を説き、心を尽くし、説明するべきだが、それをしようとしない。

反対派の中にはもっと最悪なのもいます。ネット上で、死刑制度と交通事故を結びつけ、交通事故を起こしもう少しで死刑になるところを遺族が望まなかったから死刑を免れたなんて作り話を平気でしたり・・・複数の人から作り話だと看破されてましたっけ。
死刑賛成派をやり込めるなんて考えは最悪で反発を呼ぶだけで益は無いんだけど、それを理解せず攻撃ばかりしている人がいるのには困りもんです。
説得して死刑賛成派にしなくてどうするのというところですね。

だから、私は現状では世論による死刑廃止は無理だと判断しています。
廃止するなら議会によるしかないと判断しています。
2008年3月に「死刑廃止運動に向けて」という題で、「死刑撤廃を実現するため、これからいかなる活動が効果的なのでしょうか教えて下さい」という質問がありました。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3876569.html
そこで私は議会による廃止の可能性を回答しました。実は欧州各国も国民は死刑賛成派が多かったけれど、議会主導で廃止しています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

素晴らしいご意見です。しかし、僭越ながら申し上げれば いくつかの不備な点をご指摘させて頂きます。

>好き嫌いという解釈は些か強引に思えます。
そうですね、些か強引かもしれませんが、#12さんのお礼で書いた愚見を参考ください。

>「アムネスティ・インターナショナル日本」の死刑制度廃止のホームページに数十人の著名人のコメントが載っていますが、好き嫌いで死刑制度を述べている人はいません。
こういうページに載せる人は死刑賛成派の人でも それなりのポリシーを持ち、見識の高い人ばかりです。でも、死刑賛成派の人の大部分は DieMeuteさんのようにオツムのいい人ばかりではありませんよ。感情論に訴える人が大半ですよ。

>例えば消費税増税にしたって、最近の世論が増税を認める方向にあるのは何も増税が好きだからではないと思います。
でも、消費税増税は “イヤイヤ仕方ない”という要素が強いでしょ。 これも#12さんのお礼で書きましたが、選挙でも 消費税増税反対を公約に挙げる候補者や政党はあっても
死刑廃止を公約に挙げる候補者や政党はいませんよね。

>ところで「目には目を」(ハンムラビ法典他)を引き合いに出して同害報復の野蛮性を訴えたところで、日本の死刑制度への反対としては的を外していると思います。
仰るように 刑とは本来そうあるべきだと思います。しかし、多くの日本人は 「目には目を」は野蛮だが、「命には命を」は野蛮でないと考えているせいか、“死刑”を美化している面は否定できないでしょう。

>このように殺人に対して日本の現状は、同害報復どころか、死刑は極めて稀な判決として出されており、同害報復をどうのこうの言っても多くの殺人事件に対しては全く意味を持っていません。
そうですよ。しかし、一般庶民には“一人でも殺したら死刑にすべきだ”という声も強いのはDieMeuteさんも認識されているかを思います。

>それに「目には目を」は異国の法律であり、日本で施行されたわけでもありません。
でも、極道社会とか新興宗教ではありうるでしょう。まあ、復讐心理は日本人もイスラム教徒も変わらないと思うんです。

>つまり、日本では同害報復どころか非常に厳しい罰を与えてきた歴史があるわけで、それに前述したように現在では一般予防、社会防衛として死刑があるのですから、ここに同害報復を持ち出してもて的を外しているだけだと思います。
現在の日本もそのくらい厳しかったら死刑に肯定的な人はいなくなりますよ。ある意味、日本は平和すぎて 自分は絶対に死刑にはならないという楽天思想があるのかもしれませんが。

最後に生意気な発言をお許しください。
DieMeuteさんは高い見識をお持ちですが、一般庶民のメンタリティーの部分の理解が不足しているのは否めません。

ちなみに 私は死刑反対派というわけでもないです。

お礼日時:2013/01/11 20:54

人権観の違いではないか、と。


ヨーロッパでは基本的人権というと、すぐに刑事被告人の権利とか非拘禁者の取り扱いとかになりますが、日本では被害者の人権とか言論の自由、とかになります。

(これはやはりイエスが死刑囚だったことが大きく影響していると思っています。)

数年前に社会党の元国会議員の方と憲法について話したときに、彼は憲法に黙秘権や一事不再理などについての規定があることを知りませんでした。憲法の三大原則のひとつである基本的人権についての理解のしかたが違うのかな、と思いました。
そんなことからこのことに気付きました。

