プロが教えるわが家の防犯対策術!

前回の質者が、上手く趣旨が伝わらないようなので、再度投稿します。

私はアスペルガー症候群を医師より診断され、障碍者手帳の3級を頂いています。医師からは「他人の立場に立つ能力が全く無い」とか「思いやりの根も種すらも無い」とか「私が出会った中で一番悪い部類のアスペルガー患者だ」などと、よほど悪いらしいことを言われています。
仕事は障碍者枠で工場勤務ですが、現在のところ順調のようです。少なくとも、私自身とジョブコーチの耳には悪い情報は入っていない状況です。
一応妻子も在り、カウンセラーやジョブコーチなどからは「基本的なソーシャルスキルは十分にある」と判断されており、奇矯な行動などは無いようです。

今回の質問は、完全に自分の中のことです。社会や他人との交わり出なく、自己の内面に関することです。

さて、本題なのですが、最近どうも自分の内面で息苦しい思いをしています。
これを何とか解決したいので、方法を一緒に考えていただけないか?
というのが、質問の趣旨です。
具体的にいうと「心」が要求する理想的な自分像と、理性が提示する現実的な自分像の乖離が激しく、強い葛藤を感じるということです。
今、これを書いている「私」の自我は、とても理性よりです。心の要求を呑んでしまえば、自分を正常に維持できないことは、理解しています。
それが分かっていても、心の求めるものを諦めさせる事ができません。

心が求めているのは「普通の人であれ」ということです。
ただ、この普通が問題で、言い換えると超人なのです。
たとえば「相手の立場に立つことが出来る人でありたい」
これは自分の知識や経験ではなく、ダイレクトに相手の気持ちや考えを読めることを求められます。
ガンダムのニュータイプのようなものです。ピピーンで相手のすべてを理解せよといわれます。

例えば「善人たれ」です。
何か善行を行う時に一切の報酬を貰うことを禁じてきます。
「ありがとう」を言ってもらって嬉しいとか、こうすれば「相手が助かるかな、喜ぶかな?」と思うことはもちろん駄目です。自分の脳内で「嬉しい」とか「やった」と思うことは、偽善であり「悪である」と言って来ます。
心が求める善行とは、「何も感じず」「何も望まず」「何も求めず」なのです。良いことをしようともうこと、あるいは相手に何らかの働きかけをしようと思うことすらもタブーです。
完全に「無私」でないと納得しません。

例えば「努力せよ」です。
自分自身ですべてを行え。仕事は当然、家に帰れば家事や育児や炊事、すべてを求めます。出来ないことを攻めてきます、自分がです。
「ナポレオンは三時間寝るだけでで生きていたよ。同じ人間だもん、できるよね」なんてなもので、すべてこなせて当たり前を求めてきます。

理性は「それは無理」「現実的に出来るのはこれくらいの範囲です」と、可能行動を提示しますが、心は「それじゃ足りない」と駄々をこねます。
今までは何とか騙し賺してきたのですが、最近こちらの相談で、
私の心と同じようなことをいう人と意見を交換する機会を得まして、心が活気付いている状態です。

私、三十までは心のいうような生き方をしてきたんです。がむゃらに頑張って、
成せば成る 成さねば成らぬ成らぬのは 人のなさぬ故である也
の精神の元、毎月100時間近い残業をこなしながら、育児放棄気味の妻の変わりに家事や育児も負担して、
「どうして上手くやれない! 努力しろ努力しろ」
と呪詛のように唱えながらやってきました。
結果は飛び降り自殺未遂です。

だから理性は必死に「無理だ」といい続けます。
私の自我も「偽善でも、そこそこでもいいじゃないか」と思います。
そうしないと、私が守るべき家族にも、雇ってくれた職場にも迷惑がかかります。kisaragi056という人間が再起不能なほどに壊れてしまう危険もあります。

なので現実的には、理性のいうように「ほどほど」に」頑張るしかなく、アスペルガーゆえの出来ないことなどもあります。
磨り潰されては意味がないのです。出来る範囲、無理の無い範囲で動かなければ。

これを、自分の心に分からせる方法は無いでしょうか?
理性の側で心と理性を同じ方向に向けてやることは出来ないでしょうか?

