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しろ(白)がしらさぎ、しらがとなる形態音素交替についてはなぜ起こるのでしょうか?
母音調和ではなないと先生は言っていました。

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A 回答 (1件)

こんにちは。



 母音交替もしくは母音の変化についてだと思います。

 まづその前に この《しろ( sirö )∽(=交替)しら( sira )》という・つまり 母音として《 ö ∽ a 》の交替は 母音調和の習慣と関係しています。

  * しろ(白): siro であり あいまいな / ö オ・ウ / ではない
    のですが 一方では しる‐し(著し・印・徴・標)のシル
    と同根だと見ると sirö であり得たと考えられるかも分か
    りません。

 日本語には 母音調和ははっきりとあったと言えないようですが けれども その名残りと見られる現象はある。と言うのが 有力な見解です。

 要するに ちょうどこのいまの《 ö ∽ a 》のふたつの母音は互いに仲が良い。というのが 母音調和の一端です。

  asa 浅 ∽ ösö 遅 ∽ ese 似非
  kara 殻・躯・空・枯・幹 ∽ kurö 躯(mu-kurö 身-躯=骸)
  tada-yohi ただよひ(漂ひ) ∽ tödö-mari とどまり(留まり)

 母音調和とおぼしき現象に関係しているかも知れないという話までです。




 さて まづ 白(しろ ∽ しら)の話に行く前に ほかの母音の交替もしくは変化の例をあげてみます。

  ama‐yadori 雨宿り ∽ ame 雨( < amä < ama-i < ama 雨)
  kaza-guruma 風車 ∽ kaze 風( < kazä < kaza-i < kaza 風)

  mö む(身)(mu-kurö 身-躯=骸)
    も(身)(mo-nuke 身‐抜け=蛻)
   ∽ mi み(身)( < mï < mö-i < mö も・む(身))

  kö こ(木)(ko-sue 木‐末=梢)
    く(木)(ku-da-mönö 木‐だ(の)‐物=果物)
   ∽ ki き(木)( < kï < kö-i < kö こ・く(木))

 つまり言いたいことは sira しら(白)> sira-i > sirä > sire しれ(白)という変化にはならなかったという点です。

 しらが(白髪) の か(髪=毛)は ka > ka-i > kä > ke け(毛)というふうに 言ってみれば一般的な変化をたどっています。





 ★ しろ(白)がしらさぎ、しらがとなる形態音素交替についてはなぜ起こるのでしょうか? / 母音調和ではなないと先生は言っていました。
 ☆ 母音調和に あるいはかかわっているかも知れないという話は もうお茶を濁しますが 母音交替または母音変化が――同じひとつの語において――なぜ起こるのか? 

 例にあげました -a > -a-i > -ä > -e や -ö(オ・ウ) > -ö-i > -ï > -i の変化は 分かっています。ア( -a )やオ・ウ( -ö )が語尾にあるのは 不安定だからです。イ(つまり 或る‐い-は のイであり コト・モノを表わす語だと言います)を添えて 安定させた。というわけです。

 それでは なぜ ア終わりの しら(白)が 不安定ゆえ しら‐さぎ や しら‐が などのように複合語にしか現われないのは分かるとしても オ終わりの しろ(白) は一体どうなってるんだ? となります。

 分かりません。そういうふうに言い慣わし 言い伝えて来て いまもなお消えて行っていない。という事実を受け取るしかないというようにです。

 くら(暗)は イを添えて くれ(暮れ)をつくりますが 対応すると思われる くろ(黒)も オ終わりですが 安定していてそのまま独立して用いられます。
 あか(赤)は やはりイを添えて あけ(明け・朱)をつくっていますが あか(赤)だけでも同じく独り歩きができます。*あこ という語はないようです。


 ずばりのお答えができなくてすみません。
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Aベストアンサー

 言語は通常<意味>をもって流通しているとみなされています。私が<赤>と発語することによって、聞いている相手は「あざやかであれ、にぶくあれ、赤い色を想定」します。ですから、言語にはもともと<意味>が付与されているから、私たちは混乱なく言語を使用している、と思っています。言語とは、おおまかな意味をしか伝えていませんね。
 しかし、「このつらい気持ちをわかって欲しい」という<意味>を伝えようとすると、私たちは10人の人に、その意味を語ってもらえば、何がなんだかわからなくなってしまうのではないでしょうか。どんな風につらいのか、喘息のような息苦しさなのか、ボーッとした不安が続いてつらいのか、次に、気持ちとは何なのか、こころなのか、意識なのか、心臓のあたりなのか、大脳新新皮質のあたりなのか。
 つまり、私たちは、言語は意味されることがしっかり定着しているから言語を使っている、と考えていますが、<意味>することを語るために使用している風に見えながら、その<意味>自体もあいまいで、<意味>されることまでは当然考えて使用していない、ということなのです。

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 こうしたことを、言語の恣意性、と言うのではないか、と記憶します。

 言語は通常<意味>をもって流通しているとみなされています。私が<赤>と発語することによって、聞いている相手は「あざやかであれ、にぶくあれ、赤い色を想定」します。ですから、言語にはもともと<意味>が付与されているから、私たちは混乱なく言語を使用している、と思っています。言語とは、おおまかな意味をしか伝えていませんね。
 しかし、「このつらい気持ちをわかって欲しい」という<意味>を伝えようとすると、私たちは10人の人に、その意味を語ってもらえば、何がなんだかわからなくなって...続きを読む

Q日本語の連濁現象について教えてください

日本語には連濁という世界の言語にはみられない非常に珍しい言語事象がありますが。
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ここから問題です。
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3Q

Aベストアンサー

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