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ふと疑問に思いまして。

大人である条件として「自分の行動に責任が取れる」とか、よく言われますよね。
私は短大の指導教授に教わりました。

三十過ぎて、結婚して子供も出来て、ふと、自分が何かに責任を取れるかと考えた時、責任をとるって何だろうという疑問にぶち当たりました。

例えば引責辞任。辞めたほうは責任を取ったと成りますが、相手側は常に「責任を果たした」と思えるのか?

例えば犯罪。法的に償いを終えた(懲役や極刑でも)として、被害者からみてそう見えるのか。あるいは殺人であれば、被害者からは「償いを果たした」とは言ってもらえません。

例えば子育て。親としては出来るかぎりでいい環境(子供のためになること)を整えたいとは思うでしょうしするでしょう。
でも、育った後の子供から見て「あれが、これが足りなかった」といわれた時に、子育ての責任を果たしたことになるのでしょうか?

個人的と社会的な責任の取り方があるとは思うのですが、両立しないことも多々ありますよね。
そういう場合、どちらを何処までやれば、責任を取れる大人の行動と認識されるのでしょうか?
また、責任がとれないなら大人でないと仮定するなら、どこかで責任を果たせなくなった時点で「大人」でへなくなるのでしょうか?
その場合、なんと呼べばいいのでしょうか?

例で上げるなら

● 大企業の粉飾決算で社長が辞任した。

● 党ぐるみの不正に主として関与した政治家が「わが身の不徳です。死をもって謝罪します」と自殺した。

● 大量殺人者が宗教に帰依して、善行に励んだ。

● 貧困家庭が倹約を重ね、子供の通う有名私立大学の学費を払った。

● 交通事故で相手を殺してしまった人が、遺族の許しを得るまで足しげく謝罪に通う。

● 何千人と救ってきた名医が成功率が高い手術に失敗して、患者が亡くなってしまった。

などで考えていただけないでしょうか?

あるいはもっといい例示があればご紹介いただけると嬉しいです。

大人って、その責任っていったい何なのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

NO.4です。

お礼ありがとうございます。

そうですね、責任とは義務を果たすこと、と捉えて宜しいかと存じます。
また私事になるのですが、家を飛び出した際に一番苦労したことを述べさせて頂きます。
飛び出した直後は夏休みと言うこともあって、友人宅を転々としておりましたが、2学期が始まると母親からの連絡により、家出をしていることが学校側にバレてしまいました。
職員室に呼び出され、大勢の先生に囲まれ母親と話し合いの場を設けた際に、私は「このまま自立する、自分の力だけで高校を卒業する」と宣言したところ、「具体的にどうやって実現させるのか、本当にやり遂げることが出来るのか、ここにいる大人全員を納得させてみよ」と担任に言われました。
この時の私は責任を負うことの大変さが分かっていませんでした。
やる気と根性論を展開してその場を切り抜けたのですが、さあ実行という段階で、早くも心が折れそうになったのです。
住み込みで働ける仕事を探したのですが、誰からも相手にされませんでした。
やる気や根性があっても16歳の私にはそれを証明することが出来なかったのです。
私のことを全く知らない大人から信頼を得るにはどうすれば良いか。
そこでようやく社会における「責任」について真剣に考えるようになった次第です。
義務を果たす。
サラリーマンの場合、給与に見合った働きを行うことでしょうし、
親の場合、子が成人するまで育てることでしょう。
しかし淡々と目の前のことをこなすだけでは、責任を果たしたことにはなりません。
親の責任で考えるとよく分かると思います。
子が健やかに成長するためには、福利衛生面を整え、適切な教育を受けさせ、愛情を注いで育てる必要があります。
お分かり頂けましたでしょうか。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。

私も、16の年から独立というか、徒弟奉公に出されましたので、何となく仰ることは判る気がします。
何にしろ、義務を果たすことが責任であるのなら、たぶん私は義務を果たすとは何であるかが分からないのかもしれません。

