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以下の二つの文章を読み比べてください。
1 息子から久しぶりに電話が掛かってきました。
「カネを貸してほしい」というので詳しく問いただすと、突然電話が切れました。
どうやらオレオレ詐欺だったようです。
このような電話には引っかからないようにしたいです。

2 息子から久しぶりに電話が掛かってきました。
「カネを貸してほしい」というので詳しく問いただすと、突然電話が切れました。
どうやらオレオレ詐欺だったようです。
このような電話には引っかからないようにしたいものです。

二つの文章の違いは、最終行のみ、以下のように違いがあります。これ以外には一切違いはありません。
1 したいです。
2 したいものです。

たったひとこと、”もの”が入るだけで、なぜか2の方は、上から目線に思えます。
(少なくとも私にはそう思えます。なんというか・・・読み手に対して警鐘を鳴らしている、というか、「私は引っかからなかったけど、これを読んでいるあなたが心配だから言ってあげてるのよ」というような、余計なお世話というか、なんで書き手のあんたが読み手に対して説教垂れてんだ? 書き手のお前はそれにふさわしい立場なのか? そして読み手を見下す姿勢が書き手読み手の間の同意が取れてんのか? という、「書き手の方が上の立場、読み手の方はそれを有難がって読まねばならない下位の立場」という関係性を、書き手側が一方的に決めつけてるような・・・そんな感想をいだきます。)

なぜでしょうか? 国語としての正確な解説をお願いします。
国語に詳しい方、おねがいします。

A 回答 (19件中1~10件)

誰も敬語のメカニズムを書いていないようなので、書きます。



敬語というのは、尊敬語・謙譲語・丁寧語からなります。乱暴に言うときや、上から目線にしたいときは、これらの要素を外したり、命令形に
したりすればよいわけです。

特に敬語の基本は謙譲にあります。謙譲というのは自分を下げていう言い方ですが、もうひとつの特徴に「相手の行動を規制しない」ということが挙げられます。一例です。
・食べてください
・御賞味ください。

「食べてください」は一般的に使われますが、これは相手に「食べろ」と行動を規制しています。
「御賞味ください」だと「食べろ」とは直接言っていません。相手の行動を規制しない言い方が謙譲表現になるのです。

このような敬語のメカニズムからすると、
1 したいです。
は、話者が「自分の体験を語り、自分を戒めている」という印象を与えますが、

2 したいものです。
になると「もの」が入ることで「お前も気をつけろよ」という、行動の規制、を感じとることが可能になります。

年代的な差や地域差はあるにしても、上から目線、と感じてもおかしくないのです。
もっとも私(アラフィフ)はあまり「上から目線」とは感じませんけどね。最近の若者の日本語は、敬語が相当に崩れているのに対して、平等感というか、言葉の上下にはかなり敏感な感じがします。言いか悪いかという問題ではありませんが、ちょっとしたことで誤解が生まれ、不自由だろうと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます
敬語のメカニズム、という観点からの解説は非常に興味深く読ませていただきました。
仰る通り、相手の行動に縛りをかけると、命令的になり、相手をフリーにすると、柔らかくなりますね。
面白い解説をありがとうございました

お礼日時:2015/07/22 19:39

No.5でコメントした者です。



「したいです」の類いについてさまざまな意見が出ているようです。
 少し前に質問に答えたものが、詳しいのでリンクを張っておきます。これはかなり詳しい説明になっているはずです。
【い形容詞+だ/です】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8997480.html

 No.1ではWikipediaと文化庁の見解を紹介しています。
 No.2ではWeb辞書『大辞林』の記述を紹介しています。
 No.5では『日本語練習帳』と当方の考えを紹介しています。

「したいものです」に関してはすでに書いたとおりです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがどうございます

お礼日時:2015/07/31 22:27

「もの」という語にどういう役割があるかないか、という話はさて置き、


「個人の感想、感覚を述べる」のに比べて「一般論、法則、教訓を述べる」方が
「受け取りようによっては偉そう」ということじゃないでしょうか。
より簡単に言うと「主張はときとして反発を招く」ということです。

例えば「吉野家より松屋が好き」に比べて
「吉野家より松屋がうまい」は微妙に偉そうで、
「吉野家より松屋が明白に上」は、ひじょーに偉そうです。

ただまあ「つねに空気を読み、自分からは決して主張しない人」というのは
「無難だがつまらない人」でもあるわけで、ときには主張も必要だと、
ニャンポコリンさんはだいたいそういうことを言いたいんだと思います。
空気を読まず反発を恐れずやたら主張する本田圭佑みたいなのもいて欲しい、みたいな。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
貴殿はそうおっしゃいますが、要は質問者と回答者の関係について、
当方=両者はフラット、平等な立場
ニャンポコリン氏=質問者は教えを乞う立場なので絶対的に下位。回答者は知恵を教授する立場なので絶対的に上位
というように、考え方に隔たりがあり、ニャンポコリン氏の回答に対して、私がほんの少し異見を述べた事について、にゃんぽこりん氏が
「てめえ! 俺様に向かって異見なんぞ百年早いわ!」
激昂したので、私がトラブルを避けて、お礼欄コメントの内容を全て撤回した、
という事です。
さわらぬ神に祟りなしですからね。

お礼日時:2015/07/30 23:16

実に珍妙なことをおっしゃる。


そんな承認を取るとなったら大変な労力が必要になりますよね。
誰もしません。そして、誰も何にも言わなくなる。
つまり、相手のためになることを言わなくなり、当たり障りのな
いことを、または、自分の利益になることをさりげなく言うだけ
なるでしょう。
もう、概ねそうなっていると思いますよ。

