つい集めてしまうものはなんですか?

ゴールドバッハ予想…全ての 2 よりも大きな偶数は二つの素数の和として表すことができる




【論】

全ての偶数はこのように表されるであろう。







例 10







 左   右

 5    10

 4    9

 3    8

 2    7

 1    6

 0    5







ここで、左から一つ、右から一つ数字を取り上げて、足し算して10になる組み合わせを考える。




 5+5 = 10

 4+6 = 10

 3+7 = 10

 2+8 = 10

 1+9 = 10

 0+10 = 10




 (偶数) + (偶数) =10 と 




 (奇数) + (奇数) = 10 の2つの場合がある。




 素数の組み合わせは、 5 + 5 = 10 と 3 + 7 = 10である。




 だから、10は、2つの素数の和で表せる。




 だが、4以上の全ての偶数について、このような素数の組み合わせがあるかどうかは、わからない。4以上の全ての偶数について、このような素数の組み合わせがあることを示せれば、されたことになるし、素数の組み合わせがない偶数が見つかれば、予想の反例が見つかったことになる。




 ここまでは、恐らく正確に論じれているとは思う。ここからの先の話は少し正確性に欠ける可能性がある。寛容に見ていただきたいが、もしミスに気づいた方は、どうか指摘していただきたい




 偶数である2nについて、n=2のとき、4=2+2 n=3のとき、6=3+3である。

 ここまでは示されたので、n≧4の時の、偶数の表示形式を一般化してみた。







 ☆ ベルトラン=チェビシェフの定理を用いる




 【定理】 n ≥ 2 に対して、n < p ≤ 2n を満たす素数 p が存在する




 これを、n≧4の時成り立つようにすると




 【変更した定理】 n ≥ 4 に対して、n < p ≤ 2n を満たす素数p が存在する







 さて、n≧4であるので、3 ≦ q < n (qは素数)が成り立つとしよう。このqが成り立つのかどうかは、はっきりと自信を持っては言えない。すべてのnに対して成り立ちそうな気はする。とりあえずは、このqは成立するとして、ここは進める。







 ここで不等式 3 ≦ q < n < p ≦ 2n が成り立つ。




 先ほどの、10の表示形式を、一般化すると下の図である。







 左       右




 n        2n

 n-1      2n-1

 n-2      2n-2




 …       …




 q+1      p+1

 q        p

 q-1      p-1




 …       …




 3        n+3

 2        n+2

 1        n+1

 0        n










 注意して欲しい、全ての偶数に対して、q + p = 2nが成立することは全く自明ではない。0からnまでの間に、qが存在し、nから2nまでの間にpが存在することは示したが、それがq + p = 2nを満たす関係にあるということは明示していない。後にも後述するが、全ての偶数についてq + p = 2nが成立すれば、ゴールドバッハ予想は証明されたと私は考える。




 さて、このように一般化したところで、何をもって、この一般化された偶数が、素数の組み合わせを持つか考える。素数の組み合わせを持つ場合は、3通りに場合分けされるであろう。




Ⅰ nが素数

Ⅱ q + p = 2nが成り立つ

Ⅲ nが素数であり、q + p = 2nが成り立つ







 ☆ Ⅰ nが素数の場合について




nが素数の場合というのは、つまり5+5=10や、7+7=14だ。

このような偶数を『同素偶数(どうそぐうすう)』と私は勝手に呼んでいる。

同じ素数を足してできる偶数だから、『同素偶数』

いや、名前は別になんでも良いのだが。




素数が無限に存在するので、同素偶数も無限に存在する。







 ☆ Ⅱ q + p = 2nが成り立つ




q + p = 2nが成り立つ場合というのは、例えば、

3+5=8 や、 3+7=10だ。このような偶数は、『鏡素偶数(きょうそぐうすう)』

と私は呼んでいる。




kを整数とし、

p - k = n そして、 q + k = nとし、2つの式を辺々足すと、

q + p = 2n が導ける。

これから分かることは、pからnまでの距離と、qからnまでの距離はkで、等しく、

pとqは、nを鏡とした関係にある。だから『鏡素偶数』である。




ぶっちゃけた話、本当に名前はどうでもいい。




 ☆ Ⅲ nが素数であり、q + p = 2nが成り立つ




10=3+7 10=5+5より、10は同素偶数であり、鏡素偶数だ。




 