>子が健やかに成長するためには、福利衛生面を整え、適切な教育を受けさせ、愛情を注いで育てる必要があります。

私自身、健やかでない育ち方をしたせいか、自分の子供を健やかには育てていないと思います。
そもそもアスペルガーである私は、適切な教育や愛情を持ち合わせていませんし、福利衛生も十分に整えてあげることが出来ないと思います。
十分なそれが、どんな状態なのかを理解できませんから。上を見れば限りなく、下を見れば限りなく、その中で適切な位置取りをするのは難しいです。
自分が義務を果たしたか否か、質問と変わってしまいましたが、また自分の分からないことを一つ発見できました。

ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/04 08:31

>例えば教育、義務教育を受けさせればOK? なら小中で不登校児になったら、その親は義務を果たしていない?逆に虐めで心身ともにぼろぼろになって、義務教育を卒業後引きこもっても、義務教育は受けさせたからOK?



義務教育の不登校生の99%がその後ミジメな人生を歩むことは間違いありません。親は先にいなくなります。本人にとっては人生をかけた最後のチャンスです。それだけのことです。

>一円でも税金を納めればOK?

定められた金額を完納することです。

>年金は国の税金ではないから、無関係?

国民年金は自分のために加入するもので加入は自由です。

>子供手当てやもろもろの還付の方が支払いより多い場合は?

質問の意味がよくわかりませんが確定申告で還付されるならそれはそれでよいことじゃないですか。

>勤労ってなに?毎日職場に行って普通に働けば勤労?暑いからフラフラしていたら勤労じゃないのかな?

労働の手段ではなく所得税の納税が重要です。あなたが息をするのにも道を歩くのにも税金は使われているからです。
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この回答へのお礼

再度の回答、ありがとうございます。

還付の件については、例えば100円の納税を納めた人が300円もろもろで還付されていたら、それは200円の納税をして100円分しか税の恩恵を受けない人と同等か否かということです。
義務としては果たしたという風に受け取りますがよろしいでしょうか?

全体として、名目の義務(課税分の納付・子供が泣き叫び精神が変調しても義務教育が終わるまでは学校に送りこむなど)を果たしていれば、問題ないと受け取りましたが、良かったでしょうか?

私とはだいぶ、受け取り方が違うのだなと勉強になりました。

ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/08 08:41

お礼、、m(_ _)m



ナマ言ってましたが
すいませんm(_ _)m

前回本題からすれた、
”ガムシャラに前が見れないぐらい、後先考えないほど、、”
とは、
”よほど集中を要する時は忘れますが...”にあたいすると思いまして、、
妻の育児放棄がかさなって、心身ともに苦労、、、とありましたが、
ふたりはまだ分かれてなく、
ご夫婦でおられますね。
自殺未遂の前後のとき、、
とありますが、
未遂でまだ死んでませんし、
やはり”ガムシャラ”や、例えば”死に物狂い”と言う表現が良かったでしょうか?
間違いでしたか?

これはほんとうに、
本題とは違うんですいませんm(_ _)m

難しいことなんかじゃないかとやっぱり思います?

”負け方”を、”責任の取り方”
と考えました。そして成功に繋げるともまた違うつもりです。

例文でいろいろあげる
話しの中でも、、
個人的責任と社会的責任、、
との話しの中でも、
責任を分野?に分けること自体が、責任を心から取ろうとしてる側だとは思えませんし、世間体を気にした見方では、だれしもが思う、理想の責任をとる人間には程遠い方かと思います。

責任の範囲が広過ぎて分からなくなってきましたが、、。

生きていくうえの最低限の
モラルってことにしましょうか(;^_^A

長々とすいませんでした。
m(_ _)m
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この回答へのお礼

>ナマ言ってましたが
すいませんm(_ _)m

いえいえ、そんなことは無いと思います。少なくとも私は、そうは思いませんでしたよ。逆に色々と考えさせてもらいました。

少し気になったのが、私の「よほど集中する」というのは、いわゆる過集中というやつです。集中の対象以外がすべて見えなくなる。声をかけられても、何かあっても、自分が何処にいるかすらもどうでも良くなり、対象のみを見つめ続ける状態です。
自分の世界にのめり込んでいる状態なので、謝罪とかは無理だと思います。見えてないですから。