ということを伺いたいのです。


ちなみに、心の声は、これほど具体的ではなく、もっと曖昧で、けれどそこにあることは確実に在るものです。
理性と協力して、言葉にからめ取ったものが、上記の文章です。
明確な言葉として聞こえたり、見えたりするわけではありません。
また、私自身も自己の連続性を確信していますので、多重人格ではないと思います。

ただ、自分の中に「無理無茶を求める意思」があり、それが思いのほか強い。
それに流されれば破滅が待っていると知っていても、その意思を打ち消すことが出来ないのです。

今何とかしないと、大変なことになる気がして、不安でなりません。
私は主導権を明け渡したくないのです。

どうかお力を貸していただけないでしょうか?

よろしく願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

No.2です。

 スピリチュアルについては、確かに中にはかなり怪しい人たちも多いようですが、、私がオススメした江原啓之さんは、この世界では『元祖』と言える方でして、、むしろここから多くの怪しい人たちが派生したと言えるかもしれません。。^^;

書籍などについては、この方の著書であれば、どれをご覧になっても内容にブレはありませんし、、信じる信じない というよりも、、誰が実践しても決して『損はない』、、 ある意味 人間としてごく当たり前の『善行』だと私は感じております。

一応 サイト的には、http://eharabook.com/pc/ にて、、電子図書を購入できますが、、まずは図書館で借りてみるのもお勧めです。

どうやら 今では相当なベストセラー作家となっているようですが、、 どれも意外と同じことを書いていたりもするので、、ご興味があるタイトルを2~3冊チョイスなさってみてください。^^

他の方の回答を拝見していると、皆様 素晴らしい理論をご存知なので、心底感心しておりますが、、
スピリチュアルのようなシンプルなことからはじめるのも、解決の一つの手段として、決して間違ってはいないような気もしています♪
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この回答へのお礼

わざわざありがとうございます。

とりあえず、図書館から当たってみようと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/08 08:34

No.5のものです。



完璧を目指せという主張が、体を労る方向で完璧を目指せと言っているのじゃないか?

と回答したんです。

それを社会的な立場での自分と捉え違いをしやすいという話。

論理的に考えますと、衝動の源泉は外界を知りませんから、外界など無いと思っています。

それが要求するというのは外部のものではなく、体のほうでしょうね。

外界の仕組みが体内と似ているため、外界を体内と勘違いしてしまう。

仕事や家族に対してこう振舞うべきと思ったら、

それは仕事や家族を対象としておらず、

自分の体調管理やストレス管理、内蔵や他の心の同胞に対しての責任であり、

それをそのまま外部の対象にやってはいけないんじゃないか? と言う話ですよ。

これ以上自分に無理をさせたら、参ってしまう。

なので程ほどにしようと言っている自我が、そもそも外部について完璧であれと言われていると

決め付けているわけですよ。

それは外部について重要視する立場である知性の思い込みと言うわけです。

さきに、

「外に向けて頑張れといっているんだな。だって外重要だし。

 しかし、そんなに頑張ると、体調を崩すし、

 そこは気をつけたほうが良いと思うよ。

 私が心配しないと、体調のほうも管理できない。

 これは問題だよ。

 つまり私は必要ってことだよね?


「さきに勘違いしておいて、なんで上からものいうのよ。

 もっと働いてっていっているのは、外部を無視してって言っているの。

 それなのに、完璧にする対象は必ず外と決めている。

 オーダーを摩り替えているのよ。

 その姿勢が気に入らない。」

ということで、完璧にする対象が外ありきなのが可笑しいですよ。

立派な自分であれと言う衝動は、外に対してではないんじゃないかな。

外が気になって仕方ない状態になっていませんか。

無理に自分の役割や存在を創り出そうという意図がありませんか。

完璧であるために、体に無理をさせるという手段がセットなのは何故ですか?