 【この場合分けは正しいのか?】




ここに議論の余地があるようだ。この場合分けは間違っている可能性がある。ここでは正しいとして進めていく。




 【ゴールドバッハ予想についての解決】




同素偶数が無限にあることは示された。

だから、ゴールドバッハ予想が真であるとするには、最低でも鏡素偶数が無限にあると示さなくてはならない

または、同素偶数でもなく、鏡素偶数でもない偶数は存在しないことを証明する必要がある。




逆に、ゴールドバッハ予想が偽であるとすれば、鏡素偶数が有限個だと示せばよい。なぜなら、




1 偶数は無限個であり、同素偶数と鏡素偶数に分かれる。

2 同素偶数は無限個だが、鏡素偶数は有限個である。

3 偶数が無限個なので、同素偶数でも、鏡素偶数でもない偶数が存在する

4 予想は否定される。




また、具体的な偶数が、同素偶数でもなく、鏡素偶数でもないことを示せばよい







今のところ考えている手立てはこの程度だが、鏡素偶数が有限個であるかどうかがかなり気になってきている。最近忙しいのであまりやってはいないのだが。




ところで、筆者は、ゴールドバッハ予想が偽であってもなんらおかしくないと思っている。なぜならば、この予想は、4 × 1018 までしか証明されていないからである。偶数は無限個ある。この程度の範囲で確からしいと思うような解釈は、私は持たない。私は数学者だからである。自らの感覚、自らの経験はなんら信じない。







ここまで読んでいただいて非常に光栄である。

この予想を解く閃きの一部にでもなれば幸いだ。




ここから書くことは所詮、筆者の思いつきに過ぎないので、

あまりまともに受け止めず、すっ飛ばして欲しい




【ゴールドバッハ予想は新しい数学の分野への問いかけである可能性がある?】




平行線公準というものがある。




平面上に直線と、直線上に存在しない点が与えられたとき、点を通り直線に平行な直線は与えられた平面上に高々1本しか引くことができない




一見自明に思えるこの『公準と思われていた何か』は、とうとう1000年以上も証明されることはなかった。そして、ある数学者たちは「こう」思った




『これは公準ではないから証明できないんじゃないか?』




つまり




『平行な直線を2本、3本と引ける学問が存在するのではないか?』と。










ゴールドバッハ予想が、平行線公準のまさにそれ、というのは、あまりに乱暴すぎるかもしれない。ふとこれを思った時、あまりのバカバカしさに呆れて、私はランチタイムのコーヒーを一口しか口にできなかった。




このくだらない思いつきは『数論』を細分化する危険性がある。




例えば、




『とても大きい偶数のレベルになると、2つの素数の和で表せない偶数が出てくる分野と、2つの素数の和で表せる分野で分かれるんだ』




ということである。私はちょっと頭のイカれた人間だとは思ったが、この日以上に自分に呆れたことはなかった。数論における数直線が、大きくなってくると2本に分かれるだなんて、小学生でも言ったりはしない。これを説明するには最早複素数範囲ですら不可能だろうと、思ったが故に私は諦めてこの方向性は放棄した。が、一応思いつき程度には思いついたので、このようなノートの端に書きなぐっておくのである。こんなつまらないことを書いて申し訳ありませんでした。

A 回答 (1件)

質問っぽく見えないが、質問として投稿なさっているのなら、おそらくこの小説についての感想をお求めなのだろう。



> 3通りに場合分けされるであろう。

 IIIはIIに含まれているし、IもIIに含まれているんで、場合分けにはなっていない。p≠qという条件を付けてIとIIだけを並べるのなら場合分けになるけど、IIIはやっぱりIIの部分集合のまま。
 つまり、語り手は『場合分け』という概念すら分かっていないにもかかわらず、ゴールドバッハ予想という難問に思索を巡らしている。まるでシベリアの雪原のような荒涼とした心象風景が切実に伝わってくる。