わたしは死刑に反対です。国が正義として人を殺すことが正しいとは思えないからです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>人権観の違いではないか、と。
日本人にはそもそも“人権”という意識が希薄ではないでしょうか? 江戸時代にはなかった言葉ですし、元になった 英語のhuman rightsやフランス語のdroits de l'hommeから訳語を造ったところで 本質的な概念を理解している日本人は少数でしょう。
特に 死刑賛成者は 被害者の人権を引き合いに出していますが、真剣に被害者の人権なんか考えていませんよ。
http://ansaikuropedia.org/wiki/%E8%A2%AB%E5%AE%B …

#12さんのお礼で書き残した部分になり恐縮ですが、キリスト教はもちろん、仏教の考えに基づいても 教えに背いています。神道に考えに基づくと 殺された被害者と一緒に死刑にされた加害者も一緒に鬼籍に入ることになり、死刑にされた加害者も一緒にお祓いをしないと祟られることになります。それで、多くの死刑賛成者の考えに最も近いのが ヤクザの哲学なんですが、カタギの人間にヤクザの哲学における仁侠道の美学はありませんからね。

例えば、自分の大切にしていたペットが殺されたとします。それで、仕返しに加害者のペットも殺したら 対処療法的に一時的には被害者の溜飲が下がるかもしれません。
しかし、真っ当な人間なら悔いと呵責に悩まされるのではないでしょうか?
人間の命なら尚更ではないでしょうか?

お礼日時:2013/01/10 20:35

誰も好きで死刑を認めているわけではないでしょう。


「人を殺したらその者も殺せ」の気持ちはあるでしょう。無関係の者がそれを実行するわけにはいきませんから、国家に任せているのです。ただし、それは「好き」とかの問題ではありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>誰も好きで死刑を認めているわけではないでしょう。
#10さんも似たようなことを言っていますが。死刑反対の人は死刑が嫌いだから反対していのであって、賛成しているということは「好き」になることでしょう。これでは幼稚な反論ですよね。それじゃ、もっとしっかりした反論です。
イスラムの刑には「目には目を」という考え方があります。つまり、これはイスラムに限らず、刑の根源とも言えるかもしれません。ヨーローッパの殆どの国で死刑が廃止されたのも 「目には目を」が野蛮なら「命には命を」はもっと野蛮だという矛盾があるかもしれません。日本でも死刑賛成派の人でさえ 「目には目を」の考えには否定的な人が多いかと思います。この場合は、それなりの賠償金で償うのが正しいと思う人が多いかと思います。ところが、日本人の場合、人間にとって視力より大事なはずである 他人の生命を奪った場合、状況は一転し、賠償金は出さなくともいいから 命は命で償うのが 美しい償い方だと考える人が多いです。
また、消費税とか原発とも違い、一般庶民は法曹界とか政界の人間よりも 死刑を肯定的に考えている風潮があります。また、選挙の時でも“死刑廃止”を公約に挙げる議員や党はいませんよね。死刑反対のデモも非常に珍しいです。
これでも“「好き」とかの問題ではない”と言えますか?

お礼日時:2013/01/09 18:50

問題の論理的解決よりも、一時の火事場の野次馬を好む国民性なのです。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7882899.htmlの質問でもなかなか鋭い指摘をされていますね。

お礼日時:2013/01/09 18:27

>日本人はどうして死刑が好きなのでしょうか?



好き嫌いの問題ではないと思います。

欧米人と日本人との性格の相違にこれを求めるとすれば、彼らが観念的な思考を、そういう形而上的な議論を好むのでしょう。それに対して、日本人は常にプラクチカルな、実利的な面へ思いが向かうということが関係しているように思います。
戦後の経済的な成功もこれが大いに役に立ちました。

基本的人権、とか、生命の尊厳とかいう思想はほぼ欧米の哲学オタクたちが考え、とりまとめたものであり、。直感的にそれが正しいと感じた日本人はそれらを導入しただけといえます。
それらを理解して自分の血肉にしているかといえば、そうでもないでしょう。知能のよしあし問題ではなく、感覚的な好悪の問題だと思いますが。

戦後与えられた憲法も国民の間で真剣な議論があればここまで長持ちせず、とっくにいろいろ変更がなされていたはずです。
死刑廃止論もすぐれて哲学的な、観念的な思考がふくまれていますし、大方の日本人にはさほど関心はないのでしょう。要は社会の大勢には関係ないと考えるのです。
実用的に言えば、役立たずで社会にひどい害をなした極悪人はいなくなって当然、という分かりやすい思想が日本人には好まれるのです。

理屈屋が嫌われるのが日本社会です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>好き嫌いの問題ではないと思います。
こういう反論が真っ先に来ると思っていましたが、10番目の回答にして初めて来ましたね。確かに食べ物や音楽の思考と同列に考えることはできないと思いますが、komaas88さんも仰っているように 理屈屋が嫌われるのが日本社会で 知能のよしあし問題ではなく、感覚的な好悪の問題 というのが まさしく “好き嫌い”とは言えないでしょうか?

