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『現代仮名遣い』には下記のように明記されています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/k1986070 …
==============引用開始
2 助詞の「は」は,「は」と書く。

例 
今日は日曜です 山では雪が降りました
あるいは または もしくは
いずれは さては ついては ではさようなら とはいえ
惜しむらくは 恐らくは 願わくは
これはこれは こんにちは こんばんは
悪天候もものかは

〔注意〕 次のようなものは,この例にあたらないものとする。
いまわの際 すわ一大事
雨も降るわ風も吹くわ 来るわ来るわ きれいだわ
==============引用終了

「こんにちは」「こんばんは」と書くのが一般的なルールのようです。
 このことを踏まえた上で質問です。

1)「こんにちは」「こんばんは」を「間違い」とする根拠があるのでしょうか。
2)『現代仮名遣い』以前(歴史的仮名遣い?)のルールはどうなっていたのでしょうか。 
3)今後の動向に関する予測をお聞かせください。

質問者からの補足コメント

  • 申し訳ございません。
     質問の1)は間違っています。下記のように訂正します。

    1)「こんにちわ」「こんばんわ」を「間違い」とする根拠があるのでしょうか。

     ああ情けない(泣)。

      補足日時:2015/10/03 20:09
  • 書き忘れていました。細くします。(←結果にコミットする?)
     小椋佳の叙情性も嫌いではありません。ただ、『シクラメンのかほり』にはいろいろ逸話があって……。
    http://qq4q.biz/okyN

    1)「香り」の話
    ============引用開始
    当時はシクラメンの花に薄紫色はなかった。また、シクラメンには香りがなく、まれにあっても極めて薄い。なお、この歌のヒットをきっかけに後に薄紫色のシクラメン、香りのあるシクラメンが開発されている。
    ============引用終了

    2)「かほり」か「かをり」か
     何がなんだか(泣)。
    ============引用開始
    契沖以降の「歴史的仮名遣」では「かをり」が正しいとされ、それ以前にスタンダードだった定家仮名遣では「かほり」が正しいとされている。「かほり」の表記が必ずしも誤りであるとは言えない。
    ============引用終了

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/10/05 11:06
  • こんな記事が……。
     書き手は金谷先生です(笑)。

    No.11の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/10/12 22:14
  • ↑でリンクを張り忘れました。
     下記です。
    http://blog.goo.ne.jp/shugohairanai/e/bc06ee91dd …

     ただし、Wikipediaを見る限り、小椋佳本人は否定しています。

      補足日時:2015/10/13 00:14

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A 回答 (11件中1~10件)

>古い文献などで「わ」を見かけたもので、「現代仮名遣い」以前は「わ」なのだろうか、と考えていました。

違うのですか……。

平安時代の仮名遣いが中世の頃から乱れ始めて、それを正そうとした「定家仮名遣い」や「契沖」のことを書こうと思ったら、そんなに新しい時代ですか。「現代仮名遣い」の前は「現代かなづかい」で太平洋戦争直後の昭和21年に作られたものです。
 
http://kokugo.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/joho/ka …

http://homepage1.nifty.com/~petronius/data/genka …
その中に

「第4 『ワ』に発音される『は』は,『わ』と書く。ただし助詞の『は』は,『は』と書くことを本則とする。」とあります。
(「本則」というのがどの程度のしばりなのか、詳しい説明を探しましたが、見つかりませんでした。)

結論的には、「は」「へ」「を」は今と同じだったはずです。 

 1)『今晩わメイコです』
 2)『こんばんわ』(中島みゆき)
3)「握りまして先番」(高島俊男)
この人たちについて、簡単に触れておきます。「本則」がある以上、「例外」を認めているということなのでしょう。
 「中村メイコ」が「今晩わ」にこだわったか、どうか知りません。多分、放送作家かプロデューサーの考えでそうなったのでしょう。
 「中島みゆき」のような「シンガー・ソング・ライター」をわたしはあまり信用していません。その一人が作った「シクラメンのかほり」を機会があれば分析してみたいと思っています。「小川誠子」をご存じでしたか。現在でいえば「万波佳奈」みたいな若手の女流棋士でしたね(当時は)。確か俳優三兄弟の一人と結婚したはずです。近頃あまり見かけません。しかし、関係あるのは、「高島俊男」の方で、「漢字と日本人」とかいう書物は、「日本人が、中国語の表記には合うが、日本語の表記にまったく合わない漢字という文字を取り入れたのは、ちょうど悪妻を娶ったようなもので不幸なことであった。しかし、今更どうすることも出来ないので、その中でやっていくより仕方がない」という意味の発言があり、それを「我が意を得たり」の思いで読みました。反発好きなひとだから、知ってて「今晩わ」と書いたのでしょう。
 長くなりますが、いつも引用されるご自身のブログの記事で、「地面(じめん)」に関する記事を目にしました。漢和辞典を引くと「地」はジ(呉音)・チ(漢音)と書かれています。呉音、漢音それに唐音まで知らなければならないので大変ですが、「呉音」は濁る「漢音」は濁らないということが多いようです。呉音は上下(じょうげ)、漢音は上下(しょうか)など見るとかなり多数あります。地(じ)と地(ち)とでは少し腑に落ちない気もしますが、日本人はそう受け取ったのでしょう。「地下」(じげ)という言葉があります。これは日本でしか使われない言葉ですが、「殿上人」に対する言葉です。ついでに言えば「地下足袋」は語原的には「直足袋」で「じかに土の上で履く足袋のようです。最後は完全に余談でした。
 私的な話ですが、1311tobiさんのブログに意見の書き込みをするのは、やはり「メール・アドレス」が必要なのでしょうね。ちょっと事情があってアドレスを書きたくないのですが。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

「現代かなづかい」のリンクありがとうございます。

>(「本則」というのがどの程度のしばりなのか、詳しい説明を探しましたが、見つかりませんでした。)
 わざわざありがとうございます。
「附則」がないのなら、「本則」のしばりはけっこうキツい気がします。 
 詳細がよくわからないので、なんとも……。

 1)『今晩わメイコです』
 一応NHKですからねぇ。もしかすると、放映開始時の1954年10月には「今晩わ」も許容されていたのでは……と考えています。

 2)『こんばんわ』(中島みゆき)
「シンガー・ソング・ライター」もピンキリですが、さだまさしと中島みゆきは別格と考えています。これに関しては「こっちのほうが好き」くらいの理由でしょうが。
 ちなみに中島みゆきは『わかれうた』で「人ごとに言うほど」を「ゆうほど」ではなく「いうほど」と発声しました。
『最後の女神』の冒頭は「いちばん最後に……」です。ショックでした。

 3)「握りまして先番」(高島俊男)
 小川誠子のご主人って、山本圭なんですね。初耳でした。
 下記を見るに1984年に司会を始めたときにはウン歳ですから、万波佳奈はいくらなんでも。(←オイ!)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B7%9D …
 うわっ。万波佳奈ももうけっこうな……ぐゎ、何をするんだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E6%B3%A2 … 

>日本語の表記にまったく合わない漢字という文字
『本が好き、悪口言うのはもっと好き』(いま読み返している最中なんです)の中(「あくび問答」)にも同様の趣旨のことがあります。そのとおりなんでしょうが、そんなこと言われても……。

 ちょっと事情があって、よくわからない基準で2本のブログを使い分けています。
 どちらも、コメントの際のメールアドレスの記載は任意だったような……。
 ただ、鋭すぎるツッコミは削除される仕様です。(←オイ!)
 お手柔らかに。

お礼日時:2015/10/04 21:02

質問者の補足に「シクラメンのかほり」のことが書いてあったので、一言。

『契沖以降の「歴史的仮名遣」では「かをり」が正しいとされ、それ以前にスタンダードだった定家仮名遣では「かほり」が正しいとされている。「かほり」の表記が必ずしも誤りであるとは言えない。』というのはwikiの記述らしい。しかし、定家まで遡ったのなら、王朝の「源氏」までは見届けてほしい。「薫」は「かをる」になっている。字は違うけど。定家より契沖が正しい(古い仮名遣いを基本とすれば)ことも当然あったはずです。そうでなければ契沖の立場がない。
 「佳穂里」という奥さんの名から取ってきたのが本当でしょう。ついでに言えば、「すがしい」という言葉にはわたしは否定的です。「真綿色」とはどんな色かわかる人がいるかな。(「真綿色」は全面的に否定しない。これは質感としてすぐれた表現かもしれない) 断片的なコメントで済みません。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

旧仮名遣いに関しては何も知らなくて……。
 むかーし、「かほり」はおかしいという話は聞いたことがある気がします。
 
「すがしい」も、一応辞書にはある、というレベルでしょう。ほぼ古語ですかね。
 細かく見ていくと、いろいろ難のある歌詞のようです。

お礼日時:2015/10/12 00:13

>『お言葉ですが(8)』の件、確認しました。

手元の文庫本ではP.97~でした。

高島俊夫さんの著書をたくさんお持ちなのですね。地元の図書館で手当り次第、カナ論を探したのですが、それなりの論旨が記載されてゐる文章は見つかりませんでした。

同時期に制定された「当用漢字」に対する批判があまりにも強すぎて、「現代かなづかい」はそのかげに隠れてしまつたやうなところがあります。世間には一般に知られてゐない問題が多く残されてゐます。

>クレーム?を忘れてました。

すみませんでした。締切る時期も、ベストアンサーの選択も、その場の雰囲気です。真面目な回答者のかたがたからは叱られます。私は哲学カテゴリの投稿が多いのですが、ハッコブールさんもときどきおいでになります。1311tobiさん、OKATさんもたまにはどうぞ。

>武宮先生の棋風をどれだけ愛しているかがわかるはずです

のちほど拝見いたします。ありがたうございます。画像は4年前の指導碁の様子です。万波奈穂さん(ワンピース姿が似合ひます)と李多慧さん(チマチョゴリが素敵でした)の写真をとるのが忙しくて、あまり見てゐませんでした。
「「こんにちわ」「こんばんわ」は「間違い」」の回答画像10
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この回答へのお礼

>同時期に制定された「当用漢字」に対する批判があまりにも強すぎて、「現代かなづかい」はそのかげに隠れてしまつたやうなところがあります。
 
 そうなのかもしれませんね。
 まぁ、日常的には問題がないのでしょうが、微妙な問題を考えはじめると頭が痛くて……。

お礼日時:2015/10/12 00:10

図書館に行つてきたのですが、おすすめくださいました『お言葉ですが(1)』はありませんでした。

残念です。そのかはり『お言葉ですが(8)』の88ページに「こんばんは」についての文章が見つかりました。「は」で統一されてゐます。囲碁番組批判の中の「こんにちわ」は誤植の可能性が高まりました。