体に無理をさせないで完璧に振舞うアイデアを思いつく、知力は無いのでしょうか?

体に仕事をさせるいったくに成っていますよね。

智慧があれば、体に負担をかけず、外界からの責任に答えられるはずです。


どうもこういう問答を過去にしたことがあります。

その時は不可思議に思い、やっとわかったことがあります。


脳には複数の人格がありますから、

知性でも心でもない人格もあります。

おそらくですが、質問者さんの人格は、体内で言うところの筋肉です。

筋肉を司る人格じゃないかな。少し比喩的ですが。

物事を上手く行かせるための手段として、頑張ることを嫌うのが知性。

按配が大事だというのが心。心地よいことが全てであると。

何かを為すためには、踏ん張らないといけないと考えるのが筋肉。

「やらなきゃいけない。辛いと思うけど、頑張らねば。」

とか、

「また、頑張るって事ですか?」

と何故だか、為す=頑張ると疑わない人格がいます。

これが筋肉を司る脳の特質で、わたしは筋肉脳みそと呼んでいます。

質問者さんの話では、筋肉ぽい発想ですよね。

このままでは疲労により損傷してしまうと心配しています。

ですが、立派に振舞うことと踏ん張ること。

体に負荷をかけることに因果関係はまったくありませんよ。

これは知性でも心でもない別の人格です。

でまあ、私が知る少しアスペッぽいひとも同じでした。


本当は自分が自分を統べてはいけないのではないか?

この恐怖を常に感じているようでした。

それでも自分を何とかしたい。なので頑張る。となってしまう。



自分の発想が筋肉に似ていないか検証してみてください。

本来の知力というよりも、筋肉が誤解をしている、”マンガ知性”を演じているように思えます。

アスペルガーの人と話をして、どうもしっくりこないのがこれです。

認知と言う部分が弱く、猪突猛進な性質が強い。

その上で、知性的な何かに憧れている(自分がそうありたいと願う)性質が強い。

自己を直視したくないという演技じゃないかと思います。

本当は筋肉なのでは?

筋肉の考え方に似てるよなあ。とか思います。

全てに対して損の無いアイデアは普通に出せるはずですし、

体に負担をかけるアイデアを出したら、知性の負けですよ。

合理性を使って他を理解してこれを利用する。

自分の体をそうやって守れるはずです。


ですので、

どうも、質問者さんの場合は、

別の良くあるケースではないかな。


完璧であれと言っているのは、奥に引っ込んでしまい隠蔽されている知性です。

正面に立っているあなたは筋肉の主であり、体に負担をかけるアイデアばかりが出ているので、

知性に叱られているって事じゃないかな。

知性に成り代わりたいと考える筋肉脳みそ。

これを直視したくないとして、踏ん張る。

会社の部下でそういう人がいまして、10年以上話して、やっとここを直視しました。





その方も質問者さんも、印象として、私には異質に思えます。

完璧であるのは当然ですし、自然に体現するものですから、頑張ることとは別です。


例えば、

何かを満たすとき、何かが満たされない。

これが面白くて、この答えを探すことが無常の喜びのはず。ワクワクしますよ。

それを考えられるシーンなのだから、面白くて仕方がないと感じるはずです。


再度、自分の特質を検証してみてください。


以上、ご参考に成れば。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

うーん、今の私は知恵の付いた筋肉ですか。そう言われればそうかもしれませんし、違うといいたい気落ちもあります。この辺は注意深く再考してみようと思います。

>完璧であるのは当然ですし、自然に体現するものですから、頑張ることとは別です。

たぶん、ソレが障害ということなんだと思います。自然に体現させる回路がずれているのでしょう。
だから、自然でないやり方を行わざる得ない。

参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/08 08:31

学者によれば、「拮抗禁止令」は生まれつきその人が持っている物ではなく、子供の頃にそのひと本人がそのひと自身にインストールした物であり、したがってその気になれば本人自身で解除できる、ということです。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

どうもそのようですね。勉強になりました。
がんばってみます。

お礼日時:2015/07/08 08:21

あなたはずいぶん尊大な方のようですね神にでもなったつもりなのでしょうか?