お礼日時:2013/01/09 18:24

では何故欧州では裁判にもかけずに事件発生時に犯人を射殺する事が多いのでしょうか?



日本ではどんな極悪人でも原則として法廷に連れて行って裁判で死刑にしております。欧州ではGIGNその他治安特殊部隊を送り込んで極悪犯を裁判にかけずに射殺してしまうケースがあります。

どちらが法治国家ですか?犯人に裁判権を与えて死刑にする国と、犯人に裁判権を与えず殺す国

あなたは死刑制度に反対だから似た質問を繰り返しているようですが、死刑廃止国では犯人を射殺するケースが多いことは問題にしておりません。日本が近代死刑制度を設けたのは仇討ち禁止令が原因です。江戸時代にあった国民の仇討ち権を没収する代わりに国が処罰すると決めたのです。

死刑制度廃止の代わりに警官の拳銃使用権を緩和しますか?私は現行制度はかなりバランスが良いと思っています。国が死刑判決を下し執行されている人物を見ると更生不可能な人物(再犯者など)や反省心の無さそうな人物が多いと思います。

あなたは尼崎事件の被告に対する量刑は何が正しいと思いますか?特に鄭容疑者という故・角田被告の甥で香川県の一家が脅迫される原因となった粗暴な男です。故・角田被告も同級生の話では素行がかなり悪かったと言われています。私は死刑が正しい量刑と思っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>では何故欧州では裁判にもかけずに事件発生時に犯人を射殺する事が多いのでしょうか?
いや、これは相手がテロリストだからでしょう。テロは個人の生命を奪うだけでなく、国家反逆に繋がる重大な犯罪です。つまり、正当防衛の延長線として止むを得ない処置ですね。例えば 喩は悪いですが、家に暴漢が侵入し自分の娘が犯されそうになった時、自分は逃げて指をくわえて警察が助けに来るのを待っていることが果たして一番正しいでしょうか?

>死刑制度廃止の代わりに警官の拳銃使用権を緩和しますか?
暫定・試験的に仇討を復活させたらどうでしょう。死刑賛成を叫んでいる人のうち、どれだけのの人が 返り討ちも覚悟で仇討に挑む度胸があるでしょうか?

>あなたは尼崎事件の被告に対する量刑は何が正しいと思いますか?
在日は抹殺しても止むを得ないんじゃない? そう言えば、角田美代子の自殺も何か不自然だと思いません?

お礼日時:2013/01/09 18:19

 勧善懲悪思想がマスコミ界に蔓延しているのが原因ではないかと考えています。

悪い奴等は死んで詫びろという考え方のテレビ番組が多いのと、善と悪の対立という単純思考をテレビが蔓延させたのが大きな功罪を生んでいる形です。

 裁判などは、本来は複雑な法律論争の上で、検察と弁護士の駆け引きがおこなわれなければならない場ですが、死刑以外に解決策は無いのだという単純な論理を好む人が多いからでしょう。

 死刑で全ての問題が解決するわけではないのですが、死刑が一番わかりやすく、大衆に訴えやすく、政治利用しやすく、結果の判断が難しいという、厄介な現実があるようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>勧善懲悪思想がマスコミ界に蔓延しているのが原因ではないかと考えています。
日本人やアメリカ人は 勧善懲悪思想が大好きですね。中国人やロシア人は少し違うみたいですけどね。
少し話がそれますが、裁判でたまに求刑越えの判決が出ても世論的に肯定的な考えが強いのも、勧善懲悪思想の表れかもしれませんね。

お礼日時:2013/01/08 21:05

武家社会が700年も続いたからです・・・



と思ったけども、世界の死刑の過半数が
中国でした。

英国などは死刑を廃止していますが、
米国にくっついて戦争はやりますね。
死刑は嫌いだけど、侵略戦争で石油利権の
為に外国人を殺すのは好き、らしいです。

米国などは戦争で殺すのも、死刑も好き
なようです。

韓国は死刑を事実上廃止していますが、
犯罪で人を殺すのは大好きです。
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この回答へのお礼