> ゴールドバッハ予想が真であるとするには、最低でも鏡素偶数が無限にあると示さなくてはならない

 「3より大きい素数をひとつもってきてそれに3を足すと、偶数ができ、これは「鏡素偶数」である。3は素数であり、3より大きい素数は無限個あるから、「鏡素偶数」も無限個ある」というだけで証明は終わり。確かに、これより前を読んできただけで、語り手が『無限』という概念を扱えようとは到底思われない。その期待を裏切らない、着実な展開である。
 一方、



> または、同素偶数でもなく、鏡素偶数でもない偶数は存在しないことを証明する必要がある。


 こっちはゴールドバッハ予想そのもの。つまり、まだ一歩も進んでいない。ここはひとつの山だ。ふたたびシベリアの風を感じる。むやみに挿入されているかのように見える改行も、それがもたらす「白さ」という、実は計算され尽くした視覚的な効果を生んでいる。夏向きの趣向である。

> 『これは公準ではないから証明できないんじゃないか?』


 「『平行線公準』は実は公準ではないのではないか?」と疑われた。そこで『平行線公準』が公準でないことを証明するために、『平行線公準』を他の公準から導くことが延々試みられた。しかしこの試みはことごとく失敗してきた。そして、最終的に、『平行線公準』を別の公準に取り替えても無矛盾であることが証明されることによって、結局『平行線公準』は公準であることが証明されたのであった。

 ところが語り手は、この事実とは真逆のことを言っている。つまり、『場合分け』と『無限』の話で既に明らかになっていることをさらに畳みかける展開である。だが、いささかくどいと思う読者も出てくるのではなかろうか。また、ここまでの話に比べてトピックが多少こみ入っていて、読者には、いくら初歩的かつ僅かな量とは言え背景知識が求められるということが、流れを妨げているように思われる。
 そのうえ、『平行線公準』を『ゴールドバッハ予想』のアナロジーとして捉えるという、妙に的を射た発想を語り手がしてしまうのでは、その人物像が焦点を失いかねない。そもそも、このアナロジーは、この後の展開には全く使われていないのであるから、このエピソードは思い切ってカットした方が良かったのではないだろうか。

> 『とても大きい偶数のレベルになると、2つの素数の和で表せない偶数が出てくる分野と、2つの素数の和で表せる分野で分かれるんだ』


 語り手について紹介されてきたエピソードから、読者は容易に「『分野』という概念は語り手の中で全く像を結んでおらず、ただ漠然とした『あつまり』のようなものを指しているに過ぎないのだろう」と推察できる。すなわち、ここで語り手は「あらゆる自然数について成り立つとは限らないような述語A(n)」ならどんなものを持ってきても、「A(n)が成り立つnと、A(n)が成り立たないnに分かれるんだ」という、自明のことをわざわざ言語化して感動しているのだ。A(n)の例を挙げるなら、「nは偶数である」「nは7の倍数である」「nは素数である」「nは平方数である」「nは完全数である」「nはメルセンヌ素数である」そして「nはゴールドバッハ予想の例外ではない」。A(n)として何を持ってきても構わない。
 このようなごく当たり前の些細なことにも心を揺さぶられてしまう語り手のナイーブさが、それに呼応する、コーヒーを飲み残すという些細で哀愁を誘う行為を描写することで、見事に際立っている。

> 数論における数直線が、大きくなってくると2本に分かれる

 もちろん数直線は実数の話であって、自然数とは関係ない。語り手が言う「数直線」とは、自然数を小さい順に並べた列に過ぎないのだろう。もちろん、それが勝手に二つに分かれるわけではなく、ただ「自然数をA(n)が成り立つものと、それ以外とに分け、それぞれを小さい順に並べると、もちろん列がふたつある」というだけのことだ。語り手の思索が単なる同義反復であることには、確かに

> 小学生でも

気づくことであろう。
 この語り手の混迷を前にして、既に読者は驚かない。驚きという夾雑物を取り除くことによって、語り手が「自分に呆れ」るポイントが決定的にずれていることの可笑しさと、やがてくる悲しさを際立たせている。
 最後に語り手は、申し訳なさを表明する事で、自らの混迷を僅かながら自覚していることを告白する。しかしその告白は、ありふれたどんでん返しにはならず、ただシベリアの風の中に吹き飛んで消えるのである。
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