私も最近ですがアスペルガー的要素がある事に気付きました只あなたと違う点は私はあなたのように自分を過大評価しないようにした事です自分には限界があり無理なものは無理だと認められるようになる事で気持ちが少し楽になりました。
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この回答へのお礼

>あなたはずいぶん尊大な方のようですね神にでもなったつもりなのでしょうか?

そうですね。私は自分の中に「神」を飼っているのかもしれませんね。何しろ自分の中では絶対者ですから。
今回の質問は、その絶対者に

>私はあなたのように自分を過大評価しないようにした事です自分には限界があり無理なものは無理だと認められるよう<

あなたの仰るこれを受け入れさせるのはどうしたらいいですか?
というのが、今回の質問の趣旨です。

理性としては、分かっているし、現実でも出来ることからコツコツしてます。今の自分にそれほど絶望してないですし、今の環境はそれなりに恵まれたものだとも思っています。
それを、心とも共有したいのです。

分かりにくい質問文で、申し訳ありませんでした。

お礼日時:2015/07/05 11:20

宜しくお願いしますって、目立ちたい自閉症なのかな。

よくわからん。
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この回答へのお礼

何かいい手があれば教えて欲しいです、ということです。分かり辛くて申し訳ないです。

お礼日時:2015/07/05 11:15

アスペルガーには物事の本質を捉えられる特殊な能力があります



あなたはこの特殊な能力を伸ばしたいのでしょう

しかし、アスペルガーが能力を発揮するには、所属するコミュニティーでトップである必要があります

トップでなければ、みんなのご機嫌を伺って普通の人を演じるしかありません


以下、質問に対する辛口なコメントも

あなたの言っている事は非常に分かりにくいです
ネットで大々的に質問をしているのですから、アスペルガーである事は言い訳になりません

>例えば「善人たれ」です。

要は、「自分は善行をする際、無私でなければ納得できません、どうすればいいでしょうか?」
というような、ある意味ふざけているともとれる、甘えた質問ですね
そんな事を人に質問しても仕方が無く、自分で無私になるように頑張るしかありません

>例えば「努力せよ」です。

要は、「理想ではこれぐらいしたいが、現実ではこれぐらいしかできません、どうしたらいいでしょうか?」
というような、ある意味ふざけているともとれる、甘えた質問ですね
そんな事を人に質問しても仕方が無く、自分で理想に近づけるように頑張るしかありません
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この回答へのお礼

辛口とは思いませんよ。厳しい人はもっとどぎついことをポンポン投げかけてきますから。

>そんな事を人に質問しても仕方が無く、自分で無私になるように頑張るしかありません

私の理性は「無私」は存在しないと思っています。なので、無いものは提供できないというわけです。心はあるといい「だせ」というわけでして、
確かに矛盾していますね。
でも、矛盾があることが悩みですので…

>要は、「理想ではこれぐらいしたいが、現実ではこれぐらいしかできません、どうしたらいいでしょうか?」

私の感覚では

心「空を飛びたい」
理性「なら、飛行機やヘリを使いましょう。どこに行きたいですか?
心「違うよ。機械に頼らず空を飛びたいんだ」
理性「なら、スカイダイビング?でも飛ぶまでは機械だかから、グライダーかな? バンジーっていう手もありますよね。
少し検討しましょう」
心「違うよ。道具も使わず、自分だけで飛びたいんだ」
理性「そりゃ無理です。物理法則上、人間は飛べません」
心「ドラゴンボールは飛んでるよ。武空術」
理性「そりゃアニメですから、現実は無理ですよ。何なら資料を読み込んできますよ」
心「成せば成るっていうだろう。どうしてやらないんだ。どこかの尊師は実際に飛んでたぞ!」
理性「いや、物理法則は超えれませんよ。あの人のトリックはばれてますし」
心「いいからさっさとやれ!」
理性「分かりました(はぁ、どうやって誤魔化そうかなぁ)」