ついでに『大日本国語辞典』も覗いてみたのですが、挨拶としての「こんにちは」「こんばんは」の文献は江戸時代からのやうで、表記は「は」でした。
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この回答へのお礼

『お言葉ですが(8)』の件、確認しました。手元の文庫本ではP.97〜でした。 
 そうかぁ……。
 誤植ですかぁ。

>挨拶としての「こんにちは」「こんばんは」の文献は江戸時代からのやうで、表記は「は」でした
 そうかぁ。
 そうなると、NHKの『今晩わメイコです』はなんだったんでしょ。

 クレーム?を忘れてました。
 以前、「誤字脱字」の質問をなさってましたよね。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9060870

 早々と締め切られたので、またしても投稿が間に合わず、悲しい思いをしました。
 本文はどこかに行ってしまいました。
 ネタの部分だけ、先ほどブロブに書きました。
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12081665619.html

 囲碁に興味がおありのようなので、お時間のあるときに末尾のリンク先の記事をご笑覧いただければ幸いです。当方が武宮先生の棋風をどれだけ愛しているかがわかるはずです(笑)。

お礼日時:2015/10/07 22:06

金秀俊さん......ではなく武宮正樹さんについての重大なコメントが記されてゐましたので、怪答をつづけます。

ベストアンサーはすでに回答番号2か4で決定ですので、気楽に書きます。

>いえその……武宮先生の〝輝き〟は容貌の問題d……ぐゎ、何をするんだ。

この記述は削除対象にならないのですか。運営側の削除基準が以前とはずいぶん変つてきたやうで、このところ私の投稿が削除されることがなく、寂しく感じてゐます。「現代かなづかい」にかぎらず、このサイトの「利用規約」も、ルールを守れ、と言つてありがたがるのではなく、どのやうなルールにしてゆくべきかを運営側といつしよに考へるべきだと思ひます。

>「プロ根性」があるなら、アップは不許可のはずです。

芸としてのプロ意識ではなく、ファンサービスの意味で書きました。囲碁普及のための捨て身の姿勢には頭がさがります。

>......でもいいことにしませう、といふふうに変更された......このあたりは不明です。

質問文の中の内閣告示「現代仮名遣い」第2条第5項第2号但書
「次のような語については,現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの等として,それぞれ「じ」「ず」を用いて書くことを本則とし,「せかいぢゅう」「いなづま」のように「ぢ」「づ」を用いて書くこともできるものとする。」
といふ部分です。結局はどうでもいい、との判断です。

>「通り」と「道理」はかろうじてわかります。

「お」につきましては、第2条第6項後段
「これらは,歴史的仮名遣いでオ列の仮名に「ほ」又は「を」が続くものであって,オ列の長音として発音されるか,オ・オ,コ・オのように発音されるかにかかわらず,オ列の仮名に「お」を添えて書くものである。」
となつてゐて、歴史的かなづかひがわかつてゐなければ、「現代かなづかい」が書けないといふ仕組みになつてゐます。「お待ち遠さま」は「おまちどほさま」(ほ)なので「おまちどおさま」(お)になるといふ解説です。「十日」は「とをか」(を)なので「とおか」(お)、「大阪」は「おほさか」(ほ)なので「おおさか」(お)。とにかく歴史的かなづかひで「ほ」と「を」の場合を「お」にするといふ規則です。そんなことなら歴史的かなづかひのままでいいと思ひます。「逢坂」はよく御存じなのですね。「あふさか」(ふ)なので「おうさか」(う)なのださうです。大阪と発音は同じなのですけれど。「放つて」は「はふつて」(ふ)なので、おつしやるとほり「ほうって」(う)との説明です。

正直なところ、私の頭(頭頂部の意味ではありません)ではついてゆけません。
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この回答へのお礼

金秀俊さん……オイオイ。

>このところ私の投稿が削除されることがなく
 削除されることがあるんですね。
 まだ削除例を見たことがないもので……。
 以前、ひどい丸写しの著作権侵害の例を通用したのですが、スルーされたようです(泣)。

>結局はどうでもいい、との判断です。
「どうでもいい」ということはないでしょうが、どうにも曖昧です。

>歴史的かなづかひがわかつてゐなければ、「現代かなづかい」が書けないといふ仕組みになつてゐます
 そうなると、ますます厳しいかもしれませんね。

お礼日時:2015/10/07 21:47

またまたplapotiです。

補足に「を」の例をお書きになつてゐますが、むづかしいのは「じ ぢ ず づ」の区別よりも「う お を」ではないでせうか。このサイトでも「おっしゃるとうり」なんて書いてあるのをしよつちゆう見ます。回答番号1に「おまちどうさま」の例を挙げましたが(「おまちどおさま」が正解)他にもいろいろありさうです。

十月十日(トーカ)
放っておく 
柳行李(ヤナギゴーリ)
逢坂(オーサカ)
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この回答へのお礼

「通り」と「道理」はかろうじてわかります。
 そうか。「おまちどおさま」ですか。勉強になります。
https://kotobank.jp/word/%E5%BE%A1%E5%BE%85%E3%8 …

十日……「とうか」と認識していたような。
放って……これは「ほう」でしょう。数年前まで常用漢字音訓表外(笑)。
行李……「こうり」ですよね。
大阪は「おおさか」ですが、逢坂は「おうさか」でしょう。
 むずかしい……たしか阿刀田高は「むつかしい」と書きます。

お礼日時:2015/10/06 18:33

回答番号1,3,5のplapotiです。

そろそろ終了にしようかと思つてゐたのですが、試験問題が出されてゐましたので、怪答いたします。

>武宮先生は、若い頃はいまほど〝輝いて〟はいません。(←オイ!)

おつしやるとほりです。私が碁を覚えたのは石田芳夫さんとの本因坊戦のころで、それ以来両者のファンです。一度だけお話したことがあるのですが、テレビで見るときほど饒舌ではありませんでした。もの静かでおだやかな語りくちでした。

>小川誠子さんはとても上品なイメージだったので、「わ」は使わないような……(笑)。

同意です。囲碁アイドルの元祖ですね。私は万波奈穂さんと奥田あやさんが好きです。たくさん写真を撮らせてもらひました。顔のアップまで許可です、プロ根性おそるべし。

>高島先生の「づつ」の正当性に関する記述は、きわめて論理的です。

読んでみます。私のやうなアホに理解できるかどうかわかりませんけれど。紹介していただき、ありがたうございます。

>突然ですが問題です

設問は「現代かなづかい」の制定後に大いに議論された例ですね。4問とも私は全部「づ」で書きます。そのほうが簡単です。「現代かなづかい」は考へてもわからず、とてもむづかしいので使ひません。この「むづかしい」にしても、「むつかしい」とも言ひますから「むずかしい」は抵抗があります。

「黒尽くめ 納得尽く 差し詰め」が「ず」で、「働き詰め」が「づ」といふのが、当初に制定されたものでしたが、「ず」への批判があまりに強くなつたために、「くろづくめ なっとくづく さしづめ」でもいいことにしませう、といふふうに変更されたと思ひます。本則と許容があつたのでは、決める意味がなくなります。どこまでもいいかげんです。ちやらんぽらんは、私一人で充分です。
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この回答へのお礼

いえその……武宮先生の〝輝き〟は容貌の問題d……ぐゎ、何をするんだ。

>たくさん写真を撮らせてもらひました。顔のアップまで許可です、プロ根性おそるべし。
 うらやましい。ただし、「プロ根性」があるなら、アップは不許可のはずです。

>設問は「現代かなづかい」の制定後に大いに議論された例
 そうなんですか。
 知らなかった。

>4問とも私は全部「づ」で書きます。そのほうが簡単です。
 そう言ってしまうとミもフタもない(泣)。

>「ず」への批判があまりに強くなつたために、「くろづくめ なっとくづく さしづめ」でもいいことにしませう、といふふうに変更された
 そうでしたっけ。それは……まずい。
 このあたりは不明です。

お礼日時:2015/10/06 18:26

アホ回答にコメントをつけていただき、感謝してをります。

(回答番号1,3)

>他社で単行本として出されたものの文庫化です。

御指摘のとほり「大和書房刊」と書いてありました。大規模な全集本よりも、それをもとに文庫化されたもののほうが信頼性が高いことはしばしばです。誤植の可能性が低いとおつしやるのはもつともでございます。

>語源的に「わ」だとする持論が高島氏にある。当方はそうだと思います。

だからこそ今回質問なさつたわけですよね。いくらか調べてみたのですが、今のところ見つかりません。

>「わ」がふさわしいって、いったいどんな雰囲気ですか(泣)。

武宮正樹さんの雰囲気です。自由で輝いてゐます。OKATさんも碁をお打ちになるやうですので、説明は不要かと存じます。このサイトで見られる「こんにちわ」「そーゆーこと」「みなさんにお尋ねするブゥ」など、私は好きです。1311tobiさんに叱られさうです。すみません。またまた反省します。

>『お言葉ですが1)』所収の〈「づ」を守る会〉あたりはいかがでしょう。

持つてゐませんので、本屋の立ち読みか、図書館で見てみます。高島氏の論で私がいちばんおもしろいと感じるのは、中国の政権奪取の歴史は盗賊によるものだ、といふ説です。漢字の受容につきましてもOKATさんに同意です。とはいへ独自の文字を創作するより借用したほうが楽でせうし、要はどのやうに活かすことができるか、それに尽きると思ひます。

>〈信ずるところがあるから〉「百円づつ」と書くそうです。

私もさう書きます。「続く」が「つづく」なら、これも当然「づつ」だと思ひます。「ずつ」にするほうが不思議です。単なる気まぐれにしか見えません。
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この回答へのお礼

>武宮正樹さんの雰囲気
 どうなんでしょ。
 武宮先生は、若い頃はいまほど〝輝いて〟はいません。(←オイ!)
 小川誠子さんはとても上品なイメージだったので、「わ」は使わないような……(笑)。

>「続く」が「つづく」なら、これも当然「づつ」だと思ひます。
 それはまたちょっと別の話になるような。
 高島先生の「づつ」の正当性に関する記述は、きわめて論理的です。長くなるのでパスします。
 ちなみに、下記の模範解答を募集中です(笑)。
突然ですが問題です【日本語編232】──黒尽くめ 納得尽く 差し詰め 働き詰め
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3305. …

お礼日時:2015/10/05 11:15

回答番号1のplapotiでございます。

コメントを拝見いたしました。すでにOKATさんの学問的な回答が寄せられてゐますが、すこしだけ私見(いつも個人的な感想ばかりですけれど)を述べます。1311tobiさんは知識がきはめて豊富であるにもかかはらず、謙虚な姿勢で言葉に相対していらつしやつて投稿文にいつも好感を抱きます。