確かに、偉そうな人も増えていると思いますが、本当のことを言
う人が絶滅したら、嫌な世の中でしょうね。

それから、あなたの言う「地位」って何だろう?
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この回答へのお礼

No.16のお礼欄の内容全てを撤回します。
ニャンポコリン様の気分を害した事を謝罪いたします。

お礼日時:2015/07/26 20:41

私の感覚からすれば、「したいです」よりも「したいものです」の方が


信頼感を感じます。
前者は、初めての経験で驚いて反省しているに過ぎないという感じです
が、後者は、同じような経験を何度かして、思索した末の結論と言う重
厚さが感じられるからです。

父親が子供に対して、あるいは先輩が後輩に対して、かつては違和感な
く使われた言葉であると思います。
ですから、「上から目線」に決まっていると言っていいでしょう。

問題は、高齢者の智恵、大人たちの経験を踏まえた言葉を、一概に「上
から目線」の悪いものとして、処理してしまっている風潮ということに
なると思います。

その、由来は、「親の小言がうるさい」というところからであると私は
思っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
仰る通り、「したいです」よりも「したいものです」の方が
信頼感を感じますね。
ただし、その場合、読み手と書き手の間で、
「この文章は書き手が読み手に対し、知恵を授けるための文章である」
「この文章は読み手の地位よりも書き手の地位が上である」
という前提条件の承認が取れている必要がありますね。

お礼日時:2015/07/26 20:05

>僻み根性があるのですね


僻み根性は、こちらの語彙不足故の表現です、あえて手っ取り早く強調した表現です。
教えてやる!も同様です、教えてもらう、でもいやと思う人もいます。
価値観(都合が、良い、悪い)、プライドの持ち方でそれぞれ異なります、したがって国語だけの問題でない様な気もします。
単に情報として、聞いた、または聞き置く、だけなら何も違和感はありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
こちらも少し語彙不足な質問文でしたね。
「1に対して2は、上から目線を感じます」で違和感を覚えた人もいるかもしれません。
「1に対して2は、読み手に対して何かしらの強制や指示命令を感じさせる文章ですね」
と表現したほうがよかったですね。

お礼日時:2015/07/24 10:35

面白い質問ですねー。



私も、したいものです。のほうは「偉そうな」と思います。上から目線だと思います。

でも、その理由を説明するのが難しいと感じました。

とりあえず、辞書で「もの」について調べてみました。

㋒(「…するものだ」の形で)それが当然であるという気持ちを示す。「先輩の忠告は聞く―だ」「困ったときは助け合う―だ」

上のように書いてありました。

「したいものです。」には、「当然であるという気持ち」がある、と。

それでも、この辞書の例のように、「先輩の忠告は聞くものだ」「困ったときは助け合うものだ」のほうも同様に

上から目線と感じるかというと、そうでもない。

ではなぜ、オレオレ詐欺の場合は、「上から目線」という嫌味さを感じるのか。

それは、引っかかりそうだった本人自身が、あたかも他人事のように

それを「当然であるという気持ち」で「引っかからないようにしたいものです。」と表現しているところに

「違和感」を感じるのではないか?

1.の「引っかからないようにしたいです。」は、引っかかりそうだった自分への
自戒の意味、ニュアンスが感じ取られ、謙虚さを感じるが

2.は
「当然であるという気持ち」で、批判、評論しているように感じられます。

なかなかうまく説明できませんが、質問者様の「感覚」はとてもよくわかります。

日本語は難しいし、面白いと言えますね。

日本語を知らない外国人には、ピンと来ないかもしれない内容ですね。

日本語の、言葉の持つニュアンスの話ですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

他の方の回答にもありましたが、「もの」という語にはそのような意味がふくまれるんですね。日本語って難しいですね。

お礼日時:2015/07/24 10:37

#12です。



URL忘れてました。
https://www.kyoiku-shuppan.co.jp/view.rbz?nd=175 …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/07/24 10:40

#3ですが、少し補足させていただきます。



60年以上前までは、「したいです」のような「形容詞(形容詞型活用語)+です」の形は不可とされていました。
名詞などの場合「あれはアジサイの花だ」は普通体と呼ばれますが、これを丁寧体にするには、「あれはアジサイの花です」と表現します。
形容詞型活用助動詞の「したい」を丁寧体にする場合、昔は「です」を使わず「しとうございます」と表現していました。しかし、これは、あまりに丁寧すぎて冗長な印象を与えるという声が高まり、昭和27年4月14日、国語審議会に建議された「これからの敬語」をきっかけにして、「したいです(ね)」の形も広く認められるようになっています。
「実に美しいです(ね)」
「早く食べたいです(ね)」
といった表現、市民権を得ていると言って良いのではないかと思います。
因みに、
・したいです。
・したいものです。
・したいのです。
・したいと思います。
などは、(微妙とはいえ)意味が異なりますから代用することはできません。
「したいです」という丁寧体を否定する場合は、「しとうございます」という表現を使わざるを得ない、ということです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
時代によって言葉に含まれる意味が変化しているということがよくわかりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/24 10:40

回答No.9のさらなる続きです。



正 このような電話には引っかからないようにしたいと思います。
はい、そうです。あるいは(不自然な感じがしなければ)引っかからないようにしたいの(ん)ですとか、引っかからないようにしたいものですとか、引っかからないようにしたいところですとか。しかし、したいものですとなると、それが当然、当たり前、常識、そうあるべきというニュアンスが含まれるので、上から目線の感じがしないわけでもありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
やはり、”もの”が入ると、
「それが当然、当たり前、常識、そうあるべきというニュアンスが含まれる」
と感じるのは私だけではなかったのですね。

お礼日時:2015/07/21 19:52

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