いつもありがとうございます。

前回の質問の回答とは少し矛盾する気が・・・
hekiyuさんって面白い人ですね。(笑)

お礼日時:2013/01/08 20:58

日本的な文化と近代化ができていないことが関係していると思います。



まずヨーロッパ諸国において死刑が行われなくなったのは、啓蒙思想主義的な主義に基づくものです。簡単に言えば、国民主権国家となった近代国家において、以前の封建主義的国家のように支配者の名前において死刑を実行するのは、主権者である国民を自分で殺す行為、すなわり自殺と同じになってしまうからです。
また専制君主に対抗し殺された民主化運動家のように「国家の名において人を殺す」ということに、論理的矛盾があるからでもあります。
その証左に、世界で一番最初に死刑を廃止したのは民主革命の祖であるフランスだったことも付け加えて起きます。

この考え方のそもそもの基本がキリスト教的(啓蒙思想自体がキリスト教的博愛から出発している)といわれしまえば、西洋的な宗教哲学に基づいているともいえますが、日本を始めとした非キリスト教的国家も啓蒙的な民主主義を取り入れている以上、上記の理想と哲学は受け入れて死刑を廃止する方向で検討すべきだと考えています。

また、最近ノルウェーでおきた銃乱射事件の犯人に対する憎悪から見ても、西洋国家においてすべての国民が死刑廃止に納得しているわけでもありません。特に庶民は死刑を無くすべきであるという価値基準を理解していても、その意味まで理解しているとはいえないからです。先ほどのフランスの死刑廃止時点でも国民世論の6割は死刑存続に賛成だったというデータがあります。

翻って、日本を見たときに「死刑廃止には程遠い」と思うのは以下の点です。
・国民主権国家という概念が浸透していない
 言葉では国民主権ということは理解しているでしょうが、これによって起こるさまざまな問題や国民が負担すべき義務や責務がおこなれているとはいえない状態です。
 これにはいくつか理由がありますが、大まかに言えば日本の民主化アプローチはすべて上からの民主化(明治維新とGHQによる戦後の民主化開放)であって、国民が自分たちで下から勝ち取ったものでないということと関係していると思います。


・死刑に関する議論がほとんどない
 たとえば昔の磔や公開銃殺などが現在日本で行われいればいくらなんでも「野蛮」であると考える人が多くなるように思います。
 死刑存続派でも「誰が死刑執行するのか」という点については「死刑囚たちにボタンを押させて、刑務官の負担を軽くする」などの方法論が出るように、コロスということについて真剣に向き合った議論や情報公開がほとんどないことが死刑の価値観を固定させているのではないでしょうか。

・刑法に関する国民参加が始まったばかり
 裁判員制度の制度的な問題点は別の議題にするとして、今までは司法制度に国民が参加する制度がほとんど無かったといえます。裁判員制度の問題点として「死刑判決を国民参加で決めるのは、一般的な国民にとって負担が重い」という論調が見られますが、国民主権国家である以上、裁判員でなくても死刑は国民の総意でもって実行されている、という概念が薄いように感じます。


これらの前提を通してみると「死刑の本質的なあり方」が日本で議論されたことは無く、ただ昔からの伝統的な感覚で「日本には死を持って贖罪するという概念が強い」から盲目的に死刑賛成としている人が多いのではないでしょうか。

また、日本では死刑に至らない程度の罪、または刑法には触れない社会的な過ちに対して「自己責任」という言葉で処理する傾向が強いと感じます。
つまり「俺たちは社会から逸脱しないように、ギリギリのところまで我慢してるのに、お前ら(犯罪者)は何も我慢しないで逸脱行為(犯罪行為)をするんだな」というある意味嫉妬に似た処罰感情が強いと感じます。

ですから「一人でも殺人したのだから、死刑でいい」「死刑が確定したんだから、さっさと殺せ」という意見が多いのだともいます。 

日本人に死刑賛成派が多いのは、人間としてプリミティブに「罪に対する贖罪」を考えているからだと思います。それは悪いことではありませんが、もう少し現代社会は複雑なのではないか、と思うのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

仏教的な見地で考えても、死刑は推奨されるものではないと思いますが。
まあ、日本人は信仰心が弱いですからね。

お礼日時:2013/01/08 20:55

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