>一般的なルールは「は」だと理解したうえであえて「わ」をつかっているのか……。

どちらもあると思ひます。このサイトでも「こんにちわ」はしばしば見ます。高島俊男氏の例は私も読んでゐましたが、漢字論はあちこちに書いてゐてもカナ論は見かけませんので、理由が不明です。推測すればこんなことが考へられます。
[1] 文藝春秋社の誤植。(出版物のかなづかひの誤りはたくさんあります)
[2] 語源的に「わ」だとする持論が高島氏にある。
[3] 囲碁番組の言葉づかひを批判する内容ですので、これは高島氏のジョーク。
[4] 小川誠子(ともこ)さんの雰囲気が「わ」にふさはしいと判断した(地元の囲碁イベントで少し話したことがあります。テレビで見るとほりの清楚な話しぶりで「わ」にする必然性は感じられません。)

>いわゆる公文書で「こんにちわ」もしくは「こんにちは」と書く人はめったにいないと思います。

ごもつともです。反省します。

>公文書でなくても、ビジネスメールだとどうでしょう。

社内ならともかく対外的に「こんにちわ」はまづいと思ひます。

>「こんにちゎ」で始まって、小文字のオンパレード(泣)。保母さんとしては公文書に準じる文章だと思うのですが。

(笑、笑、笑)
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この回答へのお礼

[1] 文藝春秋社の誤植。(出版物のかなづかひの誤りはたくさんあります)
 他社で単行本として出されたものの文庫化です。著者を含め相当数の人間がチェックしているので、「誤植」の可能性はきわめて低いのでは。

[2] 語源的に「わ」だとする持論が高島氏にある。
 当方はそうだと思います。

[3] 囲碁番組の言葉づかひを批判する内容ですので、これは高島氏のジョーク。
 こういうジョークを書くかなぁ。

[4] 小川誠子(ともこ)さんの雰囲気が「わ」にふさはしいと判断した(地元の囲碁イベントで少し話したことがあります。テレビで見るとほりの清楚な話しぶりで「わ」にする必然性は感じられません。)
「わ」がふさわしいって、いったいどんな雰囲気ですか(泣)。
「ゎ」がふさわしいのはいくらでもいて、たとえb……ぐゎ、何をするんだ。

「カナ論」っぽいものとしては『お言葉ですが1)』所収の〈「づ」を守る会〉あたりはいかがでしょう。
〈信ずるところがあるから〉「百円づつ」と書くそうです。

お礼日時:2015/10/04 17:40

現代仮名遣いは本来「発音通りに書く」のが基本のはずでしたが、かなりの点で「旧仮名遣い」のやり方を残しました。

助詞の「は」「へ」「を」そのまま残し「わ」「え」「お」と読ませました。一方で「長音」などはどちらの仮名遣いにもなかった方法をも採りました。
 「多い」は旧仮名遣いは「おほい」現代仮名遣いは「おおい」であり、「おうい」は間違い。そして事実上の発音は「おーい」
このように、「現代仮名遣い」は寄せ集め的な性格を残したままです。
 「こんにちは」「こんばんは」の「は」は「係助詞(または「副助詞」)であり、何故そうなるかというと、その後に続く言葉が省略されているとの認識からでしょう。「今日は、御機嫌いかがですか」「今日は、いいお天気ですね」。このように、挨拶語というものは多くが省略した部分をもっており、「さようなら」も「左様なら(ば、お別れしましょう)」であり、更に省略されると、「さらば」「では」「じゃあ」となるようなものです。
 そのように、続く言葉があることを「含み」として残すため、敢えて「は」を使うことにしたのだと思います。現代仮名遣いが存続する限り、「こんにちは」を間違いとすることは出来ないでしょう。将来「現代仮名遣い」が改訂されれば話は変わりますが。
 なお、「歴史的仮名遣い」は「現代仮名遣い」が残した通りになっていました。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

 一部みっともない間違いがありまして、補足しました。

>「こんにちは」「こんばんは」の「は」は「係助詞(または「副助詞」)であり、何故そうなるかというと、その後に続く言葉が省略されているとの認識からでしょう。
 そこを考えると、「わ」になる日は来ないと思いますが。
「現代仮名遣い」はいろいろ矛盾点をひきずっている気がします。

>なお、「歴史的仮名遣い」は「現代仮名遣い」が残した通りになっていました。
「歴史的仮名遣い」でも「こんにちは」「こんばんは」という意味でしょうか。
 o( ̄ー ̄;)ゞううむ
 古い文献などで「わ」を見かけたもので、「現代仮名遣い」以前は「わ」なのだろうか、と考えていました。違うのですか……。

 詳しくは下記をご参照ください。
【「じ」と「ぢ」 「ず」と「づ」──地面 稲妻 世界中〈1〉〜〈4〉】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3312. …
 以下は一部の抜粋(重言)。

●「わ」を使っている例
1)『今晩わメイコです』
(略)
==============引用開始
デジタル大辞泉プラスの解説
今晩わメイコです

日本のテレビ番組。NHK制作のコメディ。1954年10月~1957年3月放映。出演:中村メイコ。天才子役と言われた中村がメインの20分番組。
==============引用終了

2)『こんばんわ』
 中島みゆきの3曲目のシングル(1976年3月25日リリース)。

3)「握りまして先番」(高島俊男『本が好き、悪口言うのはもっと好き』所収)P.26
 NHKの囲碁番組で、司会の小川誠子(懐かしいなぁ)が、「囲碁ファンの皆さま、こんにちわ」と挨拶することについて書いている。もちろん、小川誠子の話し言葉どんな表記なのかはわからない。「わ」としているのは高島先生。

 さあ、1)~3)は全部単なる誤用と断言できる人はしてもらおうか。
 古い話に関してはほとんど知識がないので、あまりつっつくのはやめておく。
 勉強のために下記を読もうとして挫折した(泣)。
【歴史的仮名遣い教室】
(略)
【平成疑問かなづかひ】
(略)

お礼日時:2015/10/03 22:47

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しばらく前にあった下記の質問に興味をもちました。昔感じた疑問が解決するかもしれない、と思ったからです。
【「だって」と「でも」は同じ?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9595678.html

==============引用開始
外国人に「『だって』と『でも』は同じですか?」と質問されました。

そこで、「だって」を辞書で調べたところ、次のように書いてありました。

( 接続 )
〔助詞「だって」が接続詞化したもの〕
相手の言葉に反対したり,相手の反対を予想したりして,そうなった事情を説明する時に用いる。そうではあるが。でも。 「『なぜ遅れた』『-,電車が故障したんだもの』」 「私は行けません。-,病気なんです」

しかし、辞書にある例文を「でも」に置き換えることはできないと思います。
「ミミズだってオケラだってアメンボだって…」
のように、名刺に続いて使えば「でも」に代えられることは分かるのですが…

どなたかご説明をお願いできないでしょうか。
==============引用終了

 当方が昔感じた疑問は下記のようなことです。
1)「だって」と「でも」は、接続助詞として使う場合はほぼ同義
「ミミズだってオケラだってアメンボだって……」
 ≒「ミミズでもオケラでもアメンボでも……」

2)「だって」と「でも」は、接続詞として使う場合はほぼ正反対(辞書のリンクは最後にまとめます)
「だって」は順接(「説明・補足」という考え方もあるでしょう)の働きをします。
【接続詞の役割&一覧──順接/逆接/並列・追加/対比・選択/説明・補足/転換】
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n125529
「なぜ遅れた」「だって、電車が故障したんだもの」
「私は行けません。だって、病気なんです」
 言いかえるなら「なぜなら」あたりでしょうか。
 辞書の「だって」の語釈には「でも」が含まれていることにご注意ください。

 一方「でも」は、逆接の働きをします。
「がんばった。でも負けた」
「その時は風邪ぎみだった。でも私は休まなかった」

 接続助詞のときにはほぼ同義で、接続詞のときにはほぼ正反対っておかしくありませんか。
 あるいは、接続詞の「だって」は順接(「なぜなら」etc.……)にも逆接(「でも」etc.……)にも使える便利?なものなのでしょうか。

 
https://kotobank.jp/word/%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%A6-561380
===========引用開始
だって[接]
[接]《助詞「だって」の接続詞化したもの》相手に反論したり、相手の反対を予想しつつ理由や言い訳を述べる場合に用いる。そうはいっても。でも。なぜかというと。「とても間に合いません。だって人手が足りません」

だって[接助・係助・終助]
[接助]《接続助詞「たって」が、ガ・ナ・バ・マ行の五段活用動詞の連用形に付く場合の形》「たって」に同じ。「ここなら泳いだってかまわない」
[係助]《断定の助動詞「だ」に係助詞「とて」の付いた「だとて」の音変化という》名詞・副詞、一部の助詞に付く。「でも」に似るが、語調がより強い。
1 ある事柄を例示し、それが他と同類、または、同様であるという意を表す。…もやはり。…でも。「鯨だって人間の仲間だ」「ここからだって見える」
2 いくつかの事柄を並べて例示し、すべてが同類であるという意を表す。「水銀だって鉛だって公害のもとだ」「野球だってテニスだってうまい」
3 疑問・不定を表す語、または、数量・程度を表す語に付いて、例外なくそうである意を表す。…でも。…も。「だれだって知っている」「一度だって姿を見せない」
===========引用終了

https://kotobank.jp/word/%E3%81%A7%E3%82%82-576904#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89
===========引用開始
デジタル大辞泉の解説
で‐も[接]

[接]《「それでも」の略》
1 前の事柄を一応肯定しながら、それがふつう結果として予想されるものに反する内容を導くときに用いる語。にもかかわらず。それでも。しかし。「がんばった。でも負けた」「その時は風邪ぎみだった。でも私は休まなかった」
2 前述の事柄に対して、その弁解・反論などをするときに用いる語。しかし。「試験に落ちました。でも、勉強はしたんですよ」

でも[接助・係助]
[接助]《接続助詞「ても」が、ガ・ナ・バ・マ行の五段活用動詞に付く場合の形》「ても」に同じ。「死んでも死にきれない」「いくら呼んでも返事がない」
[係助]《断定の助動詞「だ」の連用形+係助詞「も」から》名詞または名詞に準じる語、助詞に付く。
1 物事の一部分を挙げて、他の場合はまして、ということを類推させる意を表す。…でさえ。「子供でもできる」「昼前でも気温が三〇度ある」
2 特別のもののようにみえる事柄が、他の一般の場合と同じであるという意を表す。たとえ…であっても。「強いといわれている人でも病気には勝てない」「今からでもがんばろう」
3 物事をはっきりと言わず、一例として挙げる意を表す。「けがでもしたら大変だ」「兄にでも相談するか」
4 (不特定をさす語「なに(なん)」「だれ」「いつ」「どこ」などに付いて)すべてのものにあてはまる意を表す。「なんでも食べるよ」「だれでも知っている」
===========引用終了