なので、今の私では、仰るガムシャラは理解できないかも知れませんね。ゴメンナサイ。

>”負け方”を、”責任の取り方”
と考えました。そして成功に繋げるともまた違うつもりです。

少し話が大きくなってしまいますが、国家の敗戦処理のイメージでしょうか。ドイツや日本の戦後のような。

たぶん、isaoさんがご指摘なのは責任を「取る」方法で、私が知りたいのは責任の「分析」や「定義」なのだと思います。
実際には誠心誠意謝るのが、筋ですが、それを構造的に分析すると、全然違うものが見えてきます。

それが何故そうなるのかを私は知りたいのでしょうね。

回答、とても考えさせられます。ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/05 09:32

人を殺してしまったら、その人を生き返らせてあげること。

それが責任の取り方。奪った物を返却する、当たり前のこと。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ほとんどの人が、責任ある大人でないということになりませんか、ソレ。いえ、私としては仲間が多いに越したことはないのですが。
色々、考えてしまいますね。

お礼日時:2015/08/05 09:13

すいませんm(_ _)m


もっと世の中って
ガムシャラに前が見れないぐらい、後先考えれないほどやる事や考えることいっぱいありますよね。。

「責任取るのが怖くて、
先生やってられっか〜っ❕」
って(;^_^A

例えば今どき?の
会社で起こる
若いもんが社会人
出始めの時に、、
「これは絶対ダメだから無理だ」、、とか、
こんな事するのは法律違反だ、やれ労働基準法にはんするとか、、、。
社会人になっても、ゴタゴタ言う会社人がほとんどなんじゃないんでしょうか?
大きな子供ばっかで
大人の境目って❓どこ⁉️(;^_^A



社会的責任なんて考える貴方は、向き合って考えるだけの時間に余裕のある人なんでしょう。
弁護士さんなら卓上の計算で法律にのっとって会話出来るでしょうが、、
それすら卓上の計算に過ぎな
い疑問な回答。。。


一生考えても出ない答えですが、あえて言えば、負けた時に負けてきた道を、また戻り直して、正しい負け方をもう一度見直して ”負ける”
事の出来きる人なんじゃないんでしょうかね(;^_^A

この案件に対して
そう貴方が思った回答が
一番自分的にあった無理しないベストな回答ですね。
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この回答へのお礼

うーん、質問の回答とは離れてしまいますが、逆に

>ガムシャラに前が見れないぐらい、後先考えれないほどやる事や考えることいっぱいありますよね。。

これが私には分かりません。
月100時間以上のサービス残業の時も、妻の育児放棄が重なって、心身ともに疲労困憊しても、同じ様なことを考えてましたよ、私。
自殺未遂の直前直後もこういう話題を考える思考の余裕はありましたし。
習い性かもしれませんが、バックグラウンドでぼんやりと考えるのは、常態ですね。
よほど集中を要する時は忘れますが、ごく希なことです。

負け方は、失敗を分析して次の成功に繋げるとは、また違うんですよね。
正しい負け方ですか、
考えて見ます。

回答ありがとうございます。お礼が本筋から逸れて、申し訳ありませんでした。

お礼日時:2015/08/04 09:44

責任をとりなさい


というのは、逃げることをせずに、きちんと向き合い、時には罰をうけ、時には改善方法を考えて、いきなさい、
的なことだと思います。

他のところからの
>どの程度果たせば「責任をとった」といえるのか?
ですが、
明確な決まりと言うのはないと思います。
その時の状況によって、被害や感情も左右されるでしょうし。
aさんから見たら「大したことない」
bさんから見たら「大問題だ」
という感じ方の違いもあるでしょう。

だから0か100かみたいな答えはないし、難しいものなのだと思います。
都合が良いと言われたらそうでしょう。そういうことも確かにある。


この回答では駄目でしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>この回答では駄目でしょうか。

普通に考えれば、この回答はとても参考になると思います。
素直に納得できないのは、質問者たる私が偏屈なのが原因でして。
被害や感情に左右され、人によって正反対の判断をされる「責任の正体」あるいは「不変の部分」がないかをどうしても探してしまいます。