という感じなのですよ。
近づける理想では無いと思っているんです。
なので、今回質問したいのは、心の要求を下げさせる方法なんです。

分かりづらくて申し訳ないです。

自分でも手探り名部分がありますもので。

ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/05 11:14

とても普通のことですし、私にもありますよ。



少しだけバランスが取れていないだけのように思えます。

そうした衝動は心から生じますし、これに応えるのが知性の役割です。

衝動が強くなるときは(私もそうですが)上手くやれていないときです。

上手くやれない理由は、知性には限界があるからです。

知性というのは、目標が設定されたとき、これの成否と損得、手段とコストを量り、

段取りを練る事が出来ます。

しかし、これ単体では目標が設定できませんから、欲求に答えられないんです。

これが知性(為す役割)の限界です。

これを為す(目標設定まで統合された為す)ためには、心と知性が統合されないといけません。

心からの欲求の正体を知り、これを満たす目標を設定しないといきません。

知性だけでは心が何を求めているのか、欲求の正体自体が分かりません。

そのため認知できずに適切な目標を設定できず、空回りをしてしまいます。

関係のない目標を設定し、成し遂げてしまうわけです。

心にとっては、自分を無視して好きなことをしているように思えます。

これでは心が満たされませんから、衝動は更に強くなります。

このためには共感という力を使って知性が心の要望を理解する必要があります。

共感力とは心と知性が統合された時の力のことです。


知性の側が、

「何とかしてあげたいけど、もう少し具体的に要求してよ」

心の側が、

「そんなの説明しなくても同じ自分ならわかるはずでしょ。

 そこが気に入らないんだよ。それを治してよ。じゃなければ消えてよ。


 今のことはどうでもいいの。

 これからのことも考えると、その姿勢がずっと続くんでしょ?