しばらく前にあった下記の質問に興味をもちました。昔感じた疑問が解決するかもしれない、と思ったからです。
【「だって」と「でも」は同じ?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9595678.html

==============引用開始
外国人に「『だって』と『でも』は同じですか?」と質問されました。

そこで、「だって」を辞書で調べたところ、次のように書いてありました。

( 接続 )
〔助詞「だって」が接続詞化したもの〕
相手の言葉に反対したり,相手の反対を予想したりして,そうなった事情...続きを読む

Aベストアンサー

いくつかの辞書の説明で「接続詞」に関するものを取り上げました。おそらく「逆説仮定条件」という点では共通していますが、そのまとめ方はすこしづつ違っているようです。

 『日本国語大辞典』
  [だって]
【二】〔接続〕

(1)相手のいう事柄などについて、不承知で反論する場合に用いる。そうはいっても。でも。だっても。

(2)先行する事柄について、その理由や言いわけを補足する場合に用いる。なぜかというと。

  [でも]
【二】〔接続〕

(「それでも」の略)
前の事柄に対し、後の事柄が反対・対立の関係にあることを示す。また、相手のことばを受けて、不満を示したり反論したりする時に用いる。だけど。
 

  『三省堂国語辞典第七版』

[三](接)[だって]
①(それ)でも。しかし。「━やめられないよ」
②なぜかというと。「━雨が降ってきたから」

[三](接)[でも]
①前と反対の内容を続ける。それでも。けれども。「一見簡単だ。━、実は むずかしい」
②〔話〕相手に反対することをあらわす。「『とにかく行くんだ』」
③〔話〕意味もなく つなぐことば。それにしても。「ああ、━きょうは いい天気だなあ」


『デジタル大辞泉』

  [だって]
[接]《助詞「だって」の接続詞化したもの》なぜかというと。「とて... 相手の反対を予想しつつ理由や言い訳を述べる場合に用いる。そうはいっても。でも。なぜかというと。「とても間に合いません。―人手が足りません」

 [で‐も]
[接]《「それでも」の略》
1 前の事柄を一応肯定しながら、それがふつう結果として予想されるものに反する内容を導くときに用いる語。にもかかわらず。それでも。しかし。「がんばった。―負けた」「その時は風邪ぎみだった。―私は休まなかった」
2 前述の事柄に対して、その弁解・反論などをするときに用いる語。しかし。「試験に落ちました。―、勉強はしたんですよ」

 『大辞林』

 [だって]
( 接続 )
〔助詞「だって」が接続詞化したもの〕
相手の言葉に反対したり、相手の反対を予想したりして、そうなった事情を説明する時に用いる。そうではあるが。でも。 「『なぜ遅れた』『-、電車が故障したんだもの』」 「私は行けません。-、病気なんです」

 [でも]
( 接続 )
〔「それでも」の略。主として話し言葉に用いる〕
それでも。けれども。 「 -、僕は負けない」 「みんな帰ってしまいました。-、私は残りました」

いくつかの辞書の説明で「接続詞」に関するものを取り上げました。おそらく「逆説仮定条件」という点では共通していますが、そのまとめ方はすこしづつ違っているようです。

 『日本国語大辞典』
  [だって]
【二】〔接続〕

(1)相手のいう事柄などについて、不承知で反論する場合に用いる。そうはいっても。でも。だっても。

(2)先行する事柄について、その理由や言いわけを補足する場合に用いる。なぜかというと。

  [でも]
【二】〔接続〕

(「それでも」の略)
前の事柄に対し、後の事柄が反対・...続きを読む

Q続 すごい と すごく の使い分けです。

先日、下記の質問がありました。

【すごい と すごく の使い分けです。】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9749842.html

 質問者の対応を待っていました。質問者がどこまで考えているかによって、書き方が大きくかわるからです。
 ……締め切られてしまった(泣)。

 辞書の引用の全文は末尾に。
 質問者がひいた辞書には、〈「凄く」は「凄い」の俗語表現〉と明記してあるらしい。なんという辞書に、正確にはどう書いてあったか教えてもらえまえせんか。あの書き方では資料にならない。
「すごい」「すごく」の俗用(またこれが曖昧な言い方で……)は、何段階かに分かれる。

■第1段階 「すごい」自体が俗用
 ↓の『大辞泉』には〈「すごい」は俗語的な言い方で、「すごく険しい」「すごくおいしい」「すごく悪い点数」など副詞的に幅広く用いられる。〉とある。辞書がこういう書き方をするのはやめてほしい。この記述は2通りの解釈ができる。
 まず、〈「すごい」は俗語的な言い方〉という解釈。これもよく目にする。元々「すごい」というのは程度が非常にはなはだしいことを表わし、俗っぽい表現らしい。当方は半信半疑。「凄まじい」「凄惨」なんかと混同している気もする。あんまり上品な言葉ではないだろうが、現代では女性が口にしてもおかしくはない。「でかい」とか「うまい」よりはずっとマシってレベル。 

■第2段階 「すごく」が俗用
 これも聞いたことがある。『大辞泉』の記述も、たぶんこの意味と思われる。〈俗語的な言い方で、「すごく険しい」「すごくおいしい」「すごく悪い点数」など副詞的に幅広く用いられる〉……余計な読点を打つから誤読される。質問者の趣旨もこれのような気がする。真偽のほどは不明。相当昔の話のようなので、実感がない。当方はかなり昔から使っている。『大辞林』には「副詞」として、注釈なしで立項されていることを確認してほしい。

■第3段階 「すごい+用言」が俗用
 これは『大辞泉』の〈俗に連体形を副詞的に用いて「すごいおもしろい人だ」のような言い方もある〉の話。『大辞林』にも同様の記述がある。近年問題視されているのはコレ。林先生がTVで語っているのもこれだろう。

 第1段階と第2段階に関しては、古い話なので、あまり興味がない。
 第3段階に関しては、「すごい+体言」「すごく+用言」が一般的と考えるのが無難だろう。
 ここで打ち切っておかないと泥沼にはまる。

 と言いつつここからが本題で、泥沼にはまるための質問です。
「すごい+体言」「すごく+用言」が妥当な使い分けだとします。
 ということは……。

質問1 「すごい美人」「すごく美しい人」
 ↑のように使い分けるということですね。
 本当なんでしょうか。

質問2 「すごく美しい 人」「すごい 美しい人」
「すごく美しい人」の「すごく」は用言にしかかからないとすると、当然のことながら、「すごく美しい 人」ってことですよね。
 これを「すごい」が「美しい人」にかかると考えるのは邪道でしょうか。「美しい人」はフツーに考えれば名詞でしょう。名詞にかかるのは「すごい」ですよね。

質問3 「美人」の品詞は
「美人」の品詞は名詞でしょう。「〜すぎる」の「〜」に入るの形容詞か形容動詞のはずです。ってことは、いまや一般的な表現になっている「美人すぎる」って誤用でしょうか。
 詳しくは下記をご参照ください。
【この違和感は何ですか? 「〜すぎる」】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9167850.html

質問4 副詞は名詞にかからないのか?
 これが非常に微妙な問題で、「用言のことが多いが、体言のときもある」と考えるしかない気がします。詳しくは下記をご参照ください。
【続「主に」の使い方】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9220123.html  


https://kotobank.jp/word/%E5%87%84%E3%81%84-541501#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89
===========引用開始
デジタル大辞泉の解説

すご・い【▽凄い】


[形][文]すご・し[ク]
1 ぞっとするほど恐ろしい。非常に気味が悪い。「―・い目でにらむ」
2 びっくりするほど程度がはなはだしい。大層なものだ。「―・い人気」
3 (連用形を副詞的に用いて)程度のはなはだしいことを表す。「―・く寒い」「―・くおもしろい」
[派生]すごさ[名]すごみ[名]
[用法]すごい・ひどい――「すごい(ひどい)嵐」「すごい(ひどい)寒さ」「すごく(ひどく)速い」など、はなはだしいの意では相通じて用いられる。◇「すごい」は俗語的な言い方で、「すごく険しい」「すごくおいしい」「すごく悪い点数」など副詞的に幅広く用いられる。また「すごい評判だ」「すごいあばら家」などプラス、マイナス両面の評価に使う。◇「ひどい」は「ひどい人」「ひどい仕打ち」「ひどいことを言う」のように、マイナス評価について用いられる。◇俗に連体形を副詞的に用いて「すごいおもしろい人だ」のような言い方もある。 
===========引用終了

https://kotobank.jp/word/%E5%87%84%E3%81%8F-302309#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88
===========引用開始
大辞林 第三版の解説

すごく【凄く】

( 副 )
〔形容詞「すごい」の連用形から〕
程度がはなはだしいさま。大変に。大層。非常に。主に会話で用いられる。 「 −速い」 「朝晩−冷える」 「 −酔っぱらう」 〔近年、くだけた言い方で「すごく」の代わりに「すごいでっかい」「すごいきれいだ」などと言う場合があるが、標準的でないとされる〕 
===========引用終了
『大辞泉』の記述はほぼ前回どおりだろう。問題は『『大辞林』のほう。「すごく」なんて前はなかったと思う。以前は「連用形を副詞的に用いて」いたのが、めでたく副詞と認定されたのだろう。

先日、下記の質問がありました。

【すごい と すごく の使い分けです。】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9749842.html

 質問者の対応を待っていました。質問者がどこまで考えているかによって、書き方が大きくかわるからです。
 ……締め切られてしまった(泣)。

 辞書の引用の全文は末尾に。
 質問者がひいた辞書には、〈「凄く」は「凄い」の俗語表現〉と明記してあるらしい。なんという辞書に、正確にはどう書いてあったか教えてもらえまえせんか。あの書き方では資料にならない。
「すご...続きを読む

Aベストアンサー

>「タンマ」はまだ解けませんか。

 分かったと言うほどではありませんが、「すごく」は形容詞の連用形であると同時に副詞でもあると言うことのようです。この線引きが難しいのが副詞ですね。
 「すごく鉛筆だ」と言われて、動転気味でしたが、前回にちょっと触れましたように、被修飾語は、修飾語を選ぶということ、被修飾語がそんな働きはしないのは当然として、ほとんど無意識的に言葉は選ばれます。書き言葉ならなおさらですが、話し言葉であっても「すごく」と言った後で、「鉛筆だ」という言葉を発する人はまずいないでしょう。
 「すごく美人だ」というのはokでしょう。とすれば「すごく」は「美人」にかからず、「美人だ」という述語にかかるのは明らかでしょう。外にかかるものはありませんから。「美人だ」が形容動詞でないことは明らかです。
 しかし、ややこしいのは「形容動詞」です。その話は次へ。