回答、参考になりました、ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/04 09:34

失敗した時に逃げるんじゃなく責任のとれるような人間になれってことでしょ

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この回答へのお礼

責任をとるとは、どのような状態であるかを知りたいのです。逃げずに立ち尽くせばOKでもないとは思うので。

例えば粉飾決算で社長が辞任します。
社会的には制裁を受けたとして「責任を果たした」といえるでしょう。
でも、実害を受けた人はそれで救われませんよね。実害を受けた人個人に許しを得られない状態は「責任を果たした」といえるのか?
社会的と個人的、どちらをどの程度果たせば「責任をとった」といえるのか?
が知りたいのです。

もう少し、具体的に責任について教えていただけると嬉しいです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/01 11:20

責任を果たす場合は、能動態と受動態との2種類があると判断すれば解り安いかも知れません?特に能動態の場合は、個人の判断によってかなり違うかもしれません。

何れにしても自分の責任の範囲を罰せられる。或いは、自己を罰する事だと思います。
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この回答へのお礼

>何れにしても自分の責任の範囲を罰せられる。或いは、自己を罰する事だと思います。

責任とは、罰である、ソレを受け入れられることが大人ということでしょうか。

ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/01 11:16

責任には法的責任と道徳的責任があると思いますが、社会の一員として大人が重視すべきは自己責任であると思っています。


故に「自分の行動に責任が取れる」とは、自己の選択した全ての行為に対し責任を負う覚悟の有り無しを問われているものと考えます。
私事で恐縮ですが以下実感したことを述べさせて頂きます。
私は高校1年の夏休みに母親と喧嘩して家を飛び出し、そのまま自立してしまいました。
自分の意志を貫くためには責任を負う必要があると学んだのです。
いざ大人になって周囲を見回すと、精神が未熟なまま図体だけが立派な大人が大勢いることに気付きました。

例の中で責任を果たしている行為は、以下の二点のみ。
・大企業の粉飾決算で社長が辞任した
・貧困家庭が倹約を重ね、子供の通う有名私立大学の学費を払った
全く的外れな行為は、以下の二点。
・党ぐるみの不正に主として関与した政治家が「わが身の不徳です。死をもって謝罪します」と自殺した
・大量殺人者が宗教に帰依して、善行に励んだ
「責任」という観点からズレている行為は、以下の二点。
・交通事故で相手を殺してしまった人が、遺族の許しを得るまで足しげく謝罪に通う
法的責任を全うし、遺族に賠償してこそ責任。
・何千人と救ってきた名医が成功率が高い手術に失敗して、患者が亡くなってしまった
過失ではないので法的責任を問われるものではないが、遺族の感情を鑑みる必要がある。

以上です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

当たり前に使っている言葉ですが、真面目に考えると難しいものですね。

>自己の選択した全ての行為に対し責任を負う覚悟の有り無しを問われているものと考えます。

この場合の責任とは、義務を果たすということでしょうか?
例えば№1の方が言うような規定された義務、あるいは社会的に「この程度は負担してね。構成員として」というものを、自分で属したのだから負担しましょう。という意味合いでしょうか?
それとも、もっと別のことなのでしょうか?

私の頭では、責任を果たす=禊のような感覚があるのかもしれません。
なので、混乱するのかも。

いつも親身なお答えを頂き恐縮です。参考に考えてみます。

お礼日時:2015/08/01 11:15

責任を取るというのは日本なら、その究極型は懲役のように肉体で果たすか、損害賠償のように金で果たすかです。


そのどちらも日本では大人にしか課せられません。

質問者さまは被害者や迷惑を被った者の要求を満足させることが“責任を果たす”と考えているようですが、それは事が大きければ大きいほど現実的に無理というものです。
人を殺してしまい、遺族から「返して」と言われても、どんなにお金を積んだって技術的に無理なわけですから。
取るべき責任の方法は周囲から見て、「こんなもんでしょ」です。

またもちろん何もすべて法律や社会に諮る必要もなく、自主的に死んでで詫びるのも一つの方法。それでも足りなければその人が死んだまま、さらに法で裁かれます。

というわけで、自主的にその責任を果たせられればいいですが、最悪の場合強制的に果たさせることができる…という意味で大人は責任を果たします。
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この回答へのお礼

>取るべき責任の方法は周囲から見て、「こんなもんでしょ」です

責任とは社会が決めるものなんですね。
社会が求めるものを差し出すことが、責任を果たすということ。その準備ができていることが大人であるということでしょうか。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/01 11:06

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