 これからも続くと思うと、不安で嫌なの。


と互いに主張しあうわけですよ。

知性と心を統合しますと、共感力に合理性も加わり、

すべてを思いやって配慮し、強い意志力と計画力を持ち、

自らの行動で人としての魅力を体現しつつ、

自己犠牲を伴わない、WinWinのアイデアを創出できる人格に変わります。

これが正常な人間の力の体現です。

けっして、超人ではありません。為しえている人は多数います。


これらが為しえられない原因は、

心と知性が融合されていないからです。

大概の人は心の支配が強く、知性が未成熟になります。

なので普通の人と呼ばれる人であっても、共感力を持ちません。

共感できていないのに、共感できていると錯覚しているわけです。

アスペルガーではない健常者に対して、EQ判定をしますと、共感力が乏しいとわかります。

多くの人がこれにより、

孤独感や疎外感を感じており、内在する同様の衝動に苦しんでいると想像できます。

その衝動は質問者さんと同じものです。

なにせ出来てないのはお互い様だからです。



アスペルガーの人は、知性が単独で行動しようとするのでしょう。

知性は目標の設定が出来ませんから、目標を外部から与えられることを望みます。

目標を達成することで、自己の存在意義を確立しようとします。

これが強すぎたり、支配権を譲るまいとすると、先ほどの健常者の性質(知性が弱すぎる)と

乖離が激しくなり対立するのだと思います。



統合された人格にいたるためには、一つの示唆が与えられます。

心にしても知性にしても、実際は脳内の活動です。

これらは何らかの脳の外部の刺激により、外部の仕組みを投影したものだということです。

脳には神経が接続されておりまして、ここからパルスが送られてきます。

脳のニューラルネットワークは、外部のパルスと同種のシグナルを発出しようとし、

内的な構造を組み替えて、それの等価回路(エミュレーター)を作成します。

物真似しかできないのがニューラルネットワークです。

ですので、合理性で考えますと、脳内には神経の先にある何かと同じものが、

エミュレーターとして作成されているはずなのです。

脳はこのエミュレーターに話しかけることで、何が起こるかを予測し、これに好き嫌いの判定を

してもらうことで、行動することが出来ます。

また、これらが運用できるようになって始めて、理解という概念に至ります。


脳に接続されている神経は、脊椎からの太い神経と、首から上の視覚や聴覚の神経に大別できます。

前者と後者を以下のように考えると整合します。

体内について理解を進めるのが心です。

外界について理解を進めるのが知性となります。

これらは互いに理解できない素養を構造の中に持っているわけです。

知性の発達が弱ければ(つまり視覚や聴覚からの刺激が弱かったり、高度でなかったりする)、

知性の発達に障害があるでしょうし、活発ではないでしょう。

こういう人は、肉体に対する阻害に対しては過敏です。

これが原因で自己中心的とか、他社への思いやりが足りないとか、相手の立場がわからないとか、

他人から批判されます。


知性の発達が強すぎて、肉体の健康よりも社会での成果を求める行動が増えますと、

もう少し肉体を守れと、心の側が強く要求してきます。

しかし、知性はこの感覚を誤認して余計に社会で頑張ってしまう。

これには理由があると思います。

人の理解と言うのものには限界があります。

ニューラルネットワークの仕組みの限界です。

さきほどの等価回路を使うしかないことです。

私たちの知性は、外界からの理解を行うにあたり、体内の仕組みと似ているかどうかで

判断していると思われます。(これ以外の方法が物理的にないからです)。

人が作る社会組織は何かと言いますと、体内の仕組みの外部への投影です。

物事が安心して上手く行く方法について人が思案したとします。

これについてのアイデアやノウハウは、体の運用と同じ方法になります。

人間は体の仕組みと同じものしか思いつけません。

望むと望まざるに関わらず。

私たちは、体内の仕組みと異質なものは思考出来ません。


知性が心と上手くコミュニケーションを取れていない状態ですと、

体調の不良を心が訴えてきているのに、

社会貢献が足りないと勘違いしてしまうわけです。


一般の人は逆の理由でコミュニケーションが取れていません。

社会での貢献不良を体調不良と勘違いしていしまいます。

曰く、私は頭が悪い。私は要領が悪い。私は能力が足りない。

誰かの頼み事を無視したり、仕事をサボったりしたことによって起きた社会的な懲罰や阻害

が本当の原因なのですが、

自分の肉体に宿る能力不足のせいだと決めてしまうわけです。

これに関しては体は無関係ですから、非常に憤慨します。

心の更に奥にある主人に相当する部分が、心を痛めつけようとします。



統合された人格にいたるためには、自分を一つだと思わないことです。

幾つかの役割を担う、幾つかの脳が連携して仕事をしております。

そのため、一つの役割をを美化しすぎないこと。

本来の脳の目的は何か? 思い出すことです。

私たちの知性も心も細胞で出来ており、これらが連携することで出来上がる仕組みです。