>ただ、問題になっているのは、「勉強したのは主に経済学だ」です。この「主に」を形容動詞と考えるのは無理なのでは。

 そうです。「主(おも)」という名詞に「だ」という断定の助動詞が付いたものです。形容動詞ではありませんでした。ところで、「名詞+だ」と「形容動詞」との差はどう区別しますか。「安心」という語を辞書でひくと、ほとんどの辞書は[名詞・形動・する]などと品詞の表示をしています。「安心」(名詞)・「安心だ」(形動)・安心する(サ変複合動詞)いずれにもなると説明しているわけですが、「サ変」は別にして「形容動詞」を認める人と認めない人があります。辞書はそのどちらにも通用するように、このように表示しているのでしょう。辞書の中で「形容動詞」を認めていないのは、「広辞苑」だけです。最初の編者「新村出」氏の考えを引き継いでいます。
ところで非常に多くの語が「形容動詞」にすることが出来ます。
 無礼 困難 難儀 優美 丈夫 絶対 温和 元気 健康 平凡 非凡 穏やか
これらが名詞であって、形容動詞であることを区別する方法を考えてみました。その方法とは、上記のような言葉に「さ」という接尾語を付けて名詞化が出来れば、それは形容動詞の語幹ということです。
 ところが大変な矛盾が存在します。それは「無礼だ」という語を「形容動詞」と認めない人は「名詞」+「だ」という考え方です。そうすると、「無礼」という名詞と「無礼さ」という名詞が共存していることになりますが、これは大変な矛盾ですね。

 結局、私が考えるに、問題の根幹は「だ」ですね。過去の質問に「だって」「だから」「だったら」「何だっけ」「卒業式はいつなんですか」
これら皆「だ」の問題であるわけです。
 また、「いいじゃないか」「いいんじゃないか」の2種類あることについて、実はその秘密が分かりかけてきました。また機会があれば、述べてみましょう。

>「タンマ」はまだ解けませんか。

 分かったと言うほどではありませんが、「すごく」は形容詞の連用形であると同時に副詞でもあると言うことのようです。この線引きが難しいのが副詞ですね。
 「すごく鉛筆だ」と言われて、動転気味でしたが、前回にちょっと触れましたように、被修飾語は、修飾語を選ぶということ、被修飾語がそんな働きはしないのは当然として、ほとんど無意識的に言葉は選ばれます。書き言葉ならなおさらですが、話し言葉であっても「すごく」と言った後で、「鉛筆だ」という言葉を発する人...続きを読む

Q格助詞「に」と「と」の名詞を並列するときの使い方の違いを教えてください

格助詞「に」と「と」の名詞を並列するときの使い方の違いを教えてください


(1)格助詞「に」を使って名詞を並列する
「料理はすし<に>てんぷら<に>うなぎだった」

「クラスの学生は中国人<に>韓国人<に>アメリカ人だった」
「あのコンテスト『に』入賞したの人は、ロシア人<に>アメリカ人<に>ドイツ人だった」

(2)格助詞「と」を使って名詞を並列する
「スーパーで、果物<と>たまご<と>肉を買った」
「はし<と>スプーン<と>どちらが食べやすいですか」

(1)(2)の違い、格助詞{に}{と}の名詞並列の使い方の違いを教えてください。
(例文はすべて「茅野直子・秋元三春著『助詞』(武蔵野出版)」)

「料理はすし<と>天ぷら<と>うなぎだった」
「クラスの学生は中国人<と>韓国人<と>アメリカ人だった」
「あのコンテスト『に』入賞したのは、ロシア人<と>アメリカ人<と>ドイツ人だった」
でも可能(正しいですか―その場合使い方の違いを教えてください)

「スーパーで、果物<に>たまご<に>肉を買った」
「はし<に>スプーン<に>どちらが食べやすいですか」
同様に可能ですか(正しいー使い方の違い)

以上教えてください。

格助詞「に」と「と」の名詞を並列するときの使い方の違いを教えてください


(1)格助詞「に」を使って名詞を並列する
「料理はすし<に>てんぷら<に>うなぎだった」

「クラスの学生は中国人<に>韓国人<に>アメリカ人だった」
「あのコンテスト『に』入賞したの人は、ロシア人<に>アメリカ人<に>ドイツ人だった」

(2)格助詞「と」を使って名詞を並列する
「スーパーで、果物<と>たまご<と>肉を買った」
「はし<と>スプーン<と>どちらが食べやすいですか」

(1)(...続きを読む

Aベストアンサー

言語は話者の認識の表現です。
 文を直接支えているのは話者の認識であり、語には意義があります。この語の意義を基に話者の認識が表現されます。したがって、名詞を並列するときの形式という発想は表現された結果の形でしかなく、文を実体と捉える形式主義的な誤った発想です。

 考えなくてはならないのは、話者は何を表現しようとしているのかで、それにより助詞の意義に応じた使用方法が決まります。

 助詞は語と語のつながりを表すもので、このつながりの後ろには、語として捉えられた対象のそれぞれの面の客観的なつながりがかくれています。言語で格というのは、語の語に対する関係、あるいは資格をさしており、格助詞は名詞あるいは副詞にむすびつけられて、それの他の語に対する資格あるいは関係を示す簡単な語です。

 格助詞「と」は並んでいる、並べるという意識を表しています。(2)の例文や、

 「料理はすし<と>天ぷら<と>うなぎだった」
 「クラスの学生は中国人<と>韓国人<と>アメリカ人だった」
 「あのコンテスト『に』入賞したのは、ロシア人<と>アメリカ人<と>ドイツ人だった」

は、まさに並んでいる対象そのものを並べて表現しており、正しい用法です。一般には最後の「と」は自明なため省略されます。正確に表現すれば、 「料理はすし<と>天ぷら<と>うなぎ<と>だった」となります。

 格助詞「に」は多くの意義をもっていますが、基本的には静的な対象の認識を表しており、並べるという意義はもっていません。したがって、(1)の例は並べるという意義で使用している部分は誤りです。

 「料理はすし<に>てんぷら<に>うなぎだった」

は、対象の料理を並べるという意味の場合は、すべて<と>としなければなりません。しかし、

 「(今週食べた)料理はすし<に>てんぷら<に>うなぎだった」

という、料理の対象としての認識で<に>を使用し、時系列的な認識を空間的に並べれば、このような表現になります。文の形式を見れば名詞が並列されていますが、話者の認識、意味が異なります。

「クラスの学生(の国籍は)は中国人<に>韓国人<に>アメリカ人だった」
も同様で、クラスの学生を国籍の対象として認識し表現しています。

「あのコンテスト『に』入賞したの人は、ロシア人<に>アメリカ人<に>ドイツ人だった」は、

「あのコンテスト『に』入賞したのは、ロシア人<と>アメリカ人<と>ドイツ人<と>だった」

が「あのコンテスト『に』入賞した人を」並べる場合の正しい表現です。しかし、

「(これまで、)あのコンテスト『に』入賞した人は、ロシア人<に>アメリカ人<に>ドイツ人だった」

のように、「コンテストに入賞した人」という対象認識の表現であれば、正しい表現となります。

 このように、単に形式としての文の構成ではなく、どのような話者の認識の表現であるかをとらえないと、文の意味を捉えることはできません。「茅野直子・秋元三春著『助詞』(武蔵野出版)」で、<格助詞「に」と「と」の名詞を並列するときの使い方>として、このような例が挙げられているとすれば、形式主義的な言語観による誤った、不適切な解説といわなければなりません。■

言語は話者の認識の表現です。
 文を直接支えているのは話者の認識であり、語には意義があります。この語の意義を基に話者の認識が表現されます。したがって、名詞を並列するときの形式という発想は表現された結果の形でしかなく、文を実体と捉える形式主義的な誤った発想です。

 考えなくてはならないのは、話者は何を表現しようとしているのかで、それにより助詞の意義に応じた使用方法が決まります。

 助詞は語と語のつながりを表すもので、このつながりの後ろには、語として捉えられた対象のそれぞれの面...続きを読む

Q「おられる」「~ておられる」という言葉を使いますか?

おそらく正解はないのでアンケートに近い質問です。

「おられる」「~ておられる」という表現をどう思いますか。
 おそらく、考え方は3通りあります。

1)使わないほうがいい
 ※「いらっしゃる」を使うべき。「おいでだ」もありでしょう。
2)本動詞の「おられる」は△。補助動詞の「~ておられる」は◯
3)本動詞の「おられる」も、補助動詞の「~ておられる」も◯

 ネット検索しても↑の3説が入り乱れて、何がなんだかわかりません。
 どう考えるのがよいのでしょうか。


 
 以下は参考資料です。
【参考資料】
 辞書類は、「おられる」を認めているものが多いようですが、「無条件」ではないようです。どの程度注釈をつけるのかはケースバイケースです。本動詞の「おられる」と補助動詞の「~ておられる」を区別してはいないと思われます。条件付きの3)でしょうか。
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%8A%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B
https://kotobank.jp/word/%E5%B1%85%E3%82%8B-436525#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89

 ネット検索するとウンザリするほどのサイトがヒットします。
【おられる 敬語】の検索結果。約438,000件
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%81%8A%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%80%E6%95%AC%E8%AA%9E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
 質問サイトのやり取りや、個人のブログは基本的に無視します。大半は単なる主観でしかないからです(自説を並べるだけではなく「ちゃんと調べている」と思えるものは別です)。
 下記あたりが信用できそうです。

【1】ことばの使い方(社会言語学・敬語)
http://www.alc.co.jp/jpn/article/faq/05/175.html
==============引用開始
 このように考えますと、「おられますか」という表現は、謙譲語である「おります」に尊敬の助動詞「れる」をつけた形式であり、矛盾をはらむおかしな言い方であると言えましょう。

 ただし、この問題には方言差も関与しているように思われます。実際私の方言では「いる」の代わりに常に「おる」が用いられるため、「おられます」は尊敬語としてなんら矛盾のない自然な表現として用いられています。
==============引用終了
 1)寄りでしょうか。ただし、「方言」としてはアリのようです。それは一般にはナシということでは……。「私の方言」は言葉足らずでしょう。

【2】最近気になる放送用語
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/012.html
〈現在では必ずしも不適切ではない、と言われています〉
 3)ですが、相当消極的な許容でしょう。

【3】第22回「鈴木様はおられますか?」は誤用?
http://www.web-nihongo.com/wn/j_manner/22.html/
〈一般的には誤用ですが、厳密には正誤を断定しがたいとも言われます。なぜかと言いますと、地域によっては「いる」の尊敬語「いらっしゃる」を使わず、代わりに「おられる」を尊敬語として用いる所もあるため、一概に誤りと言えない部分があるようです。〉
 3)ですが、相当消極的な許容でしょう。
 2)の考え方も場合によってはアリ、としているようです。

【4】ビジネス敬語の達人 ※信頼性に疑問あり?
http://bizkeigo.koakishiki.com/mail-plural/scene-1.html
 1)です。〈目上の人の「いる」を「おられる」なんて言ってはだめ〉と断定しています。
 ネットで閲覧できるビジネスマナーの類いは、ほとんどが1)のようです。こういう意見が多くなると、例によって「使わないほうが無難」なのかもしれません。

【5】コミュニケーション講師に聞く。間違いがちな敬語マナー
http://news.mynavi.jp/c_career/level1/yoko/2011/10/post_1260.html
 1)です。ビジネスコミュニケーション講師の大嶋利佳さんは〈正しいと思って使っている人が多いようですが、自分から進んで使わないように心がけたい言葉〉としています。

【6】Wikipedia「敬語」 ※信頼性に疑問あり?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%AC%E8%AA%9E
 3)です。ただし、〈地域差が大きい〉と方言扱いしている観もあります。
 このWikipediaの有力な【ネタ元】と思われる三省堂のサイトは、「おられる」を許容していないようです。
http://www.sanseido.net/main/words/hyakka/sonkei/

【7】『敬語再入門』(菊地康人)の記述
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8666963.html
 微妙な感じもありますが、1)でしょう。
 以下は一部の抜粋(重言)。

 敬語の問題は、菊地本に従うのがイチバンと考えているが、困ったことにこの「鬼っ子」に関しては、『敬語再入門』の記述も煮え切らない。P.158~159に〈「おられる」──適否の断じにくい敬語(2)〉という項目がある。下記のような文章で始まる。
================引用開始
「申される」とはまた違った意味で、正誤の断じにくい敬語です。
 これも規範的には、「おる」は謙譲語IIなので、それに尊敬語「れる」を付けた「おられる」は誤り、ということになるはずです。しかも歴史的にも(前項の「申される」の場合と違って)、「おられる」を擁護する余地はありません。
================引用終了

 このあと、「おられる」が使われる理由がいろいろ書かれている。詳しいことは原本を読んでほしい。正確には全文を引用するしかないのだが、要点だけを箇条書きにする。
・地域差/個人差がある
「おる」が謙譲語だと思わない人は、尊敬語として「おられる」を使うことに抵抗がない。
・「おられる」全体でひとつの尊敬語と考える人もいる
 背景には「いる」をレル敬語の「いられる」にしにくいことがある。
・使う人が多くなれば、「本来」がどうであっても新しい言い方になる
 そうなりきらないのは、抵抗を感じる人も多いため。
 いろいろ書いて、結びは下記のとおり。
================引用開始
 以上のように「おられる」はすでに誤りともいえないほどではありますが、本来は誤りなのだとか、使わない人は使わないのだということも、知っておいてよいでしょう。
================引用終了

 『敬語再入門』の巻末には「敬語ミニ辞典」がついている。ここでは、「おる・……ておる」は「いる」・「……ている」の謙譲語II、としている。最後に「個人差・方言差」があるとはしているが。
「敬語ミニ辞典」の「おられる」の記述を引用する。
================引用開始
おられる・……ておられる 「いる」・「……ている」意の尊敬語として使うことがあるが、「おる」は本来謙譲語なので、規範的には問題がある。「いらっしゃる・おいでになる」を使えば問題ない。ただし、場面・文体によっては「いらっしゃる」はなじまない場合があり、「おられる」はそのかわりに使われる面もあるようである。
================引用終了

【8】『日本語力の基本』(野口恵子/日本実業出版社)
 〈2)本動詞の「おられる」は△。補助動詞の「~ておられる」は◯〉もよく見聞します。ネット検索ではあまりいいものが見つからなかったので、『日本語力の基本』をあげておきます。
 同書のP.115~では「話しておられます」を〈西日本式敬語〉と断定しています。標準語話者の間にも「~ておられます」がひろまりつつあるが、本動詞は×としています。〈「先生はご自宅におられます」とは言いません〉とのこと。

おそらく正解はないのでアンケートに近い質問です。

「おられる」「~ておられる」という表現をどう思いますか。
 おそらく、考え方は3通りあります。

1)使わないほうがいい
 ※「いらっしゃる」を使うべき。「おいでだ」もありでしょう。
2)本動詞の「おられる」は△。補助動詞の「~ておられる」は◯
3)本動詞の「おられる」も、補助動詞の「~ておられる」も◯

 ネット検索しても↑の3説が入り乱れて、何がなんだかわかりません。
 どう考えるのがよいのでしょうか。


 
 以下は参...続きを読む

Aベストアンサー

難しい質問ですね。
『以上のように「おられる」はすでに誤りともいえないほどではありますが、本来は誤りなのだとか、使わない人は使わないのだということも、知っておいてよいでしょう。』という菊池氏の言葉が結論になるでしょう。
 わたしは大学教授たちの座談会で次のような発言を聞いた覚えがあります。「関西の先生方は、どうして『書かれておる』のような言い方をするんでしょう」。 その頃からこの問題は始まっていたのです。
 わたしは、古い時代には「存在動詞」が「ラ変動詞」の「有り」・「居(を)り」であり、「上一段」の「ゐる」は別の意味で使用されたと考えていました。それが江戸時代に「をり」に代わって、「ゐる」が使われ出したと思ったのです。
 ところが、次の「日本国語大辞典」から「をり」(おる)と「ゐる」(いる)の説明をぬきだすと、そんな単純なものではなかったようです。(次の引用からは、用例を省きました。膨大な量になりますから)◎印のある場所には特にご注意を。

『おる』〔自ラ五(四)〕を・り〔自ラ変〕

〔一〕ある場所を占めている状態をいう。
(1)そこにある。場所を占めて存在する。
◎(イ)人の場合。自己を卑下したり、他人をさげすんだりする気持の含まれることが多い。
 (ロ)動物の場合。特に外の意味は含まず、単に「いる」の意味。
 (ハ)無生物の場合。上記に同じく、単に「いる」または「ある」の意味。
(2)腰をおろす。すわる。
(3)そのままの状態でいる。そこにとどまっている。居を定める。

〔二〕補助動詞として用いられる。動作、作用、状態の継続、進行を表わす。
◎(イ)動詞の連用形に付く。多く、自分の言動を卑下したり、他人の言動をさげすんだり、または、軽視できるものの作用、状態について表現したりするときに用いられる。
◎(ロ)動詞の連用形に付く。(イ)より進んで、動作主をいやしめ、ののしる気持を強く含めて用いられる。…やがる。
 (ハ)動詞の連用形に、助詞「て(で)」を添えた形に付く。
◎(ニ)((ハ)の形の下にさらに「ます」「まする」「まらする」を付けて)相手にあらたまって言う場合に用いる。
   この場合の例文は下記。
 *虎明本狂言・花子〔室町末~近世初〕「命にはかへられずかやうに致ておりまらする」

《語誌》
 (1)「ゐる」と「あり」との結合したもの。本来、「ゐる」はある場所にすわること、「あり」は継続存在することを意味する。平安時代に入ると、「ゐたり」「ゐたまへり」等の形式が現われ、九五〇年頃から後の和文資料では「をり」の、特に終止法の例が見られなくなる。
◎(2)自己については卑下、他人については軽視の気分を含み、〔二〕(ロ)の用法はそれが文法的に形式化したものと見られる。
◎(3)近代では、「をる」は「ゐる」に代わって、オラン、オッタカ、知ッテオル、ソコニオレなどのように、話者の尊大な気分を示すようになり、同時に「をります」が「ゐます」をいっそう丁寧にしたものとして用いられる。
(4)〔二〕(ハ)と形式的には同じ用法が既に中古に見られるが、まだはっきりとは補助動詞化していないと考えられる。例えば、「観智院本三宝絵‐中」の「我甚くさきものをみれば、かしこなる女の頭にけだもののあぶらをぬりてをるといへば」など。


『いる』 いる[ゐる] 【居】 〔自ア上一(ワ上一)〕

◎動く物がある場所にとどまって存在する。また、低い状態になる。
〔一〕人や動物の場合。
 (1)ある場所に存在する。
◎(2)低い姿勢をとる。腰をおろす。すわる。⇔立つ。
(3)(鳥、虫など飛ぶものが)ある物にじっとつかまる。とまる。
(4)ある地位につく。
(5)ある場所に居を定める。住む。また、外出しないで家にとどまる。在宅する。
(6)ある種類の人間が、抽象的な意味で存在する。ある。
(7)ある人にとって、親族・上司・部下などの社会的関係のもとで、ある人が存在する。

〔二〕植物や無生物の場合。
 (1)(かすみ、雲、ちりなど動くことのあるものが)動かないである。ある物の上にとまって存在する。⇔立つ。
(2)(舟などが)砂について動かないである。停泊する。泊まる。
(3)(水草、氷などが)平らに生じる。
(4)(ふくらみのあったものが)平らになる。
(5)(「腹が居る」の形で)怒りがおさまる。しずまる。→癒(い)る。
(6)(「腹を居る」の形で他動詞のように用い)怒りをしずめる。

〔三〕補助動詞として用いられる。
◎(イ)(動詞の連用形、または、それに助詞「て」を添えた形に付いて)動作、作用、状態の継続、進行を表わす。
(ロ)(「…ずにいる」「…んでいる」「…ないでいる」の形で)ある動作、作用が行なわれない状態の継続を表わす。

『語誌』
 (1)上代には、「ゐる」に当たる終止形に「う」があったと考えられる。→「う(坐)」の語誌。
(2)近世には、次のように「をり(をる)」と同じような活用をさせた例がある。「もししったきゃくがゐらば、をしうりせんと」
(3)中古以前にも、〔三〕(イ)と形式的には同じ用法があるが、まだはっきり補助動詞化していないと考えられる。
◎(4)古くは「ゐる(いる)」自体は動作・運動を表わしたが、次第に奈良時代以前の「をり」に代わり、「り」「たり」を伴って「ゐたり」「ゐ給へり」などの形で、持続的な状態を表わした。「いる」だけで状態を表わせるようになったのは室町時代以後のことと考えられる。また、〔一〕(6)(7)のような抽象的な存在を表わせるようになったのは近代に入ってからで、これらの用法では現代語でも「ある」が用いられることがある。
◎(5)補助動詞の場合、近世上方語では主語が有情物の場合は「ている」、非情物の場合は「てある」が付く傾向が強い。一方、近世後期以降の江戸語では主語の有情・非情にかかわらず「ている」が付き、「てある」はもっぱら他動詞に付けられるようになり、現在に至っている。
(6)「おる(をる)」との差異については、「おる」の項の語誌欄参照。

   「おる」に関連した方言について

『方言』
〔一〕
(1)居る。住んでいる。生きている。
《おる》薩摩「ダガアスケオラルカ(だれがあそこに居るか)」 宮城県加美郡・仙台市・東京都大島・新潟県中蒲原郡・佐渡・富山県東礪波郡・射水郡・石川県輪島市・鹿島郡・福井県大野郡・長野県上田・岐阜県・愛知県・三重県阿山郡・滋賀県彦根・京都府・奈良県南部・鳥取県気高郡・島根県邑智郡・鹿足郡・岡山県津山・真庭郡・広島県・徳島県・香川県・愛媛県(同輩や目下の者に)・熊本県・宮崎県西臼杵郡・鹿児島県鹿児島郡
(2)ものの存在を示す。ある。
《おる》石川県鳳至郡・和歌山市「『蝋燭おりますか』『はい、おります』」・広島県高田郡・高知県・「つるいに水がおらんきねや」

〔二〕補助動詞として用いる。
(1)動作の進行・継続を示す。
《おる》備後・薩摩「newor faraboci mata onaki ネヲル ファラボチ マタ オナキ(うつぶせに、またはあおむけに)」・千葉県夷隅郡・愛知県丹羽郡・滋賀県彦根・兵庫県飾磨郡・奈良県南部・鳥取県倉吉市・島根県・広島県賀茂郡・香川県仲多度郡・綾歌郡・九州・福岡県北九州市・佐賀県三養基郡「しゃてーわてまるけーおる(弟はまりをけっている)」・長崎県壱岐島・対馬・熊本県天草郡・大分県臼杵市・鹿児島県
《おい》鹿児島県屋久島
《うる》沖縄県宮古島「うととまーるうなぎうる(弟はまりを投げている)」
《ゆうる》岡山県上房郡「見ゅーる(見ている)」・邑久郡
《ゆう》高知市「まだ強勉しゆーかね」
《よう》高知県「泣きよー」
《よでる・よおでる》岐阜県北飛騨(尊敬語)
(2)軽い軽べつを表わしたり、意味を強めたりする。
《よ》和歌山県「おりよら(おりましょう)」
(3)(「でおる」の形で)指定・存在の意を表わす。ある。いる。
《おる》愛知県・和歌山県日高郡・《おおろう》東京都八丈島「こけーくろとうれしそーでおーろー(ここへ来るとおもしろそうにしている)」
(4)(否定形「おれん」「おられん」の形で)耐えられない。がまんできない。たまらない。
《おる》香川県「ねぶとておれん」「うれしておられん」

  "お・る[をる]【居】", 日本国語大辞典より。

 本日は辞書の紹介のみにします。

難しい質問ですね。
『以上のように「おられる」はすでに誤りともいえないほどではありますが、本来は誤りなのだとか、使わない人は使わないのだということも、知っておいてよいでしょう。』という菊池氏の言葉が結論になるでしょう。
 わたしは大学教授たちの座談会で次のような発言を聞いた覚えがあります。「関西の先生方は、どうして『書かれておる』のような言い方をするんでしょう」。 その頃からこの問題は始まっていたのです。
 わたしは、古い時代には「存在動詞」が「ラ変動詞」の「有り」・「居(を...続きを読む

Q「かしこまりました」は謙譲語なのでしょうか

「かしこまりました」は謙譲語なのでしょうか。
 個人的には謙譲語だろうと考えていますが、手元の資料では決定打が見つかりません。
 辞書やサイトで、謙譲語か否かを明記しているものがあったら教えてください。
 少し前に書いた文章から引用します。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 で、謙譲語性が感じられる言葉には、2種類あるような気がする……ってのが本題。
 ひとつは「ごめんなすって系」。
 いろいろある。
「申し訳(が)ございませんが~」「失礼ですが~」「おそれいりますが~」「恐縮ですが~」
「申し訳(が)ございません。」「失礼(しました)。」だと謝罪の言葉だろう。これに「が~」がつくと、正体不明の前置きになる。「失礼」の語尾変化?に関してはスルーしておく。
「おそれいります。」「恐縮です。」だと感謝の言葉だろう。これも「が~」がつくと、正体不明の前置きになる。
 ヌエ的なものに「済みません。」がある。単独で使うと、謝罪のニュアンスが強いが、感謝の言葉として通用しなくはない。
 これらの言葉は謙譲語性をもっていると思うが「謙譲語」かと言うとNOだろう。謝罪の言葉や感謝の言葉は、「謙譲語」とは異なる系列なのかもしれない。もし「謙譲語」としている辞書類があったら教えてほしい。

 で、もうひとつが「よくわからない系」。
「承知する」あたりがこれ。「承諾する」「承認する」「承服・承伏する」にどの程度の謙譲語性があるのかは言葉の神様に訊いてください。
 もっと微妙なのが「かしこまりました」。
 意外なことに、これを謙譲語とする根拠が見当たらない。
 さまざまなところで、「了解いたしました」「承知いたしました」よりも謙譲語性が高い言葉として扱われている。個人的な感覚では、謙譲語だと思う。しかし、あれほど敬語の話を網羅している菊地本(『敬語』『敬語再入門』)がいっさいふれていない。
 ちなみにWeb辞書を見ると、「謙譲語」とは言っていないが、ほぼ謙譲語って気がするが……。

http://kotobank.jp/word/%E7%95%8F%E3%81%BE%E3%82%8B?dic=daijisen&oid=03205500
■Web辞書『大辞泉』から
================引用開始
かしこま・る 【▽畏まる】
[動ラ五(四)]

3 命令・依頼などを謹んで承る意を表す。承りました。「はい、―・りました」
================引用終了

■Web辞書『大辞林』から
================引用開始
かしこまる【畏まる】

( 動ラ五[四] )
〔形容詞「かしこし」と同源〕

(2)(目上の人の言葉を)つつしんで承る。(依頼・指示などを)承諾する。 「はい,-・りました」 「太刀を持って来い。-・った/狂言・入間川」
================引用終了

 気がかりなことがが2つある。
 まず、『大辞林』の記述。「(目上の人の言葉を)つつしんで承る」なら謙譲語だろう。しかし「(依頼・指示などを)承諾する」だと謙譲語とは言いきれない。
 もうひとつの気がかりは、過去にいくつも例をあげたように、Web辞書の敬語に関する記述はあてにならないこと。だから菊地本を頼りにしているのだが、今回は……。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

「かしこまりました」は謙譲語なのでしょうか。
 個人的には謙譲語だろうと考えていますが、手元の資料では決定打が見つかりません。
 辞書やサイトで、謙譲語か否かを明記しているものがあったら教えてください。
 少し前に書いた文章から引用します。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 で、謙譲語性が感じられる言葉には、2種類あるような気がする……ってのが本題。
 ひとつは「ごめんなすって系」。
 いろいろある。
「申し訳(が)ございませんが~」「失礼ですが~」「おそれいりますが~」「恐縮ですが~」 ...続きを読む

Aベストアンサー

大石初太郎「敬語」(ちくま文庫)においては謙譲語B(「聞き手に敬意を表する要素」)に仕訳されています。
「謙譲語B マイル<行く・来る> 申ス イタス 存ジル カシコマリ(マシタ) (見)テマイル」(「同書」102頁)

ちなみに菊池康人は注釈の形で「(<謙譲語A><謙譲語B>という呼び方は、大石初太郎が行われたもの。氏は便宜的なものとはことわらずに、この呼称をとられる。)」(「敬語」280頁(講談社学術文庫))としています。

Q「愛しい」と「愛おしい」

ふと気づいたのですが、「愛しい」と「愛おしい」の違いってあるんですか?どうやって使い分ければ良いのでしょうか?

Aベストアンサー

私個人の解釈ですが…。

愛しい普通に愛する気持ちで、愛おしいは、守ってあげたいとか、健気さを感じるとか、愛の中にも母性が含まれる気持ちなのではないかと思います。

Q続 「先生にお電話をいただきました」と「先生にお電話を差し上げました」

下記にどうコメントすればいいのか悩んでいるうちに締め切られてしまいました。
【「先生にお電話をいただきました」と「先生にお電話を差し上げました」】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9278130.html

 基本的には、コメントNo.9のかたが書かれているとおりだと思います。
 当方が気になっているのは「先生にお電話をいただきました」の「に」の働きです。

『日本国語大辞典』にさえピッタリのものがないのですから、フツーの国語辞典に見当たらないのが当然です。
https://kotobank.jp/word/%E3%81%AB-590835#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88

 ちょっと調べてみると、下記のサイトに関係しそうな記述がありました。
〈⑤恩人〉です。〈「Nから」とも言える〉は、〈「Nから」のほうが一般的〉だと思います。

http://www.geocities.jp/niwasaburoo/07kakujosi.html#7.3
==============引用開始
7.3 に

 用法の広い格助詞です。基本的な意味は何らかの意味での「点」を示すことでしょう。
形容詞文にも多く使われます。「受身」や「使役」という「ボイス」にも使われます。
①〜④(略)
 
⑤恩人  「Nから」とも言える 
     人にもらう/借りる/教わる

⑥〜⑪(略)
==============引用終了

「恩人」はちょっと違う気がしますが、「恩恵等を授けてくれる人」を「恩人」と短縮してもいいかもしれません。
 たしかに「人にもらう」は使われる気がします(自分では使いません)。「先生に電話をもらう」は「人にもらう」と同じ用法でしょう。

 疑問点が2つあります。
1)個人的な語感では「先生に電話をもらう」に異和感があります。これが「先生にお電話をいただきました」だと異和感が強くなる気がします。気のせいでしょうか。
2)仮に「見知らぬ人にいたずら電話をもらう」だと、「恩恵」ではありません。むしろ「迷惑」でしょう。これも「先生に電話をもらう」と同じように使えるのでしょうか。

下記にどうコメントすればいいのか悩んでいるうちに締め切られてしまいました。
【「先生にお電話をいただきました」と「先生にお電話を差し上げました」】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9278130.html

 基本的には、コメントNo.9のかたが書かれているとおりだと思います。
 当方が気になっているのは「先生にお電話をいただきました」の「に」の働きです。

『日本国語大辞典』にさえピッタリのものがないのですから、フツーの国語辞典に見当たらないのが当然です。
https://kotobank.jp/word/%E3%81...続きを読む

Aベストアンサー

文法は帰納法で出来上がるものです。だから実際に使用されている例が、かなり有力な使用法になってしまうと、そを認めざるを得ません。それにしても非常に意味の異なる格助詞「から」と「に」という、格で言えば「位格(に)」と「奪格(から)」と名称の異なる助詞、別の言い方をすれば「起点」と「帰着点」という反対の関係に見える二つの助詞が、どちらでもいいという使い方がされていれば、どうしてそうなるのか、説明するのが「専門家」でしょう。
 その点、紹介したURL
 https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~sugimura/achive …https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~sugimura/achivement/pdf/045.pdf
で、
 「に」と「から」は、(6)のように「に」が〈着点〉、「から」が〈起点〉を表すことが明確な場合には説明に困らない。しかし、(7)のように「に」も「から」も「本」の出所をマークする場合、なぜ「から」だけでなく「に」も使われるのかを説明するのは難しい。
(6)彼がアメリカ{に/から}来た。
(7)彼{に/から}本をもらう。
 この点について、日本語教育では「~にもらう」と「~からもらう」をパラフレーズに説明することがある。しかし、このように説明すると、後々「てもらう」構文を導入するときに「に」と「から」の文法性の違いが説明できなくなる。

(8)私は彼{に/から}送って(貸して/言って/教えて)もらった。
(9) 私は彼{に/*から}掃除して(作って/書いて/会って)もらった。
 これに対し、「に」と「から」を区別して考えると、(8)と(9)の文法性の違いが説明できる。「から」は移動の〈起点〉を表示するため、(8)のように情報や物の移動を伴う動詞につく。一方、『「に」は主体から相手に向かって情報や物、恩恵を得ようと差し出す手の〈着点〉、すなわち密着性の〈着点〉を表示するため(8)のみでなく移動を伴わない(9)でも使えると説明できる。』

従って、「~にもらう」、「~に~してもらう」は「~に聞く」や「~に求める」のように主体から相手に向けて働きかけをする表現の延長として、「~からもらう」、「~から~してもらう」は「~から受け取る」のように情報や物が主体の方に移動してくる表現の延長として説明できる。
 また、「に」は〈着点〉、「から」は〈起点〉に焦点が当たるため、「捨てる」は「(場所)に」、「拾う」は「(場所)から」と共起する。
 上記の『 』で囲んだ部分が説明の中心になると思います。
 それにしても、「もらう・いただく」という授受動詞は厄介なことばですね。「敬語」でも「(さ)せていただく」で、よく問題になります。
 なお、「明鏡国語辞典」では「受身・使役・授受動詞」はまとめて扱っています。「大辞泉」「広辞苑」はいずれも「使役・受身」をまとめています。「日本国語大辞典」ではつぎのように、分けています。
 (12)使役動詞で示される動作の働きかけが及ぶ対象を表わす。
 (13)受身表現での動作の主体を表わす。

文法は帰納法で出来上がるものです。だから実際に使用されている例が、かなり有力な使用法になってしまうと、そを認めざるを得ません。それにしても非常に意味の異なる格助詞「から」と「に」という、格で言えば「位格(に)」と「奪格(から)」と名称の異なる助詞、別の言い方をすれば「起点」と「帰着点」という反対の関係に見える二つの助詞が、どちらでもいいという使い方がされていれば、どうしてそうなるのか、説明するのが「専門家」でしょう。
 その点、紹介したURL
 https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/...続きを読む

Aベストアンサー

物は言いよう

Q「新年あけましておめでとう」は「間違い」でしょうか

下記の質問へのコメントを興味深く見ていました。
【警護が正しいのか見てください】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9579699.html

 気になったのは、「新年あけましておめでとう」に関するコメントです。ほかの箇所にはずいぶん細かい指摘があったのに、ここはノーチェック?
 ネット検索すると、「間違い」と断じているものが多いようです。
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%96%B0%E5%B9%B4%E3%80%80%E3%81%82%E3%81%91%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%A6&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=0&oq=%E6%96%B0%E5%B9%B4+%E3%81%82%E3%81%91%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%A6&afs=

 下記を見ると、2005年の段階で話題になっています。
【「新年あけましておめでとう」という表記】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/1157934.html

 個人的には、「厳密には重言だろうな」と思います。
 ただ、「重言」にはいろいろなレベルがあって、一概に「間違い」とは決め付けられないはずです。
 下記の質問のNo.9あたりに書いたとおりです。
【「幼少」ということば】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9566602.html

「新年あけましておめでとう」に関してどう思うか、お考えをお聞かせください。

下記の質問へのコメントを興味深く見ていました。
【警護が正しいのか見てください】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9579699.html

 気になったのは、「新年あけましておめでとう」に関するコメントです。ほかの箇所にはずいぶん細かい指摘があったのに、ここはノーチェック?
 ネット検索すると、「間違い」と断じているものが多いようです。
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%96%B0%E5%B9%B4%E3%80%80%E3%81%82%E3%81%91%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%A6&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&...続きを読む

Aベストアンサー

質問者様が提示している設問に回答したものです。

この質問をみて「なるほどなーー、気がつかなかった・・」と思い、ちょっと調べてみました。

まず、最近の年賀はがきのものを見ると「新年あけましておめでとう」という言葉が印刷されているものが多数みつかります。最近はネットでこれが正しいかどうか議論になっていますが、どうも昭和の後半から現在に至るまでこういう文章はけっこうあるようです。

次に明治や戦前などのものを見てみると「あけましておめでとう」ばかりで、新年をつけているものは見つけられませんでした。ただし、明治時代などは「謹賀新年」などの4文字熟語がほとんどで、「あけましておめでとう」というのは、どちらかというと挿絵などから察するに子供向けであるように思います。

で、結論としては「どちらでもいいだろう」ということです。言葉は揺れるものですし、実際に何十年も「新年あけましておめでとう」が印刷されて使われているわけですから、すでに市民権を得ていると思うからです。

言葉の定義を厳密にすれば、たしかに「間違い」といえるのかもしれませんが、そもそも言葉の定義というのは実際に使われている言葉よりも数年から十年程度遅れて定義されるものですから、これを金科玉条のように考えるのは頭が固いと思います。(映画「舟を編む」を見てください。フィールドワークで収集した新しい言葉が辞書に載るまでには何年もかかります)

で、改めて「新年あけましておめでとう」が妥当かどうか、と言う点についていえば私はよいだろう、と考えます。

理由は「もはや年賀状はあいさつの代わりではないから」です。
元々年賀状というのは、年頭のあいさつに行けない無礼を避けるために始まったものです。それ以前の感覚でいえば「来て挨拶して当然、年賀状のような紙っぺラ一枚であいさつなど無礼すぎる」という感覚だったのです。

林先生が「新年をつけるのは間違っている」と言っているようですが、それを言うならそもそも年賀状は間違いである、ともいえるわけです。(どの時代の基準に立脚するか、ということだけです)

明治に年賀状ができてから今日に至るまで、年賀状は発展しそしてメールの発達によって衰退してきました。最近はLINEで「あけおめ」で済ます若者も多いことでしょう(突っ込まれる前に書いておきますが「あけおめ」は江戸時代から使われている由緒正し省略法です)

年賀状が一番送られたのは高度成長期からバブル期までですが、ちょうどその頃には日本が経済成長して移動が激しくなり、北海道と沖縄ぐらい離れていても年賀状のやりとりをするようになったわけです。(高度成長期の集団就職組が地方から東京に集まったり、新幹線ができたりしたからです)

この時期に年賀状は「年頭のあいさつの代わり」から「年賀状を送りあうのが挨拶」に変わっていったといえます。

そうなると当然ながら文章も「あけましておめでとうございます」という口語的な挨拶である必要は無くなると言えるのではないでしょうか。
ここに「新年あけましておめでとう」という言葉が生まれる余地があったのだと思います。

それは、年賀状を出すにあたって幅広い世代に見てもらうために「あけましておめでとう」では幼稚、「謹賀新年」では堅苦しい、というような事情です。

それによって、ほどよく漢字もありまた小学生でも意味が分かる「新年あけましておめでとう」が広く流通するようになった、ということです。

また年賀状は当然ながら送る方は年末に書いているわけです。それが明けてから届く、ということもわざわざ「新年」と着けたくなる理由の一つだと思います。

これらのメカニズムがあってこその「新年あけましておめでとう」であり、それでほとんどの人が違和感を抱かないなら、日本語として問題ない、といえるのではないでしょうか。

蛇足ですが、同様の問題に若者が「○○してよかったでしょうか」という表現が敬語として間違いである、というような議論があります。これも「どちらでもいい」というのが私の本音です。もちろん従来の文法から言えば敬語とはいえませんが、同時に正しい敬語を習っていない若者がなんとかして敬意を表そうと奮闘しているわけです。

わたしはこの「気持ち」のほうが重要だと思います。

「新年」とわざわざつけてあいさつしたくなる気持ち、こちらを大切にするほうがよいと思います。
問題になった質問における私の回答も、説明は些末な文法に終始していますが、それ以上に「より気持ちが伝わる文章」を心掛けたつもりです。

ぜひ、そういう視点で見直していただきたいな、と思います。

質問者様が提示している設問に回答したものです。

この質問をみて「なるほどなーー、気がつかなかった・・」と思い、ちょっと調べてみました。

まず、最近の年賀はがきのものを見ると「新年あけましておめでとう」という言葉が印刷されているものが多数みつかります。最近はネットでこれが正しいかどうか議論になっていますが、どうも昭和の後半から現在に至るまでこういう文章はけっこうあるようです。

次に明治や戦前などのものを見てみると「あけましておめでとう」ばかりで、新年をつけているものは見つけ...続きを読む

Q「初めまして。」は敬語だと感じられますか。

形だけでは「はじめる」の敬語の「はじめます」の活用に見えますが、現代の日本人にとって「初めまして。」は敬語のように感じられますか?

これを聞く理由は、ある歌を聞いたいたら、他のすべての歌詞がいわゆる「タメ語」だったのに、突然「初めまして。」が出てきたので、「初めまして。」は慣用句にされてもう敬語だという意識がないのかと思われたからです。

Aベストアンサー

丁寧語に感じられます。
昔チャットでこれのタメ語Ver.で「おはつ」と使っておりました。

「頂きます」「召し上がれ」「ご馳走様」etcetc...
定型化した日本語の挨拶は敬語そのまま。


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