細胞一つ一つが発する情報が巨大な神経パルスとなって、脳を学習させるわけです。

これらの発信源が望むことをしなければ、脳細胞の立場が無くなる。


私たちの意識は、50兆を超える細胞の願いを受け取って出来上がったエミュレータです。

これを誤認して、外界の願いと勘違いしますと、本末転倒です。


しかし、

私たちの社会が、体内の仕組みと同じ様に作られていますから、

ある程度の誤認が功を奏するようになっています。

体内の欲求を外界への役割と誤認しても、他人との関係が結果的に良くなるケースが多いです。

そこから効率よく糧を糧を得られるようになっています。

結果的として肉体の維持に貢献しますから、普段は問題にならない(悩みが生じない)のです。


しかし本質的な理解ではありませんから、解決不能の状態に迷い込みます。



ここから派生する論理を説きます。

・人には50兆の同胞がおり、これを蔑ろにして、他国(他人)の支援をするべきではない。

・自国の内政ばかりに集中して、他国(他人)との関係をないがしろにし、
 自国(自分の体)に不利益をもたらすべきではない。

前者が働きすぎの人が肉体に罰せられ、心が阻害される例です。劣等感や疎外感を体から与えられます。

後者は国民から政治を糾弾される政府ですね。劣等感や疎外感を体から与えられます。

劣等感を与えている正体は、肉体になりますから。

軽微なものは糖分を取り、緊張を解きますと消えます。罰が長いものは、一定期間我慢が必要です。


まとめますと、

思いつめずに、思い出すことです。

人には家族や友人や恋人や子供よりも大事な50兆の同胞がありあす。

国家元首として、細胞一つ一つに思いを馳せないといけません。

体を大事にするという大雑把な話では足りないでしょう。

細胞一つ一つを対等に人格があるとして扱い、彼らを喜ばせるためのアイデアを出すこと。

これに勤しむ事。この性質が、そのまま社会生活でも再利用されるわけです。

社会は肉体の投影ですから。一石二鳥で良くなります。

一定期間継続すると、知性と心の統合に至り、新しい人格が誕生します。

私たちの知性や心は、生物としての構造によりできているので、これこそが大事な道筋なのです。

道徳とは肉体を守るための知恵です。肉体を犠牲にする論理ではありませんよ。

以上、ご参考に成れば。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

仰ること、なるほどと感じました。

細胞一つ一つに思いを馳せるのいきなりは難しそうですが、少しずつ意識していきたいと思います。

ただ、回答を読ませていただいて、自分の状況と照らし合わせると、私の場合、心の働きの部分も、知性が行っているのではないか?と思えてしまいます。

心が求めているのは「何を犠牲にしても完璧である自分を目指せ」としか思えないのです。
知性のほうが、体のありようにも気を配っているように思えます。
これ以上の負荷は体にも、自我意識である「私」にも悪影響だよと言うのは、いつも知性のほうです。

もし心の役割が仰るとおりなら、「私」が見ているものは「心」では無いという事になるのでしょうか?
もし、私の見ている「心」が、厳しい主張をしてくるソレが心でないのなら、私が見ているものは何だと思われますか?

自我意識である「私」は、心と知性の橋渡しが役割だと思いますし、正直橋渡しがスムースに行けばいずれ、心と知性の共同体に主導権を明け渡して引っ込むものだと思っています。
乖離した心と知性を繋ぎなおすための代打的な役割とでもいいましょうか。

なので、もしここを間違っているなら、今の私は完全に役立たずということになってしまいます。

お手間とは思いますが、もし宜しければ思うところをお聞かせ願えないでしょうか?

回答、ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/05 16:01

kisaragi056さん、おはようございます。


今回の質問こそ、アスペルガー故の執着だと思いました。
理想の自分への執着。
その執着を手放せばうんと楽になれるのにね。
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この回答へのお礼

お世話になります。

>理想の自分への執着。
その執着を手放せばうんと楽になれるのにね。<

そうですね。これが無ければ人生ばら色、は大げさですが、かなり違ったものになるとは思います。
問題なのは、頭・理性はその理想を否定しているのに、心が強く希求していて、言葉が通じない点ですが。
まるで話の通じないオーナー社長の我侭をどうかわすかに苦心する業務管理者の心境です。

何とか出来るよう、自分なりに頑張ってみますね。

お礼日時:2015/07/05 10:54

肩の力を抜けとしかいいようがありません。


誰しもそういうものと心の中で折り合いをつけているか、見て見ぬふりをします。
そういう意味では質問主はまともだと思うが考えすぎ絵自縄自縛に陥っている。
それはもう考えていないのと同様なので、難しいでしょうが考えないようにしていきたほうがいいんじゃないですかね。
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この回答へのお礼

肩の力が抜ければいいのですが、中々それが出来ず難儀しています。

油断すると無理無茶に流されてしまいそうな怖さがあるもので。
私の周りの多くの人も、同じような恐怖と日々戦っておられるのでしょうか?
もしそうなら、やはり私がヘタレなんですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/05 10:50

すみません、、私はアスペルガー症候群については無知に等しいですし、私はそう言った部分は 単に「個性」と考えるタイプですので、それを前提にお答えさせて頂きます。



内容を拝見してまず思ったことは、、貴殿はとても素晴らしい精神をお持ちだと単純に思いました。

ただ、ご自分がマイナスと考える、障害(個性)的な部分を必死にカバーしようとする、その気持ちがちょっと強すぎるようにも見受けられました。

そこで 私は普段 スピリチュアルを心がけておりますが、、 それを前提に申し上げますと、、

人間は所詮 貴殿が求められるような、超人なんかには 誰もなり得ない存在で、
逆にそんな存在になれるくらいであれば、この世(修行の地)に生まれる必要もないかと考えます。^^;

私も仕事柄 色々な人たちと出会いますが、、ハッキリ言って、誰を取っても人格や能力に大差なんかないです。。

どこかが他人より優っていても、必ずどこかが他人より劣っているものです。

それを知ってしまえば、、別に焦る必要も 自分を悲観する必要もなく、、 
自分の最適なペースで、自己を高めていけば良いのだと気づきます♪


また、善意については、ただ一つ そこに「愛」があれば、それだけで良いと思っております。

(それは善意の行いのみならず、すべての行為に対して言えるかもしれません。)


とにかく 人は誰しもが皆 欠点だらけです、、 自分なんかもポンコツ人間だといつも痛感しております。。

が、、理想を見たらキリがないので、、自分の欠陥箇所をひとつずつ認識することから始め、次にそこを修復することに重点を置いています。 

とは言え、、修復に何度も挫折することも度々ですが、、 そのコツコツを楽しめれば人生完全勝利だと思っています。^^


また、私が思うに、、すべてにおいて一番大事なことは、、「バランス」を保つことだと考えておりまして、、

まずは、、自分のキャパを知ることが肝心で、、そこを超えてしまうと バランスは崩れ始めますので、
その加減を常に意識するようにしています。

そこで、バランスを保つために必要なのは、なんと言っても、気分転換ではないでしょうか。(^O^)

例えば、子育てにつきましても、、 キャパオーバーだと感じたときは、すかさず手を抜く(簡略する)ことも大事ですし、
他人さまの協力を得ることも全然アリだと思います。

その間に、自分の魂が喜ぶような趣味や芸術や自然を存分に楽しむことが、何より大事だと考えます。

そこでなんとか バランスを保ち続けることができれば、ある程度効率的に目的を達成することが出来るわけですから、
ロスも最小限ですみますし、、おそらく貴殿が心配されている「心(感情)」に支配されるようなことには、
決してならないと考えますが、いかがでしょうか?

また もし今の時点で、「お前は一体何を言っているんだ?」 と思われたとしたら、、

もしくは、少しでも「なるほど」と思って頂けたとしたら、、

ぜひ一度 スピリチュアルについて、ちょっとでも触れてみて頂ければと思います。

これは宗教などとは違い、、いわば 人生のあらゆる側面を 単純明解に教えてくれる、
とってもありがたい「道しるべ」だと気づいて頂けると思います。^^

ちなみに、、個人的には 江原啓之さんはオススメです♪
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この回答へのお礼

スピリチュアルって、失礼な言い方ですが前世とか親の因果が子に祟り的なものだと思っていました。少し認識を改めます。

バランスは、まさにその通りで私もバランスよくありたいとは思いますが、そこは出来ないから「障害なんだよ」と、諦めております。

ちなみに、お勧めのスピリチュアルのサイトや書籍ってありますでしょうか?
自分で探すとどうも色眼鏡で見てしまいそうなので、教えていただけると嬉しいです。

ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/05 